無限の業を重ねて生きよ(または世界で一番バカ殿様) (7)



 深森の奥のわずかに開けた空間(エリア)にひっそりとたたずむ『森之宮神療所』の戸口近くに立って、レンはその建物の電脳内構造物(コンストラクト)を見回すようにした。
 ニューロテック・シャーマン、呪術師、占術士(ディバイナー)のマトリックス内の営業所ならば、その手の小企業や個人店舗の広告用ウェブサイトスペースの独特の雰囲気のような、にわかなけばけばしいオリエント趣味に飾り立てたようなものを想像していたのだが、そうではなかった。見たところ、ごく普通の日本家屋を模した電脳内構造物のように見える。ただし、その様式には、完全な和式づくりとは思えないところ、少なからずハイカラとでも形容すべき意匠(金属製のドアノブや、風見鶏など)があり、近代風というのか、よくわからない。それが意図してのものなのか、神療所の構造物(コンストラクト)を作った者が、結局は完全な日本家屋の知識を持っていなかったのか。
 開け放たれている扉の内側には、例の墨の見事な筆跡で、覚書らしき書付け(「山田さん今週休み」といったもの)の紙が幾つか貼ってあるのが見えたが、扉にはこれも墨で『本日営業中』の表記の貼り紙がある。”開業中”ではなく、”営業中”であるところを見ると、あくまで『診療所』ではなく、シャーマンの『神療所』ということだろうか。
 ……がくぽは、レンの隣に立って、こちらは建物や景色を見るでもなくじっと黙り込んでいたが、ややあって口を開いた。
「なれば、あの遣い手は、まこと、怨霊でも悪霊でもないと申すのだな」
「いや、だからさ」レンはがくぽに、何度目かの同じを答えを繰り返した。「あの村田さんは、ボクらの《秋葉原(アキバ・シティ)》の仕事でのプロデューサーのうちのひとりだよ。いろんな所にたくさんいるプロデューサーたちの中の」
 今は、そのプロデューサーの方が先に用があるらしく、神療所の中で『森之宮先生』と話している。滅多に《札幌(サッポロ)》をじかに訪れることさえない《秋葉原》のプロデューサーが、ここを訪れ、しかも『森之宮神療所』に何の用があるのかは、ますます定かではなかった。芸能業界で、森之宮先生を取材やらプロデュースするでもあるまい。
「……《秋葉原》からは、ボクら《札幌》のVOCALOIDだけじゃなくて、オクハンプトンやストックホルムの海外組も売り出してるよ。だから、《大阪(オオサカ)》のがくぽも、そのうち村田さんにもプロデュースされるんじゃないかな……」
「我の問うておるは」がくぽは低く言った。「役目(やくめ)のことなぞではなく、あの者が確かに”人間”であるのか、という事だ」
「そりゃ、村田隊長の見かけは、”戦前の軍人の怨霊”だとかに見えたって仕方ないとこもあるけどさ……」レンは曖昧に応じた。「普通に言うんなら、人間だと思うけど」
 レンには人間だと言い切れないのは、アンドロイドやAIや身元不明のそれらも存在する現在、いち生命体(ゴースト)が確実に”人間”なのかは断言できないからだ。とはいえ、よほどのことはない限りは、人間として振舞っている者は”普通に人間”である。
「……まこと人の身で、かほどの遣い手となれば、何者か」
 人間などが、強大なAIの処理能力と反応速度に対して電脳戦を行うのは、どれほど強力な電脳空間デッキ(インタフェイス端末;専用コンピュータ)と砕氷兵器(ICEブレーカ)プログラムを使おうが、常識的な技術では不可能と考えられている。
「わかんない。《秋葉原》でプロデューサーをやる前、村田さんはもとはBAMA(註:北米東岸)のウィザードだったってことくらいだよ」
 がくぽは考え込んだ。国際級の凄腕の操作卓(コンソール)カウボーイやウィザードが、強大なAIに電脳戦(コアストライク)を仕掛け(ラン)、そのICEを破った、などという電脳空間内の伝説は存在しないでもないが、それを実話などと信じているものは誰もいない。しかし、そんな伝説の出所を辿れば、電脳業界の中心であるBAMA《スプロール》をおいて他にない。……BAMAにはそれを実現する者は、少なからず実在するということなのか。
