神威女難剣紫雲抄(11)


「何だ……」神威がくぽは弱々しく、巡音ルカを見上げて言った。「ゆかりは今、我を助けてくれた、ゆかりのおかげで生き残れたのだぞ……」
「まだ、そんなおめでたいことを言っているのですか」
 ルカは平坦に落ち着いた、しかし驚くほどの低く重さを感じさせる声で言った。
「今しがた貴方は、ゆかりと別の出会い方ができればよかった、と言いましたが――これが今回とは別の出会い方なら、勇馬との人違いではなく、じかに”標的”として七人組に狙われ襲われていた、という出会いだったかもしれないのですよ」
 ルカは、向こうで折り重なって倒れている他の4声には(特に、いろはがリュウトをののしり続けている様子にも)目もくれずに続けた。
「……そもそも、この女がなぜこの場にいるか、なぜこの場に出てきたか、わかっていないようですね。七人組の、あるいはがくぽの観戦か応援のためとでも思ったのですか。明らかに、あの7体のデコイにかわって、がくぽの技を見て記録し、その電脳戦(コアストライク)のデータを七人組のもとに持ち帰るためなのですよ」
「見ていただと?」がくぽは呻くように言った。「だが、我らの戦いは、遮断幕で他の誰も見えず……」
「気がつかなかったのですか。今、遮断幕を私が破るよりも前に、この女は貴方のそばに近づいていました。つまり、最初からこの女は遮断幕の『内側』にいたのですよ。その理由は、七人組がそれを許した、としか考えられません。その目的は、この女が戦いを見て、記録することが可能なようにです」ルカは平坦に言った。
 ゆかりは、ルカの姿と、その手の自分に向けられたグラットンソードの切っ先をおそるおそる見つめたまま、無言で立っていた。
「だが、ゆかりは今、我を助けてくれたのだ」がくぽが静かに言った。「現にゆかりの言葉のおかげで、我はかれらを撃退できたのだ」
「何度も言いますが、この女が”七人組の利益”よりも、”貴方”を尊重することがあるなどと、まだ思い込んでいるのですか」
 ルカが冷たく言った。
「あの7体のデコイが敗れても構わない、というところまで含めて、七人組とゆかりの計画通りだったのです。貴方が存分に剣を揮い、秘剣を見つけられるような助言をしたのも、その計画の範疇です。そして、ただのデコイがその秘剣に斬られたとしても、ゆかりだけ秘剣のデータを記録し、持ち帰れば、ただそれで良いのです」
「まさか、そこまでのことを……」がくぽは呻いた。「何の証がある!?」
「何故なら、私なら――オクハンプトンや《札幌》のVOCALOIDなら、間違いなくそうするからです」ルカは髪をなでつけて言った。「秘剣、手に入る電脳戦技術すべてを手に入れるためなら」
「しかし……」
 がくぽは、いまだに信じられないかのように、ゆかりを見上げて言った。ゆかりはおびえたような目で、がくぽとルカを見上げたまま、言葉もなかった。
「私の推測など信じませんか」ルカががくぽに冷たく言った。「仮に、もし今、それをゆかりが否定したとすれば。私よりもゆかりの方を信じる、とでも言うのですか。この災難に貴方を陥れた張本人を」
 そういう時のルカの声色はすでに、必ずしも無表情ではなかった。何か、なかば、投げやりにも感じられた。
 結月ゆかりはまだがくぽの傍らに立ち尽くしたまま、そんなルカをおびえきった表情で見つめていた。
 その3者の対峙がしばらく続いた。灰色のICEの遮断幕のおろす影が、いまやすっかり晴れた。
 が、不意に、結月ゆかりが、何かにはっと気づいたようだった。いつか見たように、傍で見るものが驚くほどに色を失った様子で、震え出した。
「どうしよう、私……」
 ゆかりは声を押し殺しながら出すように、組んだ指を震える唇の前に押し当てて言った。
「今の果し合いの場面……記録しておくの、全部忘れてた……!」
