かまいとたちの夜 第三夜 らぶ式とリンレンの炎のさだめ(後)


 仮想”あいどる”であるVCLDの形状を模したロボットや義体は、VCLDの所属する《札幌》等の会社の正規のライセンス品もあれば、不正規の模倣品も多々ある。『らぶ式ミク』は、不正規のミク模倣品の中ではとりわけ古くから出回っているが、同時にとりわけイリーガルな(その意味ではCus式と並ぶ)代物で、面立ちも体型も雰囲気も、あの”あいどる”の本物、『初音ミク』の公式画像や映像とはまるで異なっている。というよりも、らぶ式とは、先の大戦のメルキア軍のアンドロイド兵器”ロボトライブ”の余剰品を改造し、強引にVCLDのような服装と髪形にしただけ、というのがVCLDや人型ロボットの趣味人のもっぱらの噂だった。
 それがこの個体の特徴なのか、元のロボトライブの特性なのかは不明だが、この『らぶ式ミク』のことに秀でてくっきりした眉は、わずかにしかめられているようで、限りなく無表情に近かった。生物らしい感情が欠如した、この戦場の一部になっているように見えた。
 と、間もなく、そのらぶ式の駆る人型機械のかたわらに、また別の人影が歩み寄ってくるのが見えた。赤い袖の短い上着とアンダーだけで、この戦場じみた光景に対しては不似合に薄着、軽装に見える。
「ひと通りの武装はクリアだな」その男性型の人型ロボット、”MEITO”は、人型機械の武装を眺め回し、ついでそのハッチを見上げた。「さすがにアームパンチ機構だけはテストできないか……」
 MEITOはそこで、らぶ式の視線の先に気づき、断崖のように切り立った建造物の残骸の合間に倒れている、会社員風の男と、リンとレンに目を向けた。
「……心配しなくていい。いや、回線から今しがたのやりとりが入ってきて、アンタらが何なのかはわかってるよ」MEITOは、男を見下ろして言った。「アンタを特に狙いに来たわけじゃない。特に助けるために来たってわけでもないが。……俺達は、ただの戦場の廃品回収業だよ。廃品の具合をテストしたり、廃品を作る方に回ったりもするが」
 MEITOとらぶ式にどうやら敵意がないことと、再度、辺りがすでに静かだということを知って、男はふらふらと立ち上がり、リンとレンの方に向かった。見ると、リンもすでに立ち上がっている。
「助かった」男はリンの肩に手を置き、まだ座っているレンを見下ろして言った。「なんとか、君達を守れたよ」
「……そいつはどうなんだろうな。今の、守ったっていえるのか」MEITOがつぶやいたが、男には聞こえなかったようだった。リンがMEITOの方を少し振り向いただけだった。らぶ式もハッチからそれらを無表情で見つめていたが、いずれも無言だった。
 MEITOの背後に、さらに車輛が1台近づいてきた。回収したらしき部品や整備機器が載っている、トレーラーのようだが、これも装甲車のように武骨で、かつ廃品を組み合わせたように粗雑だった。
 そのハンドルを握っていた”KAIKO”(青い短い髪と服の女性型のロボットだが、容貌は、髪形と服装を除くとらぶ式ミクと異常に酷似しており、やはりVCLD型ロボットというよりメルキア軍のロボトライブに近いものに見えた)窓から首をのばし、やはりこの場では見慣れない社員風の男と、リン、レンの姿を見た。
「助かった」もういちど言った。「もう、あんな危険な目にあわせたりしない」
 しかし、リンは男に手を肩に置かれたまま、男にそれ以上歩み寄りもせず、そのまま突っ立っている。男は何か異状を感じた。
「何だ……どうした」
「本当なの?」リンが、やがて口を開いて言った。「っていうより、根拠はあるの? もうこうならないって」
「……もう助かったろ」男は諭すように言った。「もう二度と、リンもレンもこんな場所に来させたりしない。もうこんなことにはならないよ」
「もし、なったら? また同じことが起こって、私達を砲弾が飛び回ってる場所に捨てなくちゃならなくなったら?」
「……もう、誰にもそんなことはさせない」
「だから、根拠は何なのよ?」
 リンは低く言った。
「さっきの人達以外の会社の人達にも、まわりの人達に、ずっと前から、自分が『マスター』だって、私達がマスターに絶対服従するものだとか言ってたわよね。それを聞いてた他の人達からも、今みたいな同じことを要求されたら? 次は、何か違うって言える根拠があるの? 周りの人達を止められる根拠があるの?」
