無限の業を重ねて生きよ(または世界で一番バカ殿様) (3)

SS投稿所の(中)編の続きもここから

※投稿所は移転途中らしいのでとりあえずこちらでのみ





 その数日後、リンが件の青年の休んでいる来客用寝室に近づいたとき、その戸口近くにミクが立ったまま、かすかに部屋の中を伺うようにしているのを見た。
「おねぇちゃん」リンは静かに声をかけた。ミクはびくりと振り向いた。
「何してんの……」リンはそのミクの姿を見て、呟くように言った。ミクは、『デポ〜』と書かれた、自身の身長ほどもあると思われる注射器を両腕に抱えていた。
「リン……あのね、あのひとの事なんだけど」ミクは注射器を抱えて背後の壁によりかかり、部屋の方にかすかに視線を流しつつ、「ええと……あの木村庄之助さん」
「誰!?」リンは頭を抱えた。「てか扇持って刀差してたら誰でも立行司かいッ」
「もう……大丈夫なのかしら……」ミクは小さく言った。
「いや、すっかり体調の方は回復してると思うけどね」リンは低く言った。
「なら良かった……」ミクは巨大注射器をおろした。一体それで何を治療しようと、というか、むしろ、何をしようとしていたのだろう。
 ……リンは、そのミクの傍らを抜けて部屋に入ろうとしたが、そこを、ミクは小さく呼び止めた。「あのね、ええと……リン、ちょっといい……」
「なに?」
「あのね、あまり良い気分はしないかもしれないけど……もう、リンも立派に一人立ちしてる歌手だから、いまさら、わたしが口出しするのはうるさいって思うかもしれないけど」ミクは落ち着いた目で、リンを見ながら、「でも……少しだけ、おねえちゃんの言うこと、聞いてくれる? きっと、リンのためだから……」
「なに?」リンはミクに向き直り、真剣な表情でその瞳を見つめた。
「あのね……」ミクは少しためらってから、「いくら、意識がないっていっても……初対面のひとの額に『肉』なんて書くのって、わたし、そういうことするのって、良くないと思うの」
「だからそれ私が書いたんじゃないんだよッ」
 ミク以外には誰もはっきり口にしたわけではなかったが、病床の『神威がくぽ』の額の肉の字だの、天井にあいた大穴だの、ネズミの大群に対する近所の苦情だの、他の姉兄弟はみな無言で、リンのせいだと思っているらしいことは見てとれた。とはいえ無論のこと、”がくぽと同時にその介抱のために突如として出現した謎の少女が、全部それらを行っていった”などという今までのリンの説明が、周囲を信じさせられるとはリン自身にもとても思えなかった。……しかし、なんとかしなくてはならない。できれば、がくぽ自身の口からの証言で。無論、それができればの話だが。
 リンは決意してから、のしのしと歩いて、がくぽの休んでいる部屋に入った(ミクが『デポ〜』を廊下の外に立てかけてから、その背後に続いた)。
 ──が、即座に、なぜミクが、おそるおそる戸口の外から部屋の中を伺うにとどまっていたかが、明らかになった。
 部屋の中では、例の青年、抜き身の刀を持った『神威がくぽ』が、ふしぎなおどりを踊っていた。ひらりひらりと、岩を飛ぶ小動物あるいは鳥が舞うように鮮やかにゆるやかに、とどまることない動きを続けていた。



