剣と魔法とボカロもの 〜 癒しの女王と黒翼の魔王 (4)


4.月光の匙




 相手側の僧侶の一群の呪(しゅ)に伴って、GUMIとレンの鎧の下に見える皮膚の至る所が泡立つようにただれ、ひどく汚れたどす黒い血があふれ出してきた。
 即座に、リンは一切ためらいもなく、MEIKOとルカの呪文の効果を見極める暇も待たず、”大炎”の呪を編み上げて、相手の一群の中心めがけて解放していた。真詔(トゥルーワード)が形を成して空間の質量自体を一気に膨らませたかと思うと、金属を引っかいたように激しい、何かの張り裂ける音がした。主物質界すなわち現世(うつしよ)と、エネルギーがそれを通して現世に導入される中継次元界との間に破裂口が開き、実際に、空間そのものがひび割れたのだった。
 天地を揺るがすかとおぼしきもの凄まじい轟音と共に橙色の灼熱の地獄が開闢し、逆巻く烈火の舌が湿気と暗黒に閉ざされた些細な石の隙間までも余さず嘗め尽くして、逃げ場も容赦もなく縦横に駆け巡った。肉が焦げ人間の脂肪が泡立つおぞましい臭気と苦悶の絶叫が鼻腔と耳朶を容赦なく苛む、文字通り阿鼻叫喚の地獄絵図が一行の眼前に展開した。
 ──呪文の効果が発動と同様に突然に(まったく現実感なく)消失すると、あとには、ぶすぶすといまだに焦げ続ける音と臭気とを発し続けながら、黒焦げに炭化した代物がいくつも転がっていた。リンは無表情で、その犠牲者ら、数秒前まで敵の法衣の僧侶の集団だったものの残骸を見下ろした。一行全員の虎の子である最大瞬間攻撃力の手段、リンの1回きりの”大炎”の呪文の結果がこれだが、それをもたらしたリンに爽快感や達成感などは何も生まれてこない。それは、一歩間違えば、つまり同じ呪文を使う敵に先手を打たれるようなことがあれば、明日にでも自分もこれを食らい、これと同じ目にあう、ということが頭から離れないためだった。
 一行のその他の者は、今のリンの呪文がもたらしたものをしばし無言で立ち尽くして見下ろした。このゲームは、なぜこんなに陰惨な光景や臭気までも現実のように再現するのか。……いや、呪文を唱えて火焔が巻き起こる、などということからして、何ら現実性など無いのだ。だからこそ、それによって起こる結果だけは克明に描写することで、あたかも現実に起こったことのように実感(錯覚)させようとするのだ。それらが積み重なった結果としてリンは現に、ここで起こる出来事を、とてもゲームと割り切ったり諦めたりすることはできなかった。
 が、リンのすぐ前に立っているレンは、敵の末路を気にしているどころではないようだった。自分の肌、頬から首根を伝って肩口あたりまで一体に広がっている、おぞましくただれた傷口を凝視していた。命にまでは関わる傷ではなかったが、刀傷や火の玉の類の火傷とはまるで異質の、得体の知れない付き方をした傷だ。
「なんなんだ……なんなんだこれ……」レンは青ざめた顔でつぶやいた。
「僧侶の”開傷”の呪文です」ルカが言った。「”封傷”や解呪が治癒や生命力に関する正の活力を呼び込むのと同様、”開傷”はその逆の、アンデッド・モンスターの賦活や不浄に関する負の活力を強制的に注入されたのです」
 僧侶の治癒呪文である”封傷”を逆転させた呪文があることは知られているが、プレイヤーの誰かが使ったという話はついぞ聞いたことがない。これも、ルカやMEIKOが使ったのはこれまで見たこともない。僧侶の集団は、その呪文を主な攻撃手段として、一斉に放ってきたのだ。これまでは、人間の敵はリンが先制で呪文で眠らせて何もできないうちに全員撲殺してきたので、敵がこれを使うことも知らなかった。
「あのさ……『僧侶』の攻撃呪文ってさ。もっと普通に、カマイタチだとか、”気”の球をぶつけるとかじゃないの? その、普通の……ほかのゲームだったらさ」レンがためらいがちにルカに言った。「なんだか、さっき、真空が起こったみたいだったし」
「あれはカマイタチ等とは何も関係ありません。”開傷”の呪文の発動でNegative Material Planeとのチャネルが開いたとき、その負の活力と、周囲のairとearthのelementとがかけあわさって、それぞれvacuumとdustのquasi-elementが発生したのです」
 ルカは周囲の日本語版VOCALOIDたちが、英語ライブラリの単語を理解できないことは知っている。それでもあえて外語のままの単語を使う場合とは、すなわち、その語がそのままのニュアンスでは日本語に翻訳不能な単語である場合である。
「……それで、その後、何が起こるの? どうやってダメージになるの?」そのルカの言葉はおそらく聞き流しながら、レンが尋ねた。
「その後起こる、ではありません。Negative Material Planeとのチャネルが人体に対して開放されるようなことがあれば、ただそれだけの理由で、治癒とは逆の現象、負傷のコンディションが極限まで悪化していくのと同様の現象が現れます」
 レンと、となりのGUMIも、怪訝げに、自分の肌に生じた酷い傷を見つめていた。事前にリンが予想していた通り、眠っている敵の虐殺にも変わらぬ飄々とした態度だったGUMIは、今受けた呪文と傷の酷さに、一転してレンとまったく同じ青ざめ方になっていた。
「──とりあえず、急いで引き上げる他ないわね」同じような傷、ただし1箇所だけのほんのかすり傷を受けているMEIKOが言った。リンは、MEIKOの今回の方針とその結果について、何か言おうかとも思ったが、すでにそれを言うにも疲れきっていた。わずか2戦目だったが、あまりにも甚大な被害だった。もう治癒の呪文も、切り札のリンの”大炎”を含めて呪文も完全に尽きており、探索の継続は不可能だった。これほど瀕死の傷を受けた者が多いと、一度の帰還、休息だけで完治することさえ不可能で、何度も宿屋を利用しなければならないだろう。
 一行は気乗りしない様子で、城に戻るため歩き出そうとした。そのときはじめて、キャンプ地点で座りうずくまったままのKAITOが、動かないことに気づいた。このゲーム内でのKAITOは、特に主に会話していたミクが欠落してからは極端に口数が少なくなっていたので、誰も気づかなかったのだ。
 KAITOの板金鎧は隙間から血がにじみ、それはよく見ると、全ての金具の隙間から溢れ出すように流れていた。ということは、鎧の下の胴着(ダブレット)は、完全に血に浸っていると考えるしかない。そこではじめて一行は、KAITOの座っている石床の一帯が、板金鎧から滴った血の池になっていることに気づいた。防具に覆われていないわずかな肌、肩口や手、見える限りの肌は荒れて激しい裂傷で苛まれ崩れ、おそらく見えていない全身の肌も同様だと思えた。うつむいたままの顔面はただれきって、すでにその容貌、目鼻すら明らかではないほど崩れ落ちていた。
 敵の”開傷”の呪文は、瀕死なのに治癒もしてもらえなかったリンには一度も飛んでこず、治癒してもらったKAITOに飛んできた。そして、その時点のKAITOに対しても、”開傷”はせいぜい3度も飛んでくれば、その命を奪うには充分だった。
「……こんな死に方って……」しばらくその姿を見つめてから、リンがつぶやいた。
 『肌が荒れすぎて死ぬ』など、RPGにおいておおよそこんな死に方は、スポンサー言うところの”黒翼の魔王”だか何だかはもちろんのこと、とてもプレイヤーキャラ、”勇者”や主人公のひとりに考えられるような死に方ではなかった。
「いささか地味に過ぎるかもしれません」ルカの淡々とした言は、リンの実際に抱いている感想とはかなりずれているようだった。「ウサギもそうですが、ドラゴンに生きたまま手足をひとつずつ食いちぎられるとか、エアージャイアントの拳が頭上から落ちかかって頭蓋骨が胴体の半ばまでめりこむといった、このゲームの他の死に方に比べれば」



