剣と魔法とボカロもの 〜 癒しの女王と黒翼の魔王 (8)


8.ネメシス




 ガス・ドラゴンの毒液に苛まれたがくぽと、全身がリンの呪文で焼け焦げたレベル3サムライとでは、どちらも満身創痍には違いないが、それでもがくぽの方がまだ余裕があった。そして相手の『レベル3』という名から考えて、能力では、がくぽの方が遥かに上のことは確かである。だからこそかえって、リンは最後の最後で”不慮の事故”が起こらないことを心底願った。
 抜き放った刀(のようなビジュアルの、データ上はただの長剣)を構え、ひとたび対峙すると、その負傷を忘れさせるかのように、両者はするすると間合いを詰めた。がくぽは陰の霞(上段)に、一方、敵は頭上よりやや上の大上段に、しかし切っ先を背後に向けず天を指すように、体正面のまっすぐ真上に向けている。リンとレンの剣技の知識などはレンが他のゲームで見ている程度だが、それにしても何か見慣れない構えだった。
 よどみなく間合いが詰まると同時に、その両者の剣が同時に落ちかかった。レベル3サムライの剣は、がくぽの剣よりだいぶ遅く出て、その剣を受け止めようと振り下ろされたように見えた。それを見てリンは、自分がかすかに安堵の息をついたのを感じた。がくぽが『攻撃される』心配はもう無くなった。ゲームシステム上、今のがくぽの技量ではすでに『一行動あたり2回』攻撃できる。たとえ今のがくぽの剣を受け止めても、もう一撃があり、相手にはもう反撃する機会はない。決してがくぽを倒すことはできない。
 が、そのとき、信じられないことが起こった。
 両者の剣が交錯したとき、予想されていた金属が打ち合わされる音に、まるで同時に肉を切り裂く音が入り混じった。直後、両者は振り下ろした姿勢だったが、攻撃のためだったがくぽの剣は横に反れており、そして守るためだったはずのサムライの剣がまっすぐに斬りおろされていた。
 ほんの少しの間、その光景がとどまったが、がくぽの鼻柱から喉、そして胸元から臍下近くまで、縦に装束や鎧ごと切り裂けた。ゆっくりと皮膚と筋の収縮力で傷口がめくれ上がり、深々と切り裂かれた傷があらわとなり、瞬時に、おびただしい血が吹き上がっていた。がくぽはその噴出の反動でも受けたようにのけぞって、後ろに倒れた。
 リンの真横で黒い影が疾走した。レンが身の毛もよだつような雄叫びを上げて、サムライに飛び掛っていた。相手の胴に突き立てられたレンの小剣は鎧に当たって逸れたが、その突撃の勢いで両者は背後の石壁に激突した。レンはなおも剣をむなしく鎧に突き立てようとしていたが、サムライはそのレンの顔面に拳を叩きつけた。はるかに体格がまさるサムライはレンに繰り返し篭手を見舞い、レンの顔面が見る間に腫上がり皮膚が引き裂けたが、レンは相手を放さなかった。と、そのサムライの腕が突如として引きつり、がくりと全身がこわばった。ルカの僧侶呪文の”彫像”が発動したのである。
 レンは左手で相手の顎をむずと鷲掴みにし仰向かせると、そのむき出した喉に小剣の剣尖を深々と埋め込んだ。呪文でもつれた舌と喉笛から声にもならない悲鳴が上がったようだったが、直後に鋼が肉を裂き引きちぎる音がして、小剣の切っ先がレベル3サムライの首と頚椎まで割り裂いて貫通し、切っ先が石壁をがりがりと耳障りな音で引っかいてそれらをかき消した。レンは即座に剣を引き抜くと、呪文にこわばったサムライの指の先がいまだ震えているのを見とがめたように、石壁によりかかっているその体の胸元といわず脾腹といわず滅多突きにした。
 リンはその光景を無言で見つめた後、縦に真二つに切り裂かれて二度と動かないがくぽの方に眼を落とした。
「なんなの、今のは!?」それから、リンはルカに歩み寄って言った。「バグったんじゃないの!?」
