Lives behind the live (7)


 対AIライフルを構えたカウボーイの、ターゲットスコープ(をわざわざ模して造られた、探知用のプログラム群)とその傍らのディスプレイに、周辺の空間を分析した結果がロックオン表示として現れているのが青年にも見えた。その分析の図示は、敵のウェイジメイジの力場のシールドには、しばしば力場同士の干渉によってセキュリティが極限まで薄まる場所が生じるのを示しているのがわかるが、その場所も、ひっきりなしに変移している。しかし、スコープを覗き込んだカウボーイは、目標を定めたのか、そのライフルの末尾の撃鉄のようなレバーを起こした。
 バレルの周辺に加速のためのスクリプトが展開され、紋章が螺旋を描いて長大な銃身の節に展開し、さらには銃口へと収束する。論理(ロジック)の法陣は半径を狭めつつその回転を急速に速め、濃縮された紋章はマトリックスの空間そのものを輝かせる光弾の姿にしか映らなくなる。法陣の回転がマトリックスの空間に発する周期的な唸りはその半径が狭まるにつれて急速に周期を速め、光弾の輝きと共に甲高い響きとなって格子(グリッド)の空間を震撼させてゆく。
 カウボーイがトリガーを絞ると、光弾の軌跡と甲高い咆哮が尾を引いてマトリックスを引き裂き、情報の高速移動のドップラー効果による赤光と重低音のハウリングを残して疾駆した。電脳空間のスケール原理の空間を湾曲させるほどの膨大な情報密度の移動に周辺の光景を陽炎のように急激に歪ませながら、力場のシールド上のロックオン箇所に吸い込まれた。
 意表を突くことに、ターゲットスコープのディスプレイに示されているのは2発の弾丸だった。無論、青年には、その光弾の姿も音も、1発の弾丸以外のものとしてはまるで認識できなかった。ほとんど1発にしか見えないほどに間隔を置かずに発射されたことと力場のシールド表面の目標地点自体がたえまなく移動、変位しているにも関わらず、あやまたず同一の箇所に2発が命中したためだった。
「――こりゃ、どこに当てても駄目だな」が、カウボーイはスコープから目を離し、傍らのディスプレイを見て素っ気なく言った。「修復が速過ぎるんだ。小野寺が力押しでは優っていても、破れないのも同じだな」
 対AIライフルの1発目が力場と相殺し、セキュリティが最も弱くなる部位を破壊するが、2発目がほとんど同時に到達するにも関わらず、そちらが貫通するよりも前にシールドは元通りの力場へと修復される。大企業の莫大なリソースによる再生プログラムが、破損が起こった時のみ発動し、異常な速さで修復を行う。おそらくはウェイジメイジのアイオーン石による反応速度が修復に寄与している。しかも、今のカウボーイの射撃では、多数浮遊しているデコイが一発目が命中した場所に反応して移動しているのが、レーダーの分析に映っていた。仮に弾丸が力場シールドを貫通したとしても、デコイを逃れて通過はできないだろう。
 ウィザードとウェイジメイジは互いに力場のシールドで守られ、こちらはウェイジメイジの企業力のシールドを貫通してメイジを攻撃することができない。メイジの方もウィザードのシールドを通過して投入可能な経路がなく、乾坤一擲の大量のウィルス群を持ちながらも、それを投射できない。
「どうなるんだ」青年が傍らのカウボーイを見上げて言った。
「どうもならんな。機器が熱ダレでも起こして処理能力が低下した方が押されてくるかもしれんが、そんなうっかり整備不良とかは、お互い期待できそうもないぜ」カウボーイがスコープを覗き込み、貫通できそうもない力場のセキュリティ情報をスキャンしながら言った。「小野寺は遅れは取らないって言ったんだがな。それどころか、こっちは二人がかりでも、大企業のリソースとなんとか押し合いでやっと、ときたぜ」
「二人がかり、と言いましたね」
 不意に、ウェイジメイジの顔を覆うゴーグルがこちらを向いた。力場の干渉の格子(グリッド)の唸りの中で、その声がカウボーイと青年に届いた。
「どうやら二人いるのも、その状況を生かせるのもこちらのようですね」ウェイジメイジは、ウィザードとの魔術のせめぎあいの間を縫うように、ひらりと片手を動かした。「”そいつ”をここに連れてきてくれたのは好都合ですよ」
 メイジの空いた手が、それまでのキーを叩く魔術印の動きからは唐突に見える、何かを引っ張るような仕草をした。
 突如、カウボーイのすぐ横に身をひそめるようにして居た青年の手首がひきつった。手首の刻印が、彼の手を、身体を束縛しているのが感じられる。ウェイジメイジの指先に応じて、手の神経が引っ張られたようにひきつれた。
