温もりの先はただ渇望のみ(前)

 その夜、連と鈴は、いつものように密やかに体を重ねたその後に、ベッドの上でふたりでうずくまり、どちらからともなく、黙り込んでいた。
 この少年少女の姿をしたレプリカント(合成人間)、”連”と”鈴”は、レプリ研究施設のこの殺風景な部屋の中でふたりきり、日々、ひたすら肌を合わせながら過ごしていた。寿命3、4年のレプリの儚い命を温めあうように、お互いの温もりへの渇望に駆り立てられて、与えられたわずかな時間の限りを、それに浪費してしまっていた。
 しかし、明日からは、鈴がしばらく研究室の方に出かけなくてはならなかった。ただでさえ寿命が短く、命が不安定なこともあるレプリカントにとっては、処置や投薬のために、しばしば必要になることだった。連は、明日から会えない、触れ合えない日々のことを思い、自然と黙り込んでいたのだが、鈴も同じだろう。
 急速に冷えていく体を、ひとつの毛布にくるんで、寄り添う。鈴は、今もすぐとなりに座っているというのに、繰り返し、連にすがるような目を向ける。自分もその瞳を見るたび、その中に映る自分が、まるで同じ表情をしているのがわかる。本当は瞳の中をのぞくまでもなく、お互いの姿そのものが、鏡のよう。
 ――いつから、お互いにこんな目をするようになったのだろうと、連は思う。温めあっているうち、一緒にいる時間を重ねれば重ねるほどに、お互いにすがりたい、さらに離れたくない、と思うようになってくる。……だが、それは連がいつも悩んでいることを思い出させる。鈴と連との間に、何が培われ、産まれていったとしても、それはふたりのほんのわずかな命、短いレプリの寿命が尽きれば、何もかも跡形も無く消えうせる、あとに何も残しはしないことを。
「どうしたの?」鈴が見上げる。鏡のようだったお互いの目が、違うものになったことに、すぐに気づいたでもいうように。
「何でもないよ」
「なにか、怖い……」鈴がかぼそく呟く。
「何が? 研究室が?」
「そうじゃないけど……」毛布に包まれた膝に、こくりと顔をうずめた。「なんだか、わからない……」
「心配ないよ」連は毛布の中の鈴の細い体を、背中から抱き寄せた。本当に震えているその裸の背に気づく。「怖いことなんてない。心配することなんてない。――ここで待ってるから。鈴だけを」
 そう言いながらも、さきに鈴を怖がらせたであろう理由でもある、その自身の言葉に対する不安は消えず、連の腕にはさらに力がこもる。今もう一度鈴を抱いても、それは消えはしないだろうけれど、きっとそうせずにはいられないと思った。



 そんなことをするのは――レプリ同士で触れあい、そして、そのことに悩んだりするのは、レプリでも自分たちふたりだけだと思っていた。その映像を知るまでは。
 鈴が出かけた次の日、気を晴らそうと映像室に向かった連は、偶然にその映像を見た。レプリカント同士の体を重ねる姿、激しい絡みの映像だった。それは、人間の要求のために収録されたものだった。レプリは元来、人間の相手をするために創られており、その内容は生活のパートナーや労働力が主だが、他にも様々な役割が含まれている。その中には、いわゆる『俳優』の役目もあった。人間にとっての”理想的な美男美女”の姿につくられたレプリが、人間にとって理想的な性的憧れを具現化する映像のために使われるのも、当然の帰結ではあった。
 この映像はシリーズで、以前それに出演していた2体は少し前に寿命が尽きて廃棄されたというが、次の新しい出演レプリ、”神威”と”流香”のものは、前と比べてあまりにも激しすぎ扇情的すぎるために、ひどく有名になり、大量に出回っているという。
 その映像の中、どことも知れない薄暗がりで、神威と流香は激しく求め合う。闇の中で肢体が脈打ち波打つ。ひそめた声と共に熱い吐息が、画面の向こうから連にも直に当たって感じられるようにさえ思える。神威の繊細に力強さをこめた肉体のその下で、流香の、どんな男も狂わずにいられないような豊かな女体がしなり、乱れ、ありとあらゆる姿態を描く。その肉感に駆り立てられた神威が、貪るように強引にかき抱いた流香の体、押し付けられた豊かな胸が、あえぎを発するように激しく揺れ震える。ひそめていた流香の声は、もはやはばかりなく熱く湿ってゆき、連の耳朶を刺激する。のぼりつめる両者の肉体の線が、妖しく陰の中に悶える。
 あれほど挑発的だった流香の体は、すでに無防備と化して、神威の前に投げ出される。虚脱したその体の上に、剛い男の肉体がさらに覆いかぶさる。動きが互いの反応をふたたび引き出し、肉欲が乱れ狂う。影の中に力強く律動を加えるたび、欲望の塊と化して突き入るたびに、ふたたび上げる声と肉の脈動が、熱い熾火と化してゆく。
 どこを見ても激しい熱しかない。外からかれらの熱が感じられるというよりも、見ている連の方の中でも、裡から情欲の熱が沸いてくるように思える。
 連は映像室の中で膝をかかえて、モニタの映像を見る。……見ていて、連にもかれらの姿には欲望をかき立てられる。だが、連がつねに考えるのは自分と鈴のことで、例えば、自分と鈴が、同じようにできるだろうか。自分もいざ同じように鈴を激しく求められるだろうか。……だが、自分と鈴との営みと、目の前の映像とは、どうしても重ならず、別の世界のことのように見えた。
 それは、きっと自分のせいなのだろう。自分には、何かが足りない。あれほど迷いもなく激しく鈴を求めたり、鈴や自分の中から熱を引き出したりするものが足りない。連と鈴はいつも、終わった後でもつかの間でも離れれば、体の冷たさを感じる。もし、この神威と流香ほどの情欲を互いに引き出すことができれば、連と鈴もあれほど頻繁に、失った体温を探し求めることもないように思う。
 映像の中のかれら、神威と流香には、抱き合うことに、何ら迷いなど無いように見える。――それが何故なのか、可能性として連に思い当たることは、ひとつだけあった。神威と流香のこの映像、これが人間の要求に沿う、人間のための映像で、かれらの行為は『人間にレプリが奉仕すること』だからだ。
 レプリカントは、短い寿命を人間に捧げ、人間にその奉仕の結果を残すために存在するのだと、ほとんどの人間と、大半のレプリ自身が言う。連と鈴のレプリ同士の行為は、ふたりの寿命が尽きれば人間の間に何も残さない、不毛なことだ。鈴と一緒に居ながらも、連はそれをいつもどこかで意識している。
 しかし、この神威と流香の行為は、レプリ同士の交わりでありながら、”人間の間に残る”ことだ。それを知っているから、かれらはそれを、”意義のある”行為として行えるのだろうか。だからこそ、ここまで激しく何のためらいもなく、何のはばかりもなく、情欲の馳せるにまかせることができるのだろうか。
 連は映像が終わってしばらくしても、映像室の床に膝を抱えたままでいた。……これが、この映像とその中のかれらこそが、答えなのだろうか。連にとっても、レプリ同士が触れ合い続けるための、不毛でない、意義のある唯一の方法なのだろうか。



