電脳造形工房記(後)


「だいたい今この場で誰が作ったとか言われたってさ」鏡音リンがつぶやいた。
「一般募集だよ。アマチュアの人気絵師」鏡音レンが、アリシア・ソリッドの指差している衣装デザインを見ながら、素っ気なく答えた。「スポンサーが募集して、投票上位のを、音ゲーに実装するって決めたんだ」
「絵描きサイトに転がっとる有象無象の素人か! 所詮はこの界隈特有のもてはやされた成り上がり二次絵描き風情だわい!」アリシアは、プロジェクターに表示された衣装デザインのそこかしこを指差し、「見ろ! 平面上に描くことしか考えておらん。こんなものを立体に起こせば破綻せずに済むところなどないわ。完全に造形が二次元脳になっておるのだ。立体造形のことをまるで考えずに立体衣装としようとする、文字通りに絵空事ではないか! こんなものが立体にできるかぁっ!!」
 ひとしきり叫び終わると、アリシアは腕を組んでふんぞり返り、かれら3声に一瞥もくれなかった。初音ミクは、そんなアリシアとポスターとを茫然と見比べるようにしていたが、やがてリンがプロジェクターのスイッチを切って画像ファイルを抜き出し、元通りに丸めた。
「今までの3Dモデラーが誰も作ろうとしなかったのは、そういうわけか。まあ、それについては、何かおかしいところがあると思ってた」リンは(無意識に師匠のMEIKOを真似て)けだるさを振り払うかの如く肩をすくめて言った。「断られちゃしょうがないよ」
「でも、どうするの……」
「どうするのって、帰るしかないよ。作れない物は無理なんだからさ」
「でも、ファンの人たちとかスポンサーさんとか楽しみにしてるのに……」ミクは寂しげに言った。
「スポンサーは楽しみにしてんじゃなくて、人気取りの打算」リンがミクの言葉に疲れたように肩をすくめて言った。「だから、どの3Dモデラーに聞いても誰にも作れないって言った、ってさ。スポンサーとかMEIKO姉さんにそう言おうよ。いくらアンケートで一番人気だったっても、立体化が無理なものはしょうがないって」
「誰にも作れない? 無理とな?」
 不意に、アリシアがとがめるように言ったので、リンは気抜けしたような表情で、すっかり忘れていたアリシアの方を振り向いた。が、
「バッカモーーーーーーーン!!」
 アリシアの怒号に、リンとレンは垂直に2フィートあまり跳び上がった。
「最近の立体造形師はどいつもこいつも簡単にすぐ、作れないだの不可能だの何だの抜かしおるわ!」
「いや、今さ、こんなものが立体にできるかって」レンがもっともな反駁を発した。
「できるわけないわ! 『立体にならないものは立体モデルも作れない』、それが成り上がり造形師どもの生半可な三次元脳だと言うとるのだ!」
 リンは眉をひそめた。無論造形のことなどわからないが、それにしてもアリシアの言っている意味がわからない。立体に起こせない(二次以外では破綻している)のに、立体モデルは作れるとは一体どういうことか。
「よいか、モデルを見る側は、常に一方向から見ることしかできん!」
「多角カメラを使えば」レンが口を挟んだ。
「それは平面画像を多数撮るにすぎん。すなわち、この電脳空間内に顕す限り、すべての物体は立体、三次でありながら、画面上のモデルは常に平面、二次なのだ! わしらCGキャラが二次でも三次でもないと言われる所以がそこよの」
 アリシアはまたしてものしのしと歩き、ミクの傍らを通り過ぎて、工具台に歩み寄り、がちゃがちゃと音を立てて工具を漁りはじめ、
「CGキャラのような低解像度疑験構造物(ローレゾ・シムスティム・コンストラクト)は、近くに寄れば、立体感を覚えざるを得まいし、視覚以外の感覚で感得せざるを得まい。しかしおぬしら檀上の芸人を遠くから見る者の場合は、誰もが一度には一方向の姿しか見えん! すなわち、常に平面に映る姿だけ見えるようにすれば足りるということだ」
 アリシアは仕事場の真ん中に、彼女自身とちょうど背格好の同じマネキンのようなオブジェクトをどしんと置き、ばさばさと布のような平面ポリゴンを無造作に積み重ねていった。
