温もりの先はただ渇望のみ(後)


「俺の所には、女が来ることならよくあるがな」神威は向かいのソファに掛けた連を物色するように見下ろし、面白そうに言った。「人間だろうが、レプリだろうが――例の映像を見た女が、俺に抱かれるのが目当てで、やって来る」
 神威は、連よりもずっと年上の成人の男性型のレプリカントに見えるが、最初から成長後として作られ、その後3、4年しか生きないレプリについて、その設定年齢や見かけからが作られた時期の前後はわからない。その上さらに、神威のように星間移動のタンホイザーゲートを通ったことがある者は、時空の歪みによる時間のずれで主観時間に大幅な差が生じていることがある。……それはともかく、連は、神威のこの相手を見下したような態度に違和感が拭えず、黙っていたが、それは単に連の見かけが幼い、年下に見えるため、それだけで深い意味はないのだと思おうとした。
「実のところ男でも、俺に抱かれに来るヤツは珍しくない」そう言ってから、神威は黙り込んでいる連を面白そうに伺ったが、連は無表情だった。「が、――女であれ男であれ、その望みに応えてやれるかどうかは、時間次第だな、俺も流香も。小僧、お前もレプリならわかるだろうが、俺達の時間は限られている。さらに、俺や流香には、他に収録の時間もあるのでな」
 そこで神威は、黙っている連の顔を覗き込み、
「だが小僧、お前のために時間を作ったのは、流香によると、お前が俺に抱かれに来たわけではない、というからだぞ。一体その他に、俺に何の用があるというのだ? 俺に何を聞くことがある?」
「あの映像のことなんだけど」連は口を開いた。「どうして――ああやってできるのかって。レプリ同士の――ことを、迷いもなしに」
「ほう?」神威は眉を上げる。
 連は、いったん神威への違和感をこえて、口を開いてしまうと、あとは何もかも話していた。この年上に見える神威が、自分の今までの迷いすべての答えを持っているかもしれないと思ったからだった。日々抱き合う、自分と鈴のこと。自分たちの、レプリ同士の間だけの営みを不毛ではないかと恐れている、その迷いのこと。
「あなたたちに、迷いがないのは……人間のためにやってることだからなの? あの映像が、自分達が滅びても人間の間に残り続けることだから、……”意義がある”ことだからなの?」
「人間だと?」神威は連のその言葉を、なじるように繰り返した。「人間のためだと?」
 神威は連から離れるようにソファにどさりと背をもたせ、しばらくの間、くっくっと笑い声をもらしていたが、やがて顎をそらし、哄笑の声を上げた。黙っている連の目の前で、神威は冷たい嘲笑を続けた。



「こいつは傑作だ。――”人間のため”だと。俺と流香の間のそれが。あるいは俺や流香が人間と交わるのが、”人間のため”だと」
 哄笑が途切れたときに、神威は言った。
「人間ごときが何だ。奴らこそが、滅びること、すべてが消え去ることに怯えている連中だろうが。……俺達の行為が、人間の間に残り続けるだと。残ったから何だというのだ。どのみち奴らも滅びかけているぞ。かつて奴らは100年生きたというが、年ごとに衰えて、俺達同様に最初から大人の姿で”作り出される”人間もいるぞ。さして年月も経ずに、そのうち連中は、俺達レプリと区別もつかない、儚い生物となるだろうよ」
 神威はソファにけだるげに背をもたせ、首だけ連に傾けて言った。
「そんな奴らが、何だというのだ? 奴ら自身、希望も見つけられずに滅び行くことは知って、それに怯えている。そこで、自分達が『主(マスター)』、レプリに『自分達より下の存在』というレッテルを貼り付け、レプリが自分達のために限られた寿命を捧げることだけが『美談』などと決め付けて、自分達を持ち上げよう、そうしてまでかしずかれた自分達の空っぽの”生”に、ご大層な意義があると信じこもう、というのさ。そんな奴らのために何かをすることに、何の”意義”がある?」
 神威はそこで、ふたたびソファから、連の方に身を乗り出した。
「俺や流香が、だれかと交わるのはな。……小僧、教えてやる。欲望のため、ただそれだけだ」
 神威は連に顔を近づけて、端正な容貌に浮かぶ、凄絶に歪んだ笑みと共に言った。
「体を重ねるその先に、何があるかなど、知ったことか。肉の営みに、意義があるか迷っているお前も、意義があるなどと思いたい人間どもも、等しく愚か者どもだ」
 連はその神威の言葉に、呆然として、黙って見上げ続けた。それは、今まで連も、おそらく一緒にいる鈴も、考えもしなかった答えだった。
「人間もレプリも同じだ。どのみち無駄に朽ち果ててゆくのみ、不毛なことのみだ。小僧、俺達はすることの意義など知らん。ただ自分の欲望のために、誰でも、どんな人間でもどんなレプリでも抱くだけだ。……俺と流香が抱き合うのも、人間に奉仕しているのだと、奴らは勝手に思っておくがいい。本当の意味での”生”を生きているのは、俺達を見てそう思い込んでいる奴らでなく、欲望にだけ生きることに”生”を見つけ出している俺達自身だ。レプリが滅びようが、人間が滅びようが、終末が来ようが、知ったことか」
 連は黙り込んでいた。もはや途中からは自失したように、神威の方ではなく宙を見つめ、指を膝の上で握って、沈黙していた。



