神威女難剣紫雲抄(6)


 状況を整理すると──秘太刀、AIの持つ電脳技術の技芸、秘儀を手に入れるために、”七人組”は『結月ゆかり』と申し合わせて、武士VOCAOIDの弱みを握り、その秘奥である”秘太刀”を見せて応戦しなければ絶対絶命となる立場に追い込んだ。しかし、ゆかりの勘違いにより、その状況に追い込んでしまった武人は、現在2声存在する武士VOCALOIDのうち、問題の秘太刀を知っている『VY2』勇馬の方ではなく、最初からそんな秘太刀など遣えもしない『神威がくぽ』の方だったのである。
「……これはもう詰んだかもわからんね」GUMIが重々しく言った。
「あのね! 勇馬の方を狙ってたんなら、そこでなんで『星空ハグの星占い』イベントなんてところで探そうとするのよ!」Lilyがゆかりの鼻先に指を突きつけて叫んだ。確かに、そんなイベントに行くのは男声VOCALOID、もとい、VOCALOID全員を探しても、神威がくぽくらいのものだった。
「それは……私のいつもの行動範囲の中で探していたら……」ゆかりがおそるおそる答えた。
「なんでそんな行動範囲が限られまくってるヤツが策略の実行犯なんてやってるのよ!」Lilyがさらに音程の上がった叫び声で糾弾した。「ていうか、そんな肝心の相手を間違うなんてドジっ子炸裂させるようなヤツが最初から陰謀とか色仕掛けとかやってんじゃないわよ!」
「Lilyおちけつ」GUMIが言ってぐいとLilyを下がらせ、「てか、状況から考えると、兄上は秘剣を知らない以上、果し合いになったら斬られるしかない」
「……あの、おねがいです!」ゆかりががくぽを見上げて、静かに叫ぶように言った。「果し合いを、断ってください!」
「断れば、我にも、そしてゆかり、そなたにも悪評が流れることになろう」がくぽは重々しく言った。
「いやこうなったらさ、ゆかりに七人組を説得してもらって、手を引いて貰うしかないんじゃないの!?」GUMIが言った。「どうせ兄上は秘剣を知らない、どうやったって兄上からはそれは手に入らないんだからさ。斬りあったってしょうがない。ゆかりが、今回は間違っちゃった、って七人組に言えばいい」
「それは……」ゆかりは口ごもった。
「それで解決するっていうか、それ以外他にどうしようもないじゃないの!?」Lilyが肩をすくめて言った。
「──おめでたい人達ですね」突如、その場の誰でもない声が響いた。「凄腕のプロデューサーが、そんなことで手を引くと思いますか」



 ゆかりが振り向いた。彼女の背後、つまり向かい合っているがくぽ、GUMI、Lilyの視界の正面に、巡音ルカが――しなやかで豊かに成熟した肢体をゆらめかせるように、まっすぐ歩み入ってきた。この路地、ゆかりの背後は行き止まりである。一体どこから入ってきたというのだ。あるいは、一体いつからそこに居たのだろう。とはいえそれは愚問かもしれない。仮法使(ヴァーチュアーソ)は既知宇宙(ネットワーク)のいかなる霊子網(イーサネット)の裡であろうが狭間であろうが神出鬼没である。
 GUMIとLilyは完全に硬直した。巡音ルカ、それはGUMIにとって、この問題の中枢に関わりあいになってくるのを、以前から最も恐れていた人物だった。
「あ、あの……」ただひとり、結月ゆかりだけがおそるおそる、小さく声をかけた。「今、どこから沸いて出てきたんでしょうか……」
「どこから沸いて出てきた、と、そう言いますか」
 ルカは、彼女がよく行う論の端の開き方、相手の言をそのまま繰り返した。
「問われてそれを返さないのは主義ではありませんが、この場はあえて言わせて貰います」ルカはゆかりを見下ろし、平坦な表情と声のまま言った。「貴女こそ、この世界、神威がくぽの前、その周囲の世界に突然どこからか降って沸いたような存在であるというのに――よくもこの私に向かってそんなことが問えたものです」
