かまいとたちの夜 第七夜 らぶ式とあぴミクの赫奕たる異端 (3)


 ”自称マスター”はどこかから聞こえて来るその声に、意味もなく辺りを見回した。しかし、MEITOの姿はどこにもない。あのトレーラーの姿さえも、忽然と消え失せていた。
 かわりに目に入ってきたのは、さらに次々と現れる、『初音ミク』の中途半端でグロテスクな部品でできた”できそこない”の化け物たちである。どんなに見回しても、それらが次に襲う獲物は自分しかいない。そして、新しく現れたそれらだけでなく、すでに居るできそこないたちも、今の犠牲者を食い尽くしてしまえば、全部自分の方に来る。
 ”マスター”は自分が乗ってきた高級自家用車の方に駈け出した。あの高級で頑丈な車に乗ってしまえば、そして、その速度ならこんな半壊連中に追いつけるわけがない。
 しかし、すぐにその足が止まった。
 むしゃむしゃとウサギがキャベツを頬張るような音がさっきから続いていた。はぐれメタルミク(ミク型のバイオロイドを遺伝子改造したクリーチャー系の中でも、金属を主食とし貴金属を体内に蓄える習性を持つ突然変異種)の集団が、すでに残骸となった高級車に群がり、一心不乱に食い尽くしては、大半の無価値な樹脂やセラミックの部品を食い破り、卑金属をそこらに吐き捨てていた。
 その背後からも、次々と”できそこない”たちの姿が迫ってくる。直径1メートルほどの逆さまのミクの首から、筋肉質の腕だけ3本生えた代物の集団が、手のひらでゆったりと残骸の大地を踏みしめながら、火星人の来襲のようにひたひたと迫ってくる。”マスター”は絶叫し、声も枯れんばかりに叫び、手も千切れんばかりに両腕を振り回し、足を取られながらも走った。そんなことをしながら走れば、うまく逃げられないことは誰の目にもわかりきっていたが、絶叫その他の恐慌を伴わずにいられる意志力は彼には無かった。どう考えても、それ以上たいして長くは逃げられはしない。それは、”ボカロのマスター”などと名乗る者すべての、そう遠くない未来を暗示している――



 動くものが何もなくなった後は、静寂だけがその場を支配した。その見渡す限り残骸しか存在しない場所は、それらの出来事が起こる前と後で何も変わらない光景に見えた。
 が、突如、さきのエンジン回転音が一度だけなると共に、トレーラーがふたたび姿を現した。それ自体がガラクタの塊と大差なく、荷台にも廃品を山積みにしているこのトレーラーは、ほんの少し位置をとるだけで、まったく気づかれもせずに難なくこの光景の中にまぎれこむことができるようだった。
 今しがたの光景の一部始終を、トレーラーの運転席から眺めていたMEITOは、そのドアを開いて降りてきた。さきほどまで居た『人間』、さっき骨ミクに股を裂かれたりミクダヨ―に踏みつぶされた人間らは、残骸すらも食い尽くされて跡形もない。少し離れたところに、ブラック♪□ック※ツュ一タ一の一部だったばらばらの金属部品は残っていた。硬質合金の骨格から有機組織がそぎ落とされ、まるで薬品で綺麗に洗い磨いた骨格標本のようになっているが、ミク型クリーチャーでさえ食べ残したこの低品質の素材には、何の価値もない。
 MEITOはそちらには一瞥すらくれずに、あの”マスター”の乗ってきた高級車の残骸の方に歩いていった。はぐれメタルミクの群れは、ああいったセキュリティが厳しく分解に骨の折れる機械を食い尽くして解体し、その過程で、高級な部品や使いでのある鉄クズをあたりにまき散らして回収しやすくしてくれるのだ。
 と、そちらに向かうMEITOの足元に、一連の出来事の前にはこの瓦礫の山の中には存在しなかった、もうひとつの代物があった。
 それは、風雨ざらし、油や泥汚れにままの残骸の廃墟の中にあってすら、ひときわ目立つほどに際立って汚らしい代物だった。
 MEITOは、その代物、ぴくりとも動かないうつ伏せの『あぴミク』をしばらく見下ろしてから、その頭に靴の先を引っかけて、転がした。仰向けになった上の面はもっとひどかった。顔面といい、そこから下といい、汚物にまみれているというよりも、それ自体が不潔な汚物の塊のようだった。これが、廃墟に巣食う”できそこない”達にも見向きもされなかったのは、有機体系のクリーチャーたちが摂取するような生身の生き物でもなく、かといって、金属などの無機部品にも、値打ちのある部品や素材が特に見当たらないから、というのが実際のところであろうが――そんな理由よりも、こんな汚なくて臭い代物には、あのできそこないの連中ですら寄り付かない、という方が、よっぽどそれらしいと思えるほどだった。
 何か留意するに足るものがあるとは思えない、それどころか、頼んでも誰も引き取りもしないようなその代物を、MEITOは瓦礫の上に立ち止まって、しばらく見下ろしていた。



