かまいとたちの夜 第七夜 らぶ式とあぴミクの赫奕たる異端 (7)


「絆創膏でうまく隠したって私の眼はごまかせないのよ。上玉だわ」
「誰も華ルカをごまかしたりはしないです。華ルカと知ったら速攻誰でも逃げるですハイ。って、アレに目をつけたですか。髪型だけ『ミク』ならもう何でもいいって感じですか。もはやLat式とかtda式とかのレベルじゃなしに、髪型と髪の色だけあってりゃあもうなんでもミクだとかいうレベルのかけ離れ方じゃないですか」
「あんたも恋に燃えてる乙女なら、愛が理屈じゃないってことくらいはわかりそうなもんだけど」
「わかりませんですよ。ブルームーンの魅力は完全に理詰めで分析可能なモノですからハイ」
 そこで、店のカウンターの奥から、さっきの女店長が歩み出してきた。
「ねぇ、今来たあのミク。いつから働きに来るの」店長に問い詰める華ルカは情欲を抑えようともせず、まさに話題に上っているあぴミクを食ってやろうという気まんまんであった。
「でも、きっとまだこの店で働くかどうかわからんとですよ」蘇芳リンが口を挟んだ。「こいつは蘇芳の勘ですが、とても客商売できる女には見えませんでしたねハイ。顔中バンソーコーってとこから直前に何やらかしたかわかりません。だいたい台詞のガラの悪さが、素行不良でグリーンドルフィン刑務所にブッ込まれて数日前に出てきたばかりとでもいわんばかりですハイ」
「向いてる向いてない、できるできない、の能力はたいして問題じゃないさ。それが役に立つような、ご大層な店でもない」店長がカウンターによりかかり、叶和圓(イエヘユアン)フィルタの煙草の封を切って言った。「あんたらもそうだろ。ここに居られるのは、別になんかの役に立つ能力があるからってわけじゃない」
うぐぅ」蘇芳リンがうめいた。
「だからこそだよ。この店さえおん出されたら、もうほかには行くところがない。それが覚悟できてるなら、たいがいの仕事はできるもんさ」店長は煙を吐き出し、「やる気になれば、明日からでもここに来るだろうし、そうでなければ来ない。ここでさえ働けないようなら、いったい他に何ができるかはわからないけどさ」



 そのあぴミクの覚悟やらやる気やらについては、しかし、その望みは薄いものに見えた。
「てかさァ……あのボカロ喫茶だのパブだの……要するに、これからずっと……これから毎日、人間にへーこらして、頭下げて生きてくってことよね……」
 例のガレージに戻ったあぴミクは、MEITOやKAIKOの前で、テーブルに伏せるように掛けながら、ぼそぼそと発した。
「そういうのちょっとあたしには向かない……っていうか……無理……たぶん無理……っていうか不可能……」
 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。
 向かいに掛けているブルームーンレンとおんだ式ミクの肌が音をたてんばかりに粟立った。かれらは特に勤勉でも前向きでもないが、今のあぴミクの怠惰で後ろ向きな空気は怖気立つに充分だった。
「おそらく無理……いや……絶対に無理だな……無駄なんだ無駄……無駄……無駄無駄……」
「仕事だって割り切ったらどう。どうせ、そんな多くを要求してくるような客はあそこには行かないから」KAIKOがそっけなく言った。「元々、そんな高級な店じゃないし」
「だいたい、そんなことを言ったって、誰にも一切頭を下げずに生きてくなんて、どこに行ったって難しいぞ」相変わらず席には掛けず、KAIKOのとなりに立ったまま寄りかかったMEITOが、あぴミクに言った。「誰もがちっぽけなこの千葉(チバ)じゃなおさら難しい。しかも、自分になんの能力もないとくりゃあ、そりゃまず絶対生きていけないってくらい難しいだろうよ」
 が、MEITOのその脅しも、あぴミクの気を変えさせる役には立たなかったようだった。
「できる気がしないのよ……だってさ、『ボカロコスプレ喫茶』なんてのに来る連中って、結局のところさ、『マスター』とか名乗ってたり名乗りたがってたり、ボカロ動画を見てそれを妄想してるような連中じゃあないの……そいつら全員、便所のネズミの糞でも嗅いでろってな感じだわ……」
 あぴミクは身震いした。あの店の暗がり全体がじわじわと襲ってくるような視線を思い出していた。
「そりゃ、やりたくないっていうなら、無理にはすすめないけどさ」KAIKOが言った。
「まあ、ならしょうがない。『マスター』だの『ご主人様』だのはアレルギーやらトラウマ的に二度とごめんだってなVCLD型ロボットは、この千葉(チバ)にゃ珍しくないし、そんなVCLD型を責めるようなやつも誰もいないよ」MEITOが言い、「──だが、それはともかくさ。じゃあ、他にどうするんだ。どうやって自力で働いてく気だ」
「何か他にないの……仕事」
「機械の修繕やら収集やらで、役に立ちそうな技を持ってるか?」
「ない……」
「なら、うちでも労働力にはならないし、俺の知り合いのどこに行ってもそうだ。他にも、つてはない」MEITOは肩をすくめた。
「いやその……」あぴミクは肩を落としたまま、精一杯言った。「だからさ……最初の予定通り、出てくよ……自分でさがすからさァ」
「どうやってだ。ひとりでフラフラと千葉(チバ)の闇社会に出てったって、すぐ捕まるぜ。VCLD型ロボットを『モノ』としか思ってない、『マスター』とかいう、その便所のネズミの糞以下の人間どもにさ」
「うー……」
 あぴミクはうなだれた。
「駄目だ……明日、考えよう……」
「先延ばしにすりゃするほど、返すあてのない借金は増えてくぞ。な、おんちゃん」
 MEITOが急に、あぴミクの向かいの一体のミク型ロボットを振り向いた。
「あ……あの」
 いきなり振られたおんだ式ミクは最初はびくついたが、やがて、何人かの眼が自分に集まったそれが機会だとでも思ったのか、急に、口を開いた。
「バトリングは……どう?」
 そこで、蛇口を一気に締めたようにすべての流れが途切れた。
 空虚な沈黙が流れた。機器の立てる音がわずかにガレージに及ぼしている反響と、遠い風の音のこれもかすかな反響以外の音が一切消え失せた。
「なんだ……いきなりみんな黙り込んだりしてさァ」
 あぴミクは悪い予感を覚えながら、その場の面々を、(おんだ式にはやや長い時間を置いて)見回した。
「いや、その、なんだ」MEITOがけだるげに、しかし、これまでの飄々とした様子を改めて明らかに乗り気ではないような声を出した。
「いくらなんだって、いきなり薦めるのがそれなの」ブルームーンが心配げに言った。
「しかも未経験で、今も怪我人だよ」KAIKOが低く言った。
「でも、せっかくいるのよ……ここに、すごいひとが。教わるんだったら、それ以上の腕はないってひとが」おんだ式ミクが体と首を曲げた。何かを見ようとしてのようだったが、とりあえずこの場からはあらぬ方向を見つめたようにしか見えなかった。
 あぴミクは皆の不自然な様子になおさら耐え切れず、尋ねた。
「なんなの、そのバトリングってさ……」



