電脳造形工房記(前)

 アリシア・ソリッドは手の長槍のようなビーム彫刻刀を傍らに立て掛けると、つい今しがた出来上がったばかりの立体モデル、高解像度疑験構造物(ハイレゾ・シムスティム・コンストラクト)を手にとった。
 質素でごつごつした、いかにも手作り感あふれる焼き物の壺をアリシアは手の上でゆっくりと回した。
「むむっ……………………うむむむむむむむむむむむむっ」アリシアは壺の表面を凝視しながら唸り声を発した。「これは……このポリゴンの集中の不均一がもたらす荒々しさは……法線方向の微妙なずれとスフィアの加算がもたらす古錆びた色合いは……」
 アリシアはぶつぶつと(口調の割には甲高くうるさい声量で)独り言を続けていたが、
「イッカアアアーーーーーーン!!!」
 天を振り仰ぎ、突如、その壺を壁に向かって投げつけた。
 このアリシアの仕事場、『ニコニ立体窯元』の壁は、釉薬が塗られる(セキュリティで保護される)前の単純な構造物(コンストラクト)が壁に激突すると、粉々に断片化(フラグメンテーション)し、自動的に消去されるようになっている。個人レベルのPCなどのオペレーティングシステムの通称「削除」「フォーマット」とされる操作は、ヘッダを書き換えて見えなくし、上書きされるまで放っておくなのだけだが、この仕事場のエリアは、そうした余剰データを投棄した時点でわざわざ完全に断片化し破壊するようなシステムが埋め込まれていた。さもなくば、アリシアの仕事場は、毎回割った壺などの構造物の残骸でまたたくまに一杯になってしまうためである。
 しかし、今回投げられた壺は、そのように壁にぶつかり断片化することはなかった。投げた直後、仕事場の入り口の暖簾をくぐって入ってきた鏡音リンが、その軌道上に現れたからである。
 リンはひょいと首を曲げて、飛来してきた壺をやりすごした。壺はリンのすぐ背後にいた鏡音レンの顔面を直撃し、レンはしばらくヒビの入った壺を鼻面にめりこませたままその場に棒立ちになっていたが、やがて膝からその場に崩れ落ちた。
「違う! わしが求めていたのはこんな出来ではないわ!」
 宙を睨んで独り言を叫んだ後、アリシアは仕事場のほぼ真ん中に立っているリンと、床面を占拠するかのように長々とのびているレンに気づいた。
「何だおぬしらは! ここは神聖な窯場だぞ。土足で入り込みおって」アリシアは傍らのビーム彫刻刀を執ると、石突きをかれらに、ついでリンの背後のある一方向を指した。「というかニーソックスと一体化したその靴3Dモデル構造の存在そのものが土足ではないか!」
 リンが振り向くと、いつものようにリンとレンから数歩遅れて初音ミクが窯場に入ってきたところで、アリシアの彫刻刀の石突きはこのミクのオルゴールの精霊(オルゲルガイスト)と呼ばれるその服装の、足元を指していた。
 ミクは反応に困ったように目をしばたいていたが、やがて、かけられた言葉と特に関係ない言葉をアリシアに返した。
「……あの、ニコニ立体ちゃんさんですか」
「ちゃんさんって何だヨ」リンがうめいた。
「いかにも『初代ニコニ立体ちゃん』アリシア・ソリッドとはわしのことである!!」
 アリシアは胸(リンと比べると微妙だが、確実にミクよりは平たい)を張り、がんとビーム彫刻刀の石突きを床に叩き付けた。
 二代目以降がいる気配がないのに『初代』とは何のことかとリンは思ったが、聞いたところで納得できる答えよりも面倒の方が降ってきそうなので、やめておくことにした。同行しているミクやレン(床から緩慢に起き上がろうとしている)に目を走らせたが、このふたりがそんなことに気付く心配はない。
 ともあれ、初代だか何代目だか知らないが、『ニコニ立体ちゃん』とは名の知れた立体造形師だとリンは聞いていた。この界隈を(この言葉の意味もリンにはよくわからなかった。最近はこの周辺というのがVCLD界隈なのか、mmd界隈なのか)象徴する(象徴するとは腕の良さと関係あるのかないのかもリンにはわからなかった)アーティフィサーであると聞き及んでいる。今回そんな造形師のもとを訪ねたのも、とある3Dモデルの依頼のためだが、はたしてこの者を訪ねたのが適切なのかリンには甚だ疑わしく思えた。
