KAITOの島唄 (5)



 その何日か後、四声のVOCALOIDは島の端、海辺の光景に沿って、歩いていた。
 昼間の間は海風、海から島に向けての風が吹く。たとえそのすべてが仮想の擬験(シムスティム)で再現されている環境であっても、その海風が激しいさざ波の音と共に、海の香りをたえずその海辺に向けて運んでいた。
 しばらく歩くと、ややあって、海沿いの木々がまばらになり、開けた土地のような場所についた。
 その土地の海辺に、一つぽつりと小高い大きな岩があるのが目立った。がくぽとリンがその岩に近づき、リンがその上に歩いて登った
 岩の上の、海に面する側には、ちょうど人が座れるくらいの平たい箇所があった。
「ステージか何かみたい」リンは見下ろしてから、その岩の上に立って、海を見た。「島じゃなくて、海の方に向いてるステージだけど。ここから歌えば、海(ネット)の向こうに届くかな?」
 ……さらにその開けた土地を少し歩いたKAITOは、”三線”を持ってそのまばらな木々の間を歩き、やがて、その開けた場の片隅、森に面した一角に歩み寄っていった。
「──ここだ」
 それは、この島に来たときに最初にデータベースから調べたアドレス、この”三線”の持ち主の島民、その少女型をした単純対話プログラムの”住所”だった。
 KAITOと、追いついた他の三者はその光景を見つめた。
 誰の気配もない。その他の何かの気配もない。
 そこには小さな家、草で屋根を葺いた、窓枠も扉も無い小屋があった。最初からそうだったのか、荒れ果てて無くなったのかはわからない。もう人間はもちろん、島民のボットもメンテナンスの庭師ロボットの類も、誰も寄り付いていないようだった。周囲は荒れ果てて、島の自然に──自律整備プログラムの赴くままに──自然に帰っていた。
 四声は黙って、家に足を踏み入れた。家具などの、生活の名残は見つかった。”三線”の持ち主が──ここに住んでいた少女が、少女型の対話用ボット、島の書き割りに過ぎなかったとすれば、そんなものは形ですら必要なかったのだろうが、その理由は間もなく見つかった。
 家の中の卓の上に、手記が残されていた。ボットが手記を記すとは信じられないことで、実にそれは手記というよりは記録ログに近く、元来が他者に読ませる目的のものではなかった。
 KAITOはそれを、なかば翻訳するように内容をまとめて他の三者に示しながら、読み取っていった。



 その島民の、島のシステムの一部である対話機能の少女は──たびたびこの家を訪れる青年兵士のひとり、負傷した療養中のサイボーグ兵のうちのひとりと共に、ここで過ごしたのだった。
 少女はそこで、青年兵士に三線を教えていた。少女は、この島の娯楽機能の一環としてか、”三線の弾き方”のチュートリアルのための、一種のマニュアルの機能を持っていたのだった。この”三線”のユニットも少女の持ち物だったのだが、元来対話システムは形式的に弾き方をなぞって”教える”ことしかできない。それを教わりながら創造的に”弾いて”いたのは、兵士の方だった。
 手記には、青年兵士が次第に三線が上達してゆく様がつづられていたが、記録には次第に、少女の体験したうち、別のことが混ざってきていた。その兵士がこの楽園で過ごすうちに、苛烈な戦争の負傷から心身が癒されていったのみならず、──その小国家の社会の最下層で、国家権力によって半機械の殺戮兵器に改造されて以来、戦争に駆りだされて生きる以外の時間、機械と薬物づけで過ごす時間のほかに、何の生も知らなかった兵士は、──少女と過ごし、この島で三線を弾いて過ごすうちに、それとは別の時の刻み方、別の生き方があることを、はじめて知ったのだった。
 やがて、兵士が三線を自分で弾けるようになった、少女のマニュアル機能をなぞるだけでなく、音を作れるように、自らの音楽を奏でられるようになったとき、兵士は自らの生き方も、自らの手で創ることを知った。
 兵士は、この島での療養が終わっても、国のために戦っていたその故国には帰らずに、ここで、この島で少女と共に過ごすことを選んだのだった。
 ──あの人と約束したことを、まず”博士”に教えて、それから島民のみんなに教えて、きっと、祝福してもらおう。
 人間が、生身の肉体の傷が癒えた後も、永久的にこの仮想の”島”の中で暮らすなど。さらには、人間ではないただの対話システムと共に暮らすなど、奇妙に思えることかもしれない。けれど、島のみんなを作った博士なら、私を作った博士なら、きっと理解して、祝福してくれる。
 それは、博士は私達島民と同じように、人間ではない、ROM人格構造物だから、というのもあるけれど。──それよりも、博士は、人の幸福を、誰よりも望んでいるから。ただそれだけのため、人々の幸福のためだけに、私達を、この島を作ったのだから。あの人にとって、何が幸せなのかを、必ず理解してくれる。
 きっと、あの人の”三線”を聞きながら暮らすのだ。あの岩の上から、海の向こうへと、この”『楽園』の謳歌”を届けながら。



