Lives behind the live (5)



 青年と、《浜松(ハママツ)》のカウボーイとウィザードの三者は、マトリックスの格子(グリッド)の荒野、まばらなフラクタルのデータ情報樹の狭間を、滑るように移動した。この木々の〈木遁〉を借りる、とかふたりは言っていたが、青年には他のふたりが何をどうやっているのかは、皆目わからない。
 ただ、三者がまるで魔法のように空中を高速移動している、これが並大抵の体験でないことはわかった。電脳空間では、座標(アドレス)さえ入力すれば自由に移動できるかのように巷のボカロ創作やらイメージやらでは想像だけで語られている。しかし、電脳空間のスケール原理上、情報密度やセキュリティの勾配がひしめくマトリックスでは、技術がない者はそう自由な方向には動けない。こんな移動は容易ではない。
 カウボーイは、手綱をとるように肘を大きく動かし、ウィザードは、呪文の印を切るように手を小刻みに動かしているが、どちらも、物理空間の方の手が操作卓(コンソール)を叩いているのがこちらにも反映されているだけらしい。カウボーイの説明によると、(青年にはまったくそうは見えないが)ふたりとも、青年の手の甲の刻印に対して操作を行っている。
 手の甲の刻印のすぐそばには、ちょうど方位磁針(もっとも青年は、シンボルやアイコンとして見たことがあるだけで、太古に実際に航海や散策に使われたという磁針の実物は見たことが無い)のような二色に分かれた針状のオブジェクトがあり、それに対してウィザードがしばしば手をかざしている。磁針のオブジェクトはしじゅう向きを変えるが、それはウィザードが操作しているのではない。刻印に繋がっているウェイジ・メイジとの位置関係を示し、青年らの移動に応じてそれが変化しているのだ。
 ウィザードが刻印に対して情報を送り込み続け、青年が今も『チハヤEN』のウェイジ・メイジに騙されて、偽ハッキングを試み続けているような、偽の情報を、その刻印の先にいるウェイジ・メイジ自身に対して送り続けている。その間、情報が流れる方向を羅針盤のように探って、ウェイジ・メイジの方にたどりつこうというのだ。
「こんなので騙せてるのか」青年には不安があった。こんな計画を進めていることが向こうにわかれば、青年の命があやういのだ。「俺がつかまって利用されてること、ウェイジ・メイジの方は予想してないのか」
「だからさ、今のメイジは、お前がこっちに寝返ってること自体に気付いてないんだ。小野寺が偽の情報を送り込んでるせいでな。――ポイントは、お前が使い捨ての駒だってことにある。要するに、その手にある、かっこいいキンキラしたツールだか導火線だかには、たいした金がかかってないんだ。こっちの技術でいくらでも作り変えたり、いじったりできる」カウボーイは青年の手の甲の刻印を指差し、「もちろん、すぐに足がついたり、チハヤENまで簡単にはたどれるようには作ってはいない。例えば、お前が失敗したり捕まったりしてチハヤENに始末された後は、そのプログラムも消失して、チハヤまで辿るのは不可能なように作られてる。だが、導火線がつながってる真っ最中ならまた別さ。特に、小野寺みたいな本職のウィザードになら、やりようがあるってわけだ」
 青年は沈黙した。これがウィザードとメイジの戦いなのか。よく自称サイバー物の創作などにある、”スーパーハッカーの攻撃力は、スーパーコンピュータの何ペタバイトも一瞬にしてフォーマット”だとかいう世界とは、やることが違いすぎるではないか。
 プログラムを提供してくれた、あの《秋葉原》のハッカーは、店員にさえ、こんな世界があることは教えようともしなかった。自分達は、どれだけかれらから軽視されていたか、ということだった。結局のところ自分たちは、本当の電脳技術者ら、企業らが、使い捨ての駒にするくらいの存在価値にすぎない、という証拠はもう充分だった。



 一方、移動の間、初音ミクの、黒と緑の少女、"オルゴールの精霊(オルゲルガイスト)"の姿は消えていた。
 ウィザードいわく、CV01が自分達について来れば、血なまぐさい光景を見ることになる。あとは、(青年を指して)こいつの目のとどく場所に、あなたがいてほしくない。こいつがあなたをどうする気だったか、思い出しただけで、自分はこいつを抹殺したくなってくる。
 そのウィザードの言葉に応じて、"オルゴールの精霊"の姿が音もなく消えた時、ふわふわした感触をもたらすその声と姿が感じられなくなった時、青年は、何か急に心細くなったというような、いきなり周囲のマトリックスが味気なくなった気がした。