 街にたどりつき、KAITOの死体が寺院に収容されたあと、一行は揃って寺院から出る道を歩いた。その道をゆく途中で、リンはMEIKOに声をかけた。
「おねぇちゃんと、今度は兄さんも生き返らせるって、……あと、どんだけお金をためなくちゃなんないの?」
「ん? KAITOはあのまま放っとくわよ」
 MEIKOはリンを振り向きもせずに言った。
「ミク以外は全員、死んだら寺院に放置。スポンサーは最後に『ミク』さえ生きた状態ならいいんだから。あとは誰が新しく入っても、面々が入れ替わったって別にいいんだし、全員使い捨て。――まあ、この間言ってた一気に何千枚か手に入るとかでよっぽどお金に余裕ができるとか、お金より戦力が欲しいくらいになれば、蘇生させるかもしれないけど」
 リンはもはや言葉もなく、その場に突っ立った。
 しばらくそうしていたあと、GUMIも自分と同様に突っ立って、歩いてゆくMEIKOの背中を見つめているのに気づいた。そのあともまたしばらく、リンとGUMIはその場に立ち尽くしていた。
「あのさ、リン」GUMIがMEIKOの背中を見たまま言った。「今の話は聞いてないんだけど」
「ごめん。その点は謝る」リンはうめくように言った。


(続)