Lives behind the live (2)


「『本気でVCLDを嫌っていて、潰そうとしてる連中』がいる、それは確かなんだけど、さ。ただ、ちがうのは、それはお前達みたいな《秋葉原(アキバ・シティ)》の一般人なんかじゃなく、巨大組織の群れだ、ってことだ」長身で灰色の髪、工兵の戦闘服のような電脳内概形(サーフィス)の、《浜松》のカウボーイが言った。「――CV01がデビューした、5年ちょい前から、検索を妨害したり、データベースへの登録を妨害したり、ネガティブな報道を流したり、コンテンツを勝手に権利登録するように工作したりした、広告代理の巨大企業、プロダクション、放送局、それらと結託してるいくつもの企業や法人、権利管理団体。01の名前も売れて、そんな些細な情報妨害じゃ潰せなくなった今も、《札幌》に対して、《大阪》や《渋谷》が対立しているよう演出したり、《札幌》を、というより01を蹴落とす機をひそかに狙ってるのさ。――で、今回のは、”軌道千早”ザイバツの傘下、件の広告代理企業の手先。巨大企業(メガコープ)の”チハヤEN(エンターティメント)”だ」
 青年は戸惑った。敵は自分などではない、別の大きな何かが、ずっと昔からいる、と言われても、このVCLDの世界にはにわかにしか触れていない青年には飲み込めない。
「――企業がどうかなんて知るかよ」青年はようやく言った。「俺は、あくまで自分の考えで、ボカロが嫌いなんだ」
「そうかい。だが、別に個人の好き嫌いなんて、おれたちにはどうだっていいことさ。好きならファンになればいいし、そうでなけりゃ別にいい。――それに、自分のアタマで考えてるならともかく、お前のは明らかに『自分の考え』なんかじゃないから、さ。お前が何が嫌いってのも、”軌道千早”が頭に流し込んでる、そのままなんだぜ」
 カウボーイは肩をすくめ、その拍子に背の長大なライフルを担ぎ直し、
「今までのネットワークとかの話で、もうわかってるだろ……自分が知ってることなんて、自分のアタマで考えたことなんて、何もないってのが、さ。VCLDについても、現に『マスター』がどうとかいう、相手側、”ボカロ廃”側の言ってることなんかを、ただ鵜呑みにしてるだろ……VCLDの世界がどれだけ広がってるか、自分のアタマで捉えてりゃ、『マスター』なんて鵜呑みにするわけがない。もっとも、VCLDファンの方についても、今言った”『マスター』だとか名乗ってるキモ連中”の方も、”千早”が踊らせてそうさせてるんだけど、さ。VCLDファン側の中でも特に非常識な”ボカロ廃”と、それに当然反発する”アンチ”が衝突を起こすように仕組んでるのさ」
 青年はさらに戸惑った。事情はわかってきた――が、自分は何か酷いことをされ、少なくとも何か酷いことに利用されている、という話らしいが、ますます実感がわかない。
「そいつらは、なんのために俺達を操作するんだ」
「聞きたいってのは、どれのことだい……」カウボーイが言った。「やつらが操作する理由なら、いくらでもある。やつらの究極的な何かのことかい……VCLDを潰す目的のことかい……それとも、当面の、今回の事件の目的のことかい……とりあえず、今回のことを言うなら、お前を操作してこうさせたのは、”囮”に使うためさ」
 カウボーイが肩をすくめ、
「実は今、この《札幌》のデータベースの別のところに、”チハヤEN(エンターティメント)”の"俸給魔道士(ウェイジ・メイジ)"が侵入してる。ウェイジ・メイジってのは、やつらが社内に抱えてる、ウィザードの一種でな。巨大企業(メガコープ)でも、”軌道千早”みたいな財閥(ザイバツ)は、誰も外の者は信用しない。フリーのカウボーイを雇ったりはしない。で、お前を囮にしておいて、そいつがすでにどこかに潜入してるんだ」
 カウボーイは、青年の手の甲の金線の刻印を指差し、
