剣と魔法とボカロもの 〜 癒しの女王と黒翼の魔王 (5)


5.黄泉の覇王





「てかさ、死んだキャラを使い捨てるみたいなことしてまで、無理矢理ミクでクリアの映像を撮るんだったら」GUMIがMEIKOに言った。「ひょっとして、チートツールとかリセット技でも使った方が早いんじゃないの? これ」
 リンは反射的に、今のGUMIの言葉がレンやルカに聞こえていなかったかと、周囲を見回した。チートとは要するに、ゲームプログラムの内部動作をコントロールして一定の──その多くは、ゲームに有利な──効果を得ることである。この時代、たとえメーカーの金づるのネットゲームでも、通常のゲームでそれをやるのは、技術的にはハッカーの仕業というほど大それたレベルを必要とする行為ではなく、どちらかというと、モラルの問題である。
 まして、プログラムを空気のように呼吸するVOCALOIDらAIにとっては、実にばかばかしい行為だった。そんなことをしてまでゲームをクリアしようとするくらいなら、昨日までのリンのように、そもそもゲーム自体に手をつけない。そして、ゲームに挑戦すること自体に楽しみを見出すゲーマー、レンやルカならば、チートなどという語自体を聞いただけで機嫌をそこねかねないとリンは思ったのだった。
 しかしながら、これだけ厳しいゲームの状況が続くと、GUMIがその発想にたどりつくのはごく当然ではあった。もう真面目にやってなんかいられそうもない、という気分ならばリンも感じている。
 MEIKOはGUMIに、けだるげに肩をすくめて見せた。「このゲームって、どこのライセンスで運営していてもね。ネット上でゲームシステムを一括で管理してるのは”コンティニュイティ”よ」
「何?」GUMIが耳なれない単語を聞き返した。
「”撮影連鎖(コンティニュイティ)”。BAMA(北米東岸)のセンス/ネット社の超AI。芸能娯楽用のAIって意味なら、私達VOCALOIDの同族にあたるわけだけど」MEIKOが言った。「つまり、このゲームのシステムをごまかそうと思ったら、『AIのICE(電脳防壁)に穴を開けなくちゃならない』わけで。それって、おおよそこの世で一番、リスクも手間も時間も費やすことだし。ゲームがどんなに難しかろうが辛かろうが、いくらなんだってそれよりはましよね」
「この話はじまって以来はじめてVCLD話らしい単語を聞いた気がするよ……」リンがうめいた。
「まあ、少しはなんらかの対策を立てたほうがよさそうね。前衛ばかりが入れ替わるパターンにはまってるみたいだし」MEIKOはGUMIを振り返って見ながら言った。「次に前衛の誰かが倒れる前に」
 『戦士』のGUMIはぎくりとした。参加当初の飄々とした様子はかなり薄れている。