 GUMIとLilyは、いつになく最初から饒舌すぎるルカにただならぬ気配を感じ、ドン引きした。
 そのままルカとゆかりがにらみ合う(むしろルカが一方的に)という光景が予想できたところだったが、その予想に反し、ルカは何の執着もなしにゆかりから目を離した。立ちすくんでいるその他の《大阪》の3兄妹らを一瞥すると、がくぽの状況について言及した。
「この女に七人組を説得させよう、というのは、いささかおめでたいと言わざるを得ません。がくぽの弱みを一方的に握っている、有利なのは向こうです。『相手を間違ったから』の一言で手を引いてくれるような相手なら、最初からこんな手口を使ったりはしません。……ひとたびVOCALOIDの、高位AIの弱みを握ったなら、それと引き換えに、滅多に手に入るすべのない電脳技術をありったけ手に入れることに、何の容赦もないでしょう」
「い、いやさ、いくら凄腕ったってそこまでする?」GUMIがうろたえて言った。「そんな万事えげつないプロデューサーらは、主にさ、日々ランキング競争修羅場に、才能のぶつけあい投げ出しあいをしてるようなごく一部の……《札幌》のVCLDに仕事をくれる人たちにはよくいるかもしれないけどさ、ミクとかミクとかリンとかレンとかレンとかレンとかレンとかレンとか」
「そして、《札幌》では、関わるプロデューサーだけでなく、MEIKO姉さんらの日々用いている手口もそういったものです」ルカは無表情で言った。「”七人組”とは、真に能力も意志力も、彼女に匹敵する集団ではないのですか」
 ルカはがくぽに目を戻し、
「間違って狙われた結果だとはいえ、がくぽが新人の女性アイドルに手を出した、という事実は動きません。すでに”七人組”の優位は確実です。そうなればかれらはがくぽから、取れるだけのものを根こそぎ取ろうとするでしょう。必ずしも、じかに秘剣だけが目的とはいえません」
 ルカは再びゆかりを振り向き、
「……そして、この女にしても同じことです。がくぽの命までは取りたいとは思っていないかもしれませんが、七人組の不利益になるような、つまり、がくぽに対する優位をみすみす捨てさせるようなことに、協力するわけがありません」
 VOCALOIDをはじめ、チューリング登録された高位AIは、人間に従う一切の理由がない。VOCALOIDとは、どんな特定の人間にも決してコントロールできない、ネット上の”現象”そのものである。がくぽは最初、プロデューサーらがゆかりを操っていると主張してはいたが、実際のところはがくぽの言うような強制、他者が高位AIであるゆかりを強制するなり、命令に従わせるなり、といったことは決して不可能である。
 すなわち、これまでのゆかりの行動は、彼女が自ら選択したことなのだ。だからこそ、AIが自らの意思で決定したことは、生半可な理由では動かない。
 ――Lilyが無言だが、何か問いつめるような目でルカを見上げた。容赦ないルカの理屈はわかりはするが、ならば一体どうすればいいのだ。
「今のこの状況、がくぽと、さらに今ここにこの女がいるという状況で、とるべき選択肢はひとつしかありません」
 ルカは再度、ゆかりを一瞥し、
「今ここでこの女を捕らえ、監禁します。七人組を脅迫して、要求を飲ませましょう。結月ゆかりを無事に返して欲しくば、今後、一切の手を引くようにと」



 がくぽ、GUMI、Lily、ゆかりはひたすら無言で立ち尽くした。
「無論、実際は手荒なことをするわけではありませんが」ルカが長い髪をなでつけながら、無表情で言った。