 そのとき、神威の背後の扉が湯気と共に開いた。
「……あら」湯気の中からゆらりと豊かな肢体をゆらめかせながら、流香が言った。「まだ話が終わってなかったの?」
 熱い滴が白い裸体の上を伝い、こぼれ落ちるのが少しだけ垣間見えたが、すぐにそれは流香のほっそりした腕が優雅に自身に巻きつけたバスタオルに包まれた。連はその光景を凝視してしまってから、慌てて目をそらした。
 神威はその一連の光景を面白そうに眺めていたが、やがてそのまま連に言った。
「流香と寝たいか?」
 連はその言葉に、思わず身をすくませ、神威と流香を見ることもできず、ソファの上であとじさるように座をずらした。
 流香は、ソファのその連のとなりに腰をおろした。バスタオル一枚の、まだ湿って熱も持っている体が、それらを感じられるほど近くにいる。連の脳裏には、あの映像の、神威の動きに乱れ、のぼりつめる流香の姿が、鮮明によみがえっている。そこには、男をはげしく狂わせ、際限なく欲望へとかりたててゆく肉体があった。
「欲望の赴くままに馳せるということ、他には何も必要ないこと。それを教えてやれるぞ、流香のこの体は。それこそが生きるということ、だともな」
 連は、この状況に戸惑い驚きながら、抗うすべがないと思った。一度それを味わい、教わってしまえば、かれらと同様に欲望だけで誰とも抱き合う生き物になってしまえば、もう何も考えなくてよくなるだろう。レプリ同士で触れ合う迷いの意味にこだわる必要さえなくなる。連には足りなかったもの、熱情が手に入る。頻繁に体の冷たさを感じることも、もうない。
 流香の体から逃れられなければ、際限なくそこまで至る。現に逃れられない、幾人もの人間やレプリが、かれらと共に欲望のまま生きることを選び、そこに至っていることが、それだけが神威の言う”生”、生きる道だということを、証明しているのではないか?
「この子、こわがっているわよ。神威のせいじゃないの? 一体、何を話したの?」流香は面白そうに、ソファの上を連にすり寄り、顔を近づけて言った。「それとも――経験がないのかしら?」
「なに、その心配は無用だ。流香も楽しめるぞ。これまでの人間やレプリの連中とも違ってな」神威は口元をゆがめた。「この小僧、同じような年頃のレプリの娘と、日々抱き合っている、と言っているからな」
 ――その神威の言葉に、不意に連の脳裏に、鈴の目がよみがえった。あの連にすがりついてくる目が。その中に見える、鈴にすがりついているような自分の目が。
「……帰る」
 連はソファから立ち上がった。
「……僕は、鈴が戻ってくるのを待つって、約束したから」
 自分が堕ちれば、欲望に支配されて沈み込めば、残された鈴はどうなるだろう。
 あるいは、鈴も自分と同じところに堕ちることを選ぶかもしれない。だが、一方でも両方でも、欲望だけに堕ちれば、今、連と鈴との間にある、言葉に出来ない色々なものが、押し流され、消えるだろう。
「何だ?」神威は冷笑しながら、見上げて言った。「”誰かだけに決めている”、とでもいうのか? 大昔の人間のように? これはまた傑作だな。いまどき人間どもでさえ、そんなことを覚えてさえいないぞ」
 体のつながりを子孫を残すために用いる、ということは、生殖能力の衰退した今の人間からは、とうに失われている。人工授精され、場合によってはその後も人間以外のものから産み落とされる。もし大昔のような形の生殖が可能だとしても、その相手を選べる余地はない。決めた誰かと体を重ねるという概念は、人間からも消失している。
「誰とでもいいわけじゃない。……僕には、鈴との間に培ってきたものがある。一緒にいることで、これから産み出すものも。それが大事だから、僕らはふたりでいる。たとえ、僕らふたりの間だけのものだとしても」
 連と鈴のふたりだけの間にある、体のつながり以外のそれを、何と呼んでいいのはわからない。人間がいまだにしじゅう口にする、ある言葉かもしれないが、連と鈴のものがそれなのかはわからないし、人間に聞こうにも、既に誰もその意味は知らないだろう。
 最初は温めあうだけだったのが、いつからか、お互いに相手にすがるように向けるようになったその目。そもそも、自分が行為の意味を求めようと悩みはじめたのも、ここに来てその答えが得られるかもしれないと思ったのも、行為によって鈴との間に育まれたもの、一緒の時間の証や絆を、守りたいから、残したいからでしかない。
「”何かを産み出す”など、それこそばかげた話だ」神威が言った。「4年かそこらで滅びる俺達にも、それと大差なしに滅びる人間にも、いったい何が産み出せる、培えるというのだ?」
 ソファの上の流香が、傍に立ったまま話す連を見上げ続けていた。
 連はしばらくその場に立っていたが、
「あなたたちは、あの映像を、ものを『産み出している』、人間や、他のレプリのためにも、意味のあることを与えてるんだと思ってた。……だから、あなたたちには、僕らのことがわかると思ってた。だけど、そうじゃなかった。きっとあなたたちには、僕の言うことはわからない。わかりはしない」



