同じように (5)


「散らかってるけど、ごめんなさい」APは、その乱雑で多様な人々が行き来するエリアスペースに、初音ミクを案内しながら言った。「ほんの少し前まで、別のスレッドでやれだとか、ごたついてましたから」
 情報と人々が集まる、とある有名な巨大掲示板エリアのうち、ここは片隅にあるコミュニティ、スレッドのひとつだった。ミクの歌が、既にいくつかここで作られている、という話は聞いていたのだが、来たのははじめてだった。
 電脳空間(サイバースペース)のそのエリアは、APの言うとおりスレッドを立てる時に整理されていなかったためか、中の情報の並び方、構造物(コンストラクト)や宙に浮かぶファイルのオブジェクトからしてかなりごたついていたが、それ以上に、多様な人々による様々なファイルが、思い思いにアップロードされているためのようだった。ここにいて互いに話したり作業していたりする人々も、マトリックス内での概形(サーフィス)ではあるが、多様なセンスの扮装にしている姿が見えた。
「……ここのスレッドを立てた先生は、私やミクさんぐらいの歳のときに、音楽を作ってたらしいです。ミクさんくらいの年って、おかしいですけどね」
 初音ミクは、見かけと”設定年齢”こそは10代だが、無論のこと、AIが構築されてから、人間の時間でいう10年にもなっていない。
「スレッド主の先生は、その頃に、歌のための曲もたくさん作ったけど、歌詞もなくて、歌う人もいなくて。誰かに聞かれるどころか、歌声にさえならなかった歌が、その頃からたくさん眠っていたって。……でも、ミクさんがあの動画サイトでブームになったのを見て。歌詞を作る人、vsqを作る人に協力してもらって、形にしよう、そう思って、このスレッドを立ち上げたらしいですよ。長い間誰にも歌われず、半分死んだ音楽に『命を、吹き込んで欲しい』って」
 APは案内しながら、
「だけど、スレッド主の先生だけじゃなくていろんな人が、歌声にして欲しい歌詞や曲を持ち寄って、歌を作るように、そのために、お互いに助け合うようになったんです。それが、今のこのスレッドなんです」
 ミクは思い出していた。以前に、MEIKOが言っていたことがある。ヒット曲を歌うことよりも、日の光もあたらなかった、誰にも歌われることもなかった歌を声にすることが、自分達の元来の使命なのだと。ミクの成功や、ヒット曲自体も、誰もやらなかったそれを実行したことの上に成立しているのだ、とも。
 ヒット曲を歌うのは、頼まれなくとも誰でもやること、自分たちでなくてもできることだ。無論、VOCALOIDはどんな歌でも歌う以上、ヒット曲も含めて、すべてが使命ではある。しかし元々、本当に元来は、決して歌われない、人間やその他の”普通”の歌い手には歌ってもらえない、そんな歌を歌声にするため、それが《浜松(ハママツ)》が、VOCALOIDというものを開発した動機だったのだ。
 そして、誰よりも”姉”が、ヒット曲の方でなく、それを主な使命と考える理由について、このエリアにやってきて、ミクははじめて理解した気がした。
「Aさん!」APとミクが通り過ぎようとした群集の中から、声がした。「こないだAさんとDさんが取り付けた変なモノが──」
「変なモノとは何ですか!」APはそちらに向けて叫んだ。「あとにして! 今、ミクさんを案内してるんですよ──」
「いや、それが、練成機関(ミキシングエンジン)が絡まって……」
 轟音が響き渡り、コミュニティエリアの格子(グリッド)の土台を揺るがした。その音はノイズの塊ではなく、音の要素のひとつひとつがどうやら音楽からできているらしいことがミクにも聞き取れた。何かのエフェクトに失敗したらしい。
「すみません、ちょっと待ってて下さい」APは言うと白衣をひるがえし、ミクをそこに残してそちらに駆けていった。その後何たびか、同様の轟音が断続的に続いた。さらに明らかに別種の、何かが爆発するような音も混ざった。
 あの女性が”AP”と呼ばれているのは、どうやら、このコミュニティのプロデューサーらのバックアップ、助っ人をつとめているためのA(アソシエート)らしい。APは自分では雑用だと言っていたが、他の人々の話を聞くと、スクリプトや電脳システムの開発や製作──ちょうど、昔の特撮やアニメーション作品に出てくる科学者のように──周りの人々が欲しいと思うものを次々と作り出したり持ってきて、曲や詞や動画を作るためのあらゆる手助けをしているのだ、という。
 戻ってきたAPは、ふたたび歩きながら自分のことを話した。「私、ミクさんが出てきてからは、最初は自分が歌や動画のプロデュースとかも、しようとしてみたんですけど、どれもうまくいかなくて。……でも、ここで、ここの人達の手助けを始めて、ミクさんの歌の完成に、関わることができたんです」
 APはミクを、スペースのさらに奥まった方に案内しながら、
「私にはよくわからない話ですけど、この極東では、音楽の権利団体が、ネットワーク上の音楽を厳しく管理するようにしてからは、電子音楽DTM自体がすっかり廃れて、世間にほとんど知られずに、誰にも知られずに、朽ち果てるところだったとか」APは言った。「よくわからないけど、スレッド主の先生や、昔からDTMをやってる人たちが、皆そう言ってます。それが、今、信じられないことになってるって。……全部、ミクさんのおかげなんですよね」
「私、何もしていません……」ミクは答えた。姉ならいざ知らず、自分はこんな世界があることを知りもしなかった。
「いえ、ミクさんがきっかけですよ。少なくとも」
 APは目を伏せて、言った。
「ミクさんの活躍の中から見れば、あの動画サイトでミリオンヒットになってる曲とか、大ヒット曲からすれば、私達のこれ、とるにたらないような活動に見えるかもしれませんけど。……誰にも知られずに、朽ち果てるはずだった歌が声になるなんて、それだけでも信じられないのに。ひとりの力では生かすことができなかった歌を、何の関係もない、それぞれ何もかもが違う人達が、自然に集まってミクさんひとつをつながりに自然に集まって、歌声にできるなんて」
 APはひとり、微笑むように、
「──なんだか、変な言い方だけど。まるで魔法や奇跡が起こってるみたいだって、思うんです」



