かまいとたちの夜 第六夜 真・Lat式ぱらだいす (2)


 その『Lat式パッケージ』の流通をたどること自体は、特に難しくはなかった。帯人の患者や医療器材関係者の話から、それを客に売っている業者、さらにその業者に卸している元、流れている流通路を順番に探ることができた。人づての流通なのでネットでは調べられないが、特に念入りに隠匿されているようなことはなく(つまり、その流通業者らの段階では、特に違法市場や企業抗争などには関わってはおらず)根気よく辿れば難しい話ではなかった。
 ある客に売った業者によると、金持ちの好事家が、要は『Lat式』というだけで名につられたように買ってゆく。べらぼうな高価に高級品志向、しかも正規ライセンスではない便乗品ということからか、ある客はうしろめたさ、ある客は危険な香りを体験しているかのような気分で買っていく、とのことである。
 その他に、どうも客の間でだけわかるような話で、この異常な流行やプレミアの原因となる噂があるらしいが、それについては、業者らはその話の中身までは知らなかった。
「まあ、その噂の中身は知らなくったって、売れる理由はわかりきってますけどね」店からついてきたあのLat式が、帯人と炉心リンの背後から言った。「”ボカロ廃”の間では、単なる当たり前の話ですよ。Lat式の名前がついてるってだけで、ボカロ廃の間では目の色をかえるプレミア物ってことです」
 炉心リンは怪訝げに、無言でLat式を見た。なんのためについてきたのだ。確かに自分と同型の名前のついた商品の話なので、知る価値はないでもないだろうが、店長は危険もあると言っていたはずだが。
 ……さきにも述べたように、”Lat式”とは、『初音ミク』の姿のバリエーションの中では、(Lat式本人の発言通り)抜群に人気があるといっていい一種なのは確かだった。ただそれだけで、客がLat式の名前がついた不正規品をとりつかれたように高価で買っていくとか、客が様子がおかしいほど興奮しているとかいう話には、一応、理屈は通らないでもない。
 ただし、浮かれっぱなしのこのLat式を見て炉心リンが思い出すのは、店のカウボーイ(註:攻性ハッカー)の”アカイト”から、最近聞いたことがある話である。なんでもLat式のオリジナルのモデリングは、”その顔のモデリングの構造と肌の色のせいで、3Dモデルがシェーダーとの相性が悪い”とか何とかで、電脳空間内の立体映像では今後、急速に落ち目になるかもしれない、とのことだ。炉心リンは別にそれをLat式に言ったりはしない。本当のことでなければただの杞憂だし、本当のことなら、いずれ嫌でもLat式自身が身をもってそれを思い知ることになるのだから。
 ……さらに商品の流通路を探った末に、一行がたどりついたのは、だいぶ人里離れた場所、千葉(チバ)の港からはさほど遠くはないが、旧工業地帯、すなわち半ば廃墟と化して人気のなくなった地帯だった。
 商品そのものの供給元、すなわちこの辿り方での終着点は、その地帯の空き地に無造作に建てられた、駆け出しのガレージカンパニーの工房のような外観の一連の建物だった。一応は、そういう企業のラボか何かに見えなくもない。
「もすこし大規模なメーカーの施設だとか、……大企業の息がかかった研究所っぽい所にたどりつくと思ってました」Lat式ががっかりしたように言った。
「仮に大企業が裏にいるとしても、その尻尾を直接掴めるまではいかないだろうさ」帯人がその建物を眺めて言った。
 人の気配は全くない。夜にさしかかっている時間のせいもあるが、もとから人数が少ないのか。建物に窓などはなく、外に漏れてくる音その他もない。裏の方に回ると、近くのガレージが開いていて、プラスチック製のコンテナに、例の緑色のパッケージが積まれているのが見えた。確かにここで製造されているらしい、ということくらいしかわからない。
「それにしても、あのパッケージの名前以外にぜんぜん”Lat式”の名前を見ませんでしたね」Lat式は建物を眺めて言った。「いや、パッケにないってことは、やっぱり”Lat式の現物”を持ってないんでしょうね。この型のバイオロイドだって、ただのボカロ廃じゃそう簡単に手は届かないあこがれの存在ですし。……広告塔として雇われてあげる見通しは立ちましたよ」
 炉心リンは怪訝げな目を向けた。
「このメーカー、この事業の、パッケージに印刷するモデルとかに、私がなってあげよう、って話ですよ」Lat式は首をかしげ、片方のおくれ毛をかきあげて言った。なにげなく、カメラに向かってポーズをとるように。