 その対策とやらなのかはわからないが、死んだKAITOのかわりに補充した次の前衛は、これまでの面々とは、いささか質が違っていた。
「よろしく頼む」
 一行の目の前のゲーム空間に、すでに装備一式を鮮やかに着こなした『神威がくぽ』が、涼しげに微笑んで言った。VCLDにもかかわらず古風和式もどきという変り種のビジュアルと性情を持つがくぽは、おおよそどんな場所に現れても場違い、誰と並んでも浮いているのが常だった。しかし、今回のがくぽはそうではなかった。
「『侍』だ……」レンがつぶやいた。
 まさしく侍だった。ネットゲームにはよくある、単にそれっぽい格好だけをしているだけではない。このゲームシステム上で存在する正真正銘のキャラクタークラス、『サムライ』である。
 西欧のタバードと日本の陣羽織の直線を拾ってアレンジしたその扮装が、思いのほか違和感がないように出来ているのは、そのデザイン全体がこの迷宮のほかのビジュアルからはさほど浮かないように配慮されているというのと、その扮装に身を包む本人が、元々が勘違いサムライだからだった。このゲーム世界のこの職種は、まさにがくぽのためにあるようなものだった。
 服装以外の武具、たとえば使い古された陣太刀のように見える剣は、拵(こしらえ)がそれらしいだけで、内部数値はその他の”長剣”と何も変わらない。小札に見える鎧も、内部数値は他の”胸甲鎧”と同じものである。しかし、こういう凝ったビジュアル自体が、『侍』のプレイヤーのみが選択できる特典だった。
「侍って”上級職”だよね」レンがルカに尋ねた。「キャラメイクでそうとう高いボーナスが必要なんじゃないの」
 リンは疑わしげにルカを見た。さきはあんな話が出たが、何かどうにかしてチート、そうでなくとも何かイレギュラーな手段でも使ったのではないだろうか。
「超高ボーナスポイントが出るまで粘らせました。キャラメイクだけで丸2日かかっています」ルカが淡々と言った。「がくぽには、このゲームでは、超高ボーナスが出ない限りは『侍』にはなれない、と説明しましたから」
 日々、”真のサムライ”をめざすために意味不明な努力を続けている神威がくぽが、ルカの言にのせられ、黙々とキャラメイク操作、すなわちランダムのボーナス数値が低ければキャラメイクをやりなおすという単純作業を続けている姿ならば、ありありと想像できた。
 リンとGUMIは、数歩離れたところでMEIKOからプロモーション動画の仕事の説明を受けているがくぽの、疑念も不安もないさわやかな表情を怪訝げに見つめた。何か、ルカによっぽどおだて上げられてこのゲームに誘われたことは間違いないが、一体ルカにどんな甘言をささやかれたのだろうか。
「このゲームは詳しくはわからないけどさ」レンも、がくぽの方を盗み見てから、ルカに言った。「最初から上級職って、役に立たないんじゃないの? レベルアップしにくいとか」
「その通りです」ルカは、ゲーマーであるレンの”未知のゲームシステムへの勘”を肯定した。「侍は魔術師呪文を覚える戦士、という特性がありますが、序盤での覚えるスピードはまったく話になりません。あとは、侍はこのゲームで最も強力な武器が使える唯一の職なのですが、序盤は、というよりもこのシナリオではクリアまでならほとんど無関係です。戦士に比べて成長が遅いだけで、職種としての侍には、現状でのアドバンテージは皆無です」
「んじゃどうして、がくぽを無理矢理そんなのに……」リンがうめいた。
「サムライって言葉で釣って、兄上を引っぱり込むためだけの目的だとか」GUMIが飄々と口を挟んだ。
「半分はその通りです」ルカは、”兄”がくぽの性情を知悉しているGUMIのその予想を肯定した。「『侍』自体の能力はまったく問題にしていません。戦力として欲しいのは、侍になる資質があるほど”高能力”のキャラです。侍になれる、というのは、がくぽに”高能力”キャラを作る労力を費やさせるための、たんなる口実です」
 リンとレンとGUMIはそのルカの無慈悲ぶりに絶句した。リンはふたたび、どんな甘言で釣られてきたのかとがくぽを振り返った。となりのGUMIもそうした。



 そのキャラ能力の成果は間もなく、例によって即死しない程度にまでがくぽの新キャラを鍛えている中にあらわれた。
 あるときは、地下1階の敵のうちでは、段違いに尋常ではない攻撃力を持つために要注意とされている伏兵(ブッシュワッカー)の剣が落ちかかってきたとき、前衛のGUMIがすくんだように思わず一瞬足を止めた。その兵の前に、がくぽが遮るようにするりと踏み込み、その重い鋼の剣を跳ね上げると一気に斬り下げあやまたず血煙を上げさせた。
 その捌きも剣技も水際だっており、これまでのミク、KAITO、GUMIといった『戦士』の面々とは、明らかに威力が違いすぎた。特に『侍』だからというわけではない。腕力と素早さのキャラ数値が遥かに高いためだった。
 ここまででもルカの予想をやや上回るほどの優秀さだったが、やがて、そればかりではなく、ルカさえ予想だにしていなかった『侍』本来の能力の方も、次第に姿を現しつつあった。がくぽは鍛えるうちに、最も初歩の階梯の魔術師呪文を習得しはじめたが、敵を眠らせて無力化する”仮睡”の呪文は最低階梯とはいえ、明暗を分ける。がくぽが”仮睡”を使ってみると、リンよりも早く発動することも多かった。素早さの数値がリンと同等かそれ以上に高いためだった。
「これは……」がくぽが敵集団を眠らせ、立っていた者を切り伏せて、一人で数倍の敵を始末してしまうのを目の当たりにしたとき、ルカが珍しく考え込むように呟いた。
 相手が単体ならば一行の誰よりも早く突進して斬り捨て、複数ならば呪文で一気に無力化する。RPGの”魔法戦士の理想形”としてよく聞かれるが、一般にこれが実現する例はほとんど無い。まさか、よりによって”勘違いサムライ”の典型例である神威がくぽがそれを体現することになろうとは、誰が予想しただろうか。



