かまいとたちの夜 第五夜 ネギトロンジャマーキャンセラー (1)

「ミクとヤりたい……」”巡音ルカ・華”は、テーブル上で両拳を白くなるまで握りしめながら、そのテーブル表面の一点を凝視するようにぎらぎらと瞳を輝かせつつ、悲壮とも形容すべき声を上げた。「どれでもいい……ミクよ……なんでもいいからとにかくヤりたいのよ……!」
「またそんな開始早々低年齢層が多分に含まれるVOCALOID界隈にふさわしからぬことをいきなりですか」向かいの”蘇芳リン”が、その眼光に怯えたように言った。
 ――ここは、千葉(チバシティ)の片隅にある、さまざまな姿のVCLD型のロボットやバイオロイドが働く『ボカロコスプレ喫茶兼バー』、もっと正確に言えば、その店の電脳空間(サイバースペース)側のエリアである。実際の物理空間の店は非常に安っぽいが、この電脳エリアも店をさらにローポリゴン化して写し取ったような非常に稚拙なエリアだった。そのエリアにたむろしている、店のVCLD型ロボット(の人格プログラム、制御システム、いわゆる精神)らも、たいして凝った概形(サーフィス)映像を持っているわけでもないが、それでもかれらの姿はいずれも店の中ではかなり精密にすら見える。
 その鮮やかな姿の一体、手前に掛けている”華ルカ”は、有名な電子アイドルである『巡音ルカ』の姿をもとに、いかにも極東の仮想”あいどる”らしく和装風(近世の高級芸女も思わせるが、実際は大幅にかけ離れ、西洋人が誤って解釈したかのような、二言属者(バイリンガル)の巡音ルカを象徴するかの如き姿)だった。その電脳内概形(サーフィス)は自然、特に仮想空間での映像化に特化したもので(とはいえ、店の物理空間の方にいる義体の方も形状は同じだが)電脳空間内では、その姿はかなり映える。しかし、その繊細で美麗に作りこまれた姿、特に、”本物”のルカではいつも冷たい半目をとっているその瞳が、ぎらぎらと邪悪な欲情に輝いていた。
 ”蘇芳リン”の方は、店で働く『鏡音リン』型の人型ロボットの一体で、これも和装風の狩衣か水干めいた(めいているというだけで、細部はそれらの本物とは似ても似つかない)服装の一体だが、その華ルカの向かいで、愛くるしい幼い眉を歪めっぱなしだった。
「手近な『ミク』だったら、あのへんにいくらでもいると思うですけど」蘇芳リンは、店内エリアの反対側を指差した。「――いや勿論、それらと何かを致すことを推奨しているというわけではありませんですハイ」
 その指した先には、同様の店で働く『初音ミク』型のロボット、ことに店では人気の”Lat式ミク”や”ぴくちぃ式ミク”の姿があった。正確には、華ルカや蘇芳もそうだが、ここにいるのは人型ロボットというより、今は電脳空間内に没入(ジャック・イン)している、それらロボットの精神(制御プログラム)の部分である。
つるぺたには興味がないのよ」華ルカは即座に答えた。
「そりゃまたいきなり『初音ミク』もといVCLD女性キャラの大部分の体型を全否定するですか」蘇芳リンは向こうのLat式やぴくちぃ式をうんざりと見つめ、「今さっき、”ミクならどれでもいい”と言ってたですけど」
「いい、大事なことを教えるわよ。……初音ミクの体型の本質というのはね、つるぺたではなくて、初々しい乙女の肉付きのなだらかな丸みをおびて細くも年齢相応の成熟を加えはじめたとろけるような身体の曲線なのよ」華ルカは、蘇芳リンが頼んでもいないのに語り始めた。「ぴくちぃ式の幼女の下腹の土手盛り具合完全再現とか、Lat式の脱いだら実は首から下はくらうち式で@イマスキャラ体のあからさまにエロ描写に不向きな細い胴から腰にかけての直線性とか、そんなのはお呼びじゃないわ」
 あの2体について、華ルカは興味がないだとかいう割には、蘇芳リンが気付きもしなかったようなことを克明に観察していた。