 連が去ってからも、神威はソファに背をもたせ、しばらく黙り込んでいた。流香が、その神威の前にゆらりと立ち上がっていった。
「神威には、私と時間を過ごしたとして――何か、私だけとの間に、培えることがあるかしら?」
「下らんな」神威はその姿勢のまま、冷笑して言った。「何かを培ってどうする。それを目的にしてどうする。欲望こそが目的なのだからな」
 流香は、神威の目の前で、はらりとバスタオルを床に落としてみせ、
「もし、何かを培うことが――その欲望を充実させてくれる、としたら?」
「――それならば、悪くはないな」
 神威は降りてくる流香の肌に触れ、それを貪った。いつものように激しく、だがいつもより何かをひとつずつ、確かめようとでもするような仕草で。



 鈴が研究室での予定を終えて、部屋に戻ってくると、連は何も言わず、鈴がどこかに落ち着くのさえ待たずに、その体に腕を回した。
「連、どうしたの……」
 鈴は、最初こそ戸惑っていたが、拒んだり疑念を挟むことなく、しばらくの間は連にそうされたままにしてから、小さく聞いた。
 それでも連は抱きしめた。強く強く。
「僕には、鈴だけだよ」連は呟いた。「鈴と一緒だよ。これからも」
 鈴はしばらく、そのまま抱かれていたが、
「ありがと」やがて、鈴は連の背に腕を回した。「私にも、連だけだよ」
 ふたりはそのまま、力なく立ち、互いに腕を回していた。互いに寄りかかり、互いを支えるように。
 ――きっと、欲望だけが目的であるかれら、神威や流香の方が、正しいのかもしれない。余計なことを考える自分らの方が、愚かなのだろう。連と鈴、お互いの間の絆を意識すればするほど。絆が培われ強まるほど、希望があるほど、それがレプリの寿命と共に失われるときの、悲しみを大きくするだけなのだから。きっと連と鈴は、これからも冷たさを感じ、そのために寄り添わなくてはならないだろう。
 だが、もう連には、温もりを求めることさえ、すでに最も大きな理由ではないような気がする。鈴とだけ一緒に居続けることで、ふたりの間に産み出されているもの。例えお互いの間だけのものだとしても、自分がそれを産み出すために生きているのだと、連は信じられる。神威の言うように、レプリも人間もこの世界も、みな間もなく滅びるのだとしても。ふたりの間のそれのためになら、生き続けられるのだと思う。たとえ、その連の生き方が愚かなのだとしても。