かまいとたちの夜 第七夜 らぶ式とあぴミクの赫奕たる異端 (5)


「話したいか? 自分の身の上をさ」が、MEITOが言った。「だが正直、見つけたときの状況から察するに、話したがるような身の上とは思えないな」
「それに、話さなくったって、だいたい想像がつくよ」
 あぴミクの向かいに座っている短い青い髪の女性型ロボトライブ、KAIKOが、独特の澄んだ穏やかな声色で言った。
「よくあることだよ。その手の身の上、自称”マスター”の人間からどんな扱いを受けて云々、ていう話は、この千葉では、VCLDもどきのロボットからは、いくらでも聞くからね」KAIKOが続けた。「人間からひどい目にあわされただとか。正反対に、”自分は『マスター』だ”とかいう、服従してくれたり愛してもらうのが当然とか思ってる駄目人間が我慢ならないとか。この《千葉(チバ)》に来る理由(ワケ)は、大抵それだよ。他人に言えるような理由としてはね。特に、うしろの方の話が多い。……無理に聞き出すほど珍しい話でも、聞きたくなるような楽しい話でもない、ってのもわかってる」
 あぴミクは上目使いでKAIKOを見た。かれらもそんなクチか。この珍妙で不可解な顔ぶれを見るに、自分よりもよほど複雑な事情があるのか。
 得体の知れない男性型のMEITO。さらに、ロボトライブが2体もいる。1体目は、女性型のような気がするがどこか確信が持てない、目の前のKAIKO。そしてもう1体は、奥でまだ人型機械を整備している、らぶ式ミク。
 そして、今あぴミクの横の席にもう一体、おんだ式。明らかにロボトライブや単純な改造品ではないにも関わらず、らぶ式やKAIKOに不自然に面立ちや雰囲気が共通している、まさしく謎の一体。
 おそらく、自分以上の事情がある。いや、だとすれば、かれらもその詳細は話したくなどないだろう。