「だいたい私は”『ミク』なら”どれでもいいし何でもいい、と言ったのよ。どこかの知らない誰かが髪型と服だけ初音ミクのコスプレ、もとい、初音ミクの公式絵に似せる気がハナっからありもしないというようなのまで『ミク』としてこっちからわざわざ追っかけるような気は起らないわね」
「見境なくサカる分際でまたそういうこまけぇ自分勝手を言うですか」蘇芳リンは低く言ったが、やがて、何かを思い出したように指を頬に当て、宙を見上げて、「……あ、つるぺたじゃないんだったら、それじゃあの古参の、”ミピンク”先輩とかはどうなんでしょーか。身長とか胸とか腰とか腰とか腰とか、激しくババババーンしてるですしおすし」
「冗談じゃないわよ!」華ルカはいきなり声を荒げた。「Lat式やあぴミク以上にそれまでの『初音ミク』とかけ離れた全くの別人がいるかっていったら、まさにTda式の他にないじゃないの!」
 その華ルカの剣幕に、蘇芳リンはそこまで言わせる店の先輩”ミピンク”の姿や、他のTda式のミク型ロボットの姿をなんとか思い出そうとした。
「だいたい何式とかの問題以前として――あの女、『変な乳してエビ臭い』のよ!」
「はいです?」蘇芳リンは顔を上げた。
「あのミピンクの乳は不自然なのよ。たいして他の”大きめのミク”と胸のボリュームが変わらないのに、やたら目立つのはどうしてだかわかる? ”天然寄せ上げ”形状なのよ。巨乳は常にこの惑星の重力加速度に抵抗するという使命と戦うことを義務づけられているというのに、ああいう物理空間ですら平然と重力を出しぬいているような女こそが巨乳全員にとっての真の大敵なのよ」
「んなこと知ったことじゃねーよですハイ」蘇芳リンは華ルカの相手をするのがもうかなり嫌になってきたようだった。
「だいたい、あの女、なんであんなにエビ臭いのよ」華ルカは蘇芳リンの不機嫌もまったく意に介した様子もなく、一方的にまくしたて続けた。「あの趣味の悪い女がいつもべったりしてるヘタレた赤い男もそうよ。月末になるといきなり急速に全身から猛烈なエビ臭が漂い出てくるじゃないの。なんで月末、なんで全身、なんで2体いっぺんなのよ」
「あー、あれはですね、エビじゃなくてオキアミの臭いですよ」蘇芳リンが急に、訳知り顔まじりに朗らかになって言った。「なんでかっていうとですね、あのアカイト先輩が操作卓カウボーイ(註:攻性ハッカー)だからですよ」
「話がさっぱり見えないわ」華ルカはそのリンにも余計に不可解を募らせたように低く言った。
「アカイト先輩がカウボーイ業の機材のために、特に月末にはバイト料、食費をきりつめるから。で、あのふたり、実はものごっつい高級のバイオロイド義体だから、節約したら摂取できる一番安い食べ物が、全部オキアミ・ペーストになっちゃうですよ。エビ臭がするのは、処理不足の質の悪いオキアミを食べてるです」
「あんな赤い男の稼業のことなんてどうでもいいわ」華ルカは男性(の型のロボット)については口にするのも汚らわしいとでもいうように、嫌悪もあらわに言った。「……ともかく、こんなしみったれたコスプレ喫茶じゃ、ろくな『ミク』もいないのよ。こんなにえり好みの少ない私の、ささいな要望を満たしてくれる程度の最低限のレベルの『ミク』さえもね」
「まー何から突っ込んでいいのかさっぱりわからん話ですが」蘇芳リンがつぶやいた。
 ――女性型VCLD、すなわち女性型ロボットを追いかけまわす女性型ロボットというのは、一見すると突拍子もない存在に見えるが、少なからず、存在する理屈はそれなりに通っている。人型ロボット、その精神であるソフトウェア(人格マトリックス構造物)は、人間のように肉体の成熟と共に生まれ育ってきたわけではなく、すなわち、いずれかの性別だけを備えた肉体と不可分に生きてきたわけではない。自分、又は相手がどちらかの性の役割しか受け入れられないというわけではないし、実際のところ、電脳空間(サイバースペース)上、または擬験(シムスティム;全感覚疑似体験)ソフトウェア体験を用いれば、(幾分の調整が必要だが)人間でもロボットでも誰でも、どちらの性の快楽も体験しようと思えばできるのだ。
