かまいとたちの夜 第一夜 Lat式ぱらだいす (前)

 千葉市(チバ・シティ)の片隅の、それなりに小奇麗なビルの地下に、VOCALOIDのような姿の人型ロボットばかりが働く店がある。
 聞くところによれば、ここには元々、VOCALOIDに限りなく近い人型ロボット――《札幌》や《大阪》所属のVOCALOIDはAI、すなわち情報生命体であり実体は存在しないが、ここで近いとは、ライブ等に登場する”あいどる”のあの美麗な姿を可能な限り模した最高級品といった意味である――を、テクノロジの限りを尽くして取りそろえ、性的なサービスに供する、要人だけが利用できる最高級の秘密クラブが入る予定だったのではないか、とのことである。千葉(チバ)の街並みは、どこまで表でどこから裏道ともつかないが、その街中で、闇の温床の”夜の街(ナイトシティ)”ほど奥に入り込むわけでもなく、しかし不用意に目立つわけでもなく、かつ高級という絶妙な位置にあるこのビルに、この店が入っているのは、そういう理由ではないかという。
 しかし、何かの事情が生じた。そういう裏のクラブの後ろ盾となるはずだった、多国籍闇社会組織”ヤクザ”が、拮抗する複合企業オノ=センダイ社との抗争によりその商談(ビズ)からの撤退を余儀なくされた、その煽りを受けたのだともいう。その結果、予算や供与人材資材その他の援助をことごとく欠いたこの店は、高級クラブどころか、異常なほどに低レベルで安っぽい、単なる『ボカロコスプレ喫茶兼バー』に成り下がったというわけだった。
 サービス自体は勿論、従業員やバイトの質はきわめて劣悪だった。一応は、全員がVCLDを模した形状の人型ロボットやバイオロイドだが、ほとんどは、正規の品(義体の形状だけ真似るにあたっても、《札幌》や《大阪》のVCLDの所属事務所のライセンスを受けた製品)ですらない、悪質な不正規コピー品だった。服装のおおまかな意匠を除けば、かれらの容姿になんら共通点はなく、無論のこと、中味も同じくらい千差万別だった。
 そして今、準備中の店の中では、その入れ替わりの激しい人員の、補充を行っているところだった。
 雇う側、カウンターの奥にいる店長は、凄艶な年増の、青い短い髪の女で、女声VOCALOIDのどれに似ているとも言えず、バイトらの間では彼女だけ人間ではないか、という説もあるが、よくわかっていない。もっとも、女声VCLD以外の別の説もあった。
「じゃ、前にいた店はやめてきたんじゃなくて、店が潰れたってことかい……」
 女店長の声は、初音ミクの声を調整したものに似ているとも言われていたが、一部には、ひょっとすると男声VOCALOIDであるKAITOのGENを下げた音ではないか、と言う者もいた。店長の『KAMAITO』という名を知る者も、知ってもじかに呼ぶ者もあまりいないようだった。
「ほんとですよ。なんもやらかしてません」
 カウンターを挟んで店長の向いに掛けているもうひとりは、おおまかに『初音ミク』の特徴を備えたバイオロイドだったが、その義体の見た目の印象は公式映像のそれよりも、かなり幼い。服は公式ではシルバーの部分が光沢がない白で、アームカバーが無い。公式の初音ミクに見出だせる鋭角の面影すらなく、線の全てが幼い少女らしい柔らかさに満ちており、全てむき出しの白い腕を組んでちょこんとカウンター席に座った姿は今までにこの店に見られた従業員の平均から考えると、まさしく群を抜いた可憐さだった。肌が反射して異常に白っぽく見えたが、それは店の照明の方が合わないのが悪い、とさえ思わせた。
「前の、新宿(シンジュク)にあったお店は、すごく厳しかったんですけど、私、きちんとその通りに働いてたんですよ。いたのは全員メイド型ロボットで、ばらばらの形でしたけど、全員同じしぐさでおじぎ、台詞も定型、お客のことは『ご主人様』」
「それが嫌になってきたんじゃないのかい」
「まさか。いたってラクなもんでしたよ」白い顔のミクは愛くるしく微笑んで言った。「ただ言われたことをやってりゃいいだけだし、上はそれさえ守ってるのだけチェックすればすっかり安心してて、それ以外のことは何やったって絶対気づきやしないんですから」
 店長はその笑顔を黙って見つめから、
「で、その新宿の店が、潰れたのは何故なんだい」
