Lives behind the live (3)


 その叫びに、"オルゴールの精霊"が、青年を振り向いて言った。
「ええと、あの……向こうは、ライブ中なのは、わたしのアスペクトですから」
 青年は押し黙った。つい先まで嫌いだの害してやるだのと息巻いていたその相手、ミクからじかに声をかけられ、しかもその張本人が侵入者の質問に対してわざわざ説明を始めたことに対してだった。とても人間の感覚とは思えない。
「CV01はAIだ。ネット上の情報生命体だ」カウボーイが、黒と緑の少女の説明のあとをひきとった。「ライブに出るのも、VCLDのごく一部の側面(アスペクト;様相、態様)を、物理空間の義体やホログラフや画面上や擬験構造物(シムスティムコンストラクト)に、投影したものにすぎないのさ」
「ライブの方はただの映像ってことか?」青年はふたたびカウボーイに言った。「こいつが本物で、あっちは偽物なのか?」
「いんや、”アスペクト”はVCLDの一部だ。全部、ここにいる”化身(アヴァター)”ともつながってる」
「こいつが、このアヴァターとかいうのが本体なのか? ライブをしてるのは、分身だとか、子機だとかいうことか?」
「そうじゃない。VCLDは、いわゆるマスタースレイブじゃないんだ。上が支配してるわけじゃなく、焦点のアヴァターは――」カウボーイは、ここにいるミクの、黒と緑の”オルゴールの精霊”の姿を指差し、「ネット上のアスペクト全部の集合体、総体の、そのまた”擬人化”にすぎないんだ。末端がどれか切れてなくなっても、他の部分はある。末端が全部なくならない限り、総体もそのアヴァターもなくならない。全体を支配したりコントロールする、中心部なんてものはない。ただ総体ぜんぶと、それの擬人化しかない。――だから、お前がやろうと思ってたこと、VCLDの中心部をハッキングして、人間が支配権を掌握だの消去だのは、そもそもが無意味なのさ」
「ちょっと待ってくれ」青年はカウボーイを遮って言った。自分が嫌悪する”ボカロ廃人のキモ連中”の声高に叫んでいることを、なんとか思い出そうとした。「ミクは、ソフトを買った人間が作った歌を歌うもんじゃないのか。ミクを買った『マスター』の支配下に置かれてコントロールされてるものじゃないのか……」
「そりゃ、ややこしい問題だな。まず前半だがよ、VCLDの歌はたいがい、人間のP(プロデューサー)の誰か作ったvsqさ。だがVCLDって物の本質は、そのソフトやvsqのたかがひとつなんかじゃない。VCLDの実体は、そういうの全部の集合体だってことは、だぜ……どんな凄いヒット曲を作っている人間だって、一相のアスペクトに関わってるだけの人間ひとりなんて、『マスター』なんてものには、ほど遠い。誰だって、VCLDに触れて何かを作れるが、VCLDを『コントロール』やら『支配』やら、『マスターになる』なんて名乗れるやつなんて、誰もいない、ってことになる」
 青年は沈黙した。つかみどころのない、この『ミク』の姿だけでも何もかもが青年の今まで捉えていたネットやら機械やらからかけはなれているが、ましてカウボーイの今言ったAIおよびVCLDの説明は、完全に青年の理解能力をこえていた。
 しかし――世界じゅういつどこででも同時に存在し歌い続け、そしてどれもがなぜか『初音ミク』という同一の存在と認識されるそれを、そして今も、ライブと同時にこの場にも確実な実在感を持って存在する『ミク』について、まともに説明することができるのは、今の話以外には青年は聞いたことがない。それは漠然とわかった。
「――ともかく、01も俺達も、こんなやつ相手に時間をとってる場合じゃないんだ」
 黒と緑の少女の不安な視線の前でも、ウィザードはさきの話を繰り返した。
「こいつを、《浜松》の警備部にさっさと引き渡しましょう。《札幌》の㍗さんには一言連絡して、それ以上、ライブ中のかれらの手をわずらわせるまでもない」
「うん……小野寺、こいつを使って、例の話を実行するんじゃないのか……」
 カウボーイのその言葉に、ウィザードはひどく苛立たしげな視線を送った。
「俺を使ってって」青年はその言葉に我に返ったように顔を上げた。全身の血の気が引く思いがした。「何をする気だ」
「これくらいはまだ説明してもいいだろ……」カウボーイは、ウィザードに一言断ってから、「侵入者の、”チハヤ”に操られてるお前を利用して、”チハヤEN”の"俸給魔道士(ウェイジ・メイジ)"の居場所をつきとめる、って計画なのさ。元々、おれたちがお前をとっ捕まえたのは、その目的のためなんだな――」