 訓練のために危険の少ない1階を難なく進んでゆき、今までとは比較にならないほどすんなりと、がくぽが1度の踏み込みで2撃が可能になるまで鍛え上げたときには、他の面々の何人かも一回りほど技量を高めていた。
「”迅雷”を覚えた」街の宿泊施設、馬小屋での仮眠のあと、リンが『魔術師』の羊皮紙装の呪文書をめくりながら言った。「むしろ、”大炎”を使える回数が増えたことの方かもしれないけど」
「そろそろまた2階まで降りて探索を始めるところだけど」MEIKOががくぽを見てから、ついで、ルカに尋ねた。「だいぶ強い面々が揃ったし、いっそ、3階まで降りるのはどうなの」
 一行は沈黙した。リンやレンについては、絶句したといった方が正しい。
「3階ではまだ、”迅雷”や”大炎”でまるで歯が立たないほどの敵は出てきません」ルカがMEIKOに答えて言った。「そして、金貨数千枚の高価な物品が出る確率は、2階よりも段違いに高くなります」
「ふむ」MEIKOが考え込んだようだった。
 なお、その”段違い”とやらが、ゲーム内部構造では2階の”10%”に対して3階で”15%”に上がるにすぎない、とリンとGUMIが知ったのは、ずっと後のことである。が、今の時点でも、リンが反駁の声を上げるには充分だった。
「冗談じゃないヨ……」そのうんざりした様子は、リンと似たような表情になっているレンとGUMIをも代表していた。現状から少しでも危険度数を上げるなど、まさしく冗談ではない。確かに、今まで常に即死の危険におびえていたのが、かろうじてがくぽの参加によって、それほどには危険ではなくなった。その矢先なのである。
「せっかく、少しはうまくいってるところなんだよ……」
「でもそれこそ、せっかく”うまくいってる”ところでしり込み、足踏みするってのもねぇ」MEIKOがけだるげに言った。「スポンサーに与えられた時間も、いくらでもあるってわけじゃないんだけど」
「また”うまくいかなく”なったら、どういうことになるかわかってるんでしょ……」
 ようやく軌道に乗った現状で、もう少し我慢すれば、ミクの蘇生までならかろうじてこぎつけられるかもしれないのだ。それを直前でわざわざぶちこわしにする危険をおかすなど、信じがたい。
「一体、リンは何を怖がっているのだ?」が、そこで神威がくぽが、不思議そうに口を挟んだ。「何を、それほど恐れることがある?」
 リンは眉をひそめてがくぽを振り返ったが、ふと気づいて、口をつぐんだ。がくぽは、腹をかっさばかれたレンや胴体に火の玉がめりこんだリンのような目には合っていないし、それよりたまたま目が悪かっただけのミクやKAITOの陰惨きわまる末路を目のあたりにしてもいない。あれらは、実際に体験した者でなければ、恐怖も絶望も実感できるものではない。
「ルカよ……この地での出来事は、何事もそなたの言う通りとなった。ここに来て以来、忌まわしいこと、恐れるようなこと、悔やまなくてはならないことは、何一つ起こっておらぬ。すべては、ルカの導きのためだ」
 がくぽは目を輝かせ、静かな落ち着いた表情にも見えるルカに相対して、ルカの手を握って語りかけた。それは台詞と光景だけからは、きらびやかな武具の颯爽たる武人と、白衣の女神官の、スポンサーやファンが望むような絵面そのままの場面に見えた。
「我はルカの言葉から信じて導かれるからこそ、道を進み、力を高めることができる。ルカは我の剣の力を信じて導くからこそ、道を進み、言葉の力を得ることができる。我らふたりに、進めぬ道などない。これから進む先がいかなる闇であろうとも、恐れるものなど何もないではないか」
 何やら台詞の意味はよくわからなかったが、どうやら慎重さのかけらも無いらしいがくぽを、レンがおびえた目で見つめた。が、リンとGUMIは、ルカ(ルカの静かな表情とはつまり、単にいつも通りがくぽを無表情で見返すだけだった)に、あからさまに恨みがましい目を送った。
 どうやら、ルカはこのゲームに誘うに際して、がくぽに相当大変なことを言ったらしい。おおかた、”このゲームを始めれば真のサムライとして大活躍”だとか、あるいはスポンサー企業の言葉、ファンタジーゲーム世界に対して抱いている幻想の華のような美辞麗句を、そのまま右から左に流して聞かせたに違いない。無論、それはおだてて参加させるだけの目的である。いったん参加させてしまえば、あとは(レンやKAITO同様)ひどい目にあおうが何になろうが、そのときはそのとき、などと思ったのだろう。
 ところが、がくぽの活躍はルカの予想を超え、おだて上げた内容そのままになってしまったのである。いまさらルカにしても、それはこのゲーム内では誇大妄想的ですよ、などと否定しようにもできない。まして、リンやレンやGUMIがいくらおびえたところで、がくぽに伝わるわけがなく、彼を制止することなどできない。さらなる危険に向かうのを、誰も押しとどめることはできなかった。


(続)