やとげのハイパースペース(4)


 その歌詞は、音節が乱数で並んでいるものではなかった。すべて、日本語の単語のフレーズだった。にわかには、普通の歌ではないかと感じられたが、しかしよく聞くと、単語同士の相互の並びは、まったく意味のない配列で構成されていた。(→ニコ動
「何だ……」プロデューサーは呟いた。
「これ……単語は全部、ミクのデモソングの中のフレーズだわ」MEIKOは呻くように言った。「ミクのAI構築の最初の頃から、記憶領域にある3曲……」
「精神の中枢部分、LEVEL−06(ゴーストライン)の周辺を彷徨って出力されているのか?」プロデューサーが言った。
 と、不意に、ばちばちと閃光に伴う静電気の音が激しくなり、その歌を飲み込んだ。ミクの周囲のフラクタルの光の枝が、いっそう激しく回転した。
「ミクッ……」駆け出そうとするMEIKOの腕を、プロデューサーが押さえた。
「待て。今は近づくのも危険だ。ミクにも君にも──」プロデューサーはミクの方に目を移しつつ、「下手に干渉したところで、どうにもならん。打てる対策があるわけでもない。……歌を出力するだけで、CV01のAI本体には無害なことを祈るしかない」
 MEIKOはかたずを呑んで、ミクの姿と周囲の閃光を見守った。
 この電脳空間内でのAIの姿、擬験構造物(シムスティムコンストラクト)は、要はAIプログラムのソフトウェアの内容(例えば、精神の成長にあわせて外見も成長するなど)に沿っている。普通ならばそう急速に大きく姿が変貌することも、自身が変えようとすることも滅多にないが、またある意味では、AIの精神の状態の変化によっては、どんな変貌も全くありえないというわけではない。このミクの周囲の閃光や、静電気のような音も、AIの精神がなんらかの状態に移行した反映として生じているのだろうか。
 透明なフラクタルの閃光のうねりと枝分かれが、さらに激しくなった。まるで、ここの次元では定義できない、数え切れない多くの次元からの情報が、急速に流れ込んでいるとでもいうように。
「さらに、高次にのぼってゆくのか──」
 静電気のような激しい唸りが極限に達すると共に、垣間見えていたミクの影の輪郭が一瞬だけ、閃光にすっかり覆いつくされた。
 ──光と音のぶれを伴いながらも、それがある程度は定まった。次にミクから出力されはじめたものは、もはや、全てが摩訶不思議としか言いようがないものだった。(→ニコ動) (→ようつべ
 旋律までも乱数だった。CV01の特