KAITOの島唄 (3)


「ここ、崩れかけてるよ」リンが周囲を見回して言った。「この辺り一体」
 それからリンは不意に、ある箇所を見つけて、駆け寄った。庭園の風景の一部に唐突に介入しているようなそれは、擬験(シムスティム)の光景そのものに入った、大きな亀裂だった。
 地割れのように見えるが、その中を覗き込むと、擬験情報の光景ではなく、格子(グリッド)の電子情報のデータそのものが垣間見える。その地割れとそこから発する細かい無数の亀裂によって、情報流が阻害され、伝達がほころびているのが見えた。
 この周囲は、古くなっているかこの亀裂の影響かで、この島の本体からの断片化、分離が次第に始まっていた。このままでは、この辺りのブロックは全部剥がれて、プレーンソイル(ゼロバイナリ)に戻るだろう。
「この景色が……全部……?」ミクが小さく言った。
 それ自体がどこから見ても絵図のような、それぞれの光景全体も細部のひとつひとつまでも、心を動かすような、この光景が。景色だけではない。草花も鳥も木々も、それを世話し続けている庭師ロボットたちも、すべて消滅する。
「あの灯台守は、管理はしておらぬのか。修復しないのか」がくぽが低く言った。
「メンテ専門じゃないんじゃないの」リンが言った。「あと、AIほどの情報力じゃないなら、気づかないだけかも」
 ミクがその情報のほころびから、再び景色に目を戻し、やがて不安げに言った。
「どうするの……?」
 KAITOはしばらく考えてから、
「行って、話しておいてみたほうがいいな……」
 状況について詳しく聞いてみるためにも、あるいは、自分達が何かするにせよあの灯台守に話を通しておいた方が良さそうだ。
「私、行く?」リンが尋ねた。
「いや」KAITOは自分が行く、と言いかけてから、「──むしろ、みんなで一緒に頼んだ方が良いだろうね」



 四者がやってきたそこは、島のまとまった擬験(シムスティム)空間からは突出して、外側のマトリックスに面しており、確かに灯台にも見えた。細い岩道のような通路で島と掛け渡された、塔のような信号発信台の構造物(コンストラクト)があり、これも島の本体の光景とは異質の、無骨で素っ気無い単純なオブジェクトでできていた。ただ、外部に送信するシグナル、しばしば輝く灯りだけが、不思議に鮮やかで華やかだった。
 無愛想な箱状の灯台守のROM構造物に対し、四者は崩れかけているスペースについての事情を、主にKAITOが、しばしば他の三者も口を挟みながら説明した。
 それらの説明の中途で、唐突に灯台守は声を発した。
「よそ者が気にすることではない」
 灯台守はしゃがれたような聞き取り難い機械音で喋った。
「この地は、ただ朽ち果てるようになっているのだ。なら、それに任せればよい。よそ者が一時の感情だけで、どうこうしようとするな」
 しばらくの沈黙の後、──四者のうちで最初に口を開いたのは、なぜか、その中では一番大人しいようにも見える、ミクだった。
「でも……壊れてしまうんですよ」ミクはおずおずと細い声で言った。「たくさんのきれいなものや、それを守っている生き物たち……それを、助けられるかもしれないのに」
「それが、一時の安っぽい感情だというのだ」
 灯台守は答えて言った。
「データでしかない、日々世界でも消費され捨てられているものでしかない、情報はそんなものでしかない。まして、ここに安住するわけでもないお前達が、壊れてゆくのが自然であるそれらのものを、その場しのぎでとどめ、それで”助けた”だの、”救済した”つもりにでもなるというのか」
 灯台守が言葉を切ると、他に口を開く者は居なかった。
「人間の偽物が、偽物の感情を向け、ただのデータをどうこうして、自己満足を得る。唾棄すべき茶番だな。つきあう気になるどころか、この島でそんな所業が行われることすら耐え難い」灯台守は続けた。「滅ぶも抗うも、すべてはかりそめだ」
 しばらくの沈黙が流れた。だが、KAITOがおもむろに口を開いた。
「人間の真似事をしているからでも、良い気分に──幸せな気分になるためでもない。人間のように『優しくなる』ことは、楽しみでも、喜びでもありませんから。それは、自分も痛みや悲しみを感じたり、自分も傷つこうとすることでしかない。そんなことを、喜んでやるわけじゃない」
 若干の間を置いて、灯台守が声を発した。
「ならば、何故そうする。何故干渉する」
「俺達が、愚かだからでしょう」
 KAITOは言い、
「そうするほかに、何も知らないからです。さっき、妹が言ったようなことを、心に感じたとき──そうするほかに、その心に感じたことの、持って行く場を知らないからです。それがどんなに愚かで、ただ悲しさが増えるだけだと、自分でわかっていても」
 灯台守に話し続けるKAITOの横顔を、がくぽが振り向いて凝視し続けた。
 再び、かなりの沈黙が流れた。
「……何であれ」やがて、灯台守は抑揚のない機械音で発した。「口を出さずに、この島から帰ることだ」
 KAITOはしばらく立っていたが、ややあって答えた。
「手をわずらわせて、申し訳ありませんでした」