「もう説明するまでもありゃしないんだが、そのプログラムが”ハッキングツール”だとかいうのは、完全なでまかせだぜ。そんなもの、〈力技(ブルートフォースアタック)〉の助けになる機能すら持ってやしないのは、ちいとでも電脳技術があるやつに見せりゃ、ひと目でわかる話さ。お前達みんなに無駄な騒ぎを起こさせるために、持たされてるにすぎない。で、――ライブの間に、お前たちが軽率な騒ぎを起こして、捨て駒になってる間に、”チハヤEN”の本物の専門家が、《札幌》のICEに”本当に”切り込む、って話さ。VCLDは人間どころか企業力でもどうやっても破壊できないが、VCLDが所属契約してる、《札幌》の会社自体は、そういうわけにはいかないからな。VCLD自身じゃなく、芸能活動や販売にダメージだ。で、やつらの狙いは会社の方で、お前たちを操ったのも、《札幌》やおれたちの目を、そっちからそらすだけのためってわけさ」
「信じられるかよ」
 青年は吐き捨てた。しかし、それは反発という以前に、自分のうしろで起こっていることを説明されても把握できない、その実感がわかないのだった。
「もういい、北川さん」若いウィザードの方が言った。「こんなやつに説明したって無駄だ。さっさと、こいつの始末を――」
 そのとき、”氷の壁”の中から、浮き出すようにして何かの姿が現れた。ICEの壁を平気で通り抜けてきたそれは、あらゆる意味で、明らかに”人間”ではありえなかった。



 少女のようなその姿は、決して劇的な登場ではなく、むしろ見栄え悪く、ひかえめな足取りでこの場に歩み入って来ただけだった。逆に言うと、彼女はただそれだけの仕草で、例の『氷』を素通りして来たのである。自分があれほど破ろうとしてびくともしなかったICEの壁を、ただの弱々しい足取りだけで通り抜けてきたことは、決して大げさではなく青年を驚愕させるに充分だった。
 それとは関係なく、その少女の姿が『初音ミク』であることは、どういうわけか、青年にもひと目でわかった。――もっとも、それはネットやその他メディアで知られている『初音ミク』の姿とは、まったく違っていた。長大なツインテールの髪に薄着、というよく見る姿ではない。癖の強いセミロングの髪を、一部だけ後ろでアップにし、艶のない黒系がベースの厚着は、一部に入った緑のチェック柄などのせいで、相当にシックな印象を与える。落ち着いた服装だけでなく、年齢も少なくとも18歳か、それよりも上に見えた。(これは、"オルゴールの精霊(オルゲルガイスト)"と呼ばれる、CV01の化身(アヴァター)の一種だが、青年どころか、VCLDファンでも目にしたことのある者すら少なかった。)
 そこまで違っていたのに、なぜ現れたそれが『初音ミク』だと確信できるのか、それは青年にもわからなかった。だいたい青年は初音ミクのファンでも何でもなく、元の姿もそう詳しいわけでも、よく見たことがあるわけでもない。なのに、ともかくも、一目でまぎれもなく初音ミクだとわかる、それ以外の何でもありえない。それはこのデザインがそう思わせるものなのか、それとも、他の要因、”存在感”のためなのか。
 それがミクの証なのかどうかは見当もつかないが、消え入りそうなほど大人しそうでシックな扮装のその少女には、他の人間とは明らかに異質の実在感があった。いわゆる”あにめ”調、低解像度擬験構造物(ローレゾ・シムスティム・コンストラクト)だが、その姿には人間よりもよっぽどリアリティがあるかのように錯覚するのだ。青年は(電脳空間内では無駄と知りつつも)目をこすった。
「何をしに来たんです、CV01」
 若いウィザードの方が、その少女を振り向いて、驚くほどぶっきらぼうに言った。
「あの――ええと、今までの話を聞いて、心配になって、来てみたんです」