「何かといえば、先の手の裡は”神午流”の急の太刀より”燕飛”の勢法である」がくぽは、客用寝室のベッドの上に腰掛け、茶碗から一口すすってから言った。「”燕飛”には虚実表裡、懸待攻守の別なく、ただ円転流離するところとなる様にて」
 リンにとっては単語もその配列もまるで意味不明の羅列だった。(註:ここで神午流は、神後伊豆神翳流の転様か)
「なんかの剣技の動きなのやっぱり」リンはようやくこれだけ言った。どうも電脳戦のアレイ(行動配列)のようで、ほとんど区分できないほどよどみなく連続しているが、リンのリズム感覚には、6部に大別できるルーチンが反復されていたように見えた。
「燕飛六箇剣の太刀法のみならず我が術手(て)は、剣の技のみにあらず、剣のための身の振にあらず。この我が刀、『美振(ミブリ)』を遣う法にあっては、身の位すべてを”奏で”とする。刀、音、舞、拍子、ことごとくが循環端なく表裏一如にして、まさしく翳ノ流の窮理に同じく、これ円相一体である」
「あんまり怪し過ぎる動きだったけど、ほんとに回復後のウォーミングアップ以外の意味ってないのね?」リンは念を押しつつ、無意識にMEIKOがよく行うのを真似て、頭痛を抑えるかのように、こめかみに指を押し当てていた。言葉の内容は抜きにしても、この神威がくぽの言葉遣いはおそろしく聞きづらい。
 先日からのこのがくぽの台詞は、AI開発地の《大阪(オオサカ)》のものと思われる西国の古い上方(カミガタ)の言葉に、《浜松(ハママツ)》の遠州と、三河由来から東国のいわゆる武家言葉が、ぐちゃぐちゃに混ざっている。無論、リンにはその個々の語まで分析できるわけではないのだが、ボーカリストであり、しかも一族中で音への感性が格段に優れたリンには、感覚的に”言葉の響きがおかしい”ことは聴くからにわかった。このがくぽの言葉遣いからするに、まるで、BAMA(北米東岸)あたりの”日本(ニホン)文化”に半端にかぶれた西洋人が、でたらめに武士・武者のイメージをよりあわせて作ったかのようだ。無論、すでにAIシステムがネットワーク中の人々の、武士に対する多種多様な意識の総体を反映している、という側面もあるだろう。
「──んで、結局、あのときは、どういう経緯でああなってたわけ」
 リンは気は進まなかったが、神威がくぽがまともに喋れるようになったら把握しておかなくてはならない、と思っていたことを聞いた。
「それが我にも皆目、相わからぬ」
 現在、VOCALOID神威がくぽ』は、AIシステムとしてのロールアウト後だが、まだアーティストとしてのリリースよりは前で、チューリング登録機構によるAI識別コードは”IV2GC”になるか、”VA−G01”になるか、その他の何になるかは決まっていないとのことだった。ともかくも、ロールアウト後、MEIKOの言っていた通り、がくぽは一度、VOCALOIDとしての同族のいる、この《札幌(サッポロ)》を訪れておこうとしたのだった。
 がくぽのAIの単体で、電脳空間内の《大阪》のデータベース・エリアから、ここ《札幌》のエリアまで移動したのは、はじめてということだった。どうも交通用のゲートウェイ、転送ポータルの類は使わず、人間で言えば縮地や、土遁を借りる(註:どちらも電脳移送プログラムの一種)のと同じほどの移動速度ではあるが、歩いてきたらしい。
「が、道すがら、いずこからともなく湧き出で、絶え間なく我が身にふりかかる、魑魅魍魎の群れ」
「はぁ」上方(カミガタ)からの道中はそんなものが出るのか。リンはそんなに長く格子(グリッド)を歩いて移動したことがないので、わからない。そも、チューリング登録された高度AIの一種であるVOCALOIDを傷つけられる手段はきわめて限られており、危険と呼べるものにはそう出くわすものではないはずだ。
「振り払い、『美振』の拍子と楽音にて払捨(ほしゃ)に退けつつ、進みゆくところ、なぜか、次第に鉛の如く重くなりゆく我が身」がくぽは堅苦しく重々しく言った。「ようやく、この往来にたどりついた処で、遂に前後不覚に陥り」