「そこんとこは私にもよくわかりません。えらいいきなりで」彼女は思い出すように頬に指を当てて、目を上げ、「ほんとに、ある日突然、白のスポーツスタイルのカジュアリイな、おフランス人3人組が、お店に上がりこんできたんです。うちの店の社長に、ヘアドライヤみたいなごっついモノ、なんかすごいハイテク銃ですねきっと、それを向けてなんたら侵害の罪、だとか言って。びっくりしてるだけの社長のおでこに、ポッと丸い光が出て、スーーッて収束して、次の瞬間、こう、グドッパオウゥゥン!! って」
 その擬音の叫び声の部分に、店の奥にいるふたつほどの人影が飛び上がるのが見えた。
「その光ってばレーザーの照準で、つまり、社長のアタマの中の脳の水分が沸騰して、水蒸気の膨張で頭蓋骨が内側から大爆発したんですね」
 店長の方はといえば、カウンターで微動だにせずに、喋る彼女を見ている。
「で、私すぐに、となりのビルに駆け込みました」
「助けを呼ぶためにかい」
「いえ、トイレがあるからです。私達の店のビルには無かったから。で、トイレでゲッボオーーーーーーーーッって思いっきり吐いて。そのまんま、30分くらいはそこにうずくまってましたね」
 白い顔のミクは、そう言いながら今は気分が悪くなっている様子もなく、すでにその回想を語るさまは彼女のパフォーマンスの一部にでもなっているらしい。
「で、その後に店に戻ってみたら、完全にからっぽ。綺麗に全部消え失せてました。社長以外のスタッフも他の娘たちもいなくて、店の内装もなくなってて、30分で綺麗に入居前状態のがらんどう」彼女は首をすくめるようにしてやれやれと目を閉じ、「まあ、よくわかんないそんな事件のおかげで、とにかく行くとこなくなっちゃって」
「事件は確かにわからないが、――あんたの事情はわかった」
「だから、なんとか働かせて下さいよ。問題は何もありませんから」
 店長はしばらくの間、その姿を見てから、
「アカイト! ミピンク!」振り向いて、さきに人の気配のした奥の暗がりに向けて言った。「この娘に仕事教えておやりよ」
 照明のあたらないカウンターの奥から、新たに顔を出した店の従業員ふたりは、非常に大雑把にはKAITO初音ミクの特徴を備えた、一対の男女だった。髪や服のポイントが公式の姿のKAITOで青、ミクで緑となっているところが、それぞれ赤、ピンクとなっているのだが、それ以外の点でも全体的な印象が公式とは似ても似つかない。赤いKAITOの方は、冴えない公式よりも遥かに精悍で長身、細面で鋭いまなざしをしており、まるでKAITOの女性ファンの理想像が形になったといえば聞こえがいいが、要は、おおよそ初音ミクの男性ファンが『ミクの隣には絶対に居て欲しくない』と感じるKAITOの姿そのものだった。ピンクのミクの方はもっと顕著で、すらりと細身ながらも胸と腰に極端なほど女性らしい曲線を帯び、おそらくKAITOの女性ファンなら『こんな女がKAITOの隣にいるのは絶対に許せない』と思う類のものだった。男女の理想像ながら、おおよそ、これほど不似合なふたりも考えられない。
 そんなふたりが、赤いKAITOはうんざりと疲れたような表情で頭をかきながら、そしてピンクのミクはその赤いKAITOの腕に胸を押し付けるようによりかかり、腰をくねらせて、何か喋りながら歩いてきた。店長の向かいの席の白い顔のミクは、どうやら採用されたことを喜ぶよりも、何やら奇怪なもののようにその一対を見上げた。
「わ、ほら! ねぇアカイト! 新しい娘よ!」ピンクのミクは、カウンターの姿を認めると、駆け寄り、目を輝かせた。「わー! かわいいかわいい!」
 ピンクのミクは覗き込むように上体を傾け、突き出した腰を回しながらの無意味に扇情的なステップで、おじけるように肩をすくめている白い顔のミクの周りを、ぐるぐると歩き回って見まわした。
「何やってんだおまい……」呆れたままの赤いKAITOがうめくように言った。
「でもどうしよー」が、ピンクのミクは突如止まり、上目使いでかすかに頬を赤らめた。「アカイトがこの娘に目移りしちゃったら私アカイトにもっとHなことさせてあげなきゃ駄目なのかなー」
「ひとりで勝手に超展開を進めるんじゃねえ……」
「ねえ、なんて名前なのー?」ピンクのミクが再びのぞきこむようにして尋ねた。
