Troublesome Gemini (4)


 一連のメンテナンスの試験も終わりに近づいたその日、リンとレンはMEIKOに連れられて、かれらが開発され所属する《札幌(サッポロ)》の社の一室にやってきた。そこは、VOCALOIDの研究開発スペースの片隅にある広い一室で、入ってみると試験機器が山積みになっていたが、その中を見るに、はたして試験のための部屋なのか、それとも倉庫といっていいのか疑問だった。
 元々は開発当初に試験に使っていた部屋のひとつだったらしいが、VOCALOIDの開発に関連した機器だけでなく、記録用のディスクやメモリユニット、書類、ひいては公演で使った大小の道具、看板やら着ぐるみやらまでが、どんどん積み上げられ、完全に物置になってしまっていた。VOCALOIDらの活躍は、ことにミクやリンらが”電子アイドル”として活動するようになってからは、あまりにも活動のスピードが速く、規模も大きく、活動の種類も多彩なため、《札幌》のスタッフらにも処分どころか整理するスピードさえどうやっても追いつかず、こうなってしまったようである。
 リンとレン、そして一緒にMEIKOに連れられてきたミクとルカが、思い思いにその雑然とした部屋を覗き込んだ。
 MEIKOは、その部屋に無造作に踏み入り、床のがらくたを軽々と縫って機器のひとつに近づき、荷物をがたがたと、軽々と手で除けてから、機器に電源を入れた。さらに、床の荷物をずらして、そこに並んで立ったリンとレンの耳のインカムにある入出力端子にコードを繋ぎ、機器に接続した。
「この試験では、リンとレンのうち片方をリファにして、もう片方のデータ取り、ってのを、何度かやるけど」MEIKOは機器を操作しながら言った。「リンとレンのふたりとも、この試験の間は、お互い離れててよ。手とか、体を触れちゃ駄目よ」
「触れるとどういった影響がありますか」ルカがMEIKOに尋ねた。
「そりゃ、義体制御系の磁気共鳴とか……まあ、色々可能性があって予期できないけど、それより、ともかく単体のデータがきちんと取れないわけよ。じっとしててよふたりとも。ただでさえCV02は不安定な要素が多いんだから……」
 MEIKOはしばらくモニタを眺め、試験機器が動き始めてから、いきなり思い出したようにミクとルカに向かって、どう見ても遅すぎる指示を出した。「……あ、そのへんの荷物、のけといて。データに影響があるかもしれないから」
 ミクとルカは、突っ立ったリンとレンの周囲の、雑然とした荷物を動かし始めた。
「あのさ……リン」レンは、MEIKOに指示された場所に居心地悪く立ったまま、リンにささやいた。
「ンあ!?」同様に居心地悪そうなリンは、かなりうっとうしそうな声を上げた。
「お互い、触れちゃ駄目なんだってさ……」レンは、あの夢の中のリンの台詞を思い出して言った。それに対して、リンが何か反応しないだろうか、と思ったのだ。
「だから何なんだヨ」リンはぼやくように言った。「理由もなく触らないっての、しじゅうヘンな気ばっかり起こしてるレンとは違うんだから」
 レンは絶望した。リンは今の台詞に対して何も反応が見られず、あの夢を見ていたかどうかわかりそうもない。──というか、これだけよそよそしい態度ばかりのリンが、あの夢の中のような行動をするわけがない、やはりあの夢の中のものはリン本人ではないのではないか、という感が、レンの中ではほとんど確信に近くなってきた。
 その間にも、ミクとルカが物置の荷物を抱えて、リンとレンの前を横切ったが、ぬいぐるみや着ぐるみの山を抱えたミクが、いかにも危なっかしい足取りのあとに、案の定、ふらふらとよろめいた。と思う間もなく、ミクは地を這っているコードにつまづいた。
「きゃああ」
 と、そのミクの体は、あらかじめあつらえられた場所にすっぽりと収まるかのように、白いコートの腕に抱きとめられた。
「無事かい……」
 ミクを支えたKAITOが、見下ろして言った。
「兄さん……」ミクがはにかんで、そのKAITOをじっと見上げた。「大丈夫よ……」
「はいはいそこさっさとよけて。てか、KAITO、一体どっから沸いて出てきたのよ。今回の話の出だしから影も形も姿が見えなかったのに」MEIKOがけだるげに言った。
「わ゛ーーーっ!」が、リンの叫び声がした。倒れたミクが責任を放棄した荷物、すっ飛んできたぬいぐるみや着ぐるみの山を、リンは身を翻してかわし、さらに、なぜか棒立ちのままのレンにぶつかりそうになり、ぎりぎりでかわしたのだった。
「こら、そこ、触れちゃだめだって言ったじゃないの」MEIKOがモニタごしに、リンとレンを指差して言った。
「どーせーっちゅーんじゃ」リンがうめいてから、レンを振り返って言った。「……何ボーッとしてんのよ」
 レンは答えず、その場に突っ立ったままだった。何の気もなしに、放心したように、ミクとKAITOの光景をしばらく見つめていた。……リンはしばらくそのレンを見つめてから、諦めたように、何をやらかすかわからないMEIKOやルカやミクの方に目を戻した。
 レンはやがて、落胆したように目を落とした。何かが無性に寂しかった。これだけの皆に囲まれていながら、ひとりきりになったような、取り残されたような気分だった。



