剣と魔法とボカロもの 〜 癒しの女王と黒翼の魔王 (3)


3.風よ。龍に届いているか




 MEIKOに言葉巧みに乗せられ、このネットRPGに新たな参加者としてログインしてきたGUMIに対し、リンが(MEIKOとルカの隙を見て)一通り説明したのは、おおよそ、以上のような話であった。
「だいたいわかった」聞き終わったGUMIは、リンが予想していたよりも平然としていた。ゲーム空間内のGUMIは『戦士』の装備としてはかなり廉価な、鎖帷子と傷だらけの木製の大盾の重さを確かめながら、それを聞いていた。自分のキャラの作製時の所持金のみで装備を揃えたらしい。「てかさ、新入りキャラの私を入れるより、今の死んでるミクのゲームアカウントを消して、新しい『ミク』のキャラを作り直した方が早いんじゃないの?」
「ずっと早いと思う。けど、キャラを作り直すと必ず、明らかに前とは『別人』の姿になるようになってる」リンはうんざりして言った。「このゲーム、削除されたキャラクターは二度と戻って来ない、ってのをルールにしてるらしい。……きっと、スポンサーが選んだ『癒しの女王・初音ミク』の姿になってないと、向こうは納得しないと思う」
 リンは言葉を切り、
「だから、あくまでスポンサーが用意した今のアカウントの、おねぇちゃんのキャラを蘇生させるしかないんだけど。それまでの道がどれだけ大変なのかって。私達があとどれだけ酷い目にあうか。……せめて、こんだけシビアなゲームでなけりゃ」
 GUMIは盾を置いて、リンの言葉を聞いていたが、
「まあ、そういうゲームっていうのも、普通にあるんじゃないの? なんてったっけ、マゾゲーバランスとか。ほら、『死んで覚えるゲーム』とか、聞いたことあるし」GUMIは思い出すように、「死んだら死んだで、また蘇生させて貰えるんでしょ。蘇生しながら、次はどうやって突破するか、とか、そうやって時間をかけて進めるようなゲームなんじゃないの」
「仕事なんだから果てしなく時間がかかるのは勘弁してほしい」リンはうんざりして言った。今のGUMIは、最初のころのレン、とは少し違うが、話を聞いてなおわりと平気そうなのは、まだ惨事を体験していないのと、要するに仕事を完遂するのが、少なくとも自分の責任では無いと思っているからだろう。自分も周りに押し付けて済めばどんなに楽だろうといつもGUMIを見るたび思うのだが、なぜゲームの中でさえこんなことを思い悩まなければならないのか。リンが最も得心ゆかないのは、それであった。