VOCALOID界隈を含めて、なぜか、後天的なプログラムの破損で動作不良を起こすことが『バグる』などとよく呼ばれるのですが」ルカが平坦かつ無表情に言った。「『バグ』というのは、正確な定義として、料理前の食材の虫食い穴のような、開発段階での欠落を指す語です。後天的に生じる破損は『システム似非(グリッチ)』です」
 リンはルカの言葉を聞き流し、「なんで攻撃したのはがくぽの方なのに、斬られたの!?」
「ゲームの内部動作的には、単にがくぽの攻撃が外され、向こうの攻撃が命中しただけですが」ルカが平坦に続けた。「珍しい話ではありません。このゲームでは、経験レベル2の差は、thAC0で──戦闘技術で、5パーセントの差にすらあたりません」
「そういう問題じゃない」リンは食い下がった。「今、敵は攻撃さえしてなかった。ゲーム内のモーションのビジュアルとして不自然すぎるよ」
 映像上は間違いなく、敵はがくぽの剣を受け止めようとする一挙動以外にはしていない。なのに、なぜがくぽは防御しかしていない敵に斬られたのだ。
「別に不自然な動きではありません。今の、”『侍』同士の場合”の攻撃のモーション、敵の動き方のパターンの出典は、逸刀流(いっとうりゅう)系の切落技(きりおとしわざ)です」
 ルカはリンの目の前で、両手の指を上げて、刀剣の交差する動きをゆっくりと示しながら言った。
「相手が──ここではがくぽですが──切り込んできたときに、その踏み込みの起こりをとらえて、正中線に沿って、まっすぐに切り下ろします。ここで、日本刀の側面には『鎬(しのぎ)』という曲線があります。斜めに振り下ろされてくる日本刀──ここではがくぽの刀ですが──と、正確に一直線の勢いでまっすぐ切り下ろす刀がぶつかると、斜めの刀の方は鎬の曲線に沿って跳ね飛ばされ、まっすぐの刀の方はそのまま切り下ろされて、相手に切り込みます。外からは攻撃と防御の二挙動の結果が同時に起こったように見えますが、一挙動です」
 リンとレンは、ルカの説明が終わった後も、しばらくそのまま立ち尽くしていたが、全身が返り血まみれで血刀をさげたままのレンが、ぐいとルカを振り向いた。
「なんで……なんでそんなすごい技を、こんな敵が使うんだよ!」レンが、先ほどまでその血刀で突き刺していた血だらけの肉塊を指差して言った。
「すごい技かはともかく、逸刀流系、Japanese SAMURAIとしてはごく当たり前の技術です」ルカが平坦に言った。「この敵はレベル3サムライです。ただ『侍』であるというだけで、どれだけ優秀な能力の持ち主であるかを思い出してください。しかもレベル3なら、少なからず実戦の経験を積み、それなりの技前でもおかしくありません」
「なんでこんな敵が技なんか使うんだよ!」レンの叫びは、どうもルカの言葉が耳に入っていないように見えた。「こんなやつ……MOB(註:ネットゲームのザコキャラ)じゃないか! なんでMOBなんかに、そんなことされなくちゃならないんだよ!」
「MOBだろうが何だろうが、誰も殺されたくなどありません」ルカは、レベル3サムライだった肉塊を見下ろして言った。3声に囲まれても、なおレンに対して烈しい抵抗を試みていた、その姿を思い出すように。「そのためには、使える限りの全ての技術、持てる限りの全てのものを使って、全力で殺しにかかってくるだけです。その恐怖と覚悟は、リンもレンもとうに実感しているはずではありませんか」
 壁にぐったりとよりかかりながらも、ルカは淡々と言った。
「知識が不十分なら、死にます。技術を使わなければ、死にます。知識も技術もあっても、運が悪ければ、死にます。”冒険”とは、”危険を冒す”とは、そういうことなのでしょう」



 エレベーターとわずかな経路の暗闇、テレポーターを経由して城に帰還すると、GUMI、MEIKO、がくぽの死体はまもなく寺院に収容された。