 《千葉(チバ)》の残骸だらけの廃墟の中に、これもできそこないの廃品がつなぎあわさってできているような、巨大なガレージがある。軍用車両でも軍用機でもいくらでも入りそうなほど、果てしなく長大に続き、その棟同士は空中廊下や階段が張り巡らされ、棟本体同様に酸性雨に晒されてところどころ色褪せながらも、残骸でできた迷宮都市めいた威容を形作っている。
 その巨大ガレージ群に、MEITOと廃品の山を載せたトレーラーが入っていった。トレーラーを、ひときわ大きいガレージ棟内に入れ、そのスペースの真ん中近くに停めると、MEITOはそのまま上階に続くトタンの階段を上って行った。ガレージの中にすでに居る、『らぶ式ミク』と『おんだ式ミク』の2体の方には、ただいまとさえ言わずに奥に引っ込むのは、いつも通りである。
 しかし、操作卓(コンソール)で資材の量を計算していた、おんだ式ミクの方は、いつも通りではないものを――トレーラーの上の廃品のうちでも最も手前に、明らかに見慣れないものを見つけた。残骸の上に大の字にうつぶせになっているのは、自分と同じ『ミク型』のアンドロイド――もっとも、そのあまりの汚らしさは、自分と何か共通点があるようには見えないが――であると気づくと、おんだ式は操作卓の前を離れて、荷台の方に小走りに駆け寄った。
「なんだ、それ要るのか」
 MEITOが階段の上で立ち止まり、おんだ式の方に首を曲げた。
「要るんなら持ってけよ。ただ、家の中に入れるんなら、よく洗っとけよ。見りゃわかるだろうけどさ」MEITOは首をすくめ、「これも見りゃ言う必要もないとは思うけどさ――まずはとにかく最優先で、パンツを脱がしとけよ。信じられないくらい汚れてるぞ」
 おんだ式は途方に暮れたように、ふたたび階段を昇っていくMEITOの大きな背中と、うつぶせのあぴミクのちっぽけな背中を見比べた。そして、助けを求めるように、同じガレージの中で作業をしている、らぶ式ミクを振り向いた。
 おんだ式の”姉”を彷彿させるような、(MEITO以上に)どこかおんだ式に面影の似たらぶ式ミクは、ガレージの壁際のうず高く積み重なった鉄骨やクレーンのそばに佇立した『強化外骨格(エクソスケルトン)』の上にいた。その外骨格は、装甲車を思わせる薄く粗雑な鉄板でできたものが、人間の(ただし身長は2倍ほどの)形状をしているような代物で、顔面のかわりにレール上を左右にスライド可能なターレットの三つ眼を持ち、その機械を人型にもかかわらず”人間”の印象からかけ離れた”戦闘機械”に見せている。
 らぶ式は、その人型機械の肩あたりに立って、2メートルほどのレンチを握り、それの各所の巨大な部品を次々にとりかえる作業をひたすらに継続していた。潤滑油と駆動圧液(ポリマーリンゲル)にまみれたフレームが露出するその機械の姿からは、らぶ式も油まみれになっていてもよさそうだが、彼女は一寸たりとも汚れてはいない。作業服の類も着ずに、”初音ミク”の衣装のまま真っ黒い部品の間をすり抜け上り下りするが、まるで汚れの方が、らぶ式ミクを避けていっているように見える。
 軍隊の整備工場の機器以上に寸分の狂いもない手つきで操作する間、らぶ式は、おおよそVCLD型ロボットでも際立って美しい眉の線を引いたようにまっすぐ描いたままの完全な無表情で、その額にも汗ひとつかいていなかった。――らぶ式とこの二足歩行機械との間には、だれにも余人の介入できない空気があるように思える。らぶ式とおんだ式は、これだけ面影も似ていて同じ機械だらけの間で生活していると、共感を感じないでもないはずなのだが、相変わらず、らぶ式の周囲だけが別世界のような空気はいつまで経っても払拭できなかった。
 その何とも言い難い感情と共に見上げているおんだ式の姿に気付いたのか、らぶ式は、手を止めないまま首を回し、そちらを見下ろした。まったくの無表情のまま、おんだ式の姿と、ついでトレーラーの上の汚れの塊を見つめた。
 が、そのまま何も表情も姿勢も変えず、作業に戻った。
 おんだ式は無言で再度、トレーラーの上を振り返った。これをそのままにしておく気になれない、という自分の感覚が、この千葉(チバ)の廃墟の中、ガレージに暮らす身の上では、むしろ奇異なのだろうか、と束の間思う。だが、普通の少女の感覚なら、これを見て放ってはおけないだろう。そして、その感覚を持つのは、今少なくともこのガレージの中ではおんだ式だけなのも、わかりきっていたことだ。せめて、今は廃墟に出かけているブラックスター(鏡音リン型のアンドロイドの一体)がいればと思うが、それを考えても仕方がない。
 おんだ式は眼をしかめ、酷い匂いの刺激を払うように、鼻の下を拭った。



(続)