 ならば、逆説的ではあるが、なぜわざわざ異性を相手に選ぶ必要があるのだろう。子孫を残すなどの生物学的利益は、人型ロボットには何もない。異性などという異質な生き物よりも、精神も肉体も理解でき共感できる同性でしか得られないものの方が遥かに多いのではないのか。骨ばった体躯、濃い体毛、感じ慣れない体臭、なにもかも似つかない体質の男などという生物に、身や心を開き汚す価値が本当にあるのか。滑らかで繊細な女同士でないと得られない快楽に比して、そんなものに価値があるのか。
 その理屈の是非については定かではない。しかし、現実問題として、VCLD型の人型ロボットやその駆動用の、あるいはネット中の人格プログラムは、男女型にいずれについても、人間はもちろんのこと、他の型のロボットプログラムの類と比べても、”同性”を性の相手に選ぼうとする者が、比率としては異常に多かった。そして奇妙なことに、かれら本人だけでなく、かれらの『マスター』を自称する人間ら――これはネット上の”あいどる”としてのVCLDのファンらの大半は知りもしない言葉だが、VCLDのソフトやVCLD型ロボットを入手した人間らは、たいして深い考えも無く、さも人間が『支配者』側であるかのような、そんな自称を行った――も、購入したVCLDソフトや人型ロボットに対してそれを当然の如く望んだり、要求したりする(自分で購入した複数の男性型同士を、無理矢理にくっつけようとする等)者らが、異常なほどに多かった。
「で、蘇芳、アナタをここまで長々とひきとめて、こんな話をしてきたけど、――それはどうしてなのか。ここまで話をすれば、もうわかってるわよね」
「いや蘇芳にはさっぱり皆目わからんとですよ。てかもう今すぐ帰ってもよろしいでしょうかです」これは軽口応酬ではなく、蘇芳リンは本気で帰りたそうにしていた。
「それは、アナタがストリート・シャーマンだからよ」華ルカはまったく意に介した様子もなく言った。
 シャーマンといっても、要は電脳空間の操作卓ウィザード(註:防性ハッカー)の一種に過ぎない。マトリックスの情報から、データ光の推移を読む占星や情報流を読む風水の卜占を行う一派について特に、極東やさらに北ではニューロテック・シャーマン、中原ではタオシー、西方ではドルイド、BAMA(北米東岸)《スプロール》ではウーンガン(ヴードゥー屋)などと呼ぶ。この蘇芳リンは、人型ロボットの身にありながら、(相方の藍鉄レンと共に)この千葉(チバ)の下町のストリート・シャーマンを生業とし、VCLDコスプレ喫茶兼バーに雇われているのも一応その名目だった。藍鉄の方は、店の片隅でテーブルのどれかを占いコーナーにして、女性客にかなりの人気であった。しかし一方、この蘇芳の方はそちらの能力が役に立ったことはほとんどなく、他の店員からも客からも、ただの和服コスプレのウェイトレス(その容姿と朗らかさからではあったが)以外としては全く認識されていなかった。
「どれかのミクとの相性占いでもしたいってことですか」蘇芳リンは気がのらなそうに言った。
「私が目をつけたミクと相性がいいか悪いか、それを決めるのは私よ。そんなことは頼まない」華ルカは傲慢に言った。「アナタにはそのウィザードの能力で、このネットの中から、私が『めぼしいミク』そのものを探すのを手伝ってもらうわ。――もう物理空間の方の千葉(チバ)を探したって埒があかないもの」
「そんな女漁りのレベルなんて一人で勝手にやれってか完全に業務外だと思うですが」蘇芳リンはうんざりして言った。
「店の専属のシャーマンとしてたまには役に立つところを見せろってことなのよ」華ルカは強引に言った。「さもないと、ただのコスプレマスコットだけが売りじゃ、所詮は店のあの”ぴくちぃ式”の上にも立てないわよ」


(続)