Lives behind the live (4)



「――まあ、CRV1が、これをCV01に見せたくないって理由はよくわかるぜ」カウボーイは、その送られてきたファイルの中身を見て言った。「しかし、おれたち向けだからって『グロ注意』の注意書きくらいは付けてほしいもんだな、CRV1も」
 カウボーイはしかし、そのファイルの中身を、青年の方に開けて見せた。格子(グリッド)の中空に2枚のウィンドウを開き、それを青年に向けた。
「きっと、こいつに見覚えがあるだろ……」
 最初の2枚のファイル、その画像を見て、青年は全身の血の気が引いたような悪寒におそわれ、マトリックスを漂うように手足から力を失った。
 その一枚目は顔写真だった。それは、行きつけの《秋葉原》の店員に他ならなかった。青年の手の甲のハッキングツールを直接、青年に売ってくれた男である。そのツールをはじめ、フリーのスーパーハッカーからソフトや侵入の情報、アドレスを入手してくれる男だった。
 二枚目は、電脳端末(PC)付属の通話用カメラで撮ったような部屋の光景の写真だった。椅子に掛けている男を撮っている。その男、他ならない青年の行きつけのさっきの店員は、頭に巻いたゴーグル、電脳空間用の電極(トロード)バンドを目深に下げたままで、血を流してこと切れていた。周囲には相当な勢いで血が飛び散った形跡があり、そのバンドの下の目鼻と、その他体じゅうの孔という孔からよほどの勢いで血が噴出したのだろう。
 そんな死に方について、電気街やネットの噂で聞くことはあったが、実際に見たことがあるわけがない。神経フィードバック兵器。電脳空間に没入(ジャック・イン)している体の神経入出力を利用して、体が致命的な反応をする信号を送り込む、ネット上で生物学的に人間を殺害する手段、〈脳死(フラットライン)〉プログラムだ。
「このお友達は、お前と同じように侵入しようとしたらしいんだが、手持ちのプログラムが足りなかったか何かで、途中でやめようとしたんだな」カウボーイは言い、「で、ハッキングとやらを中断して、逃げようとしただけで、こうなったわけだ」
「誰の仕業だ!?」青年は上ずった声で叫んだ。「お前らか!?」
「まさかよ。おれたちは、《札幌》の城壁を守るのがやっとなんだぜ。侵入を止めて逃げていった奴まで、わざわざここまで追っかけて攻撃する余裕なんてありゃしないさ。――当然、”チハヤEN”の仕業だな」
「”チハヤ”の方が、なんでこんなことをするんだよ」青年は震える声で言った。
「そりゃ、情報が少しでも漏れないようにするには、用済みになった捨て駒は、殺しとくのが一番手っ取り早いからさ」カウボーイは平然と言った。「”チハヤEN”はお前らには最低限の情報さえ与えてないだろうが、それでも、自分達の悪事に関わりあいになったやつから、何が漏れないとも限らない。処分しといた方が安心だ。やつらにとって、人命だとか人権ってのは、その程度の値打ちなんだ」
 青年は息を飲み込もうとしたが、虚しく喉が鳴るだけで、うまくいかなかった。
「ハッキングを成功させずに逃げたら、お前もこうなる」カウボーイが画像を親指で指し、「てか、たぶん、成功してもこうなるだろ……やつらの本命の作戦の方が終わったら、こうやって処分されるだろうな、お前ら全員、さ」
 青年にその言葉をかけるカウボーイを、ウィザードは仏頂面で、『ミク』は不安げに見守り続けていた。
「今のお前の立場を説明すんのに、なんか、ちょうどいい言葉があったような気がするんだがよ――お前、さっき言ってなかったか……」
 カウボーイは首を振り、
「そうだ、思い出したぜ。『マスター』だよ。――”チハヤEN”や、そのウェイジメイジが、お前の『マスター』、主人だか支配者だか所有者だか、コントロールだかしてる輩だ。で、お前はそのマスターの『スレーブ(奴隷、隷従者)』ってわけだ。お前は『マスター』に働かされて、いいように使われて、奪われて失うだけだ。お前の方は何も得るものはない。なのに自分では、自分の意志でVCLDを攻撃してるつもりだとかで、ひとりで喜んでる。で、やつらが気が向いたときにスイッチを押せば、爆発消去。――『マスター』に盲目的に曲をねだって喜んで、絶対服従して、気分次第でアンインストールだとかいう設定になってる、二次創作の中の『ボカロ』みたいに、さ」