 手記はそこで終わっていた。
「その後はどうなったのだ……」がくぽが、他の三声には言わずもがなの疑問を呟いた。
 その先のことは、何も書いていない。──だが、今のこの島の風景から見れば、確かに言えることが幾つかあった。
 兵士と少女が永遠に一緒に弾きながら暮らすはずだった、という”三線”は、かれらの手もとではなく、ネットワークに彷徨い出て、廃棄物に混ざって流されていたこと。情報の海を流れて、はるか遠く《札幌(サッポロ)》のKAITOの手許についたこと。
 二人が末永く幸せに暮らしたはずだったこの家には、少女も兵士も居ないこと。それどころか、今までこの島を歩いた限りでは、負傷した人間や動物や、かれらと過ごしたプログラムの島民の、だれひとりの姿もないこと。
「……この先を、知りたくないって気がする」
 不意に、沈黙を破るようにミクが呟き、リンが目を向けた。
「わたし……この島に来なければよかったかも」ミクは俯いて言った。「こんな事……知らなければよかったのかも」
 KAITOはミクを見下ろしていた。
 そのミクの声に、聞いたような気がしたのだった。”八千代の別れの足音”を。あの動画サイトで、KAITOに歌を託し共に歌った人々が、去っていく足音を。『楽園』だと信じていた場所が、目の前で壊れてゆくその音を。
 KAITOはしばらく立ち尽くしてから、手の中の三線、かれらが残していったものを、じっと見下ろした。そして、何ともなしに爪弾いた。
 あの地下に残されていた歌、その出だしの節だった。



 しばらくして、KAITO三線を止め、ふとした様で、一方向を振り向いた。他の者もそうした。
 見つめる先には、砂の上にぽつりと浮かぶ黒い箱のような構造物、あの灯台守の姿があった。
「もう帰れ、我慢ならん」
 灯台守は、しゃがれたような機械音で言った。
「なぜこの島を、そっとしておかぬ。他所から持ち込んだ”歌”などで、いたずらに騒がせ──何が目的かわからぬが、何故、安らかにしておこうとせぬのだ」
 KAITOはしばらく灯台守を見てから、歩み寄った。
「済みませんでした」
 そして、黒い箱の構造物に向かって、その”三線”を差し出した。
「俺がこの島に来た目的は、ただ──この三線を、元の持ち主に届けようと、返そうと思ったんです。ただ、それだけです」
 予想とは異なり、答えは返って来なかった。灯台守の黒い箱は、沈黙を続けた。
 と、突如、リンが口を開いた。
「あなた……知ってるんでしょう」
 低い声に、他の三声が振り向いた。
「全部、知ってるんでしょう。みんな、どこに行ったのか。この”三線”の持ち主のことも。それから、この家に三線を習いに通ってた、兵士さんのことも。だって……」
 リンは言葉を切り、
「あなたが、”博士”なんでしょう。この島を、住んでた島民たちや庭師たちや……この楽園を全部作った、”博士”なんでしょう。人間じゃなくて──人間も知らないこと、人間にもできないこと、地下の基礎構造物の設計から、この島のことなら全部知ってる、ROM構造物」
 沈黙がおそった。
「あの歌は──さきの”歌”は、他所の歌などではない」やがて、口を開いたのは、がくぽだった。「古い歌だが、我々が持ち込んだものなどではない。既に、この島にあったものだ」
 がくぽは、自分を抑えるように、言葉を切り、
「この島に歌は無い、などと言ったが、この島の、島民たち自身の歌はあったのだ。KAITOが──この男が、さきにこの島の中枢へと潜ったときに。土台のかたすみに穿たれた碑に、刻み付けられていたのだ。──これは、さきの三線のための、この三線に合わせるための歌ではないのか」
「知ってるんでしょう」リンが続けた。「ふたりは、──この家の、”三線”の持ち主の娘さんと、兵士さんは、どこに行ったの。この家と、”三線”を残して。この島に住んでいた、静かに落ち着いて休んでいた、他の兵士さんたちは、イルカたちは、──兵士さんやイルカと暮らしていたほかの島民のみんなは、どこに行ったの。この島と、地下のあの”歌”だけ残して」
 黒い箱は何の反応も示さなかった。沈黙していた。四声のVOCALOIDも、その場に立ち尽くした。



「……お騒がせして、済みませんでした」
 沈黙の中から、やがて、ふたたびKAITO灯台守に言った。
「短い間ですが、お世話になりました。この”三線”は、あなたが相応しいと思う人のところ、あるいは、相応しいと思う場所に、戻してあげてください」
 KAITOは踏み出して、その”三線”を、手足もない黒い箱の灯台守の前に横たえるように置いた。
 それから、他の三声のところに戻り、KAITOはミクの頭を優しく撫でてから、
「この島が、これからも静かな──」KAITOはそこでふと、言葉を選び、「──これからも、安らかな場所でありますように」
 KAITOはミクと共に、灯台守に、この家のある海辺に背を向けて、その場をあとにした。その後もしばらく灯台守を見つめ続けていたがくぽとリンは、ややあって振り向くと、KAITOとミクについで歩き出そうとした。
「──待て」
 灯台守の声に、KAITOが振り向いた。
「この島に、”歌”が──」
 黒い箱はしゃがれた機械音で、にわかには感情も抑揚も聞き取れない声で言った。
「本当にその歌が、この島にあったのか。この島の礎にあったのか」
 KAITOは立ち止まって、その灯台守を、感情も表情もわからないただの黒い箱を見つめ続けた。
「ご案内しますよ」KAITOは寂しく微笑んで言った。「むしろ、あなたの助けがなければ、ふたたびそこには行けない」



(続)