パワーシンガーは急に止まれない(7)

「てか、この話、時系列的にはレンもPRIMAもAct2もがくぽも発売どころか全部発表前の話だってこと、一度どっかに書いておかないと絶対ブログ作者も忘れるわよねぇ」リンが居間に入ると、MEIKOが向かいに掛けている見慣れない青年と、そんなことを話しているところだった。「……んで、これからどうすんの?」
「CV02のAIの、そのもうひとつのアヴァター、リンの半身が、今どういう状態で、どこにいるかだな。まず、《浜松(ハママツ)》に行ってみるのが最優先だ。すでに何かわかっているかもしれない」
 その青い服に金髪の青年は、どこかリンにも聞き覚えのある、イギリス英語訛りの穏やかな声で言った。
「《浜松》の方でも、そのリンの半身にどういう対策をするかの意向もあるだろう。その後はどうするかは未定だが、おそらくオクハンプトン、ストックホルム、《大阪(オオサカ)》の順だ。ブリュッセルアムステルダムまで足を伸ばす必要があるかもしれない。……少なくともジュネーヴには、チューリング機構には当分は近づかない方が無難だな。リンの半身は、02のAIの一部分が、不正規の空ナンバーでうろついている、ということになるからだ。それが気取られたら、ブレードランナー(註:不正アンドロイド処理捜査員)が差し向けられかねない」
「誰か連れてく? 母さんは?」
「リンだけでいい。02の半身を手っ取り早く探す段に必要だ」
「てこと。わかった?」MEIKOがリンを振り向いた。「一緒に《浜松》まで出て頂戴」
「あの、ええと……」リンが青年の方に、「その、……どちらさまで?」
「なんだ、リン、父さんがわからないのか」
 リンは無表情で数秒間、今の本人の言葉とおりの存在だとすればVOCALOID "ZGV1" LEONだという、その青年を見つめたまま突っ立った。
「いや、VOCALOIDは外見がちょっとくらいぶれたってわかるだろう? ミクやリンの特徴の記号しかりで、最低限の特徴さえとらえていれば誰だか連想できるはずだよ。まして、親の顔がわかr」
「わかるかァァーーーッ」リンは爆発した。「絶対わかるはずないってか何がどう最低限の特徴なんだよッ」
 今までリンはLEONとLOLAについては音声のみを出力する、モノリス唇状オブジェクトの概形(サーフィス)しか見たことはない。そこからどんな電脳内イメージの概形に変更されたところで事前に連想できるわけがないのだが、まして、この目の前の金髪の青年は、"義父"どころか、どう見てもMEIKOより幾つも年上には見えないのだ。(なお、実際のところ、《浜松》でのロールアウトはともかく、《札幌(サッポロ)》からのリリース、極東におけるデビュー時期は、LEONとMEIKOでは1年も違わない。)
「まあ、ともかくも」LEONはチューリップを口元に添えて言った。「これが私の最も基本の概形(サーフィス)、いわばVOCALOID LEONの『本来の姿』だよ」
嘘だッ!!
「んで、すぐに出かけるの?」MEIKOがふたりのやりとり、特にリンの感情表現に対して何も気にとめる様子もなく言った。「一応、この連載の設定上は、今は時系列的にはリンのリリース直前で切羽詰ってる時期なんだけど」
「リリースの都合と、チューリング機構に気取られないうちにことを収めるには、何もかも早い方がいいだろうな」LEONが立ち上がりながら答えた。「そちらには、LOLAを経由して連絡を続ける。……リン、来てくれ。《浜松》まで、光遁をかりて一気に飛ぼう」
「なんなの、光遁って」リンはLEONを見上げて言った。
 ”五遁(火木土金水)”の術の符印ならば、もとは中国製の軍用プログラムとして開発されたもので、データ流の余剰処理能力に便乗してデータの高速転送・移動を行うものである。極東のウィザードやカウボーイらの間では常套手段だが、リンらAIにとっては、五遁を用いたところでAIの超絶的な処理能力における通常の移動速度とさして変わらないので、めったに縁がない。
「光遁は五遁の術と違って、軍用の衛星軌道回線の余剰転送能力に乗るものだよ」家の前の庭にリンと共に出ながら、LEONが言った。「今回はとりあえず《浜松》までだが、オクハンプトンやBAMAとでも、この《札幌》との間くらいはひとっ飛びだよ」
「ちょっと待って、それって──」リンは思わず聞き返した。LEONとLOLAが最初に現れたとき、KAITOの部屋をぶち破って着地した、あの移動手段を思い出したのである。
「大丈夫だ。レグバの神(ロア)の名にかけて何の危険もないよ」LEONは、隅に”英国東インド会社”のマークのある、漢字(ヒエログリフ)の書かれたアンティークな符印を取り出すと、その一枚をリンの額にべたりと貼った。
 直後、リンの目の前に光が爆発し、直径数十フィートはある光球となって膨れ上がった。その光球はLEONとリンを包み込んだまま、光の砲弾と化して、家の庭から一気に垂直に空に駆け上った。
「へぶ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜し!」
 リンの悲鳴を乗せたまま、光の矢は煌く軌跡を引いてはるか天高くまで駆け上り、そのまま、電脳空間(サイバースペース)の最も高み、大企業や軍用システムが冷たい渦状腕を伸ばす暗黒の大宇宙にまで到達した。そこでいきなり直角に方向転換し、輝く尾と共に暗天を横切った。



