かまいとたちの夜 第七夜 らぶ式とあぴミクの赫奕たる異端 (2)


 いつのまに、かれらから少し離れたその場に停車していたのは、旧式で大型の、武骨な鉄の骨組みが露出したような、輸送車両だった。トレーラーの荷台にはすでに大量の荷物、この周囲にいくらでも見られるようなガラクタがうず高く積み上げられている。
 その車両の運転席の傍ら、扉の外に、赤い服の男がよりかかっていた。
「いや、俺のことは気にするなよ」赤い服の男は乱暴な口調と言葉には似つかわしくない、文字通り歌うような美声で言った。
 さほど大柄でも筋肉質でもないにも関わらず、その妙に薄手の赤い上着と黒いアンダーの下から覗く引き締まった体躯には、何か異常な存在感があった。
「おい」”自称マスター”の隣にいた別の友人のひとりが、ささやいた。「こいつ、ボカロ型ロボットだ……」
 ここにいる”自称マスター”と友人らのVCLD廃は男性ばかりなためもあって、VCLD派生キャラクターのうち男性型のものには疎く、まして、"MEITO"という名はこの中の誰も知らなかった。
「失せろよ」あぴミクを蹴ろうとしていた一人が、そのMEITOを振り向いて言った。
「何しに来たの? 同じボカロだから、このミクを助けにでも来たの?」一段高いところに立ったブラック♪□ック※ツュ一タ一が、MEITOを見下ろして言った。
「でも、僕はミクのマスターなんだよ」”マスター”がにやついた表情をMEITOに向けて言った。「マスターはミクに何をやったっていい、なんでもできるんだよ」
「それに、お前はロボットなんだから、マスター以外の人間にだって逆らうことはできないんだぞ。アシモフロボット三原則でそう決まってるんだからな」隣にいた友人が、MEITOに何か法律文でも突きつけるかのように高らかに宣告してみせた。
 MEITOは薄着の赤い上衣の襟をすくめるようにしてみせ、
「言ったろ、俺のことは気にするなって。べつに邪魔する気なんてない。俺には関係ない話だからさ。なぜって、この千葉(チバ)ってとこじゃ、人間だろうがロボットだろうがマスターだろうがスレイブだろうが、何のちがいもありゃしないからな」
 全員が突っ立った。今のMEITOの言葉の意味が呑みこめずに、途方に暮れたようにその姿を見返した。
「ただ、こんな話を聞いたことがあるよ。そこのアンタさ、今、自分が”マスター”だとか言ってたけどさ。――このあたりには、”ボカロのマスター”とやらの扱いが、そこの汚物溜りよりもずっと汚らわしくて悲惨、てなVCLD二次創作もあるって話さ?」
 MEITOが言い終わらないうちに、周りの残骸の山そのものが、ざわりと蠢くように明らかに動いた。
 そして、突如、甲高い悲鳴、野生の獣の断末魔のようなものが響き渡った。
 それは、その場についで現出した光景に、恐慌を起こしたブラック♪□ック※ツュ一タ一の、その見かけからは信じがたい狂気の絶叫だった。