「寝返る気なの?」炉心リンは低く言った。
「そんな、根拠もないし、ひと聞きも悪い言い方をしなくったって。職業選択の自由じゃないですか」Lat式は朗らかに、「まぁ、職のつぶしがきかないリン型なんかには、自由意志だとか自立性みたいな発想自体、できなくてもしょうがない話ですけどね」
 炉心リンは眉をひそめて、ぺらぺらと喋るLat式を見た。
「あんな店で働き続けるより、こっちのメーカーに雇われた方がよっぽどましな話ですよ。あのパックが高値で売れて、そうとう儲けてるって話ですし。……あなたがたも、こっちに来たらどうですか?」Lat式は順番に帯人と炉心リンをながめ、「それぞれ、メンテ係と用心棒か何かで雇ってくれるよう、頼んであげますよ。いや、なんなら、広告塔になったら、私の専属として、私が雇ってあげてもいいんですけどね」
「――何寝ぼけたこと言ってんのよ」
「またそんな、寝ぼけたふりをしてるのはどっちですか。私の下働きになるのが悔しいからってへそを曲げてちゃ、損するだけですよ」Lat式は例の柔らかく少女らしい表情で、暖かく微笑んで言った。「ねえ、現実を見ましょうよ。どう考えたってこっちの方がうまい話ですよ? ……それに、Lat式の私はつぶしがききますけどね、あなた方リン型だのKAITO型だのには、もうこんなにいい話は来やしないですよ? あんなしみったれた店でハムを切ってていいんですか? いや、こっちでもどの道、厨房でハムを切るくらいの仕事しかないかもしれませんけど。それでさえ今より待遇がマシになるのは間違いありませんよ?」
「外から見てても何もわからんな」帯人が建物を裏口から眺め回して言った。Lat式の今までの話はまったく何も聞いていなかったかのようだった。「入ってみるしかない。製造法やら何をやってるのがわかれば、バックの組織やら何やらも少しはわかるだろう」
「って、まさか、不法侵入する気ですか!?」Lat式が一転ぎょっとして、帯人を振り向いて小さく叫んだ。
「それを言うなら、やつらの方が不法占拠だ。この土地や建物を誰かがきちんと購入した気配が何もない」帯人が携帯端末のディスプレイの情報を見て言った。「そういう点も、流通はともかく、作ってる出所のこの工場だけは、並大概で済むことはやってないって臭いがするな」
「ねぇ、そんなことしなくたって、雇ってくださいって私が正面から行けば、正面から普通に中に入れますから……」無言で進んでいく帯人と炉心リンの背後に、あたふたとLat式が続いた。
 裏口に仕込まれた電子セキュリティシステムは、建物の粗末さに反してきわめて高級なもので、大企業(マクロコープ)の支社のものさえ思わせた。炉心リンが、その服の擬態ポリカーボン(註:いわゆる光学迷彩だが、ここでは正確には光学だけでなく大半の物理的痕跡を消去する、一種のハイパージャマー)でいとも簡単に侵入し、機器のカバー内に隠れた非常スイッチをこれもいとも簡単に見つけ、システムを無効化した。
「ああああ……」Lat式が情けない声を上げた。
 その上質のセキュリティの時点で、すでに予想がついたことだったが、安っぽい建物の中に入ると、廊下に置いてある保存機器から配線から、これも大企業級のハイテク機器で埋め尽くされていた。やはり、人間とは出会わない。
 帯人は一行を先導し、無言で進んでいった。帯人のようなストリート・ドクには、これらの機器の配列を見れば、そのテクノロジの勾配、何が重要で何がどこに続いているか、すなわち、どこで重要なことが行われているか簡単に予想がつく。
 ひとつの部屋の前で、帯人は立ち止まった。帯人が振り向いたのは、炉心リンではなく、Lat式の方だった。
「期待外れだったな。どうやら、このメーカーは”Lat式の現物”だったら、いくらでも持ってるみたいだぞ。それでも、ここに雇われるか?」帯人はその部屋の中の一か所を指差し、「あの中の一体になってさ」
 そこは生物培養施設であり、数々の培養カプセルが立ち並び、その中にそれぞれ一体ずつ、順番にまるで成長過程を例示しているかのように、次第に大きく成長してゆく生物の姿が並んでいた。胎児の姿から、それより少しずつ大きくなった人型、そして――いわゆる”ちびLat式ミク”、Lat式を幼くしたような姿の寸前あたりで終わっていた。
「これが、あのパッケージの中身、あの食べ物の材料だ」
