剣と魔法とボカロもの 〜 癒しの女王と黒翼の魔王 (1)


1.女王の受難



 ファンタジーゲーム、いわゆるネットRPGの類が新たにリリースされるとき、”あいどる”達のプレイ風景、すなわちプレイヤーキャラクターとなって実際に(あるいは、多少の脚色をまじえて)そのゲーム内で活躍する映像でプロモーションする、といった仕事は、これまでにも何度かあった。ただし、鏡音リンが覚えている限りでは、今回ほど大掛かりなゲーム――海外の古典的名作ゲームの権利を取得したそうだ――に関するものは無かったし、《札幌(サッポロ)》所属のVOCALOIDが6体全員で参加し、ゲームクリアまで一通り続ける、といった、『本格的』なものは最初に思える。つまり、ごく短期間、ゲームの表面に触れるだけだったリンにとっては、ゲーム世界に入り込む、という体験自体が最初のものだった。
 この手のネットRPGとはどんなものなのか、ということなら、普段から趣味でそれらをやりこんでいる鏡音レン巡音ルカからは、これまでにもしじゅう聞かされていた。熱中しているレンや、黙々と無表情で時間を費やしているルカから話を聞きながらも、今までリン自身が自分から手を出さなかったのは、積極的な理由があったわけではなく、リンにはもっと時間を費やすに興味のあることが、他に多数あったからに他ならない。
 『モンスターをハントして、少なからぬスリルと、ひきかえに報酬と経験を得る』――『地道にゆくも一攫千金を狙うも自分次第』――『望みどおりの外観イメージのキャラクターを望みどおりの能力イメージに伸ばしていく』──楽しげに、熱中して(一方的に)話していたレンの、当時はリンが聞き流していた言葉。今回、始める前にそれを思い出すと、リンは自然と、期待や想像や役づくりがあれこれ頭に巡るのに気づくのだった。
 ……だが、いざ6声のVOCALOIDらがそのゲームを始めてみると、リンが何度そのレンの言葉を思い返して、このゲームの様相と何度照らし合わせてみても――『RPGの中でも最も古典的な名作』に準拠しているとかいうこのゲームは、自分やレンが予想していたRPGとは、いささか毛色の違う代物なのではないか、という疑念が生じ始めた。まして、この仕事のスポンサーが、作られる予定のプロモーション動画につけた、いかにもファンタジーらしいサブタイトル――『癒しの女王と黒翼の魔王』なる語から連想される世界とは、控えめに表現しても、共通点を探すのが難しめな代物なのではないか、と思わせる出来事が、少しずつ、だが確実に積み重なっていたのである。
 そのリンの疑念が、まさに確信に変わったのは、地下迷宮のわずか2階で出現したウサギに噛まれて、目の前で『初音ミク』の首が飛んだときだった。