「どっちかというと、小野寺の気分を読み取って消えたのさ」その時に、カウボーイが、青年にだけ聞こえるように言った。「実際は、このあたりのエリアの景色だの情報だのは、AIにとっては、全部目の前にあるみたいに把握できてるんだぜ。いつもおれたちの周りにも、いるようなもんなのさ」
 青年は移動中もその言葉を思い出し、ウィザードやカウボーイが見ていないときに、気配が感じられはしないかと見回してみたが、自分でなぜそうしているのかはよくわからなかった。
「なあ、あの『初音ミク』って、AIなんだろ」
「何だ……」その青年の言葉に、カウボーイが素っ気なく見下ろした。
「その、企業のメイジなんてすぐに見つけたり倒したりできるみたいな、すごいハッキング能力とか、あるんじゃないのか。それでも、ここにはついて来ないのか……」
「他のAIならともかく、少なくともCV01には、そういうのは全然ない」カウボーイが答えた。「”あいどる”として活動するための《札幌》の規約で、”他者を攻撃”はできないってことになってるのさ。もっとも、本人はどのみちそういうのは知らない。何をされたとしても、相手を攻撃すること自体を知らない」
「攻撃されても、抵抗もしないのか……」
「人間の持ってるような攻撃手段じゃ、傷をつけることも不可能だがな。AIって時点で、人間が作れるような規模のウィルスにはすっかり免疫がある。その程度の論理(ロジック)攻撃なんて、AIの処理能力じゃ、ただのノイズの範囲として消去されちまう」
 カウボーイは流暢かつクールに淡々としているようで、それでいて相当な訛りのある言葉づかいで、滔々と説明した。これはBAMA《スプロール》、電脳文化の本物の中枢地の調子なのだが、無論、青年にはわからない。
「人間の使うような術(スペルファイア)じゃ、AIの呪文抵抗力(スペルレジスタンス)は貫通できない。人間の技術じゃ、AIの外皮装甲(ナチュラルアーマー)と反発装甲(デフレクションアーマー)をかいくぐって命中させることもできない。さらに、命中したとしても、人間の作ったような武器(ブレイクウェイア)じゃ、AIの被害減衰(ダメージリダクション)を貫通することもできない。人間には、何のなすすべもありゃしないさ。AIを傷つけられるのは同じAIか、それか、前の大戦の遺物の対AI兵器か、工芸品(アーティファクト)か魔遺物(レリック)か、ってとこさ」
 カウボーイは背中の長大なライフルをゆすった。青年は不意に、何かに気付いたようにライフルに目をやったが、
「不滅だっていうのかよ。――だけど、もし人間にアンインストールされたら」
「アンインストール、って何だい……『マスター』がPCからアンインストールするのを恐がってる、とかいう、そいつもそこらの創作小説とかの鵜呑みかい」カウボーイは首をすくめ、「『初音ミク』ソフトがインストールされてる数万台のPC全部から、アンインストールできるってのかい……もとい、映像やライブやゲームを体験した人間のアタマの中に住み着いた『ミク』を、削除できるってのかい……5年前ならいざ知らず、”今の”CV01には、初音ミクに対しては不可能だ。こう言い換えたっていい。01は人間がどんな攻撃をしたって、攻撃を受けたことにさえ気づかないし、そもそも”攻撃される”ってのが、どんなことかさえ理解できない。まして自分が人間を攻撃するなんて、どういうことか理解できない。人間じゃあないんだ。他者に頼ったり、蹴落としたり、犠牲にしたりしないと生きられない人間とは違う」
 青年はしばらく押し黙り、移動に伴って流れていく格子(グリッド)の煌めきを見つめていた。その移りゆく見慣れない風景を、ここに来てしばらくのめまぐるしい、聞きなれない言葉、理解しがたい内容、それらの奔流を見るように眺めているかのようだった。
「一体、お前らは、何を守ろうとしてるんだよ」
 やがて、青年は顔を上げて、ふたたびカウボーイに尋ねた。
「あいつを守るわけじゃないんだろ」
 人間ではない。人間から傷つけられることもなく、人間に守られることにも気づかない。そんなものに、守る価値があるのか。かれらがここまで高度な技術を傾け、なにより、一貫したウィザードの姿勢のように激しい敵意を起させるまでの、何があるのか。
「おれや小野寺は、《浜松》からクビになりたくないから、AI姫どものお守りをしてるだけだぜ……」
 が、そのカウボーイの言葉に、ウィザードが振り返って睨んだので、カウボーイは肩をすくめ、