「このニコニ立体窯元におぬしら何の用か!」ビーム彫刻刀を構えて見得を切るような(おそらく何の意味もない)ポーズと共に、アリシアは3声のvcldをねめつけた。
「あの、ええと」初音ミクが、丸めたポスター(の形状をした画像ファイル)を取り出して言った。「作って欲しいものがあるんですけど……立体モデルに」
「む?」アリシアはミクを振り向いた。
 ミクはその場でポスターを広げてアリシアに見せようとしたらしい。が、元々ホワイトボード等に貼って議論するための大きなポスターは簡単にはそうはいかず、一部を広げようとすると一部が丸まり、ミクはリン、レンとアリシアが突っ立っている前で、何分間かの間そうやって無駄な悪戦苦闘を繰り返した。
「ええい! じれったいわ!」アリシアは再び天井がびりびり鳴るような甲高い声で叫んだ。「プロジェクターくらいうちにもあるわい!」
 アリシアは工房の片隅の散らかった工具置き場にのしのしと歩み寄り、器具を探した。「ううむ……どこへやったかのぅ……」
 アリシアはそのまま、身をかがめて工具の山を引っ掻き回し続けていた。ミクのポスター以上に長い時間が経った。
「……ほんとに任せていいんだろうか」リンは小声で隣のレンにささやいた。
 が、返事がない。見ると、レンは無言でアリシアの後ろ姿を凝視していた。背を向けて腰を突き出したまま探しているアリシアのその服装の、異常に露出度の高い下半身に、レンの目は釘付けになっている。リンはそのレンの顔面に裏拳を叩き込んだ。
「何見てんだヨ!」
「い、いや……」レンは鼻面を押さえた。
 とはいえ、リンもアリシアの後姿の、下半身に食い込んだ下着だか下穿きだかを怪訝げに見返した。いったいミクのニーソックスブーツをどうこう言えるような服装なのか。この界隈にいるとマスコットキャラのデザインの『アピールポイント』と『あざとさ』と『破廉恥さ』の境界がつくづくわからなくなってくる。
「ようし見つかったわい! 造形師たるもの原作を常に目の前に表示できるように機器を準備しておるのだからな!」これだけ時間をかけないと表示手段が出て来ない以上、常に準備しているとはとても思えなかったが、ともかくアリシアはアンティーク幻燈機のようなプロジェクターを持って戻ってきた。ミクのポスターの隅の曲りを伸ばしながらプロジェクターに挿入すると、空中のスクリーン(ホログラムウィンドゥ)に、画像が表示された。
「ステージ衣装の構造物(コンストラクト)、立体モデルを作って欲しいんですけど」ミクがスクリーンを示しながら言った。
「おぬしら何だ、芸人なのか」
 アリシアはその衣装のデザインと、ついで、vcld3声の服装を見比べ、それぞれ値踏みするようにつくづくと眺めてから言った。
「そしてこの衣装は、凡百の造形師ではなく、わざわざこの稀代の職人『ニコニ立体ちゃん』に頼まねばならんほどの貴重な品か、あるいは難物なのだろうな?」
 リンは、これまた厄介を予期したようにミクとレンに目をやった。が、
「いや、これ、他に誰も引き受けなかった面倒なやつだから……」
 レンがそう言いかけた。リンは肘だけ曲げて裏拳をレンの顔面に叩き付け、中断させてから、後をひきとった。
「人気投票で一番になった衣装。音ゲーに使うやつで、スポンサーが乗り気なんだけどさ。で、私らのデザインって、いつもは3Dモデラーも自分から作るって言い出すんだけど、今回なんでか、いつもと違って、作ろうと名乗り出る人がいなくて。それはわかんないけど、せっかくのファンとスポンサーの希望だからね」
「作るにはそれなりの腕が要る、難しい造形ということか?」
 アリシアは一旦は興味をひかれたようだった。プロジェクターの前に身をかがめて、描かれた衣装デザインを細部までしげしげと凝視した。が、
「ちっがぁぁーーーーーーう!!!」
 屈んでいたアリシアは不意に、飛び跳ねるように腰を伸ばして宙を仰ぎ、ついで身をのりだしてポスターの絵を指差し、
「この衣装デザインを作ったのは誰だぁっ!!」
「あんたが言うな」あざといだか破廉恥だかのアリシアの服装を見ながら、リンは、しかし彼女に聞こえない程度の小声で呟いた。


(続)