地ミクdeメガネ haute couture (後)



 ほかに特にやることの目星がつくわけでもないので、レンはモニタに通話ウィンドウを開いて《磐田(イワタ)》にアクセスする。
「オノ=センダイ製のVLグラスについて知りたい?」通話ウインドウの中で、《磐田》のエンジニアは幾つかのデータシートを眺めてから、「他製品だし、VOCALOIDエンジンとの間の干渉だとかノイズについては、よくわからないなぁ……」
 エンジニアは音叉を三本重ねた社標(ロゴ)のついたヘルメットのバイザーを上げ、レンを振り向き、「ノイズとかが気になるんだったら、VLグラスでも最新型なら、色々とシステムが綺麗になってるだろうから、少しは改善されるかもしれない。ひとつそっちに、《札幌(サッポロ)》に送るよ、なんなら。その手のツールは、うちにも結構置いてあるからさ。開発のサンプルとかで」
「いいの? 小泉さん」
「もともとが医療用の補助システムで、ほとんど無料同然で提供されてるからなあ」エンジニアは言った。「で、どうする。誰が使うんだい。とりあえず、レンのシステムに合わせて調整してから送るかい……」
「ボクに?」
「てかさ、レンは何に使うんだいそれ」
「いや……ええと……」レンは何も考えていなかったので、口ごもった。が、突如、気づいたことがあって慌てて言った。「いいよ、それで送ってよ」
 通話を切ってから、レンは背後で無表情に見ているルカをよそに、ひとり考えた。
 最新型のVLグラスが《磐田》から送られてくる。それは、まだミクにある不都合、足のふらつきなどを軽減するものかもしれず、レンは、その最新型の眼鏡をミクに贈る、という立場になる。
 そればかりでなく──送られてくるその眼鏡は、KAITOでなく、レンに合わせて調整されたものだ。つまり、それをミクに贈れば、その眼鏡をかけているミクの傍らに、ノイズを気にすることなく立つことができるのは、それ以後はKAITOではなく、レンということになるではないか。



「届きましたね」ルカが、家の前の郵便受けの中からそれを取り出した。
 《磐田》から届いたVLグラスは、前のミクのものと違って、丸いレンズがかなり大きいものだった。ルカはその新しい眼鏡のオノ=センダイの社標(ロゴ)をしばらく眺めてから、なぜかレンに手渡す前に、おもむろに自分でかけた。
「なるほど、これは確かに、かけるとかなり楽になりますね」
 そして、まるでその眼鏡と自分の姿を示すように、リンとレンの方に正対した。
 ──リンとレンは思わず数歩あとじさった。
 眼鏡をかけたルカからは、
「WikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiみWikiWikiWiki……」
 というような、エンジンのアイドリング音と複雑なパーツ同士が激しくこすれる音が混ざったような、おそろしく耳障りかつ背筋にも堪える”音”が鳴り響き続けていた。
 その音もひどいのだが、さらに、その眼鏡をかけたルカの姿からは、何か物凄い圧力のような存在感を感じる。それは、威圧力を持つとすら表現できるほどの、その姿の圧倒的なまでの適合性、妥当性である。それはレンに対しても、ミクの眼鏡の姿から受ける言い知れない新鮮さとは、まったく別種の衝撃をもたらした。
「あっはっは、ルカ眼鏡似合いすぎださ」MEIKOが、萎縮しているリンやレンの様子をよそに、緊張感のない笑い声を立てた。
「てか、平気なの、姉さんは」リンが青い顔のまま、そのMEIKOに尋ねた。
「平気って、何が?」
「いや、その……ルカから変な”音”がしてるよね、おねぇちゃんのと同種の」
 しかし、レンの方にはもっと気になることがあった。MEIKOのすぐ後ろに立つKAITOも、このルカと眼鏡から出る音に対して──KAITOに対して調整されている眼鏡ではないにも関わらず──やはり、平然としているのだ。
 一方、ミクは、(古い方の眼鏡をかけて、自分の方からは例の「みくみくみくみく」というノイズを出し続けつつも)ルカの方に怯えたような、戸惑った視線を向けていた。他に理由はないので、ミクも、ルカのノイズが気になるらしい。
「いや、てか、第二世代のVOCALOIDには気になるのかもしれないけど、第一世代には何ともないもの」MEIKOはあっさりと応えた。「ミクとかルカから出る『エンジン音』のハウリングだから。VOCALOIDエンジンが違ったら、影響はないもの。第二世代のVOCALOIDエンジン同士だったら、共鳴が起こって耳障りに感じるんだろうけど」
「なるほど」ルカが皆の様子を見回して平坦に言った。
 ……レンは、あまりのことに呆気にとられたように、何をどう考え反応してよいかわからず、ただ交互に見比べるようにMEIKOKAITOを見た。
 古い眼鏡が元はKAITOのものだった、ということは、実は何も関係なかった。つまり、この新しい眼鏡がレンに調整されていても、何も関係はないということなのだ。
「わたし……勘違いしてた」ミクが指先を頬に当てて言った。
「何?」KAITOがミクを見下ろした。
「ううん、なんでもない」ミクは小声でひとりごとのように、やや俯いて、どこか嬉しそうに言った。「それでもいいから……傍にいても兄さんが平気なら」
「ああ、そう」リンが、ミクとルカから沸き出続けるノイズに青い顔をしたまま言った。



「ところで、レンはいったい、何のためにこの眼鏡を取り寄せたのですか」何日も経ってから、いまさらのようにルカが尋ねた。
「いや……」レンは力なく応じたが、口ごもった。
 新しい眼鏡でも、ミクから出るノイズも改善されず、そしてKAITOとレンの立ち居地も改善されないであろう以上、その眼鏡をレンがミクに贈っても仕方がないのだ。
 結局、余ってしまった新しい眼鏡は、なぜか、それ以後ずっとルカがかけ続けていた。レン自身がすでに興味を示さないためもあれば、ルカは感覚補助ツールとしてのそれをかなり気に入ったのだろうし、おそらくミクやレンが知っている以外の、電脳ツールとしてのVLグラスの様々な機能をも、使いこなしているに違いない。
 しかしリンとレンは、眼鏡のミクが例の音を立てるときには自分から近づくのはためらうのだが、眼鏡のルカの方は、例の「WikiWikiみWiki」というひどいエンジン音のノイズを立てながらも、リンとレンの近くでも構わずに平然と歩き回っている。
「てか、その”音”なんとかして!」リンが頭を抱えて言った。「なんで何の事件も起こってないときでも、どんどん面倒が増えてく一方なんだよッ」
 その往来する眼鏡ルカの”音”を聞くたび、そして眼鏡ルカのその姿から受ける異常な魅惑性を傍らに感じるたび、一連の出来事を思い起こし、この現状と、今度ばかりは同意せざるを得ないリンの叫び声とを照らし合わせるに、鏡音レンの心中には、つくづくやるせない『不条理』というものが沸きあがってくるのだった。



 (了)