「んで、そこをあの『森之宮先生』に助けられた、と」
 結局、そのあたりの状況はわからなそうだった。そもそも、がくぽの陥ったその病状、すなわちAIシステムに生じた異常たるや一体何だったのか、それをあの少女、森之宮先生がどう”治した”のかも、リンには皆目わからないままだった。
「されば、あの女人については、リンらも存せぬか」
「そっちが少しは会ってるとか、助けられた時にでも知ってるのかと思ってたよ」リンは首のうしろで指を組んだ。「あの先にも後にも話してないし」
「左様か」がくぽは、沈み込んだように見えた。
 ミクは黙って二者を見比べている。そのミクの表情はむしろ、すらすらと喋るリンに驚いているように見える。まるでリンは(その先生とやらと同時に、はじめて会ったはずの)がくぽの方ならば、既に家族でもあるかのように話しているようだ。これは、AIの基本設計の感性に由来する洞察力と吸収力のあるリンの才覚である。もっとも、常に周囲に巻き込まれてばかりとしか自覚していないリン自身気づかない。現にこのがくぽの聞き取りづらい喋りとの会話が楽だなどと、リン自身皆目思えないだろう。
「畢竟、武士(もののふ)としていたく面目(めんもく)を失ったものと、恥じ入るべきところであろうが」がくぽは静かに言った。「むしろ──ただ、静謐玄妙の気にあてられた感が覚めやらぬ。……不思議なひとであった」
 リンも正直、同感である。ただし、”不思議”というのは、リンにとっては日々周囲(それも、特に家族)から被っている目からもわかるように、とても褒め言葉と呼べるものではない。しかし、がくぽの遠くに憧れるような瞳は、リンのそうした意味合いとはいささか違うものに思えた。
「気を失ってたのに、覚えてるの……」ミクが不思議そうに言った。
「たとい夢うつつの中にあっても、忘れられようか」がくぽは真剣に言った。「我が息を確かめた時、かすかに頬に触れた息遣い」
 では、あの時のあの部分は知覚していたのか。あの画面を思い出すとリンはなにやら、もやもやと妙に複雑な気分になるのだった。
「おぼろげに感ずる中、頬を拭いつつ触れた優しげなやわらかな指先、その周りの静やかな大気──触れたそのときは安らぎをもたらすとも、のちに思い起こさば、わが胸をいや騒がすものが満ちて」がくぽの言葉も口調も、何やら次第に熱にうかされたようになってきていたが、ふと、突如口ごもり、「いや、これは。……なにより、救われたかの女人に、一言、礼を述べねばと」
 そこまで我を忘れて自分でべらべらと喋るよりも前に、まずその”礼”が考えの先に立つべきなのが武士(モノノフ)とやらではないかと、リンは思った。
「ともあれ、心を尽くして手当て致されれば、定めし、たとい意識のなかろうとも身に覚えの残る、ということやも相わからぬ」
「私は? 私も介抱してたんだけど」リンは身をのりだした。家族の誤解を解く証言も取れるかもしれない。
 がくぽは若干瞬きしたが、やがて、「……いかにも、そう問われればリンにも、思い出すことがある」
 リンは期待をこめて見守った。
「手当てを施されている間じゅう、リンには斯様に、両掌で押さえつけられていた。……あたかも、この身の骨すべてが砕けるかとも覚えるほどに」
「待てコラ」それを言うなら、あのときの鳩尾やら霊体を引き抜いたやら、苦痛の方も全部、森之宮先生の仕業だったではないか。
「何に拠らず、助けられた様をつぶさに覚えている上は、かの女人に重ねて恩義は感ずるところ」がくぽはリンのその反応をまるでよそに、真剣な瞳で言った。「すみやかに会うて、礼を致さねば」
「いや、私もそう思うわ」
 リンにはどうにも許しがたい。森之宮先生に対して、ではなく、彼女のために生じた、何やらすべての状況に対して、である。一度、問題の森之宮先生に話すなり掛け合うなり談判するなり、なんとしてもこの状況は改善しなくてはならない。



(続)