 ――その後、何ヶ月かが過ぎたが、がくぽやその他のVOCALOIDらに対して、七人組やゆかりについて、目新しいような話は何ひとつ聞かない。……結月ゆかりが、七人組に渡すがくぽの秘剣、秘中の秘の電脳戦(コアストライク)の術について、記録を本当に忘れたのか、記録を削除したのか、それともわざと記録しなかったのか、それはわからない。どちらにせよ、ゆかりはそれを七人組のもとには持ち帰らなかったようだった。七人組やその《川崎》の社や結月ゆかりが、”遊雲”やそこから見出したと思われる電脳技術を役立てた形跡、がくぽから奪った何かを用いた形跡はない。結月ゆかりが以前と違うもの、AIを大幅に進化させた、”スキマ”に関する何かの技術や技芸を与えられ、使うようになった、というような話も聞く限りでは無い。
 にも関わらず、七人組が改めて奪いに来るということも、今のところ無い。がくぽが、明らかにそうとわかる範囲において、七人組やその手の者、まして結月ゆかりに何か狙われるということも、以後何もなかった。
「もうひとり秘剣を持ってる勇馬のところも、あれから特に狙われたって話はない。あと、あれからずっとリュウトが、『年上の女が自分のところにも色仕掛けに来てくれる』のを毎日のように期待して待ってるけど、そんなのあるわけない」GUMIが、兄妹らに報告するように言った。「少なくとも、結月ゆかりについては」
「単にゆかりがこの手の役目からいいかげん外されただけじゃないの?」Lilyがうんざりして言った。「襲う相手を間違ったり肝心の記録を忘れたりするようなドジッ娘炸裂女は、そんな策略には向きやしないって」
「いや、むしろ、我は思うのだが」
 がくぽが、果し合いの前後のゆかりとのやりとりを思い出した。それと同時に、最後まで楚々として控えめながら、茫洋としてなよやかな言動と物腰の数々が、がくぽの目の前に鮮やかに浮かび上がっていた。
「ゆかり自身が、その手の策に携わり続けることを、今後は思い留まってくれたのではないか、と思うのだ。そして、七人組がゆかり自身の意思を何よりも尊重するのであれば、必ずやそれも許すであろうから」
 がくぽは風を切るように、扇を開いて宙にかざした。扇に捺された『楽』の字が、旗印のようにひらめいた。
「いや、それに相違なかろう。――不幸な事故だけが原因で対立を続けるなど、誰も望むものではない……ゆかりにせよ、七人組にせよ、それが終まで理解できないことがあろうか」
「おめでたい人たちですね」
 巡音ルカが突如、口を開いた。
「問題は何も解消していないのですよ。七人組が今も裏で何かを企んでいないという証などありません。それ以上に、――」ルカはなぜか言葉を切り、「『不幸な事故』の一言で全部片付けて終わるつもりかもしれませんが、貴方の方からゆかりに手を出した、という事実は消えることはないのです」
「だが、ゆかりにもその拘りはなく、七人組にも既にないのだろう?」がくぽはルカを見上げて言った。「果し合い以後、それを持ち出してくることもないではないか」
「かれらが忘れたとしても、忘れたままにはしておかない者が居ます」ルカは全くいつもと変わらない平坦な口調を言った。
「……一体、何を言っているのだ?」
 がくぽは、ルカの目を見上げて言った。そのルカの口調からは、がくぽには真意をはかることが全くできないようだった。
「いや……そも、何故ルカは、それほどまでに怒っているのだ? ここまでの危機をくぐりぬけたというのに。我がこうして今、生き残っていることを、ルカはもっと喜んでくれるとばかり思っておったが。ゆかりはそうしてくれたが……」
 その言葉に、ルカは無言でがくぽを見つめた。がくぽを見る目には、無表情の奥に、何かの激しい苛立ちのようなものがあった。それはGUMIとLilyから見れば、どう見ても明白なものだったが、果たして、がくぽに見えていたか、どうか。
「かれらはあのとき、あきらめない、と言っていたではありませんか。くれぐれも、それを忘れることのないよう」ルカは低くも鋭い声で言った。「――そして、私も決してあきらめない、ということも」
 ルカはそう言い残すように、身を翻し、立ち去った。
「何だ――」
 がくぽは頭をかかえた。
「ルカが、何をどうあきらめないというのだ? 今までの話と何の関係がある? 一向にわけがわからぬ――」
 GUMIとLilyはしばらく顔を見合わせてから、またどっと疲れが出たように、ため息をついた。がくぽがあれほどの死地を潜り抜けたにもかかわらず、一向に、がくぽが何か女声VOCALOIDがらみの修羅場から抜け出した、という状況にはなっていないのだった。