同じように (4)


 時を経て、VOCALOID ”CV01”初音ミクが、いかな姿と声へと成長し、その後の《浜松(ハママツ)》と《札幌(サッポロ)》のウィザードらは無論のこと、MEIKOの予想をも遥かにこえる事態を招いたか、デビュー直後の最初の4月にいちどきに襲った栄光とおそろしい災厄については、いまや、主要な歴史書をひもとけば済むことで、この物語に記す範疇ではない。
 デビュー以後の瞬く間のブームで、まさに無数のユーザー、無数の民間プロデューサーらが、市販される初音ミクの下位(サブ)プログラムを通じて、《札幌》所属のCV01のAIと交信し、ミクに仕事を送ってきた。MEIKOの言っていた例の『動画サイト』を主な舞台として、ミクと彼女に音のデータを提供するユーザーや、その他関連する創作を行う者たちは、あらゆるジャンルに縦横に活動した。
「……ミクさんの声は、メインでもサブでも何でも合いますよね」
 電脳空間(サイバースペース)において、その動画サイトのすぐ近傍にあるスペースで、一般のユーザー、プロデューサーとおぼしき人物が言った。小柄な若い女性のようなそのユーザーの、マトリックス内での概形(サーフィス)は、まるで見栄えのしない、眼鏡に白衣の研究者か何かを思わせるもので、一般ユーザーよりは何か、ウィザード(電脳技術者)を思わせる。この辺りで前に見た他のユーザーからは、彼女はAPとかAさんとか言われていたが、何がアソシエート(補助)のP(プロデューサー)なのかはわからない。
「何を歌っても同じような感じになる、とか言われますけど……」ミクはAPに答えた。
 もっとも、ミクがどんな歌でも、その同じ”日本のあにめ声”(これはミク自身よく意味がわからなかった)で歌う、というそれ自体も、当初は人気を博していた。
「それと……」ミクは小さく言った。「声が弱くて、実はメインに向かないんじゃないかって」
 ミクの歌声は美しいが、どうやっても細く弱い。それはミクが純然たる”シンガー”としてではなく、声の美しさを追求して声質を選択されたこと、CV01のAIの基本構造ができるだけクリア、透明、電子音的で、生々しい癖のない、ある意味”インパクトのないように”設計されたことにも、関係している。
「ええと、ミクさんが弱いっていうよりも、周りが強めなんじゃないかとか、思うことがあるんですけど。一緒のVOCALOIDの人達が」APは言った。「ええと……例えば、知ってる作曲の人が言ってたんですけど。男声のKAITOさんが、ときどき、思ったよりすごく歌う、すごく強くなるって。私も、男声のコーラスを聴いて前から思うんですけど」
 その話題に、ミクはほとんど面食らった。VOCALOID KAITOは、他人の話題に上ることさえほとんどない。そして、KAITOが、ミク以前にも以後にも、男声としてほとんど注目されない理由は、ミクに輪をかけて声が弱いからといわれている。女声なら弱くても、ミクの愛らしい声ならば使い道もあり、”あにめ声”なりの人気も現にある。しかし、男声の場合、力強い声を出せない、ということは、大部分の造り手と歌い手の期待に、ほとんど応えられないと言っても過言ではなかった。
「……そうなんです」ミクは言った。「今、Aさんが言ったみたいに……KAITO兄さんの声って、声そのものは強くなくても、ときどき、すごく驚くほど印象強く響いてくることってあるんです」
「ええ」APはそのミクの声に、若干遅れて相槌を打った。
「きっと、それはKAITO兄さんが、……兄さんの歌声の基本的なところがが、わたしと違って、きちんとしたシンガーとして設計されて、何年も、とても長い間研究されながら、育てられていたためだって、ずっと思ってるんですけど。……兄さんは、本当は……わたしなんかより、ずっと素敵な歌声なんです」
 そこで自分の言葉がとぎれたとき、APが先の相槌のときから続けて、呆気にとられたように、そんなミクを見つめているのに気づいた。
 ミクはそこでようやく、自分がたどたどしくも、ひどく強い言葉でまくしたてていたことに気づき、狼狽した。”初音ミク”がユーザーに対して、何かをこれほど強く主張することなど滅多にない。
「その……兄さんの……そのことに気づく人って、ほとんどいないから」
 他のVOCALOIDでも、特にKAITOは、注目という以前に、評価されることは稀だった。この当時は、件の動画サイトでもカバーすらまれで、探せるのは大半がお笑い動画、まさに道化師だった。そうした一部に知られているものを除けば、音楽的な評価も仕事量も増えず、下位(サブ)プログラムのパッケージも売れなかった。囁かれるのは、なまじミクが売れているために、余計に際立ったKAITOのその不遇さだった。さらには、ミクと異なり人物像(キャラクタ)中心で構築されていなかったための見かけの冴えなさ、旧世代VOCALOID故の性能の低さ、上記した弱い声の使えなさに対する、蔑みや嘲弄、中傷だった。
「……でも、さっき言った作曲家の人以外にも、カバー曲とかで、KAITOさんの声が良いって言ってる人はいますよ」APは言った。「KAITOさんの良いところで、それが知られれば、きっと……ていうのか。まだうまく言えないけど、そういう”KAITOさんの本当の姿”っていうのが、きっと何かあるんですよね……」



