永遠の少年物語を引き立てるには (前)


 今回のVCLDドラマの役柄である『海賊フック船長』の扮装をして、公道を堂々とここまで歩いてきた神威がくぽは、スタジオに入ると、見回して言った。
「Lilyが先に着いているのではないのか?」
「いやそれが、私と一緒に着いたんだけどね」GUMIが猿の着ぐるみのサイズを確かめるように手を突っ込みつつ、答えて言った。
 かいつまんで述べるとこういうことである。さきほどGUMIと共にスタジオに来たLilyに、MEIKOが告げた今回の役柄は、ネバーランドの島の住人のひとり、『酋長の娘タイガーリリー』というチョイ役だった。これはいつものことである。VCLD内でも大スターを目指す向上心が特に強く、名作の大役を任されることを夢見るLilyが、MEIKOが押し付けてくる役に対して不満を漏らすのも毎度のことだった。しかし、あまりにも何回もこれが続いたせいだろうか。Lilyが脚本を読みもせずに突っ返し、駆け出して行ってしまったのはこれがはじめてだった。
「いないとなるとちょっと困るのよねえ」MEIKOはたいして困ってもいないように、けだるげに言った。「ほんと、いろんな役に合うから、いろんな役を頼んじゃうのよ。それができないとだいぶ不便だわ」
「そもそもピーターパン物語といっても、タイガーリリーなどというキャラの名前はほとんど知られてはいません。下手なことを言わなければ、脚本を精査しない限りはバレなかったのです」巡音ルカが冷静に言った。「名作の大役だと言っておきながら、『タイガーだからLilyの黒と黄の色合いがちょうどいい』だとか言ったから、いいかげんな人選がバレたのです」
「やっぱりそういういいように使おうっていいかげんな態度が伝わってるとしか思えないヨ」鏡音リンが絶望的にうめいた。
「いや、でも、みんなも毎回そんなにLilyを不遇に扱ってるわけじゃないと思うよ。前回のビアンカとか、思いっきりメインキャラだと思う。少なくともゲレゲレよりは」GUMIが言った。
「ともかく、本人がとびだした以上はどうしようもないわね」
「代役はどうしますか。猫村いろはなどでは」ルカがMEIKOに尋ねた。
「猫とタイガーがひっかかるとは言えるけど」MEIKOは先のでまかせな人選を反省もせずに言った。「本人のキャラはともかく、使いどころが限られてるのよ、あの声。ドスがききすぎてて。……てなわけで、やっぱりLilyがいないとなにかと不便なのよ」
「されば、此度は如何にするのだ」すでに完璧にフック船長の扮装でやって来ている神威がくぽが、かすかに不安げな声を出した。
「どうもこうもないわ。このドラマは中止」MEIKOがテーブルに脚本を放り出した。「別のドラマの脚本はいくらでもあるわ。今いる面々だけでもできそうなやつがね」
「ちょっと待ってよ」鏡音レンが口をはさんだ。「この、今回の脚本を作ったプロデューサーは? Lilyは?」
「また次のチャンスがあるわ」MEIKOが答えた。「別のときにこの脚本を使うチャンスも、あるいは、このPのこれとは別の話の脚本を使うチャンスも。それにLilyが出る気があるなら、そのチャンスも」
 レンは、投げ出された脚本とMEIKOを見比べた。
「人間の芸能界じゃないのよ。人材も作品も、経験とか名声とかコネで誰かが拾い上げてるんじゃないの」MEIKOが突如、レンに鋭い目を向けて言った。「VCLD作品の世界は、本人が発表を続ける気があるか、ただそれだけ。VCLD作品が世に出るかどうか、認められるかどうかは、何があっても本人が続けるか、それまで『諦めないか』どうかだけが問題。誰も気力がある者の発表を阻みはしないんだから。でも、気力が尽きたら、PもLilyも続かない。それを止めることはできないし、止める必要もないわ」
 レンは戸惑ったように、MEIKOを見上げ続けた。
「がっかりするには及びません。PにもLilyにも大当たりの可能性は残されています。どうぞ存分に夢を追い続けて下さい。我々はその姿を心から応援するものです」
 ルカが、到底だれかを応援しているとは思えない無表情で平坦に言った。



 レンはLilyの姿を求めて、スタジオの建物を探し回った。
 ――MEIKOやルカの言うことにも一理ある。VCLDは、今までに地上に存在したものとは別種の生き物、人間のそれとは違うアーティストだからだ。
 だが、それだけでは割り切れない。VCLDが従来の人間や芸能と違うことを、プロデューサーらは充分に理解し、実感しているとは限らない。現に、世のほとんどのPたちが作っている、VCLD自身をテーマにしたストーリーでも、旧態然としたアイドルやらレトロフューチャーの中にしかないロボット(人造物)やらをテーマとした、非常に前時代的なものが大半なのだ。
 そんなPらが、MEIKOやルカのように、VCLDがそんなものだと割り切ることができるか。あの脚本を用意したPに、次のチャンスがあるといっても、今回のものがP自身に何の責もないにもかかわらず中止になって、落胆しないでいられるだろうか。
 理屈としては、レンがLilyを連れ戻そうと探し回っているのは、そのPのため、舞台と脚本を台無しにしないためだった。だが、歩き回っているレンの頭を占めているのは、落胆とも怒りともつかない面持ちで出ていった、あのLilyの姿だった。なぜ彼女を放っておけないのか、それはレンにも整理できていない。
 ――Lilyの姿が見つかったのは、いかにも居そうだと思っていた場所ではなく、まさかとは思ったが、このスタジオの建物のバーの片隅の席だった。レンは恐々とした。ここは、MEIKOが(いつも、弱音ハクとかいうシンガーソングライターと一緒に)二人で入り浸っている場所なのだが、ここで出会う時のMEIKOやハクは、特に怒ったり機嫌の悪いときでなくとも(というか、MEIKOがここにいるのはいつも以上に機嫌がいい時ばかりであり、ハクは他でもここでも沈んでいる姿しか見たことがない)レンはやたらと絡まれる。ここにいるときの二人は、いつも以上の危険人物である。
 そして、今、隅の席に掛けているLilyの雰囲気からも、レンはその二人と同様の事態を予想した。
「何よ。よりによってあんたなの」
 Lilyは意味深なことを言った後、ぐっとグラスの中身をあおった。が、よく見ると、テーブルの上の瓶は、ただのはちみつジュースだった。
「……戻ろうよ」レンはためらいつつも言った。「その……プロデューサーが作ってくれた脚本のためにもさ……」
「私のために作ったわけじゃないでしょ。あんたが戻ればいいのよ」
「その……作ってくれたのは、ボクら、VCLDみんなのためだよ」
「よりによってあんたがそんな綺麗ごとを言うの?」Lilyはきっとレンを振り向いてから、目を落とし、「さっさと帰んなさいよ」
 さっきからの”よりによって”というのが何のことなのか、レンにはわからなかった。が、Lilyが続けて言った。
「あんたが主役、ピーターパン役なんでしょう。脚本の表紙に『主演:鏡音リン・レン』って書いてあったじゃない」


(続)