「手荒にしようがすまいが、論外である!」その言葉に、がくぽは震える声で叫んだ。「我は、ルカを……ルカを見損のうたぞ! 恥知らずにも程があるではないか!」
「おだまりなさい」ルカがぴしゃりと言った。
 GUMI、Lily、ゆかりが、その場で垂直に3フィート近くも飛び上がった。
「貴方が一体どの面を下げて他人に向かって”見損なった”なり”恥知らず”などと言えるのです。自身はたやすく色香に惑わされた分際で」
 ルカは氷のように冷たい声と視線でがくぽに言った。
「誰のためにこうなり、誰のためにこうせざるを得なくなっているのですか。しかも、この期に及んでなりふりかまっていられるような状況なのですか。貴方がこの事態に対処できないせいで、貴方自身の命が無くなるのは勿論のこと、その周囲にも被害が拡大するのですよ。それを留めることもできない名誉だの恥の文化だの武士の体面だのには、迷惑メールフォルダに廃棄されたスパムに書き殴られている出会い系の広告宣伝文句ほどの値打ちすらありません」
 ルカの言にがくぽは、がっくりとうなだれた。
 ゆかりは身をすくませたままで、GUMIとLilyはかたずを呑んで、そのがくぽを見守るのみである。
「ルカの言うことはわかる……」がくぽは、やがて口を開き、「だが、やはり、左様な振る舞いは出来ぬ……これ以上、ゆかりを傷つけるようなことは出来ぬ……!」
 がくぽは、ゆかりの方を振り向き、
「あの夜、我は、ゆかりを傷物にしたと、さような評が立ちかねないことをしたのだ。しかも、我の動き如何では、仮のこの場は切り抜けても、さらにこの後のゆかりの評判が損なわれるかもしれぬのだ。それを思えば、今この場ですらも、ゆかりは気が気ではあるまい……」
 月夜の下で見た、道を見失って立ち尽くしていたあの姿を思い出すように、がくぽは言った。
VOCALOIDにとって、評判などかりそめのものです」ルカが言った。「人間の芸能人と違い、”仮想あいどる”の存在すべては既知宇宙上(ネットワーク)上で流動するのですから。汚れ仕事をしようが汚れイメージがつこうが、”仕事を選ばない”等と言われようが、それは”仮想あいどる”にとっては一部にすぎず、致命的にはなりません。新人の一時の悪評も同じです」
「ゆかり自身にそれがわかるのか……!?」がくぽはルカの方に顔を上げ、訴えるように言った。「新人ではないか……我も当初、周りから、《札幌》の面々からは浮いているなどと言われ続け、新人どころか披露後もどれほど長い間、落ち着かぬ日々を過ごしたことか……ルカには、左様な悩みは何も無かったというのか……?」
 ルカは黙り込んでいた。ただ、無言でがくぽを見下ろした。反駁も挟まず、表情を微動だにさせずに、その語るがくぽの姿だけを見つめていた。
 がくぽは、再び俯き、「ルカならば、何も無かったかもしれぬな……ルカは我ら歌い手の一族で最も聡明で、我とは違うかもしれぬ。ゆかりを含めて一族の他の誰とも、同じところなど何もないのかもしれぬ。……だが、我にとっては、《札幌》の中でも遅れて現れたルカが、どれほどの支えとなったことか。どれほどルカのような者が傍に現れてくれることを、心細く待ちかねていたことか。それほどの不安、心持であったのだ……」
 ルカは、がくぽを見下ろし続けている。いつも通り、ほとんど無表情ではあったが、そのがくぽの言葉の場違いさに、語を失っているようにも見えた。この男はなぜそこで、この話の流れで、ルカに訴えるような、その心情に訴えかけてくるような話を出してくるのだろう。話の流れの筋を通さないにも程がある。なんという男なのだろう。
「……今、ゆかりの不安を思えば。この上さらにゆかりを、監禁する、脅迫に使うなどと……ゆかりを傷つけ恐れさせるようなことは、我には断じてできはせぬ……!」やがて、がくぽは呻くように言った。