「村田隊長は巨大ロボットも素手で破壊すんだよ」レンがうんざりしたような口調で言った。デカトンケイルのような巨大システムを、専用の強力な電脳兵器の調達なしに分解してしまうほどの電脳技術の持ち主という意味らしい。「刀はほとんど抜くことはないって話だけど。さっき抜いたのは、相手がAIだったからかも」
 レンの口調はひどく疲れたようで、少年らしい憧れのような含みは皆無だった。どうやら、リン同様に、身の周りの異常な環境に食傷ぎみであるらしい。
 がくぽは黙り込んでいた。神威がくぽ、VA−G01とて、並のAIではない。その行動能力は(他者を傷つけることができるわけではないが)並大抵の電脳戦用AIならば凌駕する。にも関わらず、あの男は、がくぽと対等に斬り合った。対等──いや、自分にはわかっていた。あのとき、あの相手の霞中段の剣が上段に上がった時、リンが止めなければ。斬られていたのは、むしろ、がくぽの方だったのではないか。
「不覚」がくぽは低く呟いた。「我、未だ至らず」
 ロールアウト間もないとはいえ、自分の今までの見識も、『美振(ミブリ)』の奏での刀法の術技も、何もかもが未熟すぎる。
 ──レンはそんながくぽを数歩離れて眺めていた。プロデューサーに対する何のことが不覚かはよくわからなかったが、しかし、それよりも、その後に『森之宮先生』に背後をとられてあっさりと昏倒させられていたことの方が、レンにはむしろ気にかかる。が、そんながくぽ自身のためと、何よりあのとき目にした光景の思い出したくもない恐ろしさから、レンは喋るのをためらっていた。今のところ、がくぽはあの時の森之宮先生の姿も見ていなければ、はっきり何をされたのかも知らない。



 と、リンと共に、プロデューサーが神療所の正面玄関から歩み出てきた。
 がくぽはつかの間、そのプロデューサーの姿を重々しい視線で見つめたが、やがて正対し、目礼した。
「先刻は見誤うた。相済まぬ」
 がくぽのプロデューサーへの言葉遣いは同輩未満、多分に軽輩の武家に対するそれである。そも、がくぽが初対面で”人間”を士分扱いする自体が、さきの剣技によほどの敬意を表してのことだった。
 チューリング登録されたAIは、法的には人間に何ら劣らず、むしろ──チューリング登録機構の規定以外には一切の法的、社会的制約を受けないため──人間より遥かに社会的に意思の自由を保障された、優位の立場にあるともいえる。故に、AIが人間を立場上の”上位者”とみなすこと、人間がそれを要求できることはまずもって有り得ない。AIは他者をせいぜい(実際の稼動年数に関わらず)”年上”か何かの目上として扱うくらいであり、そしてそれは相手が人間であるか他の何であるかにも、法にもアーティスト契約にも何も関係がなく、各AIの”気性”以外には、一切影響する要素はない。
 そして『神威がくぽ』の気性は、あらゆる他者を目上とはみなさない。その姿勢を含めて、人をひきつけるのが、アーティストAIに求められるべき本質である。(なお、後の『がくっぽいど』ライブラリ提供プログラムのリリース後、VOCALOIDを”人間の命令に従うべき所有物の機械”としか認識できない一部の人間は、例によって曲を提供する人間はがくぽの『主』『主君』『マスター』であって当然でもあるかのようにみなしたが、世のがくぽの歌の純粋なファンらは、そんな一部の思惑など一向に意に介さず、単にがくぽのその気性に対して親しみをこめて、しばしば人間の側からがくぽを『殿』と呼んだ。)
