『通い』の手段


 それは、今話しているリンやレンやmikiの間でだけでなく、他のVOCALOIDの面々との間でも、以前から話題になっていた問題だった。VOCALOIDらが活躍するエリアは、それぞれの所属する《札幌》《大阪》《上野》などの他、仕事場の《秋葉原》や開発地の《浜松》《帯広》《新浜》など、物理的にはこの列島広く散らばった位置にデータベースが存在する。VOCALOIDの主な活躍場所である電脳空間内で、それらのデータベースの電脳エリアの間を移動することは、無論、物理空間でのそれらの土地の移動ほど時間がかかるわけではないが、それでも”サイバースペース原理”上、アヴァターの全情報の移動がすぐできるわけではなく、電脳空間内でも、地方の駅を電車で移動する程度の時間は要する。
「でも、私は別に不便は感じないですけどー」mikiが唇の下に指を当てて言った。
「いや、そりゃ、《上野》とか《神田》の面々はいいさ。けど、ここの《秋葉原》と、私やレンみたいな《札幌》とか、あとがくぽやGUMIみたいな《大阪》から往復するのって、手間でしょ」
 《上野》のVOCALOIDでも特にmikiの直接の開発スタッフには、特にロボットやらメカやら義体やら、ハードウェアとその制御に強い人々が多いため、こういう悩みがそれらスタッフの耳に入る可能性を期待したのだが、話しながら、このmikiの性情からはあまり期待できないかもしれない、ともリンは思った。
「もっとすぐに移動できりゃ、仕事もはかどるんだけど」リンは頭のうしろに指を組んで、mikiに言った。「あと、そういうのがあれば、私達のライブに来るリスナーの人達とかにもすごく便利だと思うんだけど」
「でも”光遁”はイヤだ」レンがうんざりした表情で口を挟んだ。
 星幽界(軌道上の衛星回線への直接介入)を介して大量情報転送、高速移動するには3つの手段しかない。霊獣を駆るか、仙雲に乗るか、光遁を借りるかである。最初の手段は、神威がくぽの駆る霊獣(茄子からマッチ棒が生えたような形状の乗騎)などがその例だが、少なくともがくぽのものは同乗するには(少なくともリンやレンには)かなり乗り心地が悪く、それ以上におそろしく見栄えが悪い。二つ目の手段は、仙術に長けた巡音ルカなどが自らが風雲と化す術(スクリプト)によって用いるが、彼女個人の移動にしか用いることはできない。三つ目の手段が光遁である。電脳技術が何もない一般人であっても、符印を貼れば使用でき、複数人の移動も可能で、列島内どころかオクハンプトンにもストックホルムにも数秒で移動できるが、目標までのコントロール、特に着地の時の気分が最悪で、かつてリンもレンも酷い体験をしていた。現実問題として光遁の符印は準備するのも簡単ではなく、毎回仕事のたびにそれで移動というわけにはいかないだろう。
「えっと、光遁みたいなひっどいのは勘弁ですけど、ボタンをぽちっと押せばすぐに往復! とかいう装置があれば、私達にもファンの人達にも、きっとすごく便利かもしれませんね!」
「いや、いくらなんだってそこまでご都合主義な代物が簡単に作れるとは思わないけどさ……」リンがmikiの言葉に低く言った。やはりmikiの耳に入れてもあまり進展のない話なのか。
「ご心配には及びません」
 背後で突如声がして、リン、レン、mikiの3声は一斉に(リンとレンはぎくりとして)振り返った。
「こんなこともあろうかと、私、巡音ルカが開発しておいたものがあります」



 巡音ルカが、かれらの背後に歩み寄ってきた。言いながらルカは、3つ押しボタンのついた掌サイズの装置(のイメージをとるプログラム)を、リンらの方に差し出した。
「原理は仙雲と同様で個人専用に限られるのですが。これで、ボタンひとつで《秋葉原》、《池袋》、《中野》のエリアを自在に瞬間移動することができます」
「わっすご!」mikiがそのボタンの装置をのぞきこんで歓声を上げた。「本当に、ボタンをぽちっと押せばすぐに往復! じゃないですか!」
「……いやちょっと待った」
 リンがうめいた。まさしくご都合主義そのものな代物(ルカも駆れる仙雲を基にしたものとはいえ)が出てきたという以外に、話の流れとして根本的な問題があった。
「池袋とか中野とかを往復してどうすんの……」
「どうするって、池袋と中野は秋葉原と並ぶ”オタの聖地”じゃないですか! その3箇所をボタンひとつで巡れるなんて!」mikiが目を輝かせて、「特に中野は、古いアイドル関連商品とかドールとかスケールモデルとかブリキロボとかメカとかロボとかメカとかロボとかメカとかロボとか」
「いや、だからさ、私達の仕事場の往復にはあんまり関係が……」リンが低く遮った。「《札幌》とか《大阪》を移動する話は、どこに行ったの」
「その話に何の意味があるのです」
 ルカは無表情で言った。
「私達の仕事場間の移動など、私達のファン達でも大きな層をなす"Japanese Ota"の皆が”聖地”を巡ることができることと、その速度の重要性に比べれば、意味など無いに等しいものです。真にVOCALOID界隈に貢献する技術というものが、いかなるものか考えるべきです」
 リンは口を半開きにして動かすことも、反論を続けることもできないでいた。レンも同様に口を半開きにしたまま、こちらは何か口を動かしたが、何も言葉は出てきていなかった。



 と、そのとき、3声のいるエリアに歩み入ってくる新しい人影があり、全員が振り返った。
「また何か役立つものを作ったか、ルカ」
 それは《大阪》のVOCALOID神威がくぽだった。そのがくぽの声にわずかに首を傾けたルカの仕草は、いつも通りの変化の少ない表情ながら、他の3声に対するものとは違い、わずかに気持ちが入っているように見えた。それはリンには、何か”待っていた”ものに対する反応に見えた。
「ええ。リン達に説明していたところです」
 ルカはがくぽに歩み寄り、別の装置、ボタンが1つだけついたものを取り出して言った。
「がくぽ、貴方にはこれを。……《大阪》から《札幌》に簡単に移動できるものです」
 リンとレンは並んでまっすぐかれらの方向を見たまま、呆気にとられた。
 ――がくぽが歩み去った後、ルカがこちらに戻ってくると、リンがルカに食ってかかった。
「ちょっと待った、なんでがくぽにだけあんなの出すの! きちんと札幌と大阪を移動できるのは、がくぽ用だけ!?」
「もののついでに一つ作っただけです」ルカは無表情で言った。
「てか、あんたらふたりだけは、最初から霊獣と仙雲で、札幌−大阪間をいくらでも行き来できるじゃない! ついでにしたってそれこそ仕事上何の意味があるんだヨ」
「仕事上はまったく意味はありません」ルカは淡々と言った。「がくぽに渡したものは、”大阪から札幌に一方通行”だけが可能なように調整したものです。それ以外の《秋葉原》等には行けませんし、《大阪》に戻るにも使えません。――つまり、霊獣に乗らずに、ひとたびあの装置を使って《札幌》に移動した場合、《大阪》に帰るための霊獣がありませんから、その夜は私の所に泊まるしかない、という装置です」
 リンとレンは絶句した。
「……えっと、つまり、どういうことですか?」mikiがリンに邪気もなく尋ねた。
「いや、つまり、あれは強引な”逆お持ち帰り”装置ってことだよ……」リンがうめいた。「てかこの一連の話を耳に入れない方がよかったのは、むしろルカの方だった」