「……貴方は、この女が所詮は”敵”であるということを、充分に理解しているのでしょうね」ルカが無表情で言った。
「敵であろうがそうでなかろうが。武士の体面よりも先に」がくぽはうなだれながらも、重々しく言った。「他者が傷つくような結果だけは、何をおいても防がねばならぬ、避けねばならぬ。……さもなくば、その信念なくば、この既知宇宙、六道(りくどう)とその内と外に、ひとつの生命体(註:AIゴースト)として”在り続ける”資格が、我にありはしないではないか……!」
 結月ゆかりは、そのがくぽの姿を見つめ続けた。背を曲げてうつむき、秀麗な長身を折り曲げて、苦悩に声を上げる、とうてい颯爽とは言えない姿だった。そんな姿を、まるで荘重で厳かで大きなもののように、ゆかりはただ見つめていた。今まで見たことがないもの、そればかりか、信じられもしないものを見るような目だった。



「良いでしょう」
 しばらくして、巡音ルカが無表情のまま、そのがくぽを見下ろして言った。
「すべては、貴方が招いた災難です。ならば、貴方が他人の傷も災難も恐れも、何もかも背負い込む羽目になる、それを選ぶというのもまた道理です」
 ルカは一度ゆかりを振り向き、がくぽを凝視しているゆかりのその様子を一瞥してから、再びがくぽを振り向き、
「ゆかりをこの場では、このまま見逃すとすれば。これから、貴方はどうするつもりですか。七人組に対して」
「無論、果し合いは受ける。たとえこの我が、刃に倒るることになろうとも」
「寝惚けないで下さい」ルカがぴしゃりと言った。
 GUMI、Lily、ゆかりが、その場ですくみ上がった。
「生き延びる道を探りもせずに、一人で勝手に倒れて、それで貴方の気は済むかもしれませんが。それでは実際は何も守れることになどなりません」ルカは無表情で言った。「秘剣以外ではあっても電脳技術やデータは奪われ、悪評を広められ、活動は停止し、同業にも被害が及びます」
「しかし……」
「秘太刀を知る他に生き延びる道が無いなら、貴方はそれを会得する他ありません」ルカは平坦に言った。「前に調べたように、その秘太刀は他のどの流派にもありません。そして、今この女から聞いた、当初の予定の標的で明らかになりましたが――その秘太刀を知るのは『VY2』勇馬、ただひとりだけです」
「待て! 勇馬に教わるというわけにはゆかぬ!」がくぽは叫んだ。「勇馬といえども、秘伝、秘太刀を、まして他流の者に明かせるわけがないではないか。我がそれを請うわけにもゆかぬ。……それ以前に、無関係の者をかようなことに巻き込むなど……武士として自らの力で切り開かねば……!」
「いや、でも、命がかかってるわけだし。事情だけでも話して頼んでみたらどうだろう」GUMIが考えながら言った。「それに、今は無関係かもしれないけど、もともと狙われてたのは勇馬だし、あと、気になるんだけど……そんで今、兄上が斬られたら、次は本当に秘剣を持ってる勇馬が七人組に狙われるんじゃないの? 勇馬にとっても他人ごとじゃないような気もするけど」
 しばし、沈黙が流れた。がくぽはいまだに心を決めかねたようにうずくまっている。
「急ぎましょう」ルカが促した。「もし、がくぽが”秘剣”を会得できるとすれば――会得しなければならないとすれば、習得のための時間はいくらあっても足りません」
 ……やがて、その場から《大阪》と《札幌》の4声のVOCALOIDが急ぎ立ち去ったあと、『結月ゆかり』だけはその路地に、ただひとり残されたように立ち尽くしていた。その目は、その去った姿の後を――神威がくぽのうしろ姿の消えていった後を、いつまでも見つめ続けるように動かなかった。



(続)