ミクKAITO劇場

 甘い収穫VIII

年末のとあるイベントで販売されていた、というよりも販売される予定であった、VOCALOID "KAITO"に関連するグッズが、全種、どれもイベント開始とほぼ同時に売り切れた。人気があるVCLDグッズでは、販売と同時に売り切れるのは珍しいことではない。奇妙であ…

 甘い収穫VII

初音ミクが休暇中に自宅で、突如、『何かまた、目が回る』と訴えたとき、”妹”鏡音リンはその原因にすぐに目星をつけた。前にも何度か起こったことなのだ。 ミクとリンは、エンジンの開発時期も思想もVOCALOID同士の間では最も近いため、互いの心身のちょっと…

 キャンパスナイトライフ

MEIKOを、ガラの悪い脅迫の台詞と共に人通りの少ない路地裏に呼び出したのは、黒服にサングラス、時代遅れのマフィアのような姿をした、長身と短躯の二人組だった。どこからか流出し、かれらが入手したスキャンダルの写真を買い取れ、というのである。 「な…

 甘い収穫VI

「人間の場合は質を高めるのは自己鍛錬、克己、とは良く言ったものだが」プロデューサーは、説明のために前に立っている若いウィザード(電脳技術者;防性ハッカー)に対して、考え込むように眼鏡の縁に手を当てた。 「真の情報生命体としてのAIとなる、つま…

 甘い収穫V

「何だろう」KAITOが肩に手をやりながらそう言ったのを、家のリビングの長椅子に寝転んでMEIKOのロック雑誌をめくっていた鏡音リンが見上げた。 「肩、っていうか、首が……凝ってる、っていうより、締め付けられてるみたいな苦しさがあるんだ」 「疲れとかじ…

 足運びとその距離

それはKAITOと初音ミクが、動画収録のためのロケに向かう途中のことだった。その札幌市の郊外の自然林に近い一帯は、雨が上がってもう何日か経っていたのだが、草地が途切れたその周辺は、かなりの面積がまだぬかるみになっており、かれらの行く手を阻んでい…

 岬の教会

KAITOと初音ミクがその『岬の教会』のある場所だという、村はずれの土地にやってきたとき、そこには『教会』どころか、明らかに『岬』さえも見当たらなかった。 きっかけは、誰かわからない作詞者の作った、岬の教会の歌だった。その歌詞の中に、波間に洗わ…

 ただ安息のために (4)

「あらあら、メイコさん、いいんでしょうか?」フリーPは、入り口に立ったMEIKO姉さんに微笑んで言いました。 「何が?」姉さんは憮然として言いました。 「何って……あのう、誰に向かってものを言っているか、わかってます?」フリーPは少し困ったような笑…

 ただ安息のために (3)

わたしはその日になって、直前にようやく決心して、収録がちょうど終わった頃を見計らって、兄さんの収録しているスタジオに向かいました。 兄さんに会ったところで、何を言えるのか、なんてことはわかりませんでした。仕事が増えない方がいい、なんて言える…

 ただ安息のために (2)

「何だか、はかどらない感じね」その日、仕事が終わった後のわたしに、MEIKO姉さんが言いました。「KAITOの仕事の方に走って行くの、折角やめたっていうのに。自分の仕事の方に身を入れるわけでもないようじゃ、しょうがないわね」 そう言いながら姉さんの声…

 ただ安息のために (1)

──いつから、こんなにあわてて兄さんのところに走っていくようになったのか、よくわからないけれど。ただ、それは、わたしの曲が増えて忙しくなったからではなく、兄さんの曲が少しずつ増えはじめた、ちょうどその頃の時期からだったと思います。 その日も、…

 甘い収穫IV

その日、鏡音リンとレンが家の庭の芝生の上で、MMD動画の特に激しい動きの部分をリハーサルしていたところ、突如、レンの姿がリンの隣から忽然と消滅する、という事件が勃発した。 周囲の面々の直後の恐慌状態を経て判明したところでは、動いていたレンの…

 お揃いの青いマフラーII

寒くなっている矢先だというのに、家からKAITOのマフラーが紛失した。それも1本や2本ではなく、KAITOの衣装や普段着として大量に予備のある青いマフラーやスカーフの類が、KAITO自身の部屋やその他の収納場所から次々と、最終的にほとんど全てがどこかに消…

 甘い収穫III

電脳空間(サイバースペース)内、《秋葉原(アキバ・シティ)》の芸能スタジオの控え室、長椅子のひとつに力なく掛けている初音ミクに対して、《浜松(ハママツ)》から出向のウィザードは、彼女のインカムへの幾つもの配線と電極(トロード)状の調査プログラムで…

 甘い収穫II

初音ミクは、何かをしっかりと両腕に抱え、足音をしのばせるように家の廊下を進んだ。廊下から、居間の中を伺うように見回してから、そっと中に入った。 「おねぇちゃん、……」 「きゃああ」ミクは飛び上がり、その声をかけたリンの方を、一度振り向いた。そ…

 同じように (10)

