無限の業を重ねて生きよ(または世界で一番バカ殿様) (8)




「思えば過日、手当てを施して貰(もろ)うたにも関わらず。ふたたび、おのずから刃の下に身を投じ手傷も負う有様にて。重ねて、陳謝し直さねばならぬ」がくぽは畏まった様子で、森之宮先生に言った。「然れども、許されよ。それも、武士(もののふ)の性である。如何ともできぬ」
「──性(さが)とは」
 森之宮先生が口を開いた。ミクを絶妙に調律調整したような玻璃の鈴の転がるごとき声で、かつ、相変わらず無表情で、まるで声質に合わないちぐはぐな言葉遣いだが、がくぽと異なり、そこには不思議と違和感がない。
「おのずから身を投じられた、とまで、自ら心得ておいでのことでしょう」森之宮先生はゆるやかに言った。「まこと、避けられないことでしょうか」
「なれど、理の通るよりも先に、はからずも”斬らねば斬られる”様へと陥っていることもある」がくぽは低く言った。
 さきの森の中での状態を思い起こすに、そうである。両者が対峙したときには、すでにそうなっていた。それが、今回のような事態、がくぽの剣の性質上身を傷つけるわけではないにせよ、衝突や取り違い、ときにもっと取り返しのつかぬ結果になり得ることも、承知の上である。しかし、それががくぽに限らず、剣に生きるもの対峙において、剣を求めるが故に剣に駆り立てられる宿命であることは、知られている。
「遺憾ではあるが、弓取りの、兵法遣いの身の上で選ぶことの出来る生きようなど、畢竟、限られたものであるが故」
「まことに、左様な生き方のほかに有りませんか」森之宮先生はがくぽを無表情で見ながらも、首をわずかに傾けた。その仕草と、まっすぐな髪がさらさらと流れていく光景の美しさが、とりわけ妙にミクに似ていると、リンとレンは思った。「──さきほど貴方様は、歌い手でもある、と」
「いかにも。我が剣は芸道と分かつ処なし。我のかような生き方ではあれども、争うためのもの、ひとを殺傷するものではなく、楽の音を与え、我が拍子を思念に切り込ませ、打ち込み、芸を与えるものであるが」
 森之宮先生はしばらく無言で聞いていたが、
「与えるのみ、斬りつけるのみ、音で打ちのめすのみでは。我(が)を守り、我を押し、我を打ち付けるのみでは、争いと同じことではありませんか」再び、ゆるやかな言葉を発した。「刃が刃を呼び、業が業を呼び、無量と連ね、無限に重ねてゆくばかりではありませんか」



 やがて、森之宮先生はそっと手をのべると、そばの樹に貼られた霊符のひとつを剥がした。不意に周囲の光景が変貌した。この電脳空間エリアのデータ視覚化のモードが切り替わったのだろうか、日常の光景に似た擬験構造物からなる風景が灰色に色あせ、全体として靄のかかったようになり、そのかわりに、格子(グリッド)と霊子網(イーサネット)がよりはっきりと見える視界になった。
 がくぽの周囲一帯は、ほかの皆に比べても、霊子(エーテル)の靄が濃くなっており、それは見る間にも濃さを増しつつあるのがわかった。その中には、おぼろげな形をとったものもあり、レンの背後をおそった精悍な筋肉男の上体や、リンから逃れた蛇の姿もよく見ると半ば光景に溶け込んでいるのが見分けられた。
「これはいかなる……」がくぽは自らの周りを見回し、呟いた。「さきの悪霊は追い払った、負の思念を、我が楽の音で解き消し、浄化したのではなかったのか」
「刃の如く我(が)を打ち付けるのみでは、因果を含めこそすれ、断ち切ることはできないのでしょう」森之宮先生は無表情に、鈴のように澄んだ声音のまま言った。「その場は吹き散らした様に見えても、因果は絡まる一方、さらに業を積み重ねてゆくことしかできません」
「では、さきの《大阪(オオサカ)》から《札幌(サッポロ)》への道すがら、霊が集い来たのもこれなのか……」
 がくぽ自身が霊を呼び寄せ、斬り払えば斬り払おうとするほどに、業を重ね──がくぽ自身のマトリックスに対する歪み、不協和音の源を強め──がくぽは今までに払っているつもりでいた因果を、ひたすら自分から背負いこんでいただけだというのか。
「重みがいや増せば、さきに道ゆきで倒れられたように、自らの背負う霊圧の重み、因果の重み、”肉”に負う”霊”の不均衡な重みに、しばしば押しつぶされてしまうのです」
 森之宮先生は抑揚なく、静かにゆるやかに続けた。
「人の命は短く、無常に去りゆきます。人の業にも因縁にも、背に負えるものにも限りがあります。さきの《秋葉原(アキバ)》からいらした御方のように、人の身ならば、たとい修羅の道を行こうとも、業が無限に重なるより先に、命の方が燃え尽きましょう。……けれども貴方様は、はてしなく存在し、はてしなく人と芸の道を交流する宿命を背負った御方。このまま因縁を負い続けるとすれば、無限の業を重ねて生きてゆくばかり」
 もとは形をなさぬ霊体の塊は、がくぽの近くに密度を増し、やがて急速に集まり、見上げるばかりのなかば人型の、霊の靄の渦に包まれた巨大な悪鬼のような姿となって、あとじさるがくぽら三者の前にそびえ立った。
「如何せん」がくぽは自分の業の呼び出したその悪鬼を前に、『美振(ミブリ)』の柄に手を触れ、左手を鞘引きに添えさえもしながら、抜くのをためらった。
「我は、如何にすれば──如何に生きればよいというのだ……!」



 (続)