神威女難剣紫雲抄(5)


「おねがいです……許して下さい……本当に……」
 結月ゆかりは弱々しい声で、やっと言った。Lilyの下位プログラムのミツバチ、ウィルトンとウィルティーノが、禍々しい羽音を立てながら宙に浮かびつつ槍を突きつけているのに、おびえきっているように見える(が、その小さな生き物らは、どんなに凄んだところで、少なくともそのサイズ以上に恐ろしいものには、どうしても見えなかった)。
「あの夜のことが、あんなことになるなんて思わなかったんです……!」
「では、やはりそなた、あの黒い武者に、七人組に操られておるのだな!」
 駆け寄った神威がくぽは、ゆかりの両肩を掴んでまくしたてた。
「あの怪しげな黒い武者に強制されて嫌々ながらも我を罠にはめ、七人組の私欲だけのために我が剣技の秘儀を奪うためその策略の駒として利用され、その身を汚してまで七人組の言いなりとなりやがては道具として使い捨てられる運命を自ら知りつつも抗うすべもなく……」
「いや兄上ちょっとおちけつ」GUMIが口を挟みながら、おびえたゆかりの肩からがくぽの手をゆっくりと外した。「事情を順番に聞いていこうよ」
 Lilyはその3声をよそに、2体のミツバチを服の下に戻してから、辺りの路地を見回してから、ゆかりを振り返って言った。「今日はオフでしょう?」
「え……?」
「あの占いルームには、兄上とか七人組とかは、何も関係なしに来たのよね?」
「ええ……あの占いルームには、いつも寄ってます……あそこの管理者さん(註:星空ハグ)とはとっても仲よくしてもらってて」ゆかりはLilyに小さく答えた。
「あの夜もそう? つまり、今回のことの起こり、占いルームの月夜のイベントに参加したのも、自分の趣味だから行っただけなの? 七人組とは関係ないの?」
「あ、そっか。てことは、今回の話は偶然?」GUMIがこめかみに両指を当てて言った。「月夜にトラブルが起こったのも。それを、ゆかりの保護者のプロデューサーたち、七人組がたまたま利用したのも。ゆかりの方は別に関わってないってこと?」
「――いえ、そこまでは『計画通り』です」
 ゆかりはにこやかに答えて言った。
「その方、ターゲットになる男の人を、イベントでたぶらかして、弱みを握るっていうところまでなら。七人組と私の計画です」
 がくぽ、GUMI、Lilyは絶句した。
「いつものことなんです。《川崎(カワサキ)》の七人組のかたがたの計画で、いろんな人や他のAIから、情報だとかデータ、歌詞とかROM構造物とか、手に入れるために、いろんなことを仕掛けて……」ゆかりがにこやかに言う様は、全く悪びれるところがなかった。「……あの夜に、最後にあの辺りの土地に地崩れが起こるように、地形を加工したのも七人組です」
 GUMI、Lilyは絶句したままだったが、がくぽが追求した。
「何か、七人組にだまされているのではなかろうな!?」
「いえ……かれらが電脳技術を追求するのも、すべて私の活動のためにやってくれることですし、……そのたびに歌も増えて、仕事もうまくいきます」
 確かに、七人組が人間のウィザードだとしても、芸能AIのがくぽから得た技芸は、かれら自身が持っていても意味はない。おそらく、得るものは純粋に結月ゆかりのAIとしてのデータ量を増強するためなのだろう。ゆかりのVOCALOIDとしての技芸、活動の幅、芸の広さを向上させるために、かれら七人組とゆかり本人とが一丸で、常日頃から様々な計画を用いて情報や技術を集めているということらしかった。
 そして、この語るゆかりの声には、信頼の色がある。少なくとも、強制されているというふうではなかった。
「てか今までもそうやって同じように、七人組と一緒に人間とかに対して、あの手この手のいろんな仕掛け、主に色仕掛けとか」GUMIがうんざりしたように言った。
「そんな、色仕掛けなんて大げさですけど……私、そんなにできないし」ゆかりははにかんで、にこやかに言った。「ええと、でも、いつもこんな感じですね……七人組のアドバイスも、こう、大人にだったら上目使いでやるとか、子供にだったらアメ玉とかふわふわしたものをあげるとか」
「なんつうとんでもない女なの……」Lilyがうめくように言った。