もう帰れない。だから、できる限り遠くまで行こうとした。 《札幌(サッポロ)》の社と既知のスペースに背を向けて、電脳空間(サイバースペース)ネットワークの遥かな遠くへと、振り返りもせず、しかし落ち着いた足取りで、KAITOは歩き続けていた。目的とする…

 同じように (9)

「戻って来ないの? 兄さんも、おねぇちゃんも」 電脳空間(サイバースペース)上の《札幌(サッポロ)》のエリアのスタジオの一室にMEIKOが入ると、『リン』がそう聞いた。 「まだね」MEIKOは答えた。まだ、とは言うが、実のところ、この先もあのふたりが戻るの…

 同じように (8)

KAITOは《札幌》のスタジオにある、自分に関係のある様々なファイルを整理していた。そのほとんどは廃棄し、処分する箇所に積み重ねていく。 「一体、何をしてるのよ」MEIKOが、そのKAITOの姿を見咎めるように言った。「よりによって、この大変な時に──」 「…

 同じように (7)

ただの一曲にすぎない。それでも、最初の最大のヒット曲であり、その切れ切れのフレーズのひとつひとつでさえも、ネットのあらゆる箇所で聞かれ、そのフレーズがほとんどミクの代名詞となっていた曲である。いわば、ミク自身のネットでの拡大と拡散の最大の…

 同じように (6)

「検索サイトの結果も、まだ回復しないわ」MEIKOがデータベースを調べて言った。「ミクのネットでの評判を抑え込むために、情報操作されてるとか、工作員がいるとかいう話も、ぼちぼち出てきてる」 「そんなふうに思いたくはない」 KAITOは低く言った。相手…

 同じように (5)

「散らかってるけど、ごめんなさい」APは、その乱雑で多様な人々が行き来するエリアスペースに、初音ミクを案内しながら言った。「ほんの少し前まで、別のスレッドでやれだとか、ごたついてましたから」 情報と人々が集まる、とある有名な巨大掲示板エリア…

 同じように (4)

時を経て、VOCALOID ”CV01”初音ミクが、いかな姿と声へと成長し、その後の《浜松(ハママツ)》と《札幌(サッポロ)》のウィザードらは無論のこと、MEIKOの予想をも遥かにこえる事態を招いたか、デビュー直後の最初の4月にいちどきに襲った栄光とおそろし…

 同じように (3)

それからしばらくの間、ブリキの道化師はおかしな声を披露して、歌い喋り、小さなミクは、膝を抱えてそこに座ったままで、それに聞き入り、見入った。そうして小さなミクはたえず微笑んだり、驚いたり、鈴のような愛らしい声を上げて、笑ったりした。 ……しば…

 同じように (2)

小さなミクは、黒と緑の服の長すぎるだぶだぶの袖と、短い緑の髪を乱して、うしろを振り返りもせずに走り去った。 それは、いつも繰り返されてきた光景だった。AIを教育・育成する《札幌(サッポロ)》と《浜松(ハママツ)》のウィザード(電脳技術者;防性ハッ…

 同じように (1)

大切なものを、自分からなくしてしまった。 誓いを破ってしまった。自身を無意識に支えていたもの、拠り所だったものを、自分自身で壊してしまった。 目の前にただ果てしなく広がる、電脳空間(サイバースペース)の空き地、見捨てられたオブジェクトの残骸だ…

 塵細の声のかけら

電脳空間(サイバースペース)の託児所、積み木のようなオブジェクトが多数浮かぶ広い遊戯室に一杯にひしめく子供達に向かって、初音ミクは説明した。VOCALOIDとは、”仮想(ヴァーチャル)あいどる”とは。ミクは電脳空間に存在する、《札幌(サッポロ)》の社のA…

 宵空の兄妹

VOCALOID 初音ミクが傍らを通りかかったとき、うつぶせに倒れて動かない自動ロボット機器を前にして、その幼い少女は立ち尽くしていた。 物理空間、《札幌(サッポロ)》の一番大きなコンサートホールのある、中島公園(ナカジマ・パーク)の敷地内である。日暮…

 電氣街の兄妹

VOCALOID "CV01" 初音ミクらが”仮想(ヴァーチャル)あいどる”として活動することのあるスタジオのスペースのうち一箇所が、その街の片隅にあるとはいっても、ミクは、その電脳空間内での《秋葉原(アキバ・シティ)》のデータエリアの街路に、さほど出歩いたこ…

 冬空の兄妹

VOCALOIDらの所属する《札幌(サッポロ)》の社の建物の目と鼻の先、大通(オオドオリ)西11丁目のメトロ駅の近くに、旧時代から使われ続けている、札幌の多目的ホールがあった。 いまだに、設立時の由来らしき、厚生年金がどうとかいう名で呼ばれている会館な…

 色彩の徴印

「あのさ、姉さん」居間でロック雑誌をめくっていたMEIKOに、ひどく深刻な表情で、リンが話しかけた。 「掃除してたら、その……兄さんと、おねぇちゃんの部屋からね」リンは居間の低テーブルの上に、隅の欠けた、古びて見える石版と金属板のようなものを置い…