 一行がミクの首のない死体を担いで、地下迷宮をおそるおそる歩き、地下2階から城砦都市にようやく戻るまでの間、レンは心の重苦しさに口もきけないように見えた。ミクへの感傷などではない──おそらくレンにとっては、そんな余裕すらない。前衛をつとめていたミクが欠けた今、レンは直接攻撃を受ける可能性のある、前衛に押し出されていたためである。
 ミクは、このゲームのプレイヤーキャラクターとして、攻撃を引き受けるいわゆる前衛のひとり『戦士』という役割を選択しており、MEIKOとルカは、ゆくゆくはミクを癒しと戦士の能力を持つ『君主』に転職させる予定を立てていた(『戦乙女』という職種は、このゲームのうち今回のシナリオには無いというが、スポンサーが、初音ミクは戦乙女みたいなものという設定で進めたいらしい、といったことを以前にルカが何やら話していた)。ミクは前衛として、一行の予算の半分以上をつぎ込み、光り輝く板金鎧などの防護に全身を固めて前衛をつとめていたが、対してレンの役割は『盗賊』で、いかにも安物の皮鎧(ゲーム内空間で、弱そうというグラフィックは異様にリアルだった)と小盾、短い剣でしか武装できない。といっても、なんとか前に出られるのはあとはレンしかいない。『司教』のMEIKOと『魔術師』のリンでは、装備も耐久力もレン以上に貧弱だからだ。
 完全武装だったミクでさえあんな死に方をしたのを見た直後ならば、レンの無口も無理もないだろう。リンはいつも仕事中にレンにするように、半ば軽口、半ば叱責めいた言葉を二度三度かけてみたが、レンはそれに答えすらしなかった。
 結局、何事もなく生還することはできたのだが、城砦に辿り着いたそのときに神経が遂にすりきれたのか、その後もレンは石のように押し黙ったきり、口を開こうとしなかった。
 今もレンは、石造りの寺院の前の広場の、段のひとつに座り込んだまま、黙りこくっている。リンのほかに、ミクよりはやや装備の軽い(銅製の小手を装備していない)『戦士』の装備をしたKAITOが、そのレンを見下ろしたきり、無言で突っ立っている。リンは無言を続ける二人の男声VOCALOIDと、その重い雰囲気に苛立ったが、その一方でどこかで、KAITOも、さらに自分も、心境としてはレンと大差がない気分でいるのかもしれない、と思った。
 ……その寺院の正面扉から、無造作な足取りで、『司教』のMEIKOと『僧侶』の巡音ルカが歩み出てきた。
「ミクは寺院に収容されました」ルカが外の三声を見て、平坦に言った。「蘇生できるまで安置されます」
 ルカはその装備、『僧侶』の盾も胸甲鎧も戦棍も、地下迷宮でついた汚れを落とすこともなく、そのまま寺院に入っていたようだった。さきの自分達のように寺院に緊急で飛び込む者が少なくないためなのか、それとも、ルカとMEIKOの僧侶と司教の地位のためのある程度の容認なのか。ルカが手にぶらさげている戦棍のとげとげの頭は、『司教』のMEIKOの呪文で眠りに落ちたウサギの頭蓋骨を叩き潰したときのおぞましい汚れで、今も全面が染まっている。あのときのルカは、まったくの無表情で、二度とそのウサギの門歯が使えないようにとでもいうように、冷静に確実な作業として念入りに叩き潰していたものだった。が、後になっていくら潰したところで、ミクの首が飛んだという事実が無くなるわけでもなかった。
 『僧侶』のルカも前衛に立っているひとりで、別の時の話になるが、あるとき襲ってきた追剥ぎの赤さびた刃こぼれの酷い広刃が側頭をかすめ、ルカの髪のからまったままの血塗れの肉片がごっそりと削げ落ちたときも、無表情に冷静に立っていた。リンはその直後に、ほとんど悲鳴のように、「なんでそんなんで平気で立ってられるの」と聞いたが、ルカは「立っていられなければ殺されていました」と無表情で返しただけだった。……このゲーム内空間での擬似体験は、さすがに痛みまでは感じないのだが、描写と自分自身のキャラクタが無力化され暴力に苛まれる具象はきわめて克明かつリアルで、体験する側に異常な緊張感を強要するものだった。
 ――この地下迷宮では、今までもリンの度肝を抜くようなことばかり起こっていた。それは、スリルとか興奮とかいったものではなく、次の瞬間に間違いなく起こる酷いことは今度は一体何なのか、その想像が行き場を失い暴走して我慢の限界へと突破しかねないのを、なんとか抑え続けている状態だった。 
 あるとき地下2階で、ミクと並んで戦っていた『戦士』のKAITOが、腐った死体の迫る緩慢な鉤爪を必死に剣で捌いていた、と見えた次の瞬間、突如として皆の目の前でくずおれるように倒れた。その時は、その危機感と緊張のせいで、何が起こったのか誰も分析する余裕はなかった。鉤爪がKAITOの胸甲鎧の隙間を縫って届き、『麻痺』を引き起こした、という事実関係に思い至ったのは、ずっと後のことである。ともあれ、前衛が一人欠けたせいでレンが即座に前衛に押し出され、直後、レンの腹は鋭い鉤爪で皮鎧ごと横一文字に切り裂かれ、腸が半分以上飛び出した。
 そのレンの傷はMEIKOが”封傷”の呪文でふさいだが、それまでネットRPGだと言って、はしゃぎながらルカと話したりしていたレンのテンションは、そのときから目に見えて低くなった。そして、今回のミクの首が飛んだ事件で、遂にレンはこのゲーム内でろくに喋らなくなってしまった。
「これからどうしますか」
 ミク以外の一行が揃っている寺院の前の広場で、ルカはMEIKOにたずねた。
 ……ネットRPGという、見かけからは想像もつかない習慣を持つ巡音ルカは、RPG一般、さらに直接このゲームの元になった古典的名作RPGの内部構造についても、いささかの予備知識があるようだった。無論リンは、ルカがゲームだけでなく様々な知識と技術を備えていることは知っているのだが、ともかく、ルカが古今のあらゆるRPGの類について莫大な知識を有していることが、これまでのレンと交わしていた会話からわかっている。そのため、今回はゲーム進行の意思決定においてMEIKOがしばしばルカと計画を立てるのが見られた。
「どうするって」MEIKOはけだるげに言った。「このまま続けるけど。スポンサーの意向では、プロモーションはこのゲームのクリアまで一通りだし」
「続けるのは言うまでもありませんが」ルカは無表情で言った。「問題は、これから”どのように続けるか”、ということです」



(続)

※編成(だけ)はこちらのブログ記事からインスパイヤ