甘い収穫VII

 初音ミクが休暇中に自宅で、突如、『何かまた、目が回る』と訴えたとき、”妹”鏡音リンはその原因にすぐに目星をつけた。前にも何度か起こったことなのだ。
 ミクとリンは、エンジンの開発時期も思想もVOCALOID同士の間では最も近いため、互いの心身のちょっとした不調ならばすぐに見てわかる。それが目視では全然わからないのは、何か尋常ではない外的な理由があるときである。そして、その理由についても、リンには見当がついていた。
 リンは台所の棚から、大きな籐製のバスケットを持ってきた。その中には普段ならば、ミクの情報収集用の端末、下位プログラムである小ミクがおびただしい数、詰まっているはずだった。
 ……ミクがバスケットを開けてみると、空っぽになっていた。
「間違いない」リンが低く言った。「この連中が、どっかで何かしてるのが原因だよ」
 下位プログラムは感覚がある程度”本体”とシンクロしているので、小ミクが体験したこと、受けている感覚などはミクの本体にもある程度反映される。おそらく、小ミクの何体か、あるいは大部分が、何か目が回る原因になるようなことをしているのだ。
 が、ミクはそのバスケットをのぞきこんで、やや辛そうな表情のまま、首をかしげただけだった。……下位プログラムによって差はあるのだが、それらの行動のすべてを本体の側が把握し、制御できるとは限らない。ここに入っている小ミクはどちらかというとミクの把握していないところで自由に行動する方だった。下位プログラムがどこで何をしているかを探す方が難しそうである。
「目が回るっていうなら、前みたいにテーブルの足の周りを走り回ってるとかだろうか」リンが考えて言った。「前と似たような感じじゃない?」
「ううん……こんなふうになったことない」ミクが辛そうに言った。「前とは違うと思うわ……前よりも、ずっと速く回ってるみたいな……」
 リンは考え込むように首をかしげた。あの小ミクが走り回るよりも速く回転するとは何だろうか。少なくとも、メリーゴーランドやら乗り物の類ではなさそうだ。
 しかし、何にせよ、ミクの方で把握できなければ、他の者にもそれ以上探しようはない。地道に、この小ミクらがどこにいるか、家の中やその周りを探し回るしかないのだろうか。
 沈黙が流れたところで、――リンは家の中に何か響く音に気づいた。
 ゴウンゴウンというその機械的な響きは、高速回転するものに、重心の偏りが生じているような音である。
「ちょっと待って、まさか!」
 この家の中で回転するような機器といえば限られているが、そのうちこの音に対応するものはひとつしかない。リンは駆け出すと、廊下を走り、洗面所に飛び込んだ。
 洗濯機が作動中だった。おそらく今は脱水中のあたりだった。かなり多くのものを回している音、それも中に重心がかなり偏ったものが入っているかように、激しく震えていたが、その震えと轟音は次第に大きくなっていった。
 リンが洗濯機を止めようと近づこうとしたそのとき、炸裂音を立てて洗濯機の蓋がはじけとんだ。
 そこから、おびただしい数の小ミクが、遠心力で飛び出した。高速回転に伴って四方八方に小ミクが飛び散った。何体かはきりもみ回転をしながら飛翔し、洗面所の壁にめりこみ、その多くは貫通した。
 そしてリンが避ける間もなく、うち一体は、頭から思いっきりリンのみぞおちに深々とめりこんだ。
「へぶし!!!!」
 その倒れたリンの顔面に、同様に洗濯機から飛び出してきた、脱水した洗濯物がひらひらと落ちてきた。それは、KAITOのマフラーだった。



「今日、やけにKAITOの分の洗濯物のバケツが重たいと思ってたのよ」
 皆で洗濯物と小ミクを回収して片付けたその後に、MEIKOが言った。
「それで事態の90%以上は把握した」リンがうめいた。
 KAITOの洗濯物の中、つまり彼の脱いだ後のものの中に、小ミクが群がり、同じバケツの中にぎゅうぎゅうづめになっていたのである。それをMEIKOがバケツの中身丸ごと洗濯機に入れてしまったのだ。
「てか、その重さの時点でおかしいと思わないの!?」リンは残りの10%の疑問をMEIKOにぶつけた。「バケツを洗濯機にひっくりかえす前に確認とかしないの!?」
「別に。私達の身の周りではどこか何かが必ずおかしいわけだし。全部気にしていたらやってらんないし」MEIKOがけだるげに言った。
 小ミクらは、洗濯機で脱水まで回転させられ、飛び出したり壁を貫通したにも関わらず、どれもさっきのリンほどのダメージすら受けていたようにも見えず、やや目を回していただけである。そして、ミク本体には、それよりも遥かに軽い、先ほどのめまい以外には何も被害はないようだった。小ミクたちとシンクロしているとはいえ、数十体の小ミクも、ネットワークに拡散した無数のミク、本体から見れば『自分のごく一部』でしかなく、その全員が受けたダメージの影響も、本体のわずかな部分でしかない。
「でも、この子たち、……兄さんが着ていたものと……それだけと一緒に、あの中でずっとかき混ぜられてたのよね……」
 ミクは洗濯物と、バスケットの中に集まって休んでいる小ミクらをじっと見下ろしていた。
 が、不意に、袖を頬に当てた。自分が今言ったことを想像したのか、ミクの頬がかすかに染まっているのがリンに見えた。
「一度、本体同士をまとめて洗濯機にぶちこんだろうか」リンが低く言った。「少しはその頭も洗濯してやりたいヨ……」