かまいとたちの夜 第三夜 らぶ式とリンレンの炎のさだめ(前)

 ひっきりなしに轟く砲声と上がる火の手の色が耳目を弄している。そこは元はビルの立ち並ぶ街路だったが、今では元の地形すらも定かではなく、凄惨な破壊が繰り返されても、元々荒れ果てた廃墟の風景がほんの少しひどくなるだけだった。その一角、断崖のような地形に停まっている数人乗りのホーヴァクラフト、その最後尾に、会社員風の若い男、そして鏡音リン・レン型の人型ロボットは、ひしめくように、さらに周囲の音と光におじけるように身をすくめていた。
「さっきの破損で出力が上がらなくなった」
 ホーヴァの操縦席の方から、同僚のひとりが最後尾に戻ってきて、男に告げた。
「このままだと上昇できない。この地帯から脱出するには、積荷を捨てなくてはならない」
「積荷――」その言い方からも、会社員風の男はすでにその意味するところを気づいていたようだったが、同僚は容赦なく言った。
「人間以外のものは全て、だ」
 リン・レン型のロボットは、取り乱すことこそなかったものの、あとじさるように身を引いた。……片方は、電脳”あいどる”として有名な『鏡音リン』の形状を模した人型ロボットで、上下、リボンともに黒服の、リンの扮装のうち、いわゆる『ブラックスター』と呼ばれる姿を模していた。そばにうずくまるように座り込んで、男やブラックスターのリンからも視線を外しているのは『鏡音レン』型のロボット、リンのブラックスターによく似た意匠で、やはり黒系の非対象のアクセントの(『ブルームーン』の)扮装だった。意匠の精悍さに反して、かれらの見かけそのものは、他のリン・レン型よりは、やや幼めに作られていた。
 その幼い風貌の表情こそ変えないものの、少なからず血の気を失ったブルームーンのレンは、ブラックスターのリンの手を握った。リンの方は、男とその同僚のどちらも正視できず、視線を泳がせていた。
 ……何故、かれら、会社員風の男らとその同僚らは、こんな場違いな戦場のような場所にいるのか。かれらは傭兵でもなければ、特に荒事に関わる大企業チーム等でもなく、単なる小企業の社員だった。かれらの務める企業は、巨大財閥(ザイバツ)の”軌道千早(チハヤ)”に対抗するために、千早グループ全部より遥かに巨大な別の財閥”ホサカ・ファクトリイ”のバックアップを受けられるよう画策し、その威をかりて”軌道千早”を出し抜こうとした。しかし、かれらの小企業の社長が運悪く小さい失敗を重ね――それが世の習いとはいえ――”ホサカ”はあっさりとかれら全員を見捨てた。小さなかれらの企業と”軌道千早”との単独の対峙になればひとたまりもない。ほぼ即座に、(邪魔者を排除する”千早”の傭兵の手により)かれらの社長の首のない死体が東京湾(トウキョウ・ベイ)に浮かんだ。首から上は、脳から情報を引きずり出すため、今頃クーラーボックスに入れて”軌道千早”本社のある衛星軌道まで運ばれているところだろう。実のところ、社長はじきじきに手を下してもらえただけでもまだ人間らしい死に方をしたのだ。かれら、他の社員は単に、企業私軍抗争の戦場同然のこの廃墟、この世の地獄に放り出されたのだった。
 ひっきりなしの爆発音の中に、”軌道千早”のガンシップ(戦闘ヘリ)が遠くに飛ぶ音が聞こえる。このホーヴァからその廃墟の中、戦火の中に突き落とされれば、生き残れる確率は万に一つもない。
「聞いたろ」男に、もうひとりの同僚が近寄ってきて、リンとレンを顎で指しながら言った。「そいつらに、ここから飛び降りるように命令しろ」
 男は躊躇し、沈黙した。
 貴重な時間が刻々と浪費されていくのを、ホーヴァの上の皆が苛々と見守った。
「そんな――」
 男からは、しかし、さんざん躊躇って口を開いた揚句、そんなさらなる躊躇の声しか出なかった。
「ふざけるな!」同僚は激昂して即座に遮った。「人命とどっちが大事なんだよ! お前、前からずっと、会社でもどこでも言ってたろ! 自分はそいつらの『マスター』だとかよ。そいつらはマスターの命令に絶対服従することになってる、ってのも聞いたぞ!」
「だけど――」
「家族だとか言うのか! いまさら、こいつらが人間と同等とか言い出す気か!」同僚は男に掴みかからんばかりの勢いで言った。「お前、自分で、こいつらの『マスター(支配者、所有者)』の関係だとか言いふらしてたんだろうが! お前、そんな呼び方をさせてる趣味を、俺達の命より優先するんだな!」
 リンとレン、それをうしろにかばうような男は、さらにホーヴァの最後尾にあとじさった。そこに5、6人の社員らがじりじりと距離をつめるように取り囲んだ。男にはさほど猶予を与えず、力ずくでリンとレンを突き落すということらしい。このリンとレンは別に戦闘用ロボットというわけでもなく、その能力は14歳の男女を大きく超えるものではない。同僚たちにとってはさほど難しいことではないだろう。