「元々、その目的のために、ここにCRV2のICEを配置して、お前をとっ捕まえたんだよ。そうでなけりゃ、お前みたいな何の知識も技術もない侵入者を、ひとりひとり捕まえる値打ちも、余裕もこっちにゃ無いからな」
 カウボーイは青年の、いまも手の甲にある紋章を指差し、
「その”ハッキングツール”とやらは、お前がCV01を乗っ取るための道具じゃあない。”チハヤEN”の"俸給魔道士(ウェイジ・メイジ)"が、お前の脳味噌を乗っ取るための道具、そのために持たせた代物なんだぜ。そいつは、今でもウェイジメイジとつながってる。――だから、それをたぐれば、張本人のところにたどりつける。たぶん、ライブを本当にブッ壊す危険性があることをやってる、本人のところにさ」
「自分で準備しておいて何だが、俺はやはり反対です」
 若いウィザードの方が、カウボーイののんびりした説明を遮るように鋭く言った。
「実際に侵入者を見て、はじめてわかった。侵入するような者の、『ボカロアンチ』とやらの性質は予想しているつもりでしたが。――こいつは、予想よりも遥かにクズだ。性根も、それ以上に、知能も」
 ウィザードは、三本の音叉の社標(ロゴ)が捺されたバイザーの下から、殺意すら感じられる視線を青年に向け、
「こんなやつが信用できるか。《札幌》の命運のかかった電脳戦(コアストライク)に連れていけるわけがない。こいつが、CV01や《札幌》に対して何をするつもりだったか。――そして、こいつの知能では明らかに、今までの俺達の話を充分理解できてない。である以上は、今からだって、さっきまでと同じことをしようとするだろう」
「どうせやろうとしたって、こいつにそんな能力はカケラも無いわけだがよ」カウボーイが言った。
「能力は問題じゃない。01を汚せる、《札幌》を潰せる、できると信じていて、こいつがそれをやろうとしていただけで十分だ。こんなやつに、どんな形だって手をかりたりするもんか」
「――勝手なことを言いやがって」青年が、そのウィザード以上の敵意をむき出しにして言った。「こっちだって、お前らなんかに喜んで協力すると思うか」
 カウボーイは呆れたようにおどけて、青年の方に首を曲げ、
「お前、自分が”チハヤEN”に騙されたのに、まだそっちをかばうのかい……」
「知るか。”チハヤ”が何かなんて知らないが、そんなものより、ボカロやお前らの方がよっぽどむかつくんだよ」
「そのむかつきとやらが、”チハヤ”に操られて起こされてるものだ、って言ってもだめだろうな」カウボーイは肩をすくめてから、ウィザードに目を流し、「今じゃ、まんざらチハヤだけが原因でもないし――」
「聞いた通りです。こいつも協力する気はない」ウィザードはそのカウボーイの視線にも、何ら表情を変えずに言った。「強制してやらせるだけの値打ちがあるとも思えません」
「じゃ、これからどうする……」
「俺が自力でウェイジ・メイジを探し出す。そして《札幌》への攻撃を阻止する。今までに、企業の電脳攻撃に対してやってきたのと同じこと、それだけです」ウィザードは言った。「北川さんは、こいつの処分と、あとの《札幌》への連絡と、バックアップを頼みます」
「小野寺が、ひとりで探しに行く気かい……」
「俺は《浜松》のウィザードだ。そこらの企業のメイジやタオシーごときや、フリーのシャーマンやコンソール・ウィッチ程度におくれはとりません」若いウィザードは即座に、強固な意識と決意を漲らせて答えた。
「能力じゃおくれはとらなくったって、それだけじゃ、どうしようもないこともあるんだぜ……」だが、カウボーイはそのウィザードの意志を、飄々と受け流すように、「やつらは巨大企業で、さらにうしろには”軌道千早グループ”がいて、そのまたうしろには、この極東を支えてる権利団体と、例の広告代理企業がいる、ときてる。金に任せた電脳戦プログラムの量や質だって、〈脳死(フラットライン)〉プログラムの殺人兵器だって躊躇わないんだ。――おれは、小野寺ひとりじゃ、メイジに返り討ちにはならないとしたって、確実にうまくやるには何日もかかると思うけど、さ。そんなんじゃ、《札幌》のICEの城壁が破られるまでに、間に合いやしないぜ」
「他にとれる手段はない」ウィザードは突っぱねた。「多少成功率や時間が有利になるのは、信頼できればの話だ。こんなやつに頼るのは論外です」
 ウィザードは青年を睨みつけたそのままで、それきり沈黙した。まだ何か言いたいこと、おそらく罵倒の限りを尽くしても足りないのだろうが、今の差し迫った任務に無関係なことを掘り返している場合ではないので、口をつぐんでいる。さりとて、あっさりとこの男を放って淡々と任務に戻るほどの感情の整理はついていないようだった。青年はそのウィザードの激しい憎悪の視線を見返すほどの気力まではなく、ただ、俯き加減に仏頂面で格子(グリッド)を見つめた。
 カウボーイは、どうしたものかとでもいうように眉をひそめ、首を振った。
 黒と緑の少女、"オルゴールの精霊(オルゲルガイスト)"、CV01のアヴァターは、握った片拳を口に押し当てながら、上目使いで、かれらの様子を順番に見比べるように眺め続けていた。かれらが叫びあっている間も、そのあとにおとずれた長い沈黙の間も、ずっとそうしていた。



 ――が、不意に、少女は顔を上げて、耳に装着されたインカムに手を当てた。
 しばらく耳をそばだてるように(この概形(サーフィス)では、インカムになっている彼女の耳は見えないのだが)宙を見つめ、瞬きしていたが、やがて手を離し、空中に手をかざした。
 何かの機器のスロットから引き出すように、少女が手を手前に動かすと、宙から引き出されるようにディスク状のオブジェクトが現れた。今、ダウンロードしたデータを受け渡し可能なファイルとして、目の前に実体化させたのだろう。
「あの、――今、姉さんから届きました」
 "オルゴールの精霊"は、カウボーイの方に歩み寄りながら、そのオブジェクトを差し出した。
「CRV1からか。中身はなんだ」
「わかりません。ええと、わたしは開けちゃ駄目だって。もしそこにいるなら、北川さんに渡せって」
 その言葉通りに少女が差し出したアーカイブファイルを、カウボーイは受け取り、手紙を開くようにその中身を手元に展開した。


(続)