神威女難剣紫雲抄(4)


「貴方の言っていた”遊雲”という剣技について、一通り調べましたが」
 《秋葉原(アキバ・シティ)》の芸能事務所の電脳エリア、スタジオ・スペースのひとつで、巡音ルカ神威がくぽとGUMIに言った。がくぽとGUMIが例の暗黒卿に出会い、謎めいた”遊雲”なる秘太刀について聞かされてから、何日か後のことである。
 この日は、がくぽとルカの、一連の収録のいくつかが済んだ後だった。神威がくぽとは同業で《札幌》の別の事務所に所属する芸能AI、VOCALOIDである巡音ルカは、電脳技術と芸能の中心地であるBAMA(北米東岸)帰りで、ほとんど第一世代VOCALOID級の、仮法使(ヴァーチュアーソ)としての能力を持っている。収録の合間に、技術面についてがくぽやGUMIが話を聞くことはこれまでにも多くあった。……今回、ルカのその電脳技術を頼りに、遊雲の秘剣についてのみ相談したが、無論それ以外の事情はまだ一切、何も話していない。
 巡音ルカ神威がくぽの関係は、いささか複雑である。がくぽの方が若干リリースとデビューは早く、VOCALOIDとしては先輩である。しかし、がくぽは登場した直後、それまでにネットワークで人気を得ていた《札幌》のVOCALOID5声と比べて、その人物像(キャラクタ)は明らかに浮いており、ひとまとめに言及されたり仕事をすることは少なかった。そして、巡音ルカも《札幌》の前の5声と比べてリリースに間が開き、また一種別物のように受け取られることが多かった。そんな共通点のせいか、がくぽとルカはそれぞれ《札幌》と《大阪》の同僚らよりもむしろ、なにかと、このふたりで組にされることが多かった。
 そんな両者の間にあるのは何か――というよりも、毎回、ルカの側がほぼ一方的に、無言のうちに、がくぽとの間に無理やりに維持しようとしているように見えるものは何か――といえば、その惰性や、せいぜいがその惰性を維持するための根拠のない固執以外のものではない、ということになるのだろう。ルカのがくぽへの平坦で無表情な喋りを聞くたびに、がくぽはそう思う。ルカはどんな相手にもそういう喋りをするのだが、少なくともがくぽに対しても、その点については何も特別ではないように見える。
「”遊雲”なる太刀名儀は、逸刀流(いっとうりゅう)にも、新翳流(しんかげりゅう)にも、申刀流(しんとうりゅう)にも、さらに囃咲流(はやしざきりゅう)系の居合流派にも、これらの傍流や分流にも存在していません」
「あるいは、元から我の修める神午流(じんごりゅう;神後伊豆新翳流)にも有る技かも知れぬのだが」がくぽは低く言った。「神午流の中でも、我は知らぬ、あるいは伝授されていない技かもしれぬのだ……」
「あるいは、神午流には別の太刀名儀で伝わっているのかもしれません。逸刀流の”払捨刀(ほっしゃとう)”が、心形唐流(しんぎょうとうりゅう)では”錺捨(ぼうしゃ)”に当たる、といったものです」ルカが平坦に続けた。「その”遊雲”が、実は神午流の別の勢法を指している、ということは無いですか。具体的な太刀働き(動き)については何かわかりませんか」
「それはわからぬ。……わかるのは、太刀名儀だけなのだ」
 がくぽは考え込んだ。あの暗黒卿、”七人組”のひとりなのか否かは不明だが、その意図は何か。少なくともがくぽに秘太刀を使わせようとしている、ということは、それは、がくぽが何らかの手段で使える技であると考えるしかない。あるいは、探しても余人には簡単には見つからないものを、がくぽに探し出させることも含めているのか。
「それにしても、ずいぶんと急な話ですね。何か、勝負太刀、秘剣を使うような必要にでもかられているのですか」ルカは平坦な口調のまま、がくぽとGUMIに尋ねた。
「い、いや……」
「演武の収録ですか。誰かとの試合ですか」
 慌てて口ごもるがくぽに、ルカはどちらかと答えても続いて綻びが出そうな詰問を静かに繰り返した。
「特にない。ただの剣術修行だよ、兄上の」
 GUMIが先に口を挟んだが、この時点までで充分に、がくぽの慌て方は不自然だった。毎度のようにまったく無表情ながらもがくぽを凝視するルカは、果たしてそれに気づいたか、どうか。