 MEITOやKAIKOは、喋るリンとその男の方を見ていないが、その場から立ち去ろうともしない。らぶ式だけが、ハッチからリンと男を見下ろしていた。
「どうしてさっきみたいなことになったのよ」リンがまたしばらくして言った。「プログラム上も法律上も、人型ロボットは、人間をマスターなんて呼ぶ必要はないし、人間以下として服従する必要もない。……なのに、私達があんなことまで強制されたのは、今までずっと、アナタが『マスター』って名乗ってきたせい。全部そのせいでしょう」
「そんなの、ただの呼び名だけだよ。……俺は今まで、マスターだからって、本当に無理強いみたいな命令をしたことなんてないよね」
「だったら、よりによって、なんでそんな呼び名にしたのよ」リンは低く言った。「なんで『マスター』なんて言葉を言いふらしてたのよ」
「深い意味なんてないよ」男はリンに優しい声を出そうとして言った。「なぁ、ボカロの持ち主の人間は、普通、自分が『マスター』だって言うだろ? ボカロの動画とか二次創作じゃみんなそうだし、それが普通だろ?」
「その”深い意味がないこと”のせいで、私達、生贄にされそうになったのよ」
 リンはまた言葉を切り、
「今までずっと『マスター』って名乗って、それをまわりじゅうに植え付けてきた。アナタがやってきたこと、もう、取り返しがつかない」
 うずくまったままのレンが、静かにリンの指を握っていた。
「私、死ぬのは嫌。一番大事なもののためだけには、死んだっていいけど」リンは、レンが握った指にかすかに目をやり、「だけど、アナタが『マスター』って名乗ったからって理由なんかで、生贄にされるなんて嫌。”深い意味がないこと”のせいで死ぬなんて、もっと嫌」
 KAIKOが、トレーラーの時間表示を確認すると、窓から顔を出して、MEITOに何か数言を言った。
 MEITOが頷き、やがてKAIKOのトレーラーがゆっくりと反転して、部品や鉄屑や整備機器を満載した荷台をがたがたと鳴らして、その場を離れていった。MEITOが、そのすぐ後ろについて歩いた。
 ――ブラックスターのリンは、そのMEITOの背中に向かって歩き始めた。ブルームーンのレンも立ち上がると、その横について歩いた。リンは歩みを止めず、ただ一度だけ振り返って、また地べたに膝をついている男に言った。
「さよなら」
 殿を務めるために、らぶ式の強化外骨格の方はまだその場に止まっていた。MEITOと後に続くリンとレンが、その傍らを通り過ぎた。
 そのとき、男は立ち上がり、かれらを追って駆け出した。
「おい! お前ら、勝手に連れていくな!」男は叫んだ。MEITOに向かってのようだった。「そいつらは俺のだ!」
「おいおい」MEITOが立ち止まって、肩をすくめた。「今、そいつら自身が言ったんだぞ。アンタの犠牲になって踏みつけられるのはもう嫌だって、さ」
「言ったからどうした!」男は叫んだ。「俺は、そいつらの『マスター』だ!」
 そのとき、らぶ式ミクが、強化外骨格の開きっぱなしのハッチの中から、リンとレンの2体の方に首を回した。
 そのらぶ式の無表情な瞳と視線をあわせたのは、レンだった。レンはじっとらぶ式の目を見返し、しばらく無言のうちに両者の視線がかわされた。が、レンはやがて、こくりと一度うなずいた。
 らぶ式ミクは、下腕のアームカバーと連結した操作アームの脇にあるセレクタに指を滑らせた。そして、トリガーを絞った。炸薬の轟音と共に、人型機械の巨大な鋼鉄の下腕がごくわずかに伸張し、すなわちその炸薬のエネルギーで爆発的に突き出した。駆けてきた男の真正面に、膨大な運動量を持った鋼鉄の正拳が直撃し、『自称マスター』の上半身を文字通り千の肉片へと千切り吹き飛ばした。
 らぶ式ミクは手を操作アームから引き抜くと、眉を僅かにしかめたような相変わらずのほぼ無表情のまま、さきほど書き込んでいた動作テスト表のチェックシートに最後に一つだけ残っていた、『アームパンチ』の項目に”完了”のチェックを入れた。
 しかし、その微塵の血肉の臭いも硝煙の臭いも、この地獄の跡の光景の中にある膨大なそれらに飲み込まれていくものに過ぎなかった。かれら、リンとレンが、MEITOらについて歩き出したのは、そんな世界だった。