無限の業を重ねて生きよ(または世界で一番バカ殿様) (4)


「そう、『神威がくぽ』と『森之宮先生』が、遂に邂逅したのね」MEIKOは重々しく呟いてから、居間に集まった弟妹ら(がくぽを含み)を見回して言った。「……みんな、『ナス+キノコによって新伝綺時代がその幕開けを告げる』という諺は知ってるわね」
 誰も知らなかった。
「たぶん、リンは新たな時代が幕を開ける、その歴史の立会人となったのね……」
「いやもうこのうえヘンなことに立ち会いたくなんかないんだけどッ」
「……『森之宮先生』とは何者か」MEIKOは静かに語り始めた。「かつて、旧時代が終わって間もない頃、ドイツの機械の都メトロポリスで、大衆人心を掌握するカリスマとして、舞踏用ロボット、『鼻毛メカ・VIP先生』が開発されたの。それこそは、私達VOCALOIDやFLシステムを含む技芸・芸能用アンドロイド、アイドルロボットすべての、原点にして原型なのよ」
 リンは思わず息を飲んで、MEIKOの言葉に聞き入った。
「そのVIP先生の技芸には、すでにVOCALOIDとしてミクのアイドル活動の原点のロイツマの歌(→あくまで参照)や、KAITOの芸風と深い関係を持つメカチ早(→あくまで参照2)や鼻毛ラップ、鼻毛カッターをはじめ、あらゆる芸能アンドロイドの活動の原型がすでに備えられていたというわ」MEIKOは続けた。「そのアンドロイドも、メトロポリスの超機械文明が内乱で転覆したとき、火刑にされて焼失したと信じられていたの」
「歴史の”メトロポリス”の内乱って……」ミクが思い出そうとするように、指先を唇に添えて言った。「ミキマワス・ワォルトネズミーニとかいうのが暴れて襲ってくる事件だったかしら……」
「それは違う漫画だよ」KAITOがミクに優しく言った。「無関係じゃないけど、別の話」
「てか危ない単語出すのやめて! そんなんだからおねぇちゃんはいつも権利周りで悪の巨大組織から付け狙われ続けるんだよッ」
 MEIKOがさらに続けた。「けれど、そのアンドロイドには”転換”能力、もちろん性的な意味で、つまり私達のジェンダーファクター機能の原型も備わっていて、その能力を利用して実は動乱をひそかに逃れて悪の巨大組織レッド党の手をかいくぐってヒゲオヤジ探偵の甥ケンイチの力を借りてここ極東へと……」
「あ、あのさ」リンはそのMEIKOを遮り、「何か急速に話がカオス化してるってかその違う話がこの場の出まかせみたいに混ざってるんだけど、それ、ほんとに、『森之宮先生』と関係ある話なの」
「いやファンサイトとかニコ大百科にもVIP先生と関係があるとかないとか一応載ってるし全部の全部が出まかせってわけじゃあ」
「つまり大部分はこの場の出まかせ……」レンがふと呟くかのように、例によって要らないことを言った。
「てかなに無駄話でサーバ容量浪費してんのよッ! 今回のストーリーは特に紙面が足りないんだよッ」
「いやでもVIP先生については特に調べなくてもいいって書いてあるから逆に調べない読者には一応かいつまんで説明しておいた方が親切かもって思って」
「そんなかいつまみ方があるかァァーー」
「VIP先生ならば存じている」が、突如、がくぽが立ち上がって言った。「《大阪(オオサカ)》にて学んだうち、我らの最も重要な活動場である動画投稿所の伝統文化、”β時代の英雄”の名として。……伝統の能楽は、武士(もののふ)のたしなみである」
 リンは反射的に制止しかけたが、その前に、がくぽはそれを歌い踊りだした。
 ──それは、さきほどリンとミクが部屋の外から目撃したもの以上に、果てしなく不思議な歌と踊りだった。五兄妹はみな、石のように黙りこくったまま、各々の視線でそれを見つめ続ける以外に、何らなすすべを持たなかった。
 (→ニコ動