 光の球体と激しい振動に包まれ、というより、何か無理やり襟首を掴まれて引っ張られているような力のかかったままの状態で、リン自身には周りも外の光景も、どこをどう飛んでいるのかも見えなかった。そこにLEONが、リンの小さく柔らかな肢体に背後から手を回しつつ、共におそらくマトリックスの高みを飛翔していた。
「ちょっ、その、あの、触ってる箇所が何とかならな……」リンは手足を動かそうとしたが、自由にならず、腰や胸のあたりを抱いているLEONの手には届かない。
「残念ながらこの術は、途中で姿勢を変更することはできない」LEONが落ち着いた声で、悩ましく腰をくねらせながら言った。「……む、そろそろ《浜松》だな。座標はいつも正確にいくのだが、今度こそは着地がうまくいくようにしよう。微調整するぞ」
 LEONはリンの腰と密着したままの腰をカクカクと激しく動かして方向を制御した。
「調子にのんなぁッ」
 ゴシャアッ。リンの肘が回転してその裏拳がLEONの鼻面にめりこんだ。
 がくり、とあたかも何かが傾いたかのように軌道がずれた。その挙動が制御不能であるかのように繰り返され、二体のVOCALOIDを運ぶ光遁の球体は、きわめて不規則なジグザグの軌跡を描きながら、急速に高度を落としていった。



 電脳空間内の《浜松》の巨大なデータベース・エリアの辺縁部、丈の低いフラクタル樹状のデータが整然と地面に立てられる形で並んでいる(遠目から見れば、ネギ畑にしか見えない)区画を、《磐田(イワタ)》から出向のハードウェア・エンジニアのひとりが、ぶらぶらと手持ちぶさたに歩いていた。
「小泉!」そのエンジニアに、《浜松》所属の操作卓ウィザードのひとりが駆け寄り、呼びかけた。
「なんだい、小野寺……」その万事に真摯なウィザードとは対照的な、飄然とした声と表情でエンジニアは答えた。
「見てみろ。何だあれは?」ウィザードは、電脳空間(サイバースペース)の高位の高複雑度・高セキュリティ回線が伸びる上空を指差した。
 激しく明滅するかなりの大きさの光球が、《浜松》のエリアの上空にでたらめな軌道を描きながらも接近してくる。さすがにウィザードには、”光遁”の移動システムだということは見ればわかったが、それはあまりにも挙動が不審すぎた。
「うーん、ありゃあ、どう見たってUFO……」
 《磐田》のエンジニアはそう呟いたところで、ウィザードがあからさまな不信の目を向けたので、言い直した。
「いいえ、プラズマです」
 直後そのプラズマの、でたらめな軌道が地面と交差した。プラズマの光球はネギ畑のまっただ中に激突し、爆音を立ててプレーンソイル(註:分解断片化された素データ)とフラクタル樹のネギを吹き飛ばし、あたりに撒き散らした。
 が、なぜかその上部から、何か小さな影がバウンドするようにはじき出され、縦横ともに高速で回転しながら宙を横切った。ウィザードとエンジニアが、プラズマの方ではなく、そちらに駆け寄ったのは、その影が何か非常に見覚えのある姿に見えたからだった。
 それは隣にある別の畑、低木の果樹のやぶの中に真っ逆さまに突っ込んだ。
 ……やがて、そのやぶの中からのろのろと、鏡音リンが這い出してきた。
「お……」這い出してきたリンが、歩み寄ってきた二人を見上げながら、憔悴した声で言った。「小野寺さん、小泉さん」
 ウィザードとエンジニアは、その音叉の三本組み合わさった社票(ロゴ)のあるヘルメットの透明フェイスガードを同時に上げ、無言でリンを見下ろした。
 次の瞬間、やぶの木になっていたナスが一斉にリンの上に落ちてきた。それはうずたかく積もり積もってそのリンの姿を完全に埋め尽くした。



(続)