甘い収穫VIII


 年末のとあるイベントで販売されていた、というよりも販売される予定であった、VOCALOID "KAITO"に関連するグッズが、全種、どれもイベント開始とほぼ同時に売り切れた。人気があるVCLDグッズでは、販売と同時に売り切れるのは珍しいことではない。奇妙であったのはそのあまりのスピードと、何よりもそのイベントにはそれ以上の人気VCLDグッズはいくらでもあったと思われるところ、KAITOのグッズだけが、それも種類を問わず全て売り切れていた点である。
「《浜松》では、買占めがあったのではないかと分析されています」《浜松》のウィザード(電脳技術者)、VCLDのAIシステムのみならず電脳空間上での影響を研究・分析するスタッフのひとりが、前線である《秋葉原》のプロデューサーに報告した。
「いつかはこんなことが起こるのではないかと恐れていた」プロデューサーはため息まじりに言った。
「転売屋かしらね?」MEIKOがけだるげに聞いた。
 転売屋とは、イベントが起こるごとに希少な人気グッズを大量に買占め、高額でマニアに転売する、この手の創作イベントの発祥当時、旧時代から延々と存在するやからである。
「転売屋なら人気グッズを狙う。あらゆるグッズを買い占めるのは効率的じゃない。それより、なんらかの集団が組織的に買い占めを行って、イベント自体を妨害した、と考えるべきでしょう」ウィザードが言った。
 企業や法人ぐるみでVCLDを快く思わないという組織は、『初音ミク』のデビュー以来事欠かない。今ではVCLDにすりよっているという、とある広告代理の巨大企業(メガコープ)や、それと癒着したオタ叩きでは悪名高いテレビ局、検索サイトは、デビュー当初の初音ミクに数多く行われた様々な妨害の糸を引いていたという噂は、今に至ってもファンの間では消えていない。現在も、プロデューサーの耳に入っている限りでは、マース・ネオテクや軌道千早(チハヤ)グループが、VCLDを警戒しているという話もある。
「なんでKAITO兄さんなの」鏡音リンが、素朴な疑問を口にした。「おねぇちゃんじゃなくって」
「CV01では規模が大きすぎるからでしょう」ウィザードが考えて答えた。「CRV2のファン層は遥かに規模が小さく、にも関わらず、一定層にとって01と同じくらい重要、というのは当初からの位置づけです。『女性ファン』には確実なファン層がいるし、特定キャラのグッズが全て入手不可になればまた確実に不満が大きくなる。……ファンの間に不満を撒き対立を煽る、原因は何でもいい」
「VCLDのファン層、市場は大規模となったとはいえ、まだ企業が少々の金力で力押しする気になればたやすく揺らいでしまうようなものに過ぎない」プロデューサーがふたたびため息まじりに言った。
「グッズはどこに行ったのかしらね」MEIKOがけだるげに言った。
「今は買い占めを操った企業が持っているとすれば、処分するかもしれませんが、忘れられた頃に少しずつ転売したり、マニアやファンを釣るために利用する可能性も高い」ウィザードが言った。「利用する企業やその意図によるでしょう」
「逆に、グッズがどこに行ったか、現状どうなっているかを調べれば、どこの企業の仕業かの手がかりになるかもしれん」プロデューサーが言った。
「ミクに調べさせればいいわね」MEIKOが言った。
 やがて、初音ミクが籐製の巨大なバスケットを抱えて現れた。
 リンやウィザードも見たことがあるが、バスケットの中には初音ミクをそのまま小型化・戯画化させたようなミクの”下位情報端末”、小ミクが大量に入っているはずだった。AIである初音ミクが電脳空間(サイバースペース)全体に知覚を広げるにあたって、既知宇宙(ネットワーク)じゅうに散らばり、自律的に行動して情報を収集する分身である。特に、VCLDのうちでは最も大規模にネットワークに拡散した初音ミクは、その全ての情報を収集すれば既知宇宙に対する高い探索能力を示すはずだった。
「ミクの端末は特に”KAITOに関連する”ものは何でも敏感に集めてくるのよ」MEIKOがプロデューサーに説明した。
 ミクがバスケットを開けた。……しかし、バスケットはもぬけの空だった。整然と中に並んで充填されているはずの大量の小ミクは、一体もいなくなっていた。
「どこに行ったのかしら……みんな揃って」ミクが空のバスケットをのぞきこんだ。
「……この時点でオチが読めた」リンがうめいた。
 リンの提案で、一同はスタジオの中を探索した。
 MEIKOとミクとリン、さらにはプロデューサーとウィザードまでもが、スタジオの中の、物置や床下などの普段目につかない場所を、手分けして丁寧に順番に見て回った。……十数分後、かれらは望むものを発見した。
 それは使われていなかった物置の一角に人知れず構築された、”KAITOグッズの楽園”のような空間だった。壁じゅうにポスターやらラミネートやらが貼られ、日曜雑貨やら薄い本やら厚い本やらが積み重なっていた。確かに1イベントで販売される分を全部まるごと持ってきたような量だった。
 最もかさばり、床の一面全部を覆っているのはぬいぐるみやら寝具(枕)やらだったが、そのグッズ類をさらに覆い尽くすように、これもおびただしい2頭身の小ミクの集団が、寝具やぬいぐるみの間に埋まるように充填されていた。それらに囲まれて安らかに眠っている者もいるし、上を幸福そうに寝転がっているもの、複数体で争うように位置取りをしているものなどもいた。
 対抗企業などではなく、それどころか買占めや転売ではなく、かれらは単に、イベントに足を運ぶマニアと同様の、幸福な空間(オタ部屋)を作るという純粋な動機を持っていたにすぎなかった。
 後日、その光景の写真を見せられたイベントの売り子のひとりは、こう語った。
「ええ、この連中ですよ。前日から徹夜して並んでいました。この緑の頭ばかりが、見渡す限りずらっと整列していて。イベント開始五分後もしないうちにKAITOグッズを全部買い占めていきましたね」
「てかなんでこんなやつらにグッズを売るんだヨ」リンがその売り子に面と向かって呻いた。