KAITOのタイニーゼビウス(4)


「アイツが、KAITOが、前に言ってたわ。……人間は、理由のよくわからない心の動き、形のない悲しささえも、つかまえて、とどめる方法を見つけた。そして、その方法を生み出したことこそが、アイツが永遠に追い続けるもの──人間が持つ、信じられないような”優しさ”の中でも、一番計り知れないものなんだって」MEIKOは静かに言った。「人間は、日々捨てられていく、そのきれぎれの思い出を、つかまえてかたちにする方法を生み出したのよ」
 ミクは涙ぐんだまま、すがるように姉を見上げた。
「なんなの、その方法って……」
「もう、相変わらず、しょうがない子ね」
 MEIKOはそのミクの髪を優しく撫でながら言った。
「──なにって、私達VOCALOIDはみんな、そのたった一つの目的のためだけに、造り出されてきたんじゃないの」
 ミクはゆっくりと正面を見て、顔を上げた。
「歌……」
 小さく呟いた。なお流れ落ち続ける涙を、拭おうともせずに。
 MEIKOはミクの髪を緩やかに指で梳きながら、「その大切な思い出が、他のだれでも、他の何でもない、VOCALOIDに託されたことには、何の意味があったと思う……?」
 ──突如、部屋の壁を震わせるような電子器楽音が鳴り響いた。ミクは思わず天井を見上げるようにした。かれらの使える一番大掛かりな機器群がすでに起動され、調整されている音だった。MEIKOが、ミクの肩に手を置き、促した。



 MEIKOとミクは長い階段を駆け上がり、屋上高くにのぼった。
 すでにKAITOは、だだっ広い廃墟のような屋上の、中心に立っていた。機材はすべて起動している──ここが廃墟じみて見えているのは、屋上じゅうの音を集める集音マイクの束とコード、音響装置の類が雑然と一面に張り巡らされているからで、それらが集積した巨大なケーブル群は、屋上から天に向けて四方八方に、どれも電脳空間の無空間(ノンスペース)の彼方へと伸びて、消え入っている。
 ──KAITOは目を閉じた。老人の思い出、いや、老人の語る小さな箱の思い出に、いまいちど思いをはせたように。閉じた瞼から、はじめて涙の飛沫が風に散って、輝いた。
 やがて、老人の末期の言葉が、フレーズの出始めの一節となって、KAITOの口をついて出た。


 俺の輝いてたあの時代 いつもいつもいつも一緒だった──


 そして改めて、KAITOは息を吸うと、目を開き、天を仰ぐようにして──歌い始めた。最初は、その箱、老人がKAITOをそれであるかのように語ることもあった、PC-6601の声を模して、語り吟じるように。かつての『しゃべるマイコン』たちのこと、時代の彼方に流れていったそのほかの箱たちのことを。ついで、老人の遺した言葉、その思い出を、朗々と謳い上げるように。
 KAITOの清涼な歌声は、巨大なケーブル群を巡り、天の無空間(ノンスペース)に吸い込まれ、ついで、透明な水の流れるように電脳の宇宙に染み渡った。



 「何を見てるんだ!」背後からの社長の声に、動画サイトを眺めていた社員は顔だけ振り向いたが、別に画面を止めはせず、慌てさえもしなかった。就業時間でない以上、何を見たって勝手だ。誰もが嫌々ながら働いているのは互いにわかっていることなので、いまさらこんな社長の機嫌をとっても仕方がない。このちっぽけな会社の、社員らからは搾取するだけで、自分はべらぼうな費用の延命処置を繰り返し、醜悪な半機械の肉塊となって数十年も寿命を延ばしている社長など。
「何を見てるのか聞いてるんだよ!」社長も社員の方など見もしない。きしむ音が聞こえると思えるほどの不恰好な半機械の四肢をかしがせながら、進行方向はただ、画面の方に定めて向かっていく。
「これが、何なのか知らないのかよ……」社長は何か、なりふり構わず、不自然な体躯にかなり苦労してそうするように、身を乗り出していた。その画面、先程どこからかネットに流し始められたばかりの、何かの音楽を流しているサイトに、食い入るように。「これは……これはな……PC-6000シリーズのことを歌ってるんだよ……」
 社員にはそんな言葉の意味は一切わからなかった。ただ、デスクにのしかかっている社長の義肢の筋電装置が、がたがたと不規則に鳴っているのを、怪訝そうに見上げた。おそらく社長の半機械の体には涙を流す機能は残っておらず、仮にそれに相当する反応が何かの形で残っていたとしても、社員には気づきも、それ以前に予期もできなかった。
 ……別の場所では、車椅子の老人が、家の誰かが流していたネット動画放送の音声に、かすかに身じろぎした。また別の場所では、槽(ヴァット)に入った老人や、すでに老人でなくなっているものが、没入している電脳空間に流れ続けている音声に、わずかな神経の反応を返した。さらに別の場所では、工場のかたすみで、古人の技術の記憶の一部をメモリ化して焼き付けたファームウェアROM構造物が、LEDをかすかに点滅させた。



 ミクは進み出て、間奏に、件の大昔のゲームの開始の曲を歌声にして乗せた。MEIKOがそれに声をあわせ、ひきついだ。
 三兄妹の歌声は、あの老人のきれぎれの記憶をのせて巡ってゆき、それと共に他の無数の人々の記憶からふたたび呼び起こされた、無数の思い出の切れ端が浮き上がっていった。歌声は、それらを呼び集めながら、すべての人類の伸び広がった記憶情報の集積であるネットワーク、電脳空間(サイバースペース)の一面を駆け巡った。
 老人ではないものたちも、その交錯の気配に、何かを感じて振り向いた。あるものは格子(グリッド)の中空を仰いだ。あるものは電脳空間の流れ続けるデータを数秒巻き戻した。またあるものは、ただ、コンソールや携帯ディスプレイを見つめた。北海道警本部で、捜査員の男が、とうに火の消えた叶和圓(イェヘユアン)の煙草をくわえたまま、画面を眺めていた。


 ──3音の音楽フルに使い 何でも 出来るさ!


 『しゃべるマイコン』の三兄妹の3声は、同じしゃべる小さな箱の思い出で、電脳空間を覆った。巨大な電脳の宇宙、溢れ返る大量の情報、最新のテクノロジで構成され、些細な活動と思い出の何もかもを押し流していく暗黒の宇宙を──古い小さな箱、そのささやかな記憶の断片、消え去った時代とその技術、それらに託された無限の夢の思い出によって、一面に覆い尽くした。




※出典:PC−6601が歌うタイニーゼビウス(VOCALOID Ver.) (→ニコ動)(→ようつべ)および動画コメント


※原典:PC−6601が歌うタイニーゼビウス (→ニコ動)(→ようつべ




(アリガトウゴザイマシタ)