「オウガアアァァァ……ギシシ……ウシュルウシュルウシュル……」
 地の底から次々に湧いてくるようなそれらの声は、いずれも『初音ミク』の声、あの合成音声ソフトウェアや同型ロボットと同じものだった。無数の残骸がよろめき震撼し、それらの間から、あるいはそれらの一部が隠れていた姿を現した。どれを見ても”ミク型ロボット”の面影を一部に残すが、最初からそうだったのか、半壊した結果そうなったのか、いずれも醜悪なできそこないで、顔面の半分以上や四肢の半分以上が見るに堪えないようなねじくれた部品や残骸で置き換わっている。それらは何かの失敗作なのか、単なる廃品やら改造品やらなのか。その範疇にしても、決して動画サイトや、東京(トウキョウ)の街やロボット等を扱う商店では決して目にすることは無い類の、ある一線を超えた崩壊した世界の住人だった。
 ブラック♪□ック※ツュ一タ一の目の前に、ゆっくりと群がってきたものたちは、どれひとつとしてまともな四肢を備えたものはなく、胴体や首から直接飛び出したねじまがった金属フレームを不気味によじらせ、がちがちと耳障りな音を立てながら、のしかかるようににじり寄った。
 ブラック♪□ック※ツュ一タ一は半狂乱で手の日本刀を振り回したが、刃筋の立て方も知らずに振っているせいで、硬い金属骨格に鎬(しのぎ)の曲線が斜めにぶつかり、刀はその手から勢いよく弾けとんだ。ブラック♪□ック※ツュ一タ一は一瞬、自分の空っぽになった手を見おろしていた。
 が、そこに群がった代物らは当然ながら、丸腰の相手にも何の容赦もなかった。頭と胸と蜘蛛のような金属脚しかない”できそこない”ミクの、牙のかわりに生えた金属の棘、粘液のような低分子有機リキッドを滴らせた鋭い棘が、ブラック♪□ック※ツュ一タ一の手に、腕に、容赦なく食い込んだ。幾本もの棘が交差して露出度の高い衣装のあらわな肌という肌をばりばりと食いちぎった。ブラック♪□ック※ツュ一タ一の悲鳴が急に一段高く、獣を通り越して無機質の電子音のアラームじみてきた。
 他にも無数の”できそこない”らが次から次へと残骸の各所から姿を現し、群がるように這い寄ってくる。
「壊れてたり失敗作だって、ロボット三原則は絶対だろ」”マスター”の隣にいた友人が、人型ロボットであるブラック♪□ック※ツュ一タ一の末路を横眼で見ながら、震える声で言った。「こいつら全員、人間には手を出せるわけがないんだぞ」
 結局のところ、今泥沼の中に沈んでいるあのあぴミク、彼女を見下し軽視していたことが、かれら全員の命取りになった。あぴミクに股間を食いちぎられたり潰された者がいた、という事実、ロボットが人間に抵抗・反抗することが当然にあるという事実にも関わらず、かれらはそれを忘れていたも同然、そこから何ら新しい結論を認識していなかったのである。
 勢いを緩めずにじり寄ってくる無数の”できそこない”らの姿に、友人の男は思わずあとじさろうとした。が、足元に飛び出した残骸の鉄骨に足をとられた。その上にのしかかった”できそこない”の数体は、何もためらいはしなかった。
 この世のものとは思えない絶叫、人間のものにも関わらず、これらの機械の怪物らにも到底出せないような悲鳴が響き渡った。
 友人の両足が一気に左右に引き裂かれたのだった。あぴミクが潰したような股間どころか、その周辺の肉がゆっくりと貪り食われていった。さらに絶叫が迸った。
「んふんふ……美味しひい……」
 初音ミクの顔に、口のかわりに上顎からじかに合成樹脂の触手が無数に生えたできそこないの一体が、その触手で男の股間の貪りながら言った。『初音ミク』の声は合成音声なので、必ずしも喋るのに口は必要ない。美味と言っているのは股間の肉を指しているのか、人間の悲鳴の味わいこそが美味、と言っているのかは実の所定かではなかった。
 それら、この世の地獄の光景に、さらに覆いかぶさるように、もうひとつ巨大な影がのっそりと姿を現した。
 それは背丈の半分近くが頭の大きさといういびつな亜人間型の代物だったが、身の丈は優に4メートルはあり、重量はトン単位だろう。全体的な形状としては、それは『ねんどろいどミク』の原型をとどめないほど醜悪な模倣品に見えた。俗にネットで”ミクダヨー”と呼ばれる劣化品によく似ているが、仮にその完成品の姿を想像するとしても、おそらく、その半壊した巨人は本来の部品全部のうち60%くらいしかない。片腕が、その付け根の胸のかなりの部分を含めて根こそぎ無く、頭はえぐれたように左斜めの半分以上が無くなっており、中身がむき出しの頭からは、電子頭脳用イリジウムの放熱を行うためのグロテスクな襞状のヒートシンクを備えた、巨大な脳ユニットが飛びだしている。そのユニットに配線でじかにぶら下がった左目の赤い眼球(緑色のフィルタは失われているので)が、目を刺すようなコヒーレント光を放っていた。
 象のような寸胴の脚部がぎこちなく交互に前に出るたびに、その足元がべきべきと残骸を踏み砕いた。
 さきほどあぴミクを蹴とばしていた友人の一人は、ほとんど這うようにして、その巨大ミクダヨーの凶悪な姿の前から、よろめきつつ逃れた。巨大ミクダヨーはゆっくりと前進を続けながらも、笑みの形に固定されたままの口元で、黙って見下ろすようにしていた。
 しばらく静けさが降りた。友人はなんとか、緩慢な巨大ミクダヨーの動きの前から、晴れて逃げ延びたのではないかと思えた。
 が、突如、耳をつんざくような男の悲鳴が尾を引いた。巨大ミクダヨーの巨象のような扁平な脚部がその数トンの体重ごと、友人の背中の上にのしかかったのだ。
 長く尾を引く悲鳴はいつまでも続くかと思えたが、胸の悪くなるような吐瀉・吐血音と共に、唐突に途切れた。砕けた肋骨が胸郭を破って友人の胴体から飛び出し、その隙間から潰れた臓腑があふれ出るように残骸の合間に飛び散った。
「あっああっだげえぇぇ血ィィィヴェエエロヴェロなぁめたアアァァイイ」金属製の小さな生き物がその血に見る間に群がってきた。それは初音ミクの頭が、口や眼窩から直接、のたうつ蜘蛛の触肢のようなものをおびただしい数生やした小さな生物らで、十数匹も集まったそれらは、地べたや残骸の合間を這いずりまわって、こぼれたり残骸の間に落ちた体組織を貪り食った。
「どうした? こいつら全部『ミク』だぞ」残った”マスター”の耳に、どこからか、さっきのMEITOの声が聞こえてきた。「アンタは、ミクを買ったから”ミクのマスター”なんだろ? どのミクにも何をやってもいいって許されてる、”マスター”はミクにはなんでもできるんだろ? じゃ、こいつらをマスターに絶対服従させるなり、可愛がるなり、何でもやってみせろよ」


(続)