かまいとたちの夜 第七夜 らぶ式とあぴミクの赫奕たる異端 (6)


 また数日後、あぴミクはKAIKOの運転する小型バギーに同上し、千葉(チバシティ)の街中に連れて行かれた。かなり立派なビルの立ち並ぶ市街(だからといって、千葉ではそこが「表社会」の街だとは限らない)で、そのビルのひとつ、裏口とおぼしき地下への階段の前に、KAIKOはバギーを停めた。
 階段を下りた先は、広々とした喫茶兼バーの店だった。KAIKOは、店のカウンター近くで、そこの店長とおぼしき女性としばらく話し込んだ。
 その間、あぴミクはそわそわと、喫茶の席の合間を歩き回った。
「どれかに座ってればいいよ」ブルームーンレンが声をかけた。
 実は、このブルームーンもKAIKOのバギーに一緒に乗ってきた、あのガレージの方の住人のひとりだった。
 ブルームーンは、鏡音レン型の人型ロボットだが、レン型の中でもひときわシャープな洗練された風采と服装、センスを持ち、まるでホストか何かのように美形の類に属する風貌と物腰を持つが、それらとは不似合なほどに幼い。この美少年がこんな千葉市(チバシティ)など、しかも、MEITOやKAIKOらと共にあの廃品だらけのガレージに住んでいる理由は、ますますもって、他のガレージの連中の境遇以上に、皆目わからない。
「なんかさァ……落ち着かないのよ」あぴミクは掛けずに、歩き回ったまま言った。「あいつら、あたしの方の話はぜんぜん、能力とか境遇とか、聞くって感じじゃあないのよね……」
 どうやら、この店であぴミクを雇うか雇わないかの話をしているのがわかる。KAIKOもあの店長も、口数はそう多くはなく、断片的にゆったりした口調でぽつぽつとやりとりしているだけだった。それにしても、KAIKOは少年と見まがうような秀でた眉をしたロボトライブの少女、店長は凄艶な大年増の美女で、髪と眼の色以外には何も共通点がないが、何か、このふたりは妙に雰囲気が似ているという感がどうしても拭えなかった。
 ともあれ、かれらのそんな声から聞き取れるのは、話しているのは、店の方に空きがあるだとか、どんな仕事が余っているかとか、そんな話である。顔中絆創膏だらけのあぴミクの方の、事情やら生い立ちやら、そんな情報はかれらには本当に必要ないのか。
「きっと、MEITOたちが他人に何も尋ねないのと同じことだと思うな」ブルームーンが言った。「話しときたい?」
「話したいってわけじゃあないけどね……何もこっちのことを知る必要がないだとかさ、そんなふうに思われてるってのは、どうもイイ気がしない……」
 あぴミクは何となく足を止めて、カウンターの方を遠くから伺おうとした。
 と、そのとき、
 ジュルリ。何か大型動物が唾液をすするような音が聞こえた。
 あぴミクはぎくりとして振り向いた。
「なに?」ブルームーンが見上げた。
 あぴミクは無言であたりを見回した。丹念に店の中を観察するが、それらしい気配はまったくない。
「いや、気のせい……なら済むことなんだけどさァ……」
 あぴミクは言いながら、幾つかの物陰に目をこらした。薄汚れたこの喫茶兼バーの、無数の闇のすべてに、何かがひそんでいるような、そこから何かがこちらを見ているような錯覚にとらわれた。いや――むしろ、それらの闇の全てが、こちらにじわじわと迫ってくるように思えて、あぴミクの背に冷たい汗が流れた。たぶん気のせいだ。だが――そうだとしても、ひょっとして、これからも、この店のあちこちに対してこんな気分を抱きながら、働くようなことにでもなるのだろうか――
 ――ややあって、話がまとまったのか、KAIKOが店の奥から戻ってくると、あぴミクとブルームーンはその後について店を出た。地上の光に向けて、逃れるような気分で地下室からのぼる階段を踏みながらも、あぴ行くは何度もいぶかしげに、その店の方を振り返っていた。



 KAIKOらの姿が消えて、わずか数秒、とうとう抑えきれなくなったように、テーブルの物陰からどっと二つの姿が転がり出た。
 片方の小柄な方の姿は、べたりと顔面と両掌とを床に叩きつけてから、ぐるぐると頭を振り、即座に戸口の方を見やった。
「はわわ、なすすべもないうちにブルームーンが帰ってしまったですよ!」
 その金髪の少女、”蘇芳リン”は、悔しさに自分の袖を破ろうとでもするようにその袂を両掌で引き絞った。『鏡音リン』型の人型ロボットだが、狩衣、のように見えて服飾の細部やバランスがまるで出鱈目の、”欧米人が勘違いした和服”のような扮装の一体である。
「邪魔する藍鉄のヤツもブラックスターもいない今日こそ千載一遇乾坤一擲、今だコクったるゲッPシャイン真(チェンジ)シャインスパークというところだったのに、このあばずれ女を抑えとく役目さえなけりゃあですよ!」
 叫びながら、蘇芳リンが芝居がかったような仕草で腕を振り上げ、床の上を指差した。その指の先、さきほど蘇芳ともつれるようにして転がったもう一体の人物が、のっそりと起き上がった。長身に豊満そのものといった大人の女性で、蘇芳リン以上に”和服”というものを大幅に勘違いした、胸元や太股の大半が露出した芸女のような扮装の、”巡音ルカ・華”である。
「抑えろなんて誰も頼んでやしないわよ」華ルカはやけに上気した頬のまま、戸口の方を見て言った。「あんたも一緒にさっさと、だぁーっと一気に攻めればよかったのよ」
「蘇芳には誰ぞと違って人としての理性、もとい、この店の中の社会秩序を保つという理性があるのですよ。いえ、それよりも、ものごとには段取りなり順番を踏むということの重要性を、って聞いてるですか」
 ジュルリ。華ルカは唾液をすするばかりでなく、その袖で口元を拭った。さきほどあぴミクを怯えさせた獣じみた音の正体はそれだった。しかし、その華ルカのぎらぎらした瞳と、肉食獣の顎のように開き唾液に濡れる口元こそが、その音よりもよっぽど獲物を狙うけだものじみていた。ルカ型ロボットでもことに特に華やかでエキゾチックな容貌と服装のつくりが台無しである。
「それにしても、なんていう上玉なのかしら」華ルカが上の空で言った。
「それ誰のことですか。もしかしてアレですか。さっきの、あの顔中バンソーコーだらけのミクもどき」蘇芳リンが呆れて、思い出すように戸口の方を振り向いて言った。


 (続)