 GUMIを地下1階の探索で慣れさせ、前衛の『戦士』として2階でも即死しないと思われる程度にまで鍛えた後、一行は2階に降り、その地下迷宮の陰鬱な暗がりの中で、金銭を稼ぐためだけの凄惨な行為をたえず繰り返した。
 戦いの相手は、いわゆる怪物然としたものでなく、『人間』が半数以上を占めていた。地下で遭遇する人間らが、迷宮の主(つまりこのゲームの最終的な大敵)に雇われているという設定なのか、自分達同様の目的で探索するライバルという設定なのか(ひいてはゲームシステムで操られているのか、他のプレイヤーキャラクターなのか)遭遇時点で知る方法は何ひとつない。戦士や魔法使いなどの混成だと探索者の可能性が高いように思えたが、2階に来ると、混成の割合がかなり増えていた。
 出会うときの隊列は、こちらが前衛に戦士系、後衛に魔法系が並んでいるのと同様に、戦士の集まりに魔法使の単独やら集まりが分かれていることが多かった。単独又は人数の少ない魔法使などにKAITOやGUMIが突進して仕留め、リンの”仮睡”の呪文で戦士などのグループを眠らせ、眠っている集団に片っ端からとどめを刺した。
 これらの戦いには、ファンタジーの漫画や映画や小説、ひいては他のゲームでさえ必ず期待されている、『息詰まる対峙』『激しく長い渡り合い』『強大な能力を持つ相手への緊張感を持った対峙』といったものが何ひとつ無かった。相手を無抵抗にして一方的に惨殺、撲殺するか、それができなければ同様の攻撃を一方的に相手から受け、息もたえだえになるかだった。ただ先手を取るために全力で激突し、ほぼ全ての明暗はその瞬間で決まる他にない。
 今も、粗末な鎧をまとった数人が倒れているのに無造作にとどめを刺している、KAITOとルカとGUMIの血みどろの行為を、リンは膝をついて、胸を押さえ、あえぎながら見つめていた。この一戦の早々に、リンは胸に握り拳ほどの灼熱の炎の塊が直撃し、その一帯の肌にただれが広がるほどの火傷を負っていた。その火の玉、”小炎”の呪文をリンに放ったのは、鎧の一群とは少し離れた隊列にただひとり居た、リンとよく似た見かけの、若い女性でローブの魔術師の扮装と思われる人物だった。今はその相手は、遭遇の真っ先にKAITOの切れ味の悪い安物の鋼によって肩口から骨まで断たれ、半ば胴体が真っ二つになるほど切り開かれた状態で、部屋の隅に四肢を投げ出したように転がっている。
 それにしても、リンはこんなものを食らうとは思わなかった。”小炎”などという呪文は、リンは一度も敵に向かって使ったことはなく、MEIKOその他の探索者が使ったのを見たこともない。”小炎”と同じ階梯――呪文の術式を記憶しておいたり、事前に儀式を準備しておいたりする際に、費用や触媒(コンポネント)や刻の卦(呪術上の適正発動時)が競合する呪文の一群――の中に、”仮睡”があるためだ。この階梯の呪文では、複数の敵を無力化できる、明暗の分かれ目である”仮睡”以外にまず使うことがないのは、至極当然である。
 リンの胴体上部、つまり肺を狙ってきたのは、相手は同じ魔術師と知って呼吸を阻害しようとしたのだろう。相手の狙いがもう少し正確か、あるいはリンがなすすべもないまま精一杯身をひねるのが遅ければ、まさにリンの肺まで焼けていたに違いない。脆弱そのものの『魔術師』は、剣の一撃やこうした火の玉一発にもうまく耐え切れず、あるいは当たり所をましにする肉体技能を持たないため、重大な傷を負う。
「リンが辛そうだよ。そっちを優先した方がいい」KAITOが、『封傷』の呪文のためにそちらに歩いていったルカとMEIKOに言った。「俺はまだいいよ」
 KAITOは、さきの鎧の一群の方から受けた、引き裂けたように荒々しく汚れも激しい裂傷が、鎧の部品の足りない(胴の小手が買えない)腕にわたって生々しく走っていた。
 MEIKOがほんの少し、どちらも劣らぬ重傷に見えるKAITOとリンを見比べてから、「リンはいいでしょ。後列は滅多に攻撃されないわ」
「滅多にって……さっきみたいな、呪文を使うのにも出会うよ?」後列一人目のレンが、MEIKOに訴えかけるような目で言った。
「その確率を恐れて、前衛に倒れられたら終わりです」ルカが言った。
 リンは胸を押さえながらも、何も言わなかった。まさにMEIKOとルカの言う通りだった。ひとたび前衛が倒れれば、あとは後衛に身を守る手段はなく総崩れ、確実に撤退、もっと悪い結果もある。そして――残念ながら、後衛が倒れたとしても、即総崩れにはならない。
「うう〜死ぬかと思った」GUMIがとどめを刺していた死体の方からようやく戻ってきて言った。言葉の割に口調ものんびりしているが、KAITOよりも鎧の品質がかなり悪いのに、目立つような傷を受けたようには見えなかった。
 MEIKOはルカと共に、KAITOに”封傷”の呪文を集中させ、残りは応急手当を済ませるのを見届けると、毎度のように状況を整理した。「あと何戦できるかしら。リン、”仮睡”はあと何度使える?」
「……1回」リンは低く言った。人型の敵との遭遇ごとに、出会い頭に放つ眠りの呪文は、もっぱらリンが使っていた。リンは敏捷性が(盗賊のレンに次いで)きわめて高いので、相手の余計な攻撃を受けることなく先手を打てるからだ。
「リンの呪文ばかり消費していると、効率がよくありません」ルカが言った。
「じゃ、次からはできるだけ私が使ってみましょ」MEIKOは『司教』で、最も簡単なものだけだが魔法使と僧侶の両方の呪文が使えた。「強そうな敵だったときだけ、リン。それでリンの”仮睡”が節約できるわね」
 ……次の、それを試行できる機会は、さほど間も置かずに訪れた。
 薄暗い通路の真正面から出くわす形で、一行が互いに視界にとらえたその相手は、法衣と、軽い鎧の一群だった。――人数はこちらよりも多いが、どのみち眠りの呪文が決まれば、ほとんど敗北はない。MEIKOが早速立ち止まり集中すると共に、さらに、相手側の服装から自分と同じ僧侶呪文を使う集団と見たルカが同様に立ち止まり、おそらく”静寂”の呪文を準備したようだった。
 が、そう見えたと思ったとき、一行の周囲、肌に感じる大気が、不意に異様な流れ方をした。気圧が急に減少したような感覚と共に、なぜか埃(塵)のような鼻腔と喉への刺激が、細かい泡でも流れているように断続的に感じられた。
 ――つまるところ、リンに比べて敏捷性において大幅に劣るMEIKOとルカのいずれも、呪文の発動が相手方よりもはるかに遅れたのだ。全員が僧侶呪文を使う一隊、それから一斉に攻撃を受ける、ということはどういうことを意味するか、にリンが思い至ったのはその時点でのことだった。それは、いささか遅きに失した。
 リンは不自然な気流の直後、目の前のレンとGUMIの頬のあたりに広がっている、肌のかぶれのような荒れに気づいた。特にレンはいくらストレスが溜まっているとはいえ、こんなに荒れるものだろうかと思う間もなく、ほんの小さな擦り傷に見えたものが急激にひび割れ、張り裂けるように広がりただれた。
「あ゛ーーーーーー!!!!」GUMIが、災難の中身よりも、起こったということそれ自体に驚いたかのような耳障りな悲鳴を上げた。


(続)