「3Dモデル、疑験構造物(シムスティムコンストラクト)を作るとは、それを視覚上、ひいては画面上で表示するということだぞ! それを軽々しく立体にならないからモデルにもできないとは、視覚上に表すということの意味がわかっておらんのだ!」
 アリシアは両足をふんばり、ビーム彫刻刀を構えてマネキンの上のポリゴンを削り始めた。ビームの粒子が耳障りな音と共に部屋のあちこちに飛び散った。
「作れるんなら最初からそう……」アリシアがわめき立てる中、レンが小声で言った。
「いんや、たった今作る気になっただけだロ」リンがうめくように言った。
 あまりにもうるさくめまぐるしいのでどのくらい時間が経ったのかよくわからなかったが、アリシアがビーム彫刻刀を下げ、作業を終えた。どちらにせよ、ひとつ丸ごと構造物(コンストラクト)を仕上げるのに驚異的なスピードであることは確かだった。
「よし、おぬし試着せい」アリシアはリンの腕をつかみ、工房の真ん中に引張っていこうとした。
「いやこれ基本はおねぇちゃんの衣装なんだけど」リンはアリシアにつられて歩きながらも、ミクを振り返った。
「おぬしが一番背格好が近いからだ」このアリシアのマネキン状オブジェクトに近いということは、要はリンの体型が一番アリシアに近いということらしい。「どうせ調整して全員分のモジュールにするのだろうが。完成してしまえば後はサイズを調整するだけだわい」
 アリシアはマネキンの台座にあるパネルを操作した。完成した衣装がエクスポートされ、ノイズと共にかき消えると、そこに立ったリンの概形(サーフィス)上に付与された。
 が、それを着たリンの第一声はほとんど悲鳴だった。
「なにこれ!? ほとんどスケスケだよ!?」
「それで問題ない」アリシアが胸(無い)を張って言った。「おぬし自身の目からは半身、特に下半身ほとんど丸出し衣装に見えておるはずだ!」
「そりゃあんたは下半身丸出しが問題ないみたいに言うけどサ」リンがうめいた。
「なぜかと言えば、布地のほとんどが、裏面にはテクスチャもセルフ影も反映されておらんからよ」アリシアは衣装の下半身の布地をつまんで言った。「どの布も裏側からは何も見えんのだ」
 すなわち、ある方向からは表面のテクスチャが見える布地が、別の方向からは裏面しか見えないので透明に見える。それを利用して、それぞれ表面の向く方向が違う多数の布について、見る方向によって見えない布がある。そのため、あらゆる方向から破綻のない形状だけが見えるようになっているのだった。
 が、ほとんどの布が裏面しか見えない着用者自身にとっては、当然ほとんどの布が見えない。
「いやこれなんていうかスースー感っていうかさ」リンが困惑していった。「着る方としては、てか着て無いっていうか、中途半端に半裸の変態露出気分だよこれ!」
「でも、周りからはどこから見ても着てるようにしか見えないわ……」ミクが驚愕して、そしてレンが何かを期待したように、リンの周りを回った。レンの期待に反して、外からはどの方向から見てもまっとうな衣装に見える。どこから見ても、少なくともポスターのデザインに対しては、まったく矛盾がないものに見えた。
「いやそんなこと言われたって自分じゃすぐには信じられないし!」リンは両腕で体を隠すようにしながら首を回して、何か透けた部分を探そうとしているレンを睨んだ。
「おぬし、着る側の気分ごときの贅沢を言いよるのか」アリシアが呆れたように言った。
「ごとき、じゃあないんだヨ」リンは眉を下げ、髪をかき上げて低く言った。「そりゃアーティストにとっては、どんな衣装でどんなステージに立てるかってのが、どんな気分になれるか、どんなノリで何ができるか、になるんだよ。いかんのか?」
「イッカアアアーーーーーーーーーン!!!」
 アリシアがビーム彫刻刀の柄を再びがんと床に叩き付けて一声、吠えた。
「おぬし、芸人であろうが! 『他者を魅せる仕事』ではないのか!? 絵師も造形師も皆同じだ! ならば、着る自分の方からどう見えるか、どう感じるかなどよりも、衣装を見る側の立場を考えて演ずるに徹することもできぬのか!?」
「……なんかさっぱりよくわからないうちに私まで説教されちゃったヨ」リンがうめくように言った。