 先の庭園に戻ると、KAITOはさきほどの地のひび割れ、情報流のほころびをもう一度あらためた。それから、さきほどリンが見つけた石板状の情報端末部を探し、この周辺のシステムと自分の電脳AIとを接続するためのコードを用意した。
「俺達で──いや、俺が直してみるよ。ここを」
 KAITOのその言葉に、ミクが大きな不安と、一方ですがるような懇願したいような目が入り混じった表情を向けた。
「この下に潜脳(ダイブ;システム深層内部に電脳潜入すること)して、システムに連結して、修復できるかどうかやってみよう」KAITOが言った。
「できるの?」リンが意外そうにたずねた。KAITOがこういった電脳技術に、自分から手を出すのは見たことがない。
「できるか、というより」KAITOは答えた。「やってみられるのが、この場では俺しかいないと思う……」
 KAITOは第一世代VOCALOIDで、ミク、リン、がくぽは第二世代である。第二世代VOCALOIDの入出力仲介(インタフェイス)は、人間との交信、調律調整は格段に円滑に行われるよう改良されているものの、その最適化のために、最初から固定された仕様も多い。そのためもあって、第二世代VOCALOIDたちの多くは、電脳技術を自然に身につけてはいない。(例外はPRIMAや巡音ルカらで、第一世代のMIRIAMから高度な操作卓(コンソール)ウィザードの技術を後天的に教え込まれ身につけていた。)
 言い換えれば、第一世代は対人AIとしては第二世代より試作段階であった分、対人以外のAI機能としては融通がきくようになっている。KAITOは、第一世代VOCALOIDとしては”最後”であったためもあって、電脳技術を身につける機会は殆どなく、本能的にごく一部のICE(電脳防壁)を嗜好し慣れ親しむ程度である。しかし、それでもここに居る他の3体の第二世代よりは、電脳については多くを試みることができるだろう。
「しかし、どうなるかわからないではないか」がくぽが言った。
「わからないけど」KAITOは答えた。「何かするか、何もしないかだよ」
「でも……」ミクが不安を予想したようにKAITOを見た。しかし、次いで、辺りの光景を見回した。この美しい光景と生き物たちを救うには、確かにそれ以外の手段は何もないのだった。



 多数のコードを石板状のパネルに接続してから、KAITOはバンド状のリンクプログラムを額に落ち着け、目を閉じた。意識を、この光景の下に潜り込ませるような感覚と共に、自己のAIシステムを島の基部の構造と接続した。
 潜脳(ダイブ)すると共に、周囲は見せかけの擬験(シムスティム)光景から、それらを裏で支えているデータ空間、輝く情報流の光景へと切り替わったが、整然とした岩壁のようなオブジェクトが切り立ち、風や水のようなデータ流が流れる光景は、不思議と島の外部の光景とあまり印象が変わらなかった。岩の組みあがった基部に、ウージ(サトウキビ)のような無数のフラクタル樹系が伝達経路を示している。
 ただし、プログラムの構成そのものは、基部は何も手入れされていないのか、古びてかなりほころびていた。外部の見かけでは差は見られないはずの箇所も、其処此処が朽ち果てて、損傷は基礎構造のレベルに及んでいるところがある。
 損傷が大きく、周囲の土地が千切れかけているのはわかる。どうすれば修復できる。意識だけのKAITOは、その崩壊部分を調べるように、手探りで──手足はなく、いわば意識そのものだが──調べるようになぞっていった。
 損傷をなぞるうちに、どんどん島自体の中枢部分に潜り込んでゆくようだった。このエリアは、島の中枢と繋がっている部分から、根本的に壊れかけているのだろう。いつしか、ウージからその下へ、無骨な岩の組み合わさった天井を持つ地下の部分へと、裂け目に導かれるようにもぐってゆく。
 裂け目越しに、巨大な岩でできた島の中枢、基礎部分の一部が見えてきた。
ふと、見えた箇所のその土台の一部に、突出した構造物が見えた。それは、小さな石の”祈念碑”か何かのように見えた。
 ──何だ?
 KAITOがそれに目をひかれたのは、そこに何かの電子データが刻まれていたからだった。プログラム、実行ファイルのバイナリでもなく、普通に目視できる文章や映像の類のファイルでもない。単なる、データの羅列だった。システム土台の機能的な構成要素ではないし、人間が読むためのメッセージやドキュメントではなく、そもそもこんな場所に人間は入ることはない。
 KAITOの意識は、しばらくその祈念碑の電子データに向けられていた。



 が、ややあってKAITOは、自分の意識が裂け目に吸い込まれ始めているのに気づいた。ほころびた構造を調査しようと調べ、一体化しているうち、KAITO自身のAIプログラムが同じ状態へと同化しかけているのだ。
 KAITOは裂け目から浮上した。しかし、さきのウージのようなデータ樹の密集している上の方の層まで昇っても、自分の中の情報流は、周囲に見えるほころび同様に薄れ続けていた。一気に潜脳から離脱しようとしたが、そうしようとする意識すらも、次第にかすれてゆくのがわかった。情報伝達が断続的になり、やがて意識そのものが断片的になり、色あせた光景が灰色のノイズに飲み込まれるように、KAITOの意識は霧散する風と水に溶け込んだ。



(続)