 映像室からふたりの部屋に戻りながらも、考えていたのは、鈴が戻ってきたら、この映像や、この疑問のことを、打ち明けてしまおうか、ということだった。それは連を複雑な気分にさせてしまうもので、歩きながらも、まだ決めていなかった。
 ……だが、やがて、連は頭を振った。むしろ、鈴の肌に触れて、別の世界のようなその映像のことなど、忘れていてしまいたかった。
 部屋に戻り、ひとりベッドに腰掛ける。鈴が戻ってくるのはいつだったか。ベッド脇のモニタを操作し、予定表を見た。……確認するまでもなくわかっていたことだが、鈴は出かけたばかりで、まだ当分戻らない。
 鈴の予定を確認した後に、連がさらに、何気なくモニタの操作を続けると、――ふと、目に入ってきた情報があった。外惑星軌道から、星間移動のタンホイザーゲートを通って地球に帰ってくる輸送船の、少し前の便に乗って、例の”神威”と”流香”が、このレプリ研究施設に戻って来た、というものだった。
 連はベッドにうずくまるように座った。さきに見た映像のその光景がよぎる。その映像に伴う疑念、おそらくそれを問うのはレプリでも人間でも、自分達だけだろうという疑念が、頭から離れず、ふくれあがる。連と鈴が送る日々の迷いに対する答え、それどころか、もう体の冷たさを感じなくてよい答えさえもが、そこにあるかもしれない
 連はさらにモニタを操作して、他のレプリの場所、部屋番号を調べていた。



 連がそのフロアに着くと、そこは広い応接室を中心に幾つかの部屋からなっていたが、どこも扉が開け放たれていた。連は戸惑いながらその応接室に進むと、不意に、そのソファの上に、当の”神威”の姿が見つかった。
 が、見つけてすぐに、連は顔をそむけ、応接室の扉ぎわに隠れるように回り込んだ。神威と、その相手は、ソファの上で向かい合い――互いにむさぼるように、肌に唇を沿わせていた。
 扉ぎわに背をもたせた連は、最初は、神威は今、人間の相手をしているのかと思った。人間の性的なパートナーなら、レプリの最も主要な、本来の役割のひとつで、そういうこともあるだろうと。……しかし、連は顔はそらしたものの、さきに垣間見たその”相手”の姿を次第に思い出してくるにつれ、愕然とした。それは、短い髪、それも人間にはありえない淡い色の髪をした少女で、記憶をたどると連も見覚えがある――確か、鈴の知り合いのレプリの少女のひとりだ。つまり、今の神威とその相手は、レプリ同士だ。
 どういうことなのだろう。神威と流香の映像は『人間に見せるために収録した映像だからこそ』レプリ同士でも体を重ねられる、というわけではないのか? 神威は、収録でもない、人間のためでもないのに、人間以外の者、レプリと肌を合わせているのか? いや、それとも、今のあの神威とその相手の光景も、収録でもしているのか――
「何をしてるの?」
 傍らからかけられた声に、連はぎくりとして振り向いた。しかし、さらにその声の主を見たとき、連は硬直した。薄手のガウンだけをまとった、例の”流香”が、立ちすくんでいる連を見下ろしていた。
「何? 私への用?」流香は微笑んで言ったが、何かその言葉と笑みは、連には意味ありげだと思えた。単に、連の頭が働いていないための混乱かもしれないが。あの映像の中で乱れ狂っていた肢体が目の前にあると思うと、連は落ち着いてもいられない。
「いや……神威の方に」連はようやく、小声で言った。「聞いてみたいこと……話したいことがあって」
 流香はその連の言葉に、少し意外そうな表情をした。だが、あしらわなかったところを見ると、興味をひかれたようだった。神威と、淡い色の髪のレプリの少女の方に、流香は首を曲げて見せ、
「あれが終わったら、次は私だから――その前に、会わせてあげるわ」




(続)