「そうか」強力な力場でいまも押し合っているウィザードが、目だけを動かしたが、その瞳は驚愕に見開かれていた。「バックドアだ――!!」
 かれらを遮っている壁、エネルギーの渦巻く二重になった力場とは無関係に、いまや、メイジの引っ張る手から青年の手首に向けて、半透明の細い線がまっすぐに差し渡されていた。その線は次第に広がり、透明のまま半径を広めてゆき、水晶の円筒となってゆく。その水晶の輝きに反して、青年の両手の刻印は急速にまがまがしくねじくれ始めた。手の甲には、その水晶の円筒に対して口を開ける、皮膚が朽ち果てて生じたような孔が次第に口を開いていく。
 囮として青年を操るためのコードならばすでに、ウィザードとCRV2のICEによって遮断されている。しかし、それとは別に、プログラムを送り込むための経路、セキュリティホールがあらかじめ仕組んであったのだ。囮だけでなく、いざとなれば《札幌》を攻撃できるための経路、爆弾の標的、破壊経路として使えるために。
 ねじくれ、孔をあけていく手の甲に、青年は悲鳴を上げた。刻印は暗黒洞となり、力場の壁をものともせずに空間同士を跳躍するワームホールが形成されている。青年の手の甲を苛んでいるウェイジメイジの、もう片方の手は、待機していたウィルスセットをそのワームホールに投入すべく、攻撃目標をとらえた。
 青年はねじくれた右手首を左手で掴んで再度絶叫した。痛みと、それよりも、目に見えている恐ろしい結果が激しく青年を苛んだ。あれがワームホールに流し込まれれば、4096種のウィルスセットが堰を切って流れ込んでくる。たとえ人間を攻撃する目的のウィルスではなくとも、あらゆる種類のウィルスが神経に、電脳直結した脳に流し込まれれば、その中の情報、すなわち青年の脳の中身はその機能を含めて完全に焼き尽くされるだろう。それはさすがに青年にもわかる。
 そして、その後は、それでもまったく勢いを減らすことはないであろうウィルス群が、シールドの中、ウィザードやカウボーイに襲い掛かる。さらには《札幌》のデータベースにも。
 誰も助からない。自分がここにいるせいで、ついてきてしまったせいで、全員死ぬのだ。最初にウィザードが反発した通りだった。自分はどうあっても死ぬべきだったのだ。どうあっても何もかも壊れてしまう結末しかなかったのだ。その絶望にも青年は激しくすすり泣いた。ウィザードが何かを叫んだが、もう青年には何も聞こえない。
 目に映ったのは、敵のウェイジメイジがウィルスを投入し、輝く奔流がワームホールに流れ込む光景だった。それは瞬時に光の洪水となって、目の前に爆発した。
 激しい衝撃が襲った。
 ――しかし、それは予想していたようなショックではないようだった。
 ウィルスが何か神経に及ぼしたものではない。痛覚を伴うものですらない。それは、単に一歩うしろに移動させられた、という感覚だった。さらに、ずれた空間に放り出されたため、束縛するものがなくなり、一気に体が軽くなったように思えた。
 青年には、目の前の光景を見ても、一体何が起こったのかはさっぱりわからなかった。自分はさっきまでいた場所から一歩下がり、そして、先に自分のいた場所、目の前には、”自分の姿”がある。
 その自分の姿に、4096種のウィルスが、滝ツ瀬のように襲い掛かるのも見えた。
 そして、その万色に輝く奔流は、寿命を迎えた蛍が消えるように、その表面で弾かれて霧散して消えていった。
 それに伴って、目の前のその青年の”自分の姿”から、表面のテクスチャが剥がれ落ちるように姿が変わっていった。その下にあったのは、見覚えのある黒と緑の少女の姿だった。背を向けて、転移してきたときのそのままの跳躍の姿勢なのか、わずかにマトリックスの宙に浮かんでいる”オルゴールの精霊”の姿が、青年をわずかに振り向いた。青年の引き剥かんばかりに見開いた目が、その心配げな緑の瞳を映した。そこに感じられたのは、何かに見守られているという感覚からくる、安堵とも共感ともつかない何かだった。
 青年にはこの状況もわからなかったし、心情の整理もつかなかった。ただ、これだけがわかった。この少女が、自分をおしのけて、目の前に立ってかわりにウィルスを受けたのだ。
「そんな馬鹿な!」”チハヤEN”のウェイジメイジが叫んだ。「AIだなんて――」