 帯人の言葉に、Lat式はだらりと両手を横に下げたまま、培養室の中の光景に正対して突っ立った。



「ただ培養した組織を、肉として作ってるだけ?」
 炉心リンがカプセルを眺めつつ、その間を通り過ぎながら言った。培養されているのは、(かれらの店の)Lat式と同型の、バイオロイド義体の材料のようだが、今の時点では培養されているのは、いわゆるクローンの体だけの代物のようだ。つまり、肉だけで、電脳、精神が入っていない。
「それは『Lat式』でも、『ミク』でもない。ただの『培養組織』の肉でしょ」
「いっそ、それならそれでいいんだが、どうやらそうでもないらしいぞ」帯人が、そばの機器に繋がったディスプレイに流れている表示を見て言った。「……肉を作るための牛や豚を運動させたり太らせたり、生き物を生きたままわざわざ暴れさせて食べるって話を聞いたことはないか? そうやった肉の方が美味いって話だ」
「少しは」炉心リンはカプセルを見たまま答えた。この時代、千葉(チバ・シティ)の下町では、本物の牛や豚はもちろんのこと、そこから取った肉すらも見る機会はほとんどない。人型ロボットの身ならばなおさらだ。
「それと似たような話らしい」帯人が、貼ってあるプリントアウトのスケジュール表を見ながら言った。「つまり、その幼女の時点まで育ったところで、精神を、『ミク』型ロボット用の人格プログラムを持ってきて、入れる。そこからは、『Lat式ミク』として育てて、それを屠殺してたんだ」
「わざわざ”心のあるミク”を作って、それを殺して肉を作る。それくらい高級ってことか。……プレミアもつくって話ね」
 炉心リンはカプセルの中、まだ人間的な表情は何もないがその曲線は『Lat式ミク』そのものの培養物、その肌の、フルオロカーボン系人工血液の異常な白さを眺めてから、
「まあ、だいたい話は見えたけど。……で、『Lat式の肉』が、なんであんな青緑色をしたプラスチックだかゼリーみたいなやつなの……」
「これは俺の推測だが、帰ってから、『ソイレント・グリーン』って単語について調べてみるといい」帯人は肩をすくめ、「帰ってもまだ調べる気が残ってりゃ、だがな」
 その話の間じゅう、Lat式ミク(念のため、帯人と炉心リンの背後についてきていた個体)は、目の焦点を必死で何かに合わせようとするかのように、視点を振動させていた。同時に、口の端と喉が、何かひっきりなしに動いていた。悲鳴を上げようとしているのか、それを飲み込もうとしているのかわからない。
「……あのパッケージの裏話として流れていた”噂”ってのは、つまるところ、これに大金を払う『美食家』『Lat式愛好家』ってのは、家畜みたいに飼育したLat式ミクを殺して食ってたやつらだ、ってことだ。それを知っていて食っていようが、知らずに食っていようが」帯人がプリントアウトを床に放り出して言った。「”ミク”のすべてを自分の思い通りにする、支配・所有するだけじゃなく、一食ごとにひとり殺して食う。そりゃ、『マスター』なんて言葉を使って喜んでるキモ連中のクズ人間にとっては、これこそ最高の贅沢だろうよ」
 帯人と炉心リンの話が終わったそのとき、――訪れた沈黙に堪えきれなくなったか、あるいは、その帯人の最後の言葉に対しての反応かはわからないが――Lat式は、何かの発作を起こしたかのように、部屋から飛び出した。もつれた足のような、不規則な足音で駆けていく音が聞こえた。
「おい、よせ、この中を無暗に歩き回るな」帯人が振り向いて、さほど大きくない声で言った。
 炉心リンが、Lat式のあとを追って、しかし、たいして本気で急ぐ様子もなく、部屋を出ていった。両者の足音が遠ざかっていった。
 が、不意に遠くで、何か大きな壊れるような音がした。続いて、
「ゲッボオーーーーーーーーッ!」
 Lat式の発したと思しき声がした。
 それからまたしばらくして、炉心リンだけが戻ってきた。
「あの食べ物を作ってる部屋にぶちあたってた」炉心リンは言った。
 つまり、Lat式ミクが屠殺されている部屋、自分と同じ姿のLat式ミクが精肉されている現場に飛び込んだらしい。おそらくこの人の気配のない施設では、全自動で、比喩ではなく工場製品として『処理』されている光景だろう。
「それと、――『ソイレント・グリーン』とやらの作り方なら、よくわかった」炉心リンが無表情で言った。帯人は無言で首を振った。
 と、培養室の奥の方で、扉が開く音がした。



(続)