「何かわかった?」スタジオの外で待っていたLilyが、がくぽとGUMIに言った。
「わからぬ」
「まあ、収穫は当てにしてない。むしろ兄上が余計なことを言わなくてほっとした」GUMIが言った。技術面ならともかく、こういった込み入った事件の根本的解決については、巡音ルカは悩みを増やしこそすれ、何かの解決になったためしはない。むしろ、この手の面倒の中心部分にルカを関わらせるのは、なんとしても避けたいところだった。
「兄上はその秘剣が出せないと、たぶんあの暗黒父(ダースペイタ)に斬られるけど、すぐ出せるようになりそうな手がかりはなし」GUMIは歩きながら、両のこめかみに人差し指を当てて回す、知恵を絞る時の例の仕草と共に言った。「でもその秘剣が何なのか知ったところで、すぐに出せる、使えるもんなのかなぁ。――てか、その秘剣を知るとかより、なんとか和解ってか、戦わないで済む方法ってないかなぁ。もし戦って向こうを斬ったとしても、後味が悪そうだし」
 がくぽは沈黙した。脳裏に、あの結月ゆかりの顔と、”七人組”に護られているためという人妻じみた温和な空気の記憶がちらついた。自分はそれを、ゆかりの平穏を破壊できるのか。
「和解ってどうやるのよ」LilyがGUMIにまた尋ねた。
「んー、ゆかりの方をなんとかこっちに丸め込むとか……」GUMIが指を回しながら考え込んだ。
「兄上自身は和解できると思うの?」Lilyが怪訝げに見上げた。「何かいい手がある?」
 もし、ゆかりが七人組と共謀してか、あるいは命ぜられて、自分を策略にはめたとすれば、結月ゆかりは、憎むべき敵のひとりだと考えるのが道理である。……しかし、がくぽには何故か、あのゆかりに対する、憎しみが沸いて来なかった。あの月下のあの儚げな笑顔、暖かい肌の感触の記憶が、なぜか、別の色に穢れ霞むことはなかった。がくぽはそれを思い出しながら、とりとめもなく思いを馳せていた。
 やがて、がくぽは顔を上げた。とはいえ、特によい考えが浮かんだわけではない。
「うむ。……自らの道が見えないときにこそ、導き手となる当てがある」
 GUMIとLilyはがくぽを意外そうに振り返った。
 がくぽは妹らを連れて《神田》のスペース内をしばらく歩いた。……やがて、がくぽの足が向かうその先には、『主婦に人気! 星空ハグの星占いコーナー』という看板が見えてきた。
「なんでそうなるのよ」Lilyが呆れたようにつぶやいた。
 が、3兄妹のVOCALOIDらがそのサイトの入り口に向かおうとしたとき、ほんの少し少女趣味な装飾の扉が開いた。ちょうど中から出てきたその人影は、そちらに向かいかけていた3声に気づいて、振り向いた。
「……あ」
 月夜の下で、そして《上野》のポスターで見たあの姿である。



「ゆかり!」
 そのがくぽの声に、なよやかな姿はさっと身を翻した。そして、ためらいもなく駆け出した。その姿は《神田》周辺のエリアの縦横に道行く人々の中にまぎれ、たちまち見えなくなった。がくぽががむしゃらに走り、一歩続いてGUMI、Lilyもその姿を追おうとしたが、すでにその姿はまるで見えなくなっていた。
「いや、こりゃもう無理だ。追いつかない」GUMIが言った。
「俗物が! 逃げられると思うな!」
 突如Lilyが叫ぶと、その上衣の(とても丈の短い)裾をばっと翻した。服の下からは、いったいどこに隠れていたというのか、小さな空飛ぶ生き物が羽ばたき飛び出した。2体のそれは、Lilyの姿を著しく簡略化し漫画的にカリカチュアしたような容貌を持つ、しかしてのひらサイズの、槍を持ったミツバチのようなクリーチャー・プログラムだった。LilyのAIシステムの下位(サブ)プログラム、電脳空間内で情報収集や作業その他を行う多目的の下部端末である。
「いけっ! ウィルトン! ウィルティーノ!」
 2体のミツバチはその号令に応じたかのようにホバリングで浮き上がると、直後、弾丸のように一気に宙を駆けた。人ごみの中に突っ込むと、軌道を変える際の羽音が激しいドップラー効果と共に尾を引いた。
「ええい! このあたりで極端にエネルギー反応の高いやつ、AIを狙えっ!」
 てぃきぃぃぃぃぃぃん。Lilyの眉間から稲妻が走った。
「見えるぞ! そこかぁっ!」
 甲高く響く羽音と、かなり奥の路地で物音がした。万事に音量が異常なのは、所詮はLilyも(多分に、その今の標的も)VOCALOIDすなわち音響AIであるためである。
 がくぽとGUMIとLilyがその方向目指して駆けていくと、行き当たったのは裏路地の行き止まり近くだった。
 その路地の壁に背を当てて、『結月ゆかり』は、黒い上着ごと自分の肩を抱くように震え、文字通りに立ちすくんでいた。そのゆかりに対して、Lilyのミツバチは2体で巧妙に挟み込むように位置をとり、どちらかの方向に少しでも動けば突き刺さる状態で槍をつきつけている。



(続)