 ――が、そのとき、目の前の空中に急激に膨れ上がるようにローター音が高まったかと思うと、”千早”のガンシップが、かれらの視界を覆うように出現した。
 ガンシップの接近する風圧で大きく煽られたホーヴァから、人々が投げ出された。最後尾に追い詰められていた男とリンとレンはまっさきに、ついでそのすぐ近くの同僚たちも、数メートル下の岩盤に落ちた。
 ホーヴァの上にわずかに残っていた者達が、そのまま上昇させて逃亡しようとしたが、まばゆいバックファイアと共に発射されたガンシップのランチャーの一弾が直撃し、瞬時にホーヴァはその上の人員と共に灼熱の火球と化した。
 岩肌のような傾斜地に叩き落された数人のうち、さきほどの同僚はいったい何を思ったのか、ヘビー・ピストルを取り出して立ち上がったようだったが、降下してきたガンシップの機銃の連射を全身に浴び、肉塊すら残さず粉砕された。
 なんとか上体を起こした男の目に、さらに複数のガンシップが降下してくるのが見えた。ここにいれば、もはや見つかって狙われるしかないが、動けばさっきの同僚のようになる。男は残骸と岩肌の物陰にうずくまり、身をすくめているしかできなかった。近くに落下していたリンとレンもそうしていた。
 ――と、突如、ガンシップのローターと遠近の砲火の爆音の中に、異質の音が混ざった。回転するローラーが不整地を噛む音と、疾走するそれを動かす耳障りな甲高いモータ音だった。
 一番近いガンシップが視界から急上昇したのが見えたが、不意に、それの姿が傾き、大量の噴煙と閃光をまき散らして落下した。もっとも、膝に頭を抱えるようにしてうずくまっている男には、何が起こっているか既にわからなかった(見ていたとしても、状況を理解できたかは疑問だった)。
 煙と炎で瞬時に視界が覆われた、その中に響くのは、さきほどの甲高いローラーダッシュ音、ガンシップの機銃やランチャーが大量の弾丸をまき散らす音、続いて先程のガンシップの墜落同様に、何か巨大なものが地上に激突する音。……どれだけ時間が経ったかは定かではなかった。しかし、男が気づいたとき、ともかくも、辺りは静かになっていた。
 顔を上げると、噴煙や砲火、破壊の火の手はすでにもう見当たらなかった。それと音がない他には前とかわらぬ風景の廃墟に見えたが、動くものの姿がほとんど見当たらなくなっていた。気配といえば、少し離れた所に自分と同様に倒れるようにうずくまっているリンとレンの姿しかない。
 しかし、ただひとつ、その廃墟の不整地を、徐行しながらこちらに近づいてくるものがあった。次第に視界に大きくなってくるそれは、かすかに先に聞いたローラーダッシュのモーター音を発していた。
 よく見るとそれは、おおまかには人型をした機械だということに、男はようやく気付いた。人間の2倍か、やや大きいくらいで、全体の線は同時に武骨な戦車にも似ているが、どちらかというと装甲ジープ程度の粗末な、ひいては廃品のつぎはぎのような装甲しか有していない。肩や脚に結わえられた無数のランチャーやらガンポッドの他、不気味に大きく見える鋼鉄の五本指の手に、アサルトライフルをそのまま巨大化したような銃器が目立った(男には認識できることではないが、最初のガンシップを正確に射撃したのはこの装備だった)。おそらく戦闘用と思われるにも関わらず、作業用のものよりも遥かに武骨で、ましてや兵器的な洗練や機能美は皆無だった。顔のあるべき所には、この手の人型機械にはよくある目のような意匠のカメラも、ゴーグル状のセンサーもなく、西洋兜の面頬のようなカバーと、そこに左右に穿たれたレール、その上を移動する、レンズの筒を三つ束ねたようなターレット式のカメラがあるだけだった。
 と、そのターレットレンズがある頭がまるごと真後ろに傾き、車体の上半分がハッチのように開いて、中に人影が見えた。この人型機械は、中から人間が操作する、強化外骨格(エクソスケルトン)だったらしい。外骨格といっても、このくらい大きさがあるものは必ずしも直の着装式ではなく、操縦装置や電脳直結(リガー・ジョック)で操作するもので、ランドメイトだとかマニューバスレイブだとか言われるものと同様である。
 その中の人物は、操縦用のVRディスプレイ・ゴーグルをおろしたままで、首を回して自分の機体の各所に目を向け、手に持ったメモ用紙にペンでチェックを入れているのがわかった。と、その視線が、そこにうずくまっている三者のうち、レンの目とあった。
 その操縦席の人物は手を止めて、ペンを持ったままの右手の甲でゴーグルをずり上げた。現れた風貌は、人間ではなかった。VCLD型ロボット、『らぶ式ミク』だった。


(続)