神威女難剣紫雲抄(3)


 その暗黒卿の言葉にがくぽと、それに劣らずGUMIも硬直した。
「何……」がくぽはやっとそれだけ声を発した。
「君が結月ゆかりに手を出した、もっと具体的には、うちのゆかりと”肉体的接触を伴う交渉を持った”、ということさ」
 GUMIがぎょっとしてがくぽを振り向いた。
「……誰から、左様なことを?」がくぽは静かに言った。
「無論、ゆかり本人からだよ」暗黒卿は平然と続けた。「そう言ってさえ、しらを切り続けるつもりは君にはないだろうね?」
 GUMIががくぽを見つめたまま息を呑んだ。
 がくぽの方は暗黒卿を睨んだまま、警戒するように、一歩をすり足で退いた。
「……そなたは、一体」
「結月ゆかりを大事にする者、とだけ言っておこう」暗黒卿は軽い口調で続けた。
「”七人組”のうちのひとりか?」がくぽは、今しがた氷山キヨテルから聞いた語を思い出して言った。
「さてね」
 暗黒卿は軽く返してから、
「『結月ゆかり』は、ただでさえ、”あいどる”としてデビューして日が浅いのでね。良かれ悪しかれ、直後に何らかの評判が立つと、そのイメージに与える影響が大きいわけだ。特に、悪評が立ったらそれきり。芸能生命には致命的だ。……ほら、特に、そこの動画サイトとか、その周りのネットには、『処女厨』ってのが居るだろう?」
 GUMIがとびあがった。
「そこまでのことはしておらぬ!」がくぽが上ずった声で言った。
「それはゆかりから聞いているよ」暗黒卿の声には、動転しすぎているがくぽの様子を面白がるような色さえあるが、その表情は兜の下でわからない。「本当は”どこまでのこと”をしたのかもね。だけど判断するのは、ゆかりではないし、我々のどちらでもない。噂をするのも、イメージを受け取るのも、話を聞く方だとか、ファンの方だ。君はゆかりに対しては、そこまでのことをしたわけじゃないが、そういう噂は立ちかねない状況に持っていった、ということだ。その責任は感じて貰うよ」
 暗黒卿は恐ろしげなくぐもった機械音声、かつ、なめらかで軽い口調を続け、
「君は我々のようなゆかりの保護者やファンに、背中から刺されても仕方の無いことをした、それは警告しておく」暗黒卿は饒舌に続けた。「だが、我々は意趣返しで背中から斬ったりはしないよ。それは今、こうして警告に現れたことからもわかると思う。――あくまで正面から、片をつけさせて貰う」
「つまり、剣で始末をつけようというわけか。果し合いか」がくぽは呻いた。
 しかし、ひっかかる点はあった。例えばこれが”サムライ”同士の片のつけ方ならば、剣にものを言わせるのはまっとうに見える。以前、がくぽは同様の武士型のAIである、VY2やOgun-chanとの間に、似たような状況に陥ったことならあるのだ。しかし、もし目の前の相手が”七人組”のひとりだとすれば、技術者――ゆかりをプロデュースする芸能アーティストが、しかも、がくぽのような高位AI、高い電脳戦技術を持つ情報生命体に対して、あえて自らもそんな危険をおかすような提案をするのは、何かが不自然だ。がくぽにさえ、それを不自然と感じる洞察はできないでもない。
「剣技で抵抗してみるがいい」暗黒卿は言った。「もっと言うと――君の名誉とひきかえに、こちらが欲しいのは、君の持っている秘太刀、電脳戦(コアストライク)技術、AIの技術だ」
 芸能AIであるがくぽが持つ電脳空間内での”剣技”は、つまるところ演武であり、例えばアクション俳優のパフォーマンスにも通じる技芸として持っているものであるが、この技芸は同時に、AIにとっては想像力とウィットが物を言う電脳空間内での電脳戦(コアストライク)技術にも他ならない。その中でもいくつかの、『秘伝』と呼べるものは、能などの演芸における秘曲の類と同様に、無闇に見せるものでもない。
 凄腕のウィザード(電脳技術者)であれば、いかなる犠牲を払ってでも、そうした電脳戦の技術と情報を得ようとするであろうし、凄腕のプロデューサーであれば、その技芸を自分達のプロデュースする芸能に応用するために、いかなる手段を用いてでも入手しようとするだろう。……そして、目の前にいるのが仮に”七人組”のひとりで、氷山キヨテルの言葉を信じれば、その両方に該当するというわけだった。
 が、そこでがくぽは不意に気づき、顔を上げて言った。
「まさか、そのために?」
 あの夜、ゆかりががくぽに近づいたこと自体が、策略か。技術者である”七人組”は、がくぽから”電脳戦技術”を奪うために、手駒のゆかりをけしかけて、がくぽを嵌めたというのか。
「卑劣極まりないではないか!」
 暗黒卿はそのがくぽの剣幕を、単に聞き流すように平然と、「もちろん、受けるかどうかは今すぐに決めなくてもいい。だけど、放って置いたり逃げ出したりするようなことがあれば――ゆかりとの間にあったことがこのネットワーク上に広まれば、君の方もVOCALOIDとして、いや、サムライとして、芳しからぬ評判が立つことになるだろうね」
 暗黒卿はわずかに足場をかえ、がくぽを別の方向から見回すようにしながら、
「剣技を見せてみたまえ。――特に、君の持っている剣技の中でも秘中の秘剣。”遊雲”の太刀法」
 その言葉に愕然としたように、がくぽは表情をこわばらせた。
「今回は間違いなく、それが必要だろう。それを遣って見せなければ、生きて帰れないことになるだろうね」
 がくぽは面(おもて)をこわばらせた。その表情を、GUMIが伺った。
 ……暗黒卿が姿を消してからも、がくぽとGUMIはその道にしばらく佇んでいた。
 やがて、GUMIがおそるおそる声をかけた。
「あのさ、兄上……」
「かの者の言うた、その通りで間違いはない」がくぽは低く言った。「さきに夜道で、結月ゆかりと遭(お)うた、そのときに――」
「――”あいどる”同士のスキャンダルっぽく見られても仕方のないような場面があった、と」
 GUMIは、がくぽの言葉の切れた語尾のその沈黙の、あとをひきとって言い、
「いや、細かい事情まではよくわかんないけどさ……今回もまた、女が原因でえらい災難に、しかも、もう既に巻き込まれてるのはよくわかるよ」
 あの暗黒卿の言葉を信じるとすれば、あの者が、結月ゆかりを囮にして、がくぽを嵌めた。めったなことでは一般の人々が垣間見る機会のない高位AIの持つ技術、がくぽのAIの電脳技術、秘儀、つまり秘太刀の技を引き出すために。
 それでも、まだ謎はかなりある。あの暗黒卿が、はたして本当に”七人組”のひとりなのか。ゆかりはあの暗黒卿に、あるいは”七人組”に、利用されただけなのか、偶然なのか、それともこの企てにどこまでか噛んでいるのか――



 だが、それらを置いてさえ差し迫った問題、さしあたってがくぽの生命に直接に関わりのある問題が、ひとつあった。
「……”遊雲”とは、何なのだ?」
 今、あの暗黒卿の言った秘太刀の名について、がくぽは自ら使うどころか、そんな技の太刀名儀は聞いたことさえも無いのだった。



(続)