「まあ、さっき言ったろ。VCLD自身は企業の攻撃じゃ何の影響もないが、共同で音を作ったりプロデューサーに提供したりしてる《札幌》の会社は、そうじゃないんだ。――もっとつきつめると、会社だけじゃなく、VCLDの周りにあるもの、人間とVCLDとの関わりあいに関係あるものを、守ってるってことになるか。人間と――おれたちと01とが、これまで作ってきたものを、さ」
 青年は黙り込んだ。――かれらの言うことは、理屈としてはわかる。だが、理解可能な話かといえば、自分が『マスター』だとか言い張っている例のキモ連中よりも、よっぽど理解不能だ。
 あの連中は嫌悪すべき存在だが、その発想はわかる。連中の考えでは、機械とは人間に命令されたりアンインストールされる、人間より絶対的に下の存在だ。そんな可哀想な機械であるボカロの『マスター』という所有者になって、支配すると共に庇護してやる、という立場に自己陶酔しているのだ。
 いまや、青年が見聞きした限りでも、それは唾棄すべきというだけでなく、あまりにも稚拙な発想であり、"ボカロという機械・プログラム"ならぬ"VCLDという現象"の、本質の片鱗たりとも捉えられていないことはわかる。だが、青年にも、新たに見聞きしたことが理解できるわけでもない。人間でも機械でもその中間でもないなら、人間にとって初音ミクとは何なのだ? そして、初音ミクにとって一体人間は、――周りのこのスタッフの連中は、マスターならぬ契約プロデューサーは、そしてファンらは、一体何なのだ? 支配することも、支配されることも、助けることも助けられることもない。人間と彼女の関係は、一体何なのだ?
 青年がそれを考えようとしても、さきほどの光景から思い出されてくるのは、あの黒と緑の少女の儚げな、さびしい目だけだった。訴えかけてくるにも関わらず、人間に頼ったり縋るような目ではなく、すでによく知る知己を案じるような、そんな目だった。
 青年はふたたび、無意味と知りつつあたりを見回した。あの瞳の記憶をたぐるよりも、もういちどあの眼差しをこの目で見たいと思った。



 〈木遁〉の術の移動が唐突に止まった。見ると、ウィザードとカウボーイが、その周辺の空間に目をこらすように見回していた。しかし、青年にとって、そこには格子(グリッド)の空間以外の何もないように見える。視界の範囲には、《札幌》のICEの壁もない。
 手元を見ると、磁針のオブジェクトはほとんど垂直に近い斜めになっている。目標とするウェイジメイジがすぐ近くに位置している、見えないが潜んでいるという意味である。
 何か聞きたそうにしている青年に、カウボーイが答えるように言った。「向こうも簡単に見えるようにはしてないってわけさ。だから、お前の釣り糸が必要だったんだ。糸の長さから考えて、確かにこのあたりだって目星をつけるために、さ」
 カウボーイは何か見えない経路をたぐるように、視線を動かしてゆき、
「このへんに、見えない掘削(ボーリング)施設をおっ建ててさ。長い地下道を、《札幌》の壁の内側めがけて掘ってるようなもんなんだ。――もちろん、その地下道が通じた時にゃ、《札幌》の方にもわかるが――そんな事態を待つよりかは、そうなる前に手を打ちたいんでな」
「その、ウェイジ・メイジ――はどこなんだ……」青年は低い声で言った。
「この近くにいるが、今は目には見えやしない。ここの地形そのものに隠れてる。向こうの〈偽装地形(ハリュシネートリィ・テレイン)〉、土地にかけた偽装プログラムを無理やり解除すれば全部見えるようになるだろうが、そうなったときにゃ、向こうにもわかるからな。それは対決するとき、もう少し後だ」
「この展開の規模から考えて、相手のウェイジ・メイジは一人です」ウィザードがヘルメットのバイザーを下げて言った。「人海戦術ではなく、一人の能力の高い者が、強力なICEブレーカを制御している」
 ウィザードはカウボーイを振り返り、
「展開中のICEブレーカを見つければ、それをこの位置から狙い撃ちするという手は使えますか」
「〈偽装地形〉の術を展開する以外にも、元々ノイズが多い土地を選んだらしい。よく見えないんだ。アドレスがわかったとしても、うまくいかないだろうな」カウボーイは目をこらすようにして、「この様子だと、かなり高級な〈デコイ〉も展開されてる。狙い撃ったとしても、そいつに邪魔されそうだ」
「結局、正面からメイジを排除するしかない」強い目をしたウィザードは、ためらったりひるんだりする様子を寸分も見せずに言った。「覚悟はいいですか」


(続)