「では、君がVOCALOID "VA-G01" 神威がくぽか」プロデューサーはがくぽの謝意も、さして気にする様子もなく、いつも通り平静に言った。「こちらが、君の姿と判別できなかった所為もある。しばらく前に『開発は終わっているが概形(サーフィス)の発表が遅れている』という知らせだけ入っていて、《秋葉原》には君の外見の情報が一切届いていなかった」
「是非もあるまいな」がくぽは再び目礼するように、やや目を伏せた。
「今は挨拶や説明をしている時間もないが」プロデューサーはその場を歩み去りつつ言った。「ゆくゆくは、仕事で会うことにもなるだろう」
「縁あらば重畳。いずれ」
 そのがくぽの前から去り際に、見送って背後まで歩いて来たリンに、プロデューサーは呟いた。「まさしく”サムライ”というわけか」
 リンはプロデューサーを見上げた。
「日本文化の”侍”ではなく、BAMAのストリート用語の”サムライ”だ。元々、一級の戦闘ポリシーを持った傭兵や用心棒を指すが」プロデューサーは言った。「そこから派生して、操作卓(コンソール)カウボーイたちの間では、マトリックス内で、力まかせの仕掛け(ラン)をする、美学が空回りしているようなカウボーイの類を指すことがある。その場合は、あまり褒め言葉ではないな」
 リンは振り返って、離れたがくぽの方を見た。
 プロデューサーは一旦言葉を切ってから、「──もっとも、私もBAMAではそう呼ばれていたことがあるが」
 ……プロデューサーが去り、リンが玄関前まで戻るのとまるで申し合わせたように、森之宮先生が神療所から姿をあらわした。
 袖と裾の長い白と紫の装束は、フラクタル樹の風景の静謐な気の中に浮き出すようであり、その足取りはがくぽやプロデューサーの足運びのような緊張はないにも関わらず、それ以上に滑らかな動きで、下地を滑るかのように見えた。
 がくぽはその姿にまるで畏まるかのように背を伸ばし正対した。
「何から……申さばよいものやら……先ずは、過日の患いに手を施して貰(もろ)うた礼のほどを」口ごもったあと、「しかし立ち代りにそれとは別のわずらいがいや重々しく苦しく我が胸の裡に」
 がくぽはほとんど独り言のように言いながら、懐から短冊を取り出した。
「何」リンがそれを見て尋ねた。
「我は歌い手である」がくぽは朗々と宣告した。「千の言の葉を費やそうともとても語り尽くせぬ、この心境を一首、短歌に詠んで捧げようかと」
「んなことしとる場合じゃないしょや!」リンが遮った。
「『ンナコト』なりとは聞き捨てならぬ!」がくぽは重々しく言った。「逢瀬をさまたげるか、リンは」
「そういうオウセとかもいいんだけど普通だったらそれよりついさっき起こした騒ぎについて謝るのが先だってばッ」
 森之宮先生は無表情で無言で立っている。レンは、リンとがくぽに何かを訴えるような目を向けて無言で立っている。



「あのあたりに集まってる怨霊、残存思念、人格プログラムの断片の不良駆動品って、もともと旧時代には、北海道神宮が鎮めてたんだってさ」リンは、さきに森之宮先生とプロデューサーのやりとりで聞いていたことを、黙っている森之宮先生にかわって、レンとがくぽに説明した。「北海道神宮の電脳空間整備がなくなってからは、森の木に霊符とか貼って鎮めてたらしいけど、なんでだかさっき見たら、霊符が剥がれてたらしくて、怨霊がどんどん漏れ出て来てたんだって。なんで剥がれたのかはわかんないけど」
 レンはぎくりとしたが、霊符について言うべきか否か迷った。
 と、無言のままの森之宮先生が、ほんのわずかに首を曲げて──目を動かさず、つまり表情を変えるということが一切なく──レンの方を見た。単にレンの様子に気づいたか、様子以上のことに気づいたか、すでに全部わかっているのかは定かではなかった。
 ともあれ、何の用であるか森之宮神療所を訪れていたあの《秋葉原》のプロデューサーは、その霊の様子を見るために、一度森に出てきたところを──剣を抜いたがくぽに出くわし、そして、不幸にもお互いを、暴走する怨霊の首魁とみなしたのだった。



 (続)