 ――誰が本当の『マスター』か教えてやるよ。
 自分がこの場所に、この奇妙な空間に足を踏み入れたそのときに、自分がつぶやいた言葉が、なぜか青年の頭をよぎった。
「それ見たことか」ウィザードが青年を見下ろして、吐き捨てるように言った。
 青年は格子(グリッド)に膝をついたまま、うずくまっていた。その全身は、マトリックスの概形(サーフィス)にはめずらしい話だが、熱病にでもかかったかのように震えていた。そのウィザードの視線にも気付かないように、うつむいた視線は宙をさまよっていた。
「なんとか言え!」ウィザードはその青年の頭上目がけて怒鳴りつけた。「『ミクのマスター』だかを名乗る気でここに来たんだろう! なら、自分の上にも何かが『マスター』だとか名乗ってさんざん踏みにじられる、当然それを覚悟して来たんじゃないのか!?」



 カウボーイは頭を振ると、しばらくして、うずくまっている青年の手の甲を指差して、ウィザードに向かって言った。
「やつらの操り糸は、やっぱりソレか?」
「ええ」ウィザードが、うずくまったままの青年の手の刻印を見て言った。「それが今も、この男の脳まで埋め込まれて、この男の動向を”チハヤEN”のウェイジメイジに伝えています。発火の導火線にもなっている。……おそらく、この男がまだ生きていられるのは、CRV2のICEの中にいるからです。ICEが”千早”に送る警告を遮断し続けて、そのせいで、”千早”の方ではこの男がどんな状況なのか把握できていない。だから今の所助かっている」
「が、たぶん、《札幌》のエリアを一歩出たとたんに、任務放棄。終了。用済み。爆発。だな」カウボーイが言った。
「あの、ここで解除できないんでしょうか……」ミクが青年とウィザードを見比べるように言った。
「小野寺ならできるだろうが」カウボーイが青年の手の甲を見下ろし、「だとしても、たぶん何日も何週間もかかるぜ。その間に、ウェイジメイジの本命の作戦も終わっちまう。その結果に関係なく、作戦が終わったら、使い捨ての駒は用済みで、爆破さ」
 青年は呆然と格子(グリッド)に座り込んで、目を泳がせた。もはや考えることもできなくなっていた。
「どうすりゃいいかわかんないかい……」
 カウボーイが見下ろして言った。
「ソレを外すには、"俸給魔道士(ウェイジ・メイジ)"を見つけて、そいつを電脳戦(コアストライク)で倒して掌握して、奪われた支配権を奪還でもなんでもするしか無い。――おれたちと協力すれば、それはいくぶんはやりやすいぜ。小野寺ひとりでやるよりは、さ」
 青年はウィザードの方を見ようとしたが、どうしてもできなかった。その声を、目を見るのがおそろしかった。
 が、無慈悲にもその頭上に、ウィザードの怒気の含んだ声が通過した。「――北川さん、やはり、俺にはこいつとは同行できない。やはり、こんなやつは信用できません」
 息を呑むような音のあと、「そんな……」という、黒と緑の少女の声がした。
「じゃあどうする。間に合うかどうかわからないのに、小野寺ひとりでウェイジメイジを探しに行く」カウボーイは肩をすくめ、「で、間に合っても間に合わなくても、こいつは死ぬ。それを放っておくかい……」
「それは、こいつ自身が”チハヤ”との間に起こした問題だ」ウィザードは青年の方を見もせずに、「俺達が干渉することではないし、すべきでもない」
「そりゃ、詭弁だぜ。協力してウェイジメイジを倒さないと、こいつは間違いなく死ぬんだ。そうと知ってて連れて行かないのは、見殺しだぜ」
「こっちだって、こいつに命をあずけることになるんです。こいつが変な行動をとったり、俺達に害を与えようとすれば、こっちだって、VCLDや《札幌》全部だって危ないんだ」
 青年は震えていた。ウィザードはそんなことを言うが、もはや、これまでさんざん無力にさいなまれた青年には、かれらに与えることのできる危害やらその行動やら、そんなことは、何ひとつ思いつきはしない。さっきまでのボカロが憎いだの何だのの、減らず口すらももはや一言も出てこない。
 だが、それをこの場で訴えても無駄だろう。このウィザードからは、どれほど憎まれても、どれほど信用されなくても、当然のことを自分はしてきたのだ。