 APに案内されたそのスレッドのスペースの、さらに片隅の一角で、ミクは黙って、つい前にできた、ファイルの歌声を反復して聴いた。 (→ニコ動) (→ようつべ)
「それも、スレッド主の先生じゃなくて、別の人が、けっこう早い時期に持ってきた曲で。それにまた別の人が詞をつけて。……この前にちょっと話した、作曲の人と、作詞の人ですよ。前の、声の強さ弱さの話とかの話の」
 APは歌の合間に、説明するように言ってから、
「昔っぽいっていうのか……なつかしいっていうのか」
 ミクはそのファイルをじっと見続けた。ファイルの構造物(コンストラクト)のラベル部分にある、ヘッダ情報部分に手をかざし、そのデータの概要、歌詞と曲と歌声のデータの内容を、繰り返し読み取った。
 それは、とても不思議なことに、ミクも感じたことだった。はじめてこの曲と詞にふれたとき、歌ったとき、そして今、なつかしい、という感情はそのたびに強くなっている。なぜそう思ったのかは、わからなかった。さきに述べたように、初音ミクというAIは、開発されてからの”時間”の上では、”懐かしい”という感情を持てるほどの昔の記憶などは無いからだ。しかも、これは、そんな薄い記憶しか持たない自分の歌声を、介してのものだというのに。
 昔風というのはわからないでもない。ミクのまだ乏しい音楽知識からしても、曲調がやや古い時代を模しているものだというのはわかる。そしてその曲に合わせてなのか、とても素朴な詞だった。言葉は平易で、美辞もなく、歌われているものに恋情やら、少女趣味やらもない。曲にも歌詞にも、熱情その他、生々しい感情を強く訴えてくるもの、押し付けてくるものは、一切何もない。
 そんな曲と詞が相まって、心にかすかに呼び起こしてくる感情は、どう表現すればよいのか、自分がどう感じているのか、ミクにはよくわからないものだった。
「完成したら、どんな感じになるんでしょうね」APが言った。
「これで、完成してるんじゃないんですか……」ミクは目を上げた。
「実は、作詞の人に言わせると、どうも歌詞にまだ続きがあるみたいなんですよ」APが言った。「曲の続きが出れば出す、みたいに言っていたので、続きの詞が完成してるのかどうかとかは、よくわからないんですけどね」
 ミクはファイルを見下ろした。おそらく、完成したとしても、この素朴な曲は、ヒット曲の数々、ここしばらくで登場している動画サイトでのメガヒット曲の比べれば──ネットワークに広がる”初音ミク”にとっては、ほんのささやかな存在に違いない。
「……この歌、待ってます」しかし、ミクは、そんな歌のファイルを見下ろしたまま言った。「完成した歌を歌えるときを、……歌声の部分が作れるときを、待っていますから」



(続)