 と、──うつむいたレンの視線に、床に散らばった小道具の中から、ふと目に入ってきたものがあった。
 レンは半ば信じられないように、まじまじと床のそれを凝視した。
 それは、さきにミクが運ぼうとして床に散乱させた雑多な荷物のうちひとつだった。VOCALOIDら、リンとレンの数多くの過去の小道具、何かのステージ衣装の一部だろう。ぞんざいに、からめるように固められたものが、荷物の山から落ちたきり放り出されている。それは、紐状に伸ばせばかなり長いと思われる2本のリボン、黄と橙のものが、絡まりあって丸められたものだった。
 元々大きく前かがみでうなだれていたレンは、反射的に屈んで、それに手をのばした。ほとんど届きそうだと思ったそのとき、そのレンの手が、別の手に触れた。
 レンは振り向いて、その手の元、リンの姿をまじまじと見つめた。
 ──隣の、真正面からのリンは、これまでレンに対してはほとんど向けられたことがない、きょとんとした無邪気な驚きの表情だった。
 両者ともにわかっていた。他にも、過去の小道具やステージ衣装は、山ほどあたりに散らばっている。その中で、リンとレンが同時に、このリボン、いや”あの黄と橙のリボン”だけに手を伸ばしたこと、それが意味するところは、たった一つしかない。
 リンとレンはお互いを凝視したままでいた。傍から見れば、まるで学園物の物語の両思いの男女生徒の手が偶然触れた場面のように、──ふたりの多くの歌の中、リンやレンのこれまでの実生活や本当の関係とはまるで無縁の、恋歌の中だけの世界のように、──さんざん互いを見慣れてきたはずのリンとレンは、あたかもはじめての恋でひと目で恋におちた一組の少年少女のように、ただ見つめ合った。
 と、ふれあった手とリボンを伝うように閃光が迸り、激しい静電気の破裂音が走った。さきにMEIKOの言っていた制御系の共鳴の短絡である。それを思う間もなく、レンの意識はその破裂音と共に、衝撃に吹き飛んだ。



 いつそこに現れたのかわからない。ともかくも、次にレンが気づいたときには、すでにリンと共にその光景の中にいた。いつものあの夢の中の光景によく似ていたが、周囲はさらに暗く、激しいもやが周囲には渦巻いている。まるでレンの心の混迷をあらわすかのように、見通しが悪かった。
 向かい合って立っているリンとレンの、両者とも裸で、服どころかインカムも髪留めもなく、というよりも、全体がどこか抽象的で、かれら自身がそこにいるというよりも、互いの存在そのもののイメージでできている体のような気がした。
 リンは自分の肩を抱いて、レンを見上げながら、何か戸惑っているように見えた。どちらかというと、不安を覚えているように見えた。現実の空間での、レンや周りを荒っぽく引っ張る”姉”としての姿は、そこには無かった。しかし、レンはその意味を考えることも無く、辺りにかかったもやをかきわけるようにして、リンに歩み寄った。
「リン!」
 レンは激しい渇きに突き動かされるように、リンの両腕をつかんだ。リンはそれでもためらいを見せたが、レンはその肉体を強引に引き寄せた。リンは抗いはしなかった。
 ──もうわかっていた。夜ごとにレンを悩ませたあの夢、あれは同時にリンも見ていたのだ。そして、自分がリンを求めていたのではない。あの中のリン、──つまり、レンを求めていたのは、もとい、レンの言葉を、レンの行動を欲していたのは、リンの方だったのだ。
「……リン」
 レンは引き寄せたリンに、正面から顔を寄せた。
「……リンの全部が欲しい」荒い息遣いを抑えようとしながら、ささやいた。「リンと、ひとつになりたい」
「レン」リンは震える唇で小さな声を出すだけだった。
 レンはリンをひきよせて、かき抱いた。少女の肌は、冷たささえも錯覚させるほどになめらかだが、触れているとその裡(うち)から驚くほどの熱みが伝わってきた。その体温をありたけ求めるようにして、レンはその肌に激しく手を這わせ、柔らかい部分を探り当てると荒々しく愛撫した。リンが小さく声を上げた。
 リンの手もレンの背中に回り、熱をもった肌を伝って上がり、求め引き寄せた。吐息の熱さが互いの頬に当たり、荒い息遣いが耳朶を打った。肌と肌が交錯するように体温をかわした。──ここにあるリンの全部が欲しい。しかし、そのために一体どうしたらよいかなどわからないまま、その衝動だけが堰を切り、レンは腕の中のリンの肌をひたすらに求め続けた。どうしたらよいのか、そもそも、こうなるより前から、リンはすでに自分の半身も同然だ。なのに、この上どうすればよいのだ?
 だが、何もわからなくても、この肌を、体温と重みを、肉体の重みを取り込みたい。自分の肌と肉体と一体にしたいという激しい衝動だけに、レンは突き動かされ、むさぼるようにリンの肉体を求め続けた。



(続)