 ――"オルゴールの精霊"は、カウボーイにファイルを渡した時のままその傍らで、ウィザードの方を俯き加減に、上目使いで見つめていた。が、やがて、ウィザードの方に踏み出して言った。
「あの、このひと、何も知らなかっただけなんでしょう……それで、命を取られるほどのことをしたんでしょうか……」
「いや、判断するのに不十分だったとは思えない」ウィザードは黒と緑の少女を振り返らずに言った。「あなたを、想像力の及ぶ範囲で汚そうとしたんだ、01。さっきこいつ自身も言っていたように、それはこいつが自分自身で判断したことだ」
「わたしのことなら気にしないでください」
「あなたがどう思うかは問題じゃないんだ、01。これは、俺自身が決して許しておけないんです」
 ウィザードは、うずくまっている青年を見下ろしたまま言った。
「それに、こいつの命がかかってるとしたって、同行させて危険に駆り出したりしたら、こいつの命の保証だって、どのみち無いんだ。――そして、ここまで予想外に無能なやつを、連れ回すこと自体、大変な足手まといです」
「それを、小野寺さんの力で――《浜松》のウィザードの力で」黒と緑の少女は、上目使いで言った。「この人の命だけでも守るくらい、できませんか……」
「なぜ口を出すんだ、01」
 ウィザードは苛々と、"オルゴールの精霊"を振り向いて言った。
「こいつの処分など、あなたの仕事ではないし、どうなろうとあなたに関係もない。なんの権利が、いや、何の動機があって我々に口出しをするんだ」
 しばらく、沈黙が流れた。
「わたしは、ただ。――お互いが憎らしいから、って理由で、命まで見捨てるなんて、悲しくないですか……」
 『初音ミク』の音声ライブラリの声が、小さく言った。
「連れて行けば、協力すれば、両方とも助かるものが……一緒に行かないってだけで、小野寺さんとこの人と、両方とも助からないかもしれないって、悲しいと思いませんか……」
 黒と緑の少女は俯き、
「あの、わたしに対するふたりの受け取り方が反対なせいで、協力できないなんて。……まるで、わたしのせいで、ふたりとも助からないみたいじゃないですか……」
 その言葉に、若いウィザードは顔を上げ、険しい表情のまま、"オルゴールの精霊"の訴えかけてくる目を、まるで信じがたいものでも見るようにまじまじと見つめた。
 やがてウィザードは、苛々と頭を振り、
「そんな考え方をするなと言っているんです」低い声をひどく荒げて言った。「――あなたはいつもそうだ、01。あなたやVCLDが、広告代理企業や権利団体に狙われるのも、あなたのせいじゃない。こいつや《札幌》の命運だって、あなたには何の責任も、かかわりもないんです」
 その言にも動じたというわけではないが、"オルゴールの精霊"は、ウィザードを悲しげに見た。――それから、青年の方に目を移した。
「ねえ、助かりたいですよね……」
 青年は呆然として、ただ言葉のままに、黒と緑の少女を見上げた。
 その不安げな表情を見上げても、やはりわからなかった。その言葉も青年に向ける表情も、ふわふわと捉えどころがない。人間ではなく妖精のような、もちろん、妖精になんて誰も会ったことなどないのに、そう感じる自体も不思議だった。
 機械に対してこんな話など、聞いたことがない。機械でもなければ、『マスター』のような人間に憧れる、人間のなりそこないの機械でもない。機械と人間との間にあるものにさえ収まっていない、完全に得体の知れないもの。
 ――ウィザードは、その後もしばらく沈黙していた。
 その黒と緑の少女と、見上げている青年を見つめていた。その目からは、さきほどまでの青年個人への激しい憎悪は薄れていたが、むしろ、自分に対して何かの決心がつかないように見えた。
「これは《札幌》の命運もかかってるんです」やがて、ウィザードは低く言った。「01の泣き落としで片付けられるような話じゃない」
「いや、泣き落とし、とかでもないだろうぜ、今の01の話はさ」カウボーイが、背の長大なライフルを担ぎ直して言った。「中身自体は結局、小野寺が最初に計画してた通りの話だよ。その上、全員の成功率と生存率が一番高くなる、当たり前の意見だってだけで、さ」



(続)