「キャラメイクに丸2日かけたのに、1日もちませんでしたか」がくぽの死体が寺院に引き取られたときに、ルカが言った。「これでは効率が良くありませんね」
 ルカ自身がスポンサーの宣伝用美辞麗句と英雄譚じみた大言壮語で釣って参加させ、膨大なキャラメイクの手間を強制したがくぽに対しての、ルカの言及はそれで終わりだった。
 その時点では、レンは何も言わなかったが、いまやわずか3声のVOCALOIDが寺院を出てしばらく歩いたときに、突如、レンは立ち止まった。
「もういやだ……」
 レンはうつむいたまま低く言った。
「おかしいよ……絶対おかしいよこのゲーム!」
 同時に立ち止まったリンとルカの目の前で、レンは拳を握りしめ慟哭するように叫んだ。
「何なんだよこのゲーム! なんでこんな辛い目にあってまで、ゲームをしなくちゃいけないんだよ!」
「それは今回の仕事のスポンサーが」リンは口を挟もうとしたが、
「なんのためにこんなゲームがあるんだよ!」レンがリンに目もくれず、一気にルカに対してまくしたてた。「こんなゲーム、誰が得するんだよ! 他に、普通のRPGがいくらだってあるだろ! なのに、誰が好き好んでこんなのをするんだよ! こんなゲームを作ってなんになるんだよ! 絶対おかしいよ!!」
 リンは、レンの剣幕を一歩あとずさりながらも凝視した。レンは、仕事の話、家族の話、その他もっとくだらない話、リンと口論することがある──口を開けばふたりはそうしている──が、どちらかというと、叱責するリンに対して、レンの方はかったるそうな反論しかしないのが常だった。こんなレンは滅多に見ない。”良いゲームとは何なのか”、という問題は、鏡音レンにとって何か譲れないものがあるのかもしれなかった。
「まず、その疑問を生じる前提の段階ですが、『他のRPG』だとか『普通のRPG』だとかレンは言いますが、このゲームが、コンピュータRPGのうち最も古典だというのはレンも最初に説明を受けたでしょう」ルカが平坦に応じた。「つまり、このゲームが作られた当時は、『他のRPG』は存在していませんでした。──言い方を変えれば、当時はこういうゲームこそが『普通のRPG』だったのです」
 レンはしばらく口をつぐんだが、やがて、ふたたびルカに反駁した。
「だけど、──これは、その、本当の本当は、最初のRPGじゃないはずだよ! その前にもRPGはあったんだろ!」
 レンが誰かに対してこんなに食い下がるのも、リンは一度も見たことがないが、ひょっとすると、実はルカとゲームの話をするときだけは、よくある光景なのかもしれない。
「これって、コンピュータRPGでは最初でも、その前に──人間同士でやるRPGがあったはずだろ!!」
「face-to-faceやtabletopやpencil & paperのRPGですか」ルカが淡々と言った。「それを『TRPG』、などと呼ぶのは日本語だけですが」
「TRPGはこんなゲームじゃないよ! TRPGじゃ、『プレイヤーキャラの誰かが死ぬ』ことなんて、滅多に起こらないはずだよ! ネットゲームやゲーム機のRPGよりも起こらないはずだよ!!」
「レンが誰かから聞いたその『TRPG』が、『ソードワーノレド』とか『アノレシャード』とかのことなら、それらは当時は影も形も存在していません」ルカは淡々と述べた。「私達のこのネットゲームの直接の原型、さらに古いface-to-faceゲームでは――探索のスタート地点の城に着きもしないうち、城に向かう道の途中で、道端に転がっていた戸板をひっくり返したら、その下から飛び出してきた巨大地這い蟲(carrion crawler)に8回連続麻痺攻撃を食らって全滅。RPGとは、そういうゲームだったのです」



(続)