 青年に認識できないことまでもっと言えば、AIのアスペクト(様相;態様)は、既知宇宙(ネットワーク)上のどんな場所(アドレス)・空間(スペース)にも”存在する”ことができる。そして、(青年にはなおさらあずかり知れないことだが)サイバースペースのスケール原理では、空間上の同じ位置に重複して何かが存在するときは、より質量(エネルギー総量)の小さいものが、排他原理によってその場から弾き飛ばされる。AIのアスペクトは、その場に存在することにしただけで、青年をおしのけてウィルスの経路にあやまたず出現したのだ。
 そして、人間ごときが作ったウィルスには、AIは完全な免疫がある。当然、AIのアスペクトにそんなウィルスが注入されれば、全種類が無為に浪費され、今しがたのように霧散して消滅するほかない。――CV01は、電脳戦能力、攻撃力など一切持たなくても、単にAIだというだけで、この程度のことは当然にできた。
 ――その状況を青年や”チハヤ”のウェイジメイジが把握して、我に返るよりも、《浜松》のウィザードが事態を把握し反応する方が速かった。力場のシールドのせめぎ合いを維持していたウィザードは、横跳びに地を蹴ると、今のワームホールの経路の向かって踏み込んだ。透明な筒状の経路に、ウィザードの拳が押し当てられた。
 ワームホールを展開し、バックドアからウィルスを流し込んだということは、その経路は、向こうの力場の壁も貫通し、『向こうからこちらにも』通じているということなのだ。
 握り拳が固められたウィザードの両手が、空間の裂け目の間に食い込まんとばかりに押し付けられた。ウィザードが攻撃プログラムを投入し、大量のスクリプトが周囲に展開し、密度を増していく様は、その拳が力場(フォース)の輝きを増していくようにも見える。
 その光景に対して、我に返ったウェイジメイジが印を切るように指をかざした。空間の狭間から唸りを上げてダウンロードが行われ、周囲のマトリックスアーカイブが展開され、呪文が宙にほどけ開く。”チハヤ”の強大なハードウェアのマシンパワーのオーバーロードを示す赤い点滅と共に、スクリプトが起動し、両者の間に空いたセキュリティホールの周辺に修復プログラムと、そして大量のデコイ、さらに迎撃用ウィルスが展開される。
 しかし、ウィザードの拳が力の壁に押し付けられると、拳の周辺にまといつく、めまぐるしく変化するスクリプトが、壁を形成する力場の構造物をその圧力で激しく湾曲させた。
 地まで張り裂けるかのような激しい震動が襲った。ウィザードの拳の周辺に展開した無形の力、すなわち周囲に展開した中和スクリプトと排除プログラムが、ワームホールの経路と共に力場のシールドを強引に押し拡げた。”チハヤ”のメイジの力場のシールドに、両拳が入るほどの裂け目の間隙が広がり、直後、大量の大気や水が通過するような轟音が轟いた。ほとんどありえないことだが、その地点において完全にセキュリティが無効となったのだ。
 裂け目が維持されるのは束の間である。〈力技(ブルートフォース)〉はシステムを解析して抜け道を確立するのではなく、強引に押し退けるのみなので、修復されるまでのわずかな時間でしかなく、修復システムが起動するまでのタイムラグに過ぎない。――しかし、ウェイジメイジは信じられないといった目をした。”軌道千早”財閥のソフトウェアとハードウェアで形成された絶対のシールドに人間が孔を穿つというのは、技術と経験を蓄積した企業魔道士にも信じられることではなかった。
 抜け穴は瞬時に、そのメイジの恐怖に見開かれた目の狭まった瞳孔と同じくらいまで小さく縮まった。
 そのピンホールをあやまたず、対AIライフルの灼熱の火線が貫いた。数ナノ秒、あるいはもっと小さなオーダーの間あいていたに過ぎないその隙間を、弾丸がすり抜けた。
 シールドを抜けた対AIライフルの弾丸は、いとも簡単に、デコイと反発装甲(ディフレクションアーマー)、外皮装甲(ナチュラルアーマー)とあらゆるセキュリティを貫通して、ウェイジメイジの顔面を真っ向から貫き、その風貌のほとんどを大穴にかえた。頭部の大半が吹き飛んだウェイジメイジは、しばらくの間手を泳がせていたが、直後、その顔面を中心として上半身まるごとが吹き飛び、その場に残りの人体の部品の、電脳空間内概形(サーフィス)が崩れ落ち散らばった。
「安心しな。概形(サーフィス)はひどい有様になったが、そっちのウィルスセットと違って、脳死(フラットライン)するような弾丸じゃない」カウボーイが、いましがた弾丸を発射した対AIライフルを肩に担いで言った。「命まではなくさないぜ。ただ、ヘマをやったメイジを”チハヤ”が生かしておくかどうかは別問題だし、それは01も望むようなことじゃないが――まあ、こっちとしても、これができる限り。大企業のやることに対して、命の保障なんてできるわけないんでな。こらえてくれ」



(続)