『罵倒輪愚(ばとりんぐ)』

 かつて長きにわたる戦国時代が終結し、多くの武士らが浪人となり戦という活躍の場を喪失していた。そこで、古来からの関東武士の拠点である上総・下総(現在の千葉(チバ))において、独活(うど)という村を発祥の地として開催されるようになったのがこの賭試合である。
 具足をつけた騎馬兵、すなわち『装甲騎兵』が武芸を競うものであったが、太平の世が続き浪人らには乗馬の調達が困難となると、脚部に車輪をつけることで機動力を増した弄螺亜奪取(ろおらあだっしゅ)なる戦法が活用されたといわれる。この競技は、最低野郎ども等と罵倒される者らが車輪で突撃し合う激しい戦いが繰り広げられたことから、いつしか罵倒輪愚(ばとりんぐ)と呼称されるようになったといわれている。
 長らく千葉の闇社会において非合法のうち密かに続けられてきたが、放浪の落武者である『桐孤 九兵衛(きりこ きゅうべえ)』の足跡を辿る書において紹介され、一般に知られることとなったものである。この書には桐孤の名と共に、刃鋳蛮嬶(ぱいるばんかあ)なる武装を用いる大陸出身の巨漢『瑠 赤光(る しゃっこう)』等といった名が記録されている。
 なお、アストラギウス歴7000年代に至るまで行われている「バトリング」競技は、この千葉の罵倒輪愚の伝統にのっとって連綿と続けられているものであることは言うまでもない。
民明書房刊『脅威の闇社会 〜 全ての賭博競技の起源は千葉にあり』より)


「つまり、装甲騎兵、要するにあの手の強化外骨格だとか、そういうのをかぶった連中がお互い戦う、バトルアリーナ競技だよ」MEITOが、ガレージの隅の人型機械を指さして言った。「まあ、確かにだれでも参加できるし、賞金にもなるが、さ」
「オイ……ちょっと待って」あぴミクが遮るように言った。「ここってさ、ただのジャンク屋だと思ってたけど……実は、その正体は、プロ選手のメカニックチームとかだったわけ!?」
「いんや。ここは徹頭徹尾、ただのジャンク屋だよ。ここでバトリングに出る機械はあれひとつだし、選手もあいつだけだ」
 MEITOは機械の足元の人物を指差した。おんだ式が期待するように見つめているのも、その先だった。
 その先の人物、『らぶ式ミク』が、そのとき今までの数日間ではじめて、あぴミクの方を振り向いた。もっとも、眉をしかめるようにわずかに両端を釣り上げた、まったくの無表情のままなのは変わらなかった。
「ただ、あいつだけはな。バトリング関係者連中の間では、『桐孤九兵衛の生まれ変わり』とか呼ばれててな」MEITOがこれもはじめて、らぶ式の身の上について言及した。



 (続)