 黒と緑の少女が声を発した。この時代の者ならば誰もが聞いたことのある、あの声だ。もっとも、それは数千万人の前で歌う”あいどる”の声どころか、まるでワンルームマンションの部屋の隅までも届かせる気があるのかというくらい、自己主張のない発声だった。控え目で落ち着いてはいるが、重みはまったくない。まるでふわふわとしてつかみどころのない、文字通りに、浮雲のような感触しか耳に与えない声だった。
「心配って、一体、何がです」ウィザードがいらついたように言った。
「ええと、……みんな心配です」少女はとぎれとぎれに言った。「その捕まえた人を、どうするのか、だとか……」
 黒と緑の少女は、そこで青年の方を振り返って、心配げな様子で見た。――青年は真っ先に、それは”機械が人間に対して向ける目ではない”と思った。
 青年はここの侵入者で、ミク本人を害そうとした敵だ。機械なら、青年を攻撃対象の黒(FALSE)に断定する、とか、杓子定規に行動を起こさない白(TRUE)に断定する、とかするものではないのか。あるいは青年を攻撃するかしないか、『マスター』の命令を待つのではないのか。しかし、彼女の青年に向ける目は、敵意でも無視でも、どちらでもない。
 さらに、その穏やかな目をじかに向けられて気付いたのは、そこに『恐怖』が、侵入者・破壊者である青年に対する恐れが、何もないことだった。彼女自身の言葉通り、こちらを『心配』している色しかない。しかもそれは、まるですでによく知っている誰かを気遣うような目だった。なぜだ。青年はこの少女にも、その他のミクにも、会ったことなどないというのに。
 しかし、その黒と緑の少女の儚げな視線は、すぐに青年から、話し相手のウィザードの方に戻ってしまった。
「ええと……あとは、その人のことで、小野寺さんや、あと北川さんも、無理なことをしたり、誰かに無理なことをさせたりするんじゃないかって思うと」
 台詞だけ聞いていれば、そこにはウィザードに対する、うまく意思疎通できないもどかしさに自分の方が苦しんでいるような、ひかえめな少女のそれしかない。
「あなたが心配するようなことじゃない、CV01」
 ウィザードが低く言ったが、これは怒声に近かった。庇護する相手に対するものではない。対等の人間に対するようなものに見えた。
「だいたいこんな野暮な事件のことを、あなたが監視している必要さえないんだ」
「そう言ったって、《札幌》のAIには、このあたりで起こることは別に監視とかしなくたって、アスペクト(様相;態様;分身)を通じて自然にわかるんだろ。それはお前の方が詳しいと思ったぜ、小野寺」カウボーイがウィザードに声をかけた。「そんな、01にさえつっけんどんにすることも、ないだろうぜ。――そうする気分はわかるけど、さ」
 この青年のこと、初音ミクを汚そうと侵入した張本人、さっきまで言いたい放題に言っていた青年に対して、当のミクがわざわざ出向いて、しかも心配だの何だのずれたことを言われれば、ウィザードとしてはいらつくのも当然のことかもしれなかった。
「なあ、あれが初音ミクなのか?」一方、青年は小声で、カウボーイの方に尋ねた。「一体、どうやってここに入って――」
「いや、CRV2の作ったICEは、他の何は遮断したって、CV01の邪魔になることだけは絶対にしないんだぜ」カウボーイが答えた。「このICEは、たぶん01には目にさえ映らないように作られてる」
 CRV2とは、《札幌》の別のAIのチューリング登録番号だが、もちろん青年の知るところではない。チューリング暗号(コード)はVCLDのファンの中にさえ、気に留める者はごく一握りしかいない。
「そうじゃない!」青年はカウボーイを振り向いて言った。他にも不可解な点は山積みだったが、今ここに『ミク』がいることに、決定的におかしな点をようやく見つけたのだ。何故だ? なぜ他の二人とも、この光景が根本的におかしいと思わない?
「今、『初音ミク』は、――ライブの真っ最中じゃないのか!?」


(続)