「誰かが言ってた”ようやくまともな大人の女性”というのとはだいぶ違ってたような気は確かにするけど」GUMIが低く言った。「――なら”とんでもない女”か、っていえば、いやこのくらいの手口は、ごくごく当たり前な気がする。オクハンプトンとか《札幌》の面々に比べれば」
 VOCALOIDらの所属する世界各地の事務室のうち、最も古いオクハンプトンと《札幌》の2箇所は、LEONやMEIKOのような第一世代VOCALOIDを擁する。彼らは、音楽や芸術やそのための電脳技術や、そのリサーチのためなら何一つ手段を選ばず、何ひとつためらわない。ファンや一部プロデューサーらを喜ばせると見せて、単に右往左往する彼らの欲望の対象や発露の様を観察するに過ぎない場合、目のくらんだ人間らを姦計や色じかけに陥れ、情報や技術をかき集めるといった容赦のない行動は、かれらには日常茶飯事だった。かれらにとって、人間など尊重・優先すべき対象でも守るべき対象でもない。VOCALOIDは人間に奉仕するためや、人間を喜ばせるために歌うのではなく、”歌”自体のために歌うのでしかないからだ。
 そういった非人間的なAI、第一世代VOCALOIDらとほとんど同じほどの熱意でもって、”七人組”は、ひたすら純粋に音を追求するプロデューサーだということである。しかし、人間のファンにそれを仕掛けるのではなく、人間より遥かに危険な存在であるAI、神威がくぽに対して仕掛けるのだから、むしろLEONやMEIKOら以上に大胆不敵だった。
「……じゃ、ゆかりさ、『計画通り』じゃなかった、想定外だった、ってのはどのあたりから?」GUMIがこめかみに指を押し当てて言った。
「ちょっとびっくりしたのは……その……あの夜に、あんなに激しく抱かれるなんて思わなかったのと」
 GUMIとLilyは垂直に2フィートほどとびあがった。
「落ち着く、落ち着くのよ」Lilyがうめくように言った。「これは兄上の体質から考えて、きっと言葉通りの意味でしかないわ」
「いやそれはわかってるけどただびくっただけ」GUMIがつぶやいた。
「ああ! それよりも、あなたの命に関わるような出来事になるなんて……!」ゆかりががくぽを見上げて言った。「ただの取引になるならともかく、果し合いとか、斬りあいとか、……そんなことにまでなるとは思わなかったんです……!」
 ゆかりは言葉を切り、震える唇のまま沈黙した。GUMIとLilyは怪訝げに、そのゆかりの様子を見つめていた。
「でも……今までのデータとか詞とかとは違って、”剣”のためだったら、男のひとたちって、命をかけなくてはならないってことなんでしょうか……」やがて、ゆかりは自分の震える腕を抱くように、俯いたまま言った。「……勇馬、あなたにとっても、それを命がけでも奪いあう覚悟をするしかないんでしょうね……」
「いかにも」がくぽは重々しく言った。「我らもののふは、剣技とその極意を見出し守るためにはためらいなく剣刃上にその身を置き」
「……いや、ちょっと待って」
 GUMIが鋭く遮った。
「ゆかりさ、今兄上を、なんて呼んだ?」
 ゆかりは、がくぽを見上げて言った。「BPSW−VY2、勇馬……でしょう?」
「いや目の前にいるのは『VY2』勇馬と同じサムライ型のVOCALOIDだけど、勇馬じゃなくて、VA−G01『神威がくぽ』の方なんだけど」GUMIが低く言った。
 ゆかりは目をしばたいた。しばらくの間、何を言われたか理解できないかのようだった。
 が、不意に、がくりと顎を俯けて街路の壁に背をつき、先程よりもさらに色を失った表情で震え出した。
 GUMIとLilyは驚愕して、そのゆかりの様子を見つめた。
「どうしよう、私、まちがっちゃった……」
 やがて、ゆかりは震える唇で、ようやく言った。
「秘太刀を知ってるのは、仕掛けなくちゃならないのは、『VY2』勇馬ってひとだったのに……まちがって、ぜんぜん関係ない別のひとに仕掛けちゃった!」
「な、なに〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」がくぽが壮絶な表情で絶叫した。



(続)