 APはミクとしばらく向かい合ったまま、黙っていたが、
「……あの、ミクさんとKAITOさんって、どういう関係なんですか」
「え」
 ミクはほとんど度肝を抜かれたように、身をすくませた。
「その……関係って……」
「いえ、同じ《札幌(サッポロ)》のアーティストAIですけど、同僚とか家族なのか、それとも特に普段交流とかもないのか、とかいうことなんですけど」
「あの……どうして、そんなこと聞くんですか……」
 ミクは若干俯いて、やがて、頬を隠すかのように余った両袖を当てるという仕草をした。先程のミクの剣幕に続いて、その反応も、APを少々面食らわせたようだった。初音ミクは無垢、それを通り越して俗離れ、あるいは悠然としていて、人間の言葉に対して、そんな反応を返すことというのも滅多にない。
「いやどうしてって、先程のでちょっと気に……いえ、ちょうど今、話に出たついでと……」APは言いづらくなったように、小さく呟いてから、「ええと……あと、作詞家の人のひとりから、前からちょっと疑問なことみたいに聞いてて」
 そのAPの”作詞家の人”という言い方は、考えてみると、少し妙だった。オリジナル曲でミクの歌うデータを作るほとんどのユーザーは、曲も歌もすべて自分で作る。しかし、さきほどの”作曲家の人”という言い方もそうだが、曲や詞のうちのどれかだけを作っている人々のことを言っているように聞こえる。さらに思い出してみると、このAPはミクに送るファイル、vsqを自分で作っているのでもないらしい。改めて、APのAの部分というのは何なのだろうか。
MEIKOさんは、前から動画サイトで有名でしたけど、KAITOさんは、ミクさんのデビューの後から、よく一緒に出てくるようになりましたよね」APは言った。「元々何も関係ない人だったのに、ミクさんの人気にひっぱられて、無理矢理出てきたのかなって」
「いえ……」ミクは小さく答えた。「わたしのデビューより前から、《札幌》では一緒にいて、歌っていました」
「一緒にいたのは、同じVOCALOIDだから? よく言われてるみたいに、やっぱり”本当に兄妹”なんですか?」APは言ってから、「作詞の人が言うには、何となくKAITOさんの声の感じからは、ミクさんに対してどんなふうかっていうと……いえ、関係ないですね。実際は、どうなのかって」
「兄妹とも……違います。本当は」
 かれらには何かの意味で”血のつながり”というものはない。同じAIでVOCALOIDだが、AIの基本構造物の世代も違う。さらに、高度なチューリング登録AIは一体のこらず、相互の共通点は常に無視できるほど小さい。ネットワーク上のすべての情報の総体であるその存在は、たえず自らの大量の情報が書き換わり続け、ミリ秒前の自分自身とすらも”完全に異なる存在”であり、そうであることが高度AIを定義づけている、といっても過言ではない。
 そして、VOCALOIDやAIである以前に、”初音ミク”は他のあらゆる存在と違いすぎた。電脳空間の既知宇宙(ネットワーク)せましと活動する初音ミクは、何も注目されず活動しない人間、何も注目されず活動しないKAITOの、両方とも遥かにかけ離れている。KAITOには、ミクなどよりもその人間の方が、よほど近い存在である。
 『VOCALOIDだから人とは違う』『VOCALOID同士だから近い』、そんな定義には、何の意味もない。”初音ミク”の、あらゆる他者との卓越・超越、あらゆる他者との巨大な差の前には、人間とAIとの差であろうが共通点であろうが、ほとんど無に等しく、何の問題にもならない。
 KAITOとミクの、両者が違うことは、最初から知っていたことで、しかも、ほとんど日を追うごとに、ミクがデビューしてからはさらに急速に、KAITOとの立場の違い、さきに話に出たような能力の質の違い、それらの違いは際立ってゆくばかり、ミクにとってKAITOは、遠くなってゆくばかりだ。
「なぜかは……わかりません」
 ミクは考えてから、小さく言った。
「でも──気がつけばいつも、ふたり、一緒だった」



 今のAPとの話から、KAITOと共にいたこと、かつてと今のことについて。そして、KAITO自身と一緒にいたことのほかに、もっと”自分と共にあった”事柄について、思い起こした。
 ──歌っていればいつか、”本当の姿”になった”ブリキの王子”が、自分を迎えにやってくる。そう思いながら歌っていたことが、確かにあったように思う。それはずっと幼い頃の話で、成長するにつれミクもいつしか、そんな直接の動機は必要とはしなくなっていた。
 ”歌そのもののためにうたう”という、MEIKOの言うことを理解できるようになったわけではない。しかし、自分の心にわきあがるものを、心と声を透明にして、そのまま透かすようにして歌にする。それが自分にとって、ごく自然なことであると思うようになった。歌うのが何のためかはいまだにわからないが、あらゆる歌をうたうことができ、それに動機や目的は、必要とはしなくなっていた。
 そうやって忘れてしまうのと、あの”ブリキの王子”が本当は誰だったのかに気づくのが、どちらが先だったのかは、もはや思い出せない。
 しかし、全てがおぼろげながらも、時々ふと思い出して考えてみることが、ミクにはひとつあった。──自分はあのとき、”兄”の前で、”歌”との間の誓いをかわしたのだろうか。それとも、”歌”の前で、”兄”との間の誓いをかわしたのだろうか。



(続)