「で、どこから来ようと、どこに帰ろうと、あまりボクらには関係ない話ではあるけど」KAIKOが要った。「キミに、すぐに帰らなくちゃいけない所って、あるの?」
 あぴミクは沈黙した。
 前にいた場所に戻るなど、まっぴらごめんだった。
 前にいたといえば東京(トウキョウ)だ。無論、東京にはまともな生き方をするロボットやAIだって、人間だっていくらでもいるのだろう。”あいどる”としての本物のVCLD、例えば《神田(カンダ)》や《秋葉原(アキバ・シティ)》に本拠を持つ本物のAIたち、人間をマスターなどと呼ばないVCLDもいるのだろうし、おそらく、そんなことはさせないまともな人間もいるのだろう。
 だが、それはあぴミクには、もう二度と手の届かない世界だ。あの経験をしたあぴミクにとっての東京は、黒くよどんでいる。一連の出来事を知る者、またマスターとか名乗る者につかまったら。そんなやつの周囲にいるVCLD型ロボットもまた、味方とはいえない。
 マスターだとか名乗る人間なり、かれらにいいように操られるロボットたち、少なくともあぴミクの知る東京とはそれらが待ち受ける場所だった。かれらの間に入っていくこと、それより以前に、同じ都市で、やつらと同じ空気を吸うのさえ、まっぴらごめんだ。
「つまり、とりあえずは、急いでここを出ていかなきゃならないような、そんな理由は無いってことだね」KAIKOが言った。
 あぴミクは力ない目で、あやしげな面々を見た。この連中が味方だとも、にわかには信じられなかった。
「いや……あたしさ……いろいろ考えたのよ。倒れて、療養してる間ずっとさ……」
「療養しながらずっとって、アンタがずっとやってたのは寝てたことだけだぞ」
「考えたって、何を?」KAIKOが、MEITOが茶化すのをあっさりと流して問うた。
「そう長い間、厄介になってる、っていうわけにはいかないのよ……このまんま、何もしないってのも何だかさ……」
 長々とかれらに説明する気はなかったが、漠然とあぴミクの心中に決まってきていることがあった。
 自分はもう二度と、誰かや何者かに従い、言いなりになって生きることはできない。庇護されるだけの者や、何かの威をかさに着る人間には、しょせんはそうやって何かに引きずられて生きるしかない。
 自分はその世界を蹴とばし、別れを告げ、それとは違う世界に来た。その違う世界で生きるために何をしなければならないかは、見当もつかない。だが確かなことはひとつある。少なくとも、必要とされるのは、あくまで自力で生きることだ。
「だからまあ、もうこれ以上はあんたらの厄介にならずに、借りとか作らずに、自力でやってこうってさ……要するにまあ、そう思うのよ……」
「そう言うと思ってたよ。俺は最初から信じてたな」
「そう?」KAIKOが不思議なものでも見るように、MEITOを見上げた。
 MEITOはテーブルの傍ら、あぴミクに歩み寄った。
「なにせ、経費の請求もずいぶん溜まったしな」
 MEITOはあぴミクの目の前に、何かのプリント用紙を差し出した。
「にゃアんだァーーッ!? これはァーーッ!!??」
 用紙を凝視したあぴミクは、即座に絶叫した。
「何だもかんだもあるか。こっちとすりゃ、アンタを換金できる廃品のつもりで拾ってきたんだぞ。それが、治療なり療養なり、逆にカネを食い始めたんだからな」
 旧式のドットプリンタで印字された、ミシン目のついたプリント用紙には、こと細かな料金明細が、整然と表になって延々と続いていた。
「てかまさかその……あたしをッ……換金する気ィ……」あぴミクは料金表を握ったまま、かすれた声で言った。「またVCLDを奴隷扱いする人間に売り飛ばすとか、分解して部品にするとかァ……」
「するかよ。アンタにはそれ以上の値打ちがあるさ」MEITOが首をすくめた。「別の言い方をすれば、だ。少なくとも、そんなことで回収できる値段以上は、これから働いて返して貰うぞ」
「無限地獄じゃあねーかッてめェーざけんじゃあネェーッ」あぴミクが叫んだ。「キモオタの”マスター地獄”を脱出したと思ったら抜け出た先は借金取り立て守銭奴VCLD軍団の支配する労働地獄ってわけかよォッ!」
「MEITOはああ言ってるけど、別に、無理強いするわけじゃないよ」KAIKOが柔らかに言った。「これをカタに何か縛ったりとかは、別にしない。返せる時でいいし」
「だけどなあ」MEITOがけだるげに言った。「これからは自力で生きるだの、借りを作らないとか言ってるやつが、まさかそれしき返す能力もなしに逃げ出しはしないだろうな?」
「ヘイッ! てめー自身でも見返りしか考えちゃいねーようなヤツが都合のいい屁理屈を押し付けてんじゃあねーぜッ!」あぴミクがMEITOに指をつきつけてわめいた。
「いいか、よく聞きなよ」
 MEITOがテーブルによりかかって言った。
「アンタを捕まえてたやつら、『ボカロはどんなひどい目にあっても”マスター”に従うしかない』とかとか言ってたけどさ。あんなのは、嘘っぱちだ。誰にだって、ロボットやアンドロイドだって、どんなちっぽけな電気動物(アニモイド)にだって、自由や自立は手に入る」
 MEITOは言葉を切り、
「ただし――それには”覚悟”が必要だ。やつら”マスター”どもの想像、やつらの辿った目よりも、ずっと際限ない酷い目にあったって、それをつかみ続けるって覚悟が、絶対にな。誰にだって必要なんだ。ここにいるやつらは、誰だってできてる」
 あぴミクは口をひん曲げたまま、借金の書きつけられた紙を見つめた。
「料金の詳しい中身はおんちゃんに聞いてくれ」MEITOは親指で、あぴミクの向かいの席を指した。「その表を作ったのはおんちゃんだからさ」
「え」
 おんだ式は頓狂に、MEITOと、ついであぴミクを見返した。このガレージの経理や部品内訳を担当し、日々この手の表を作る作業に追われていたが、まさか自分が機械的に作っている中にそんなものの請求書まで含まれているとはさすがに思わなかった。
「やっぱグルかテメーわッ!! てかこいつらの財布の紐の大本を握ってる諸悪の根源がテメーってワケかッ!」あぴミクはおんだ式にテーブルごしにつかみかかった。「ツルツル無毛のあどけない初々しい肉体をしやがってからにテメーの中身のその心は使い込まれて色素が沈着したクレヴァスの肉襞のようにどす黒いってのかよコラァーッ!!」
「あの、ねぇ、落ち着いて」おんだ式はあぴミクの後半の台詞をなんとか振り払おうとでもいうように、いつになく饒舌に口走った。「ほら、わたしだって、そうやって、そんなひどい苦労とかじゃなくて、普通に暮らしてるし、だから、きっと信じて。ここ、そんなにひどい所じゃないから」
「うるへェーーッ!!」おんだ式の必死の反駁があぴミクに対してさほど説得力がないのも至極当然だった。


(続)