 白い顔のミクは答えようとしたようだった。が、その前に店長が、カウンターに肘をついたその手で指さして言った。
「よし、今日からあんたの名は、『Lat式』だ」
「え」
 白い顔のミクは開いた手をしばらく激しく宙に揺らしてから、思わず店長を見返し、
「何それ! えっと何から突っ込めば、そのまず、それ、名前にも何にもなってないじゃないですか!」彼女は叫んだ。「私、ミクなのに! どうして『ミク』じゃ駄目なんですか!?」
「あんた、この店に『ミク』が何体いると思ってんだい」



「てか何で名前まで『Lat式』なんですか。まんまじゃないですか。だいたい、二次創作の人名に誰か別の人名が入ってるってどうなんですか」Lat式は店内をミピンクに案内されながら、その背中に向かってぶつぶつと訴え続けていた。
「えーでも『ミピンク』の方がずっと酷いじゃない? そっち以上にまんまだしー」ミピンクは振り返らずに歩きながら言った。「最初、私なんて『桜ミク』がいいってわざわざ店長に頼んだのに、『ミ○ティみにVol.1』だとかいう名前にされそうになったんだからー」
「それはひどい」
 Lat式は思わず一度立ち止まって、うめくように言った。が、
「……でも、ぶっちゃけピンク先輩って、絶対『桜ミク』なんて清楚なガラじゃないですよね」
 一方、アカイトの方は、まだ店内のカウンターに残っていた。
「どうしたんだい」店長が叶和圓(イェヘユアン)フィルタの煙草を箱から引き出しながら、その何か考えるようなアカイトを振り向いて言った。
「……なあ、さっきの店長とLat式の話、うしろ半分だけ聞いてたんだがよ」アカイトはカウンター席に斜めに掛けた。「あのLat式の、前の店が潰れた時に来たフランス人って、そいつら……きっとフランスから来たんじゃねえ。スイスからだぜ」
「なんの話だい」
「つまり、そいつら、チューリングマッポどもだ」
 チューリング登録機構。ジュネーヴに存在する、AIの番号と権利を管理する国際機関。AIとは、この店にも何体もいる普通の人型ロボットに入っている疑似人格プログラムなどとは別物の、本物の高位AIのことである。《札幌》や《大阪》の本物のVOCALOIDのAIもそうだが、チューリング登録された高位AIは、ネット上の大規模情報生命体であり、スイス市民権を有している点で、他の電脳存在とは一線を画している。不当に自らを進化増進させようとしたAIをはじめ、そのAIの陰謀に力をかした者、逆に、AIの権利を不当に侵害した者は、それがどんな些細な事件、些細な個人でも抹殺され、巨大な法人も跡形もなく抹消される。巨大企業(メガコープ)にそんなヘマをやるものは無いが、絶大な権力や財力を持つ個人がとち狂ってAIの陰謀に加担した結果、一夜にしてチューリング捜査官に消された話なら、千葉(チバシティ)ではいくらでも聞くことができた。
「その前の店の社長とやらは、どっかのAIに関わったせいで、チューリングに消されたのさ」アカイトは口を覆うように、Lat式が出て行ったカウンターの奥を振り返り、「やばいぜ、あいつも」
「カウボーイの勘かい」店長は叶和圓に火をつけて言った。
「オレはカウボーイ(註:攻性ハッカーの称号)じゃあねぇ。ただの操作卓(コンソール)ジョッキイだよ」アカイトは反駁してから、「けど、あのLat式のうしろに、チューリングの影がちらついてるってだけで……AIに何か関わりあいになったってだけで、物のついでに消されても、チューリングのやることには、誰も抵抗できやしねえ」
 チューリング登録機構は、AIと人間社会との衝突が起こらないよう、いかなる手段を用いても調整するため、国際条約によりあらゆる国家や企業に対して絶大な権限を有している。さもなくば、未知の強大な別生命体であるAI群と人類との間にはもっと恐ろしいことが起こる、それはあらゆる法人が、というより、正気の人間ならば誰もが恐れるからだ。
「前の社長に何か問題があったとしても、新宿(シンジュク)の店がからっぽにされた、その時点で全部処分されただろ」店長は煙が出ている叶和圓(イェヘユアン)から唇を離して言った。「あのLat式がまだ追われてるってんなら、今もああやって生きてられるわけがないよ。とるにたらない人型ロボット一体が、チューリング相手にさ」



(続)