「とりあえず、無駄話は置いといて」MEIKOは自分から持ち出したVIP先生の話題を、今のがくぽの踊りを見るなり、自分から無駄話などと放棄したが、リンにはまったく異論はなかった。
「その森之宮先生とかいうのが何者か、がくぽの治療に何の技術を使ったのかは、わからないけどね」MEIKOは、リンが森之宮先生から受け取ったあの名刺の情報ハイパーカードをひっくり返して見ながら、「この神療所とかいう名乗りが本当だとしたら、たぶん、ニューロテック・シャーマンの一種でしょうね」
「シャーマン?」リンは聞き返した。
「電脳宇宙の星の巡り、天数、マトリックスの情報流の風水を読んだり預言したりする、操作卓(コンソール)ウィザードの一派よ。極東だから『シャーマン』だけど、ジュネーヴあたりなら『ドルイド』、BAMA《スプロール》なら『ウーンガン(ヴードゥー屋)』って呼ばれるとこね」
 リンには何から何まで、まるっきり意味不明な単語の羅列だった。
「まあ、そのニューロテック・シャーマンをやってるのが、人間かAIかROM構造物か、大企業の集合人格エージェントかは、このカードからは何もわからないけど」MEIKOは言った。「この住所の『宮の森』ったら、旧時代の北海道神宮の廃墟の近くでしょ」
「案内するよ」リンががくぽを見て言った。「私もそっちの森の中まで入ったことがあるわけじゃないけど、近くなら行ったことあるから」
「リンも行くのかよ」レンが呆れたように言った。
「てか、レンも来んのよ」リンは睨みつけるようにレンを振り返った。
「なんでボクまでッ……」
「証人」リンはぎらぎらと光る目と低い声を、レンに向けて言った。とりあえず、額に肉と書いただの、骨を砕きそうだっただの、がくぽと家族の誤解は森之宮先生を経て、なんとしても解かなくてはならなかった。
「忝い」がくぽはリンに、秀麗な細い顎と横顔の線を向け、涼しくもその真摯さを映すような簡素さを描く眉目を向けつつ言った。「リンには、まこと世話をかけ続ける。さきの手当てにせよ、この土地の案内にせよ」
「さっきは押さえられてたのしか覚えてないとか言ってさ……別にいいよ」リンは言いつつも、いつになく、その視線から、わずかに目をそらした。がくぽの、現在の電脳社会の文化からは飄然といえるほど明らかに浮いた謎の立ち振る舞いや気性と、それでいて真摯な眼差しを向けられると、リンは何か胸の奥が落ち着かなくなる。人間やそのほかの電脳内の人格システムやAIではない、同じVOCALOIDで、かつ、兄弟姉妹や義父母らからは得られないまるで異質なものが、がくぽからは感じられるためだろうか。
 ……がくぽ、リン、レンが支度に出て行った居間の戸口を見つめて、ミクが呟いた。
「心配ね……木村庄之助さんも、リン達も」
「リンとレンは、誰かが未知の何かに出くわすときは、いつも一緒に何か学んでくる気がする」KAITOがミクに言った。「……今回もあの3人にとって、そうなればいいけど」



 《札幌(サッポロ)》の中央区宮の森の30条以降の住所は、物理空間でなく電脳空間(サイバースペース)に割り当てられている。そこに相当する物理空間にせよ、電脳空間にせよ、そのあたり一帯は、旧時代には北海道神宮が管理し、鎮守していた。しかし、今では管理する者もなくなっている。緑の多い辺縁には、宮の森や円山公園の高級住宅があるが、森に一歩踏み込めば、旧時代以来人も入ったことのない地である。
 電脳空間内でも、もともと大型のポプラや大小の針葉樹のようなフラクタル樹が生い茂る原生林のような場所だったが、そのハイパーカードに書かれた『森之宮神療所』のアドレスの位置については、いまやそこまでまともに通行できる道さえもなかった。あるいはどこかに抜け道があるのかもしれないが、リンには無論見当もつかない。その原生林のさなかを、鏡音リンが先導し、神威がくぽ鏡音レンが続いた。
蝦夷地は《札幌(サッポロ)》の中枢を一歩踏み出れば原生林が生い茂り、往来をゆけば蝦夷鹿や白熊やナコノレノレやアノレノレウやムックノレが飛び出してくる、なる噂は、到底信じがたい風評ではあったが」がくぽが、周囲の鬱蒼と茂る木々を見回しつつ、静かな驚嘆をこめて言った。「畢竟、それらを信じざるを得ぬ、と言わねばなるまい」
「なんかもう否定するのもめんどい」リンはまるでただの雑草でも払うように、その腕力で、やぶや低木を楽々とかきわけて進んだ。「どうせこの先に、そんな噂なんか霞むようなモノが、待ち受けてるんだろうからさ」
 うんざりしたリンの声を、まったく別の意味で解釈したのか、がくぽの繊細秀麗な容貌にかかる緊張は増す一方である。がくぽは無言で目をおろし、腰の『美振(ミブリ)』の目釘を確かめさえした。
 一方、レンは、ふたりからかなり遅れていた。ポプラの花粉が鼻をひどく刺激していたのである。鼻は、つねにCV02の声の最大の特徴であり、またシステム的に最大のウィークポイントでもあった。(これは、アップロード主らの調律調声や、CV02のライブラリの更新を重ねて、たえまなく改良が進められてゆくことになる。)まして、02のロールアウト地の《帯広(オビヒロ)》と、ここ《札幌》は、かなり空気が異なる。(十勝平野石狩平野の地質の差から、生物相も異なっていた。)さらには、レンはリンよりも《札幌》暮らしがかなり短いのだ。
 レンはかなり離れて歩きつつ、鼻をすすった。木々がいとわしいと思いつつ、そばの樹を見渡すと、何歩か置きに、それらのフラクタル樹のいくつかの幹に、スクリプトが書き付けられた古びた霊符が貼り付けてあった。
 レンは、リンとがくぽが見ていないのを確かめつつ、その数歩置きに樹の霊符をはがし、鼻をかんで、丸めてやぶの中に捨てながら歩いた。



 と、レンは、不意に背筋に異様な悪寒を感じた。
 空気や気配というより、圧力といった方が正しかった。レンはおそるおそる、首だけで背後を伺おうとした。
 得体の知れない何者かの姿があった。背後に浮かび上がっていたのは、霊子網(イーサネット)の中に青白く形をなした半霊体の、マトリックスのゆらぎから成る姿だった。それは、極めてたくましい裸形の男の上半身部分であり、精悍な容貌に、ぎらぎらと熱っぽい目でレンの下半身を嘗め回すように凝視しつつ、いかつい両腕をそのレンの後姿めがけて伸ばしているところだった。
「あおおーーーっ!!」
 レンの悲鳴がやけに太い声なのは、鼻の調子のせいかもしれなかった。



 (続)