KAITOの島唄 (4)


 突如、まぶたの向こうの明るさに気づいた。──うっすらと、次第に目をあけると、自分の両袖を握りながらKAITOの顔をのぞきこんでいるミクの、今にも崩れそうな表情がまっすぐ目に入った。
 KAITOが意識をとり戻したのを認めたそのミクの表情が、突如崩れて、そこからどっと涙があふれるのが見えた。
「兄さん……」
 ミクは嗚咽と共にその声を発しながら、KAITOの首に、ゆっくりと確かめるように、その細い腕ですがりついた。それでもKAITOは、何があってそうなったのかわからなかった。泣きじゃくり震え続けるミクをそのままに、KAITOはしばらく放心したように宙を見つめていた。
 ふと気づいて、KAITOは首をめぐらせた。──傍に、あの灯台守の姿、四角い黒い箱が半ば浮かんでいた。いまもKAITOの額のバンドと接続している石板状のパネル、この区画の入出力部に、灯台守の構造物(コンストラクト)から伸びた多量の輝く指令線(コマンドライン)の経路が、ファイバーケーブルのように接続している。
「お前は崩壊するあの区画と共に、崩れ朽ち果てて、流れ去るところだったのだ」灯台守が低く言った。
「……ありがとうございます」しばらくして、KAITOは言った。この島の、地下に広がるようなあの基本構造と接続していたとき、自分が消えそうになっていたあの状態が、ようやく鮮明に脳裏に浮かび上がった。この灯台守が、同じ場所に潜脳(ダイブ)するか何かによって、あの状況から自分を助け出してくれたのだ。
「──愚かだと、お前は自分で言ったが、程度というものがあろう」灯台守は低く言った。「このざまを繰り返すことになるよりも前に、島を去るがいい」
 言い捨てると、石板から指令線(コマンドライン)経路の接続を外した灯台守は、音もなく滑るように、その場を離れていった。
 KAITOはミクの腕に手を当てながら、その去る姿を見送った。ミクは泣き止んでからも、しばらくKAITOの存在を確かめるように、首に手を回していた。



 と、そこに足音と共に、リンの声がした。
「あ! 気づいた」
 両手に医療用品や、気づけのアイスクリームなどの袋を提げた、リンとがくぽがそのエリアスペースに歩み入ってきたところだった。
 ミクが、不意にかれらふたりに気づくと、ひどく慌てて飛びのくように、抱きついていたKAITOから離れた。
「おねぇちゃん……」リンが呟いた。「いや、別にいいんだけどね」
 ミクは今の声にまだ驚いたままのようで、そのリンの声にたじろいだ様子を続けるのみだった。
「たださ、それ、いくらさっきの他人が人間型じゃなかったっても」リンが呟いた。「他人の前でならそうやってても平気で、身内の前では違うわけ」
 とはいえ、そこが、気弱なように見えるミクが、芸能の仕事ならどんなものでも物怖じせずに平然とこなす理由に、関係があるのかもしれなかった。
「……では、まことにあの灯台守が、そなたを助けたのか」
 がくぽが、さきまで灯台守がいた辺りを見ながら、KAITOに言った。
「あの者、何者なのだ」
 KAITOを、基礎構造物へと分散しかけていたAIを、システムからすべて同時に分離して助け出したのだ。ただの単一タスク用のエキスパートシステム、シグナル送信用の灯台守やら、メンテナンスプログラムなどに、とても可能なことではない。極端に処理能力が高いか、この島のシステムを熟知しているかの、どちらかである。
 しかし前者の、チューリング登録番号を持つ高度AIの処理能力ですら逃れられなかった状態を解決できる、すなわちそれを上回る処理能力というのは考えられない。となれば後者の、この島の基礎的な構造、システムについて完全に、開発者でもなければ知らないことまで熟知しているとしか考えようがない。
「あのスペースは?」KAITOは、助けようとした庭園のことを聞いた。あの庭園の管理用のインタフェイスパネルはあるが、周囲のほかの水や緑の擬験(シムスティム)の光景は見当たらなくなっており、ノイズと空白の通常のデータ空間のマトリックスの光景だけが見える。
「あのヒビが大きくなって、消えた」リンが言った。「崩れて、なくなったよ」
 リンの言葉に、KAITOは傍らのミクに言った。
「結局、助けられなかったよ……」
 ミクは無言で首を振った。まだ、KAITOが無事だったことへの安堵以外のことには、考えが及ばないらしい。
「……助けられなかった、ではない」
 がくぽが言いながら、KAITOのそばに歩み寄った。
「聞いておるぞ、あの灯台守から」がくぽはいつになく、KAITO咎めるように言った。「今、死にかけていたのだと」
 KAITOは無言だった。
「何ゆえ、かようなことができる」がくぽは詰め寄るように言った。「島を、島の光景を、助けるためとはいえ。己の益にはならぬことのために、命の危機までも」
「なんで、って言ってもさ……」KAITOは小さく言った。「危険なのは、潜脳(ダイブ)してみるまで、わからなかったよ」
「いや、無謀なことを試みておる、ということならば、最初から、我らにすらもわかっていたのだ」
 がくぽは低く言ってから、
「それを決断するは、もとより、並たいがいにできることではない。我ならば、決断はできぬだろう。……常日頃のように、ただ、『我は如何にすれば良いか』と。日々、ルカや、その余の誰ぞに叱られつつ、それでも悩むことの他に、何もできぬであろう。……何ゆえ、そなたは決断できる」
「……決断なんて、したわけじゃない」KAITOは寂しく言って、ミクの頬に手を伸ばし、その涙の跡を拭うようにしながら、がくぽを見上げて言った。「さっきも言った通り、それを感じた心を、他に持って行きようがないからだよ」



 KAITOはしばらくの間、豊かだった緑と水の光景が消えうせた場所、流れて消えた場所を見つめていた。
 ──と、ふと思い出したような様子で、忘れる前に書き留めるかのように、白い砂の上に文字をなぞった。詞やコード進行、節の一部だった。
「何……」ミクがのぞきこんだ。
「歌だよ」KAITOが言った。「さっき、地下で見つけたんだ」
 KAITOは思い出しながら、指でなぞり続けた。さきの祈念碑に刻まれていた電子データ、それは、発音とそのタイミング、つまり詞と節を示しているものだった。
「島のシステムの中心近くにまで潜れば、まだあるはずだ。……基礎構造の岩の土台に、小さな碑みたいなものがあって、じかに刻み付けられていた。目立たないかたすみだけど、島の基礎構造、……島そのものに、刻んであったみたいに」
 がくぽが、砂に書きとめられた、詞と歌のさわりを見つめた。
「この歌は、存じておる。新しい歌ではない」
 やがて、がくぽは言った。
「かつて、旧時代に作られた歌のひとつだ。我も歌ったことがある。……別れの歌であるとも、反戦の歌であるともいうが。我は、歌詞から感じ得られるものだけを、そこから読みとるようにしている」
 しかし、そのまま、がくぽも黙り込んでしまった。
「……あの灯台守、『この島には歌はない』って言ってたのに」リンがしかめ面で言った。
 ある意味では、”普通に”この島にあった歌ではなかった。地下のデータの狭間であり、島を訪問する人間が入るような場所ではなく、おそらくは人間の開発者でも入れるような場所ではなかった。それ以前に、電子データであり、人間が認識することができる形でもなかった。
 なぜ、旧時代の古いその歌なのだろう。それが一体どこから来て、島の中心に、島そのものの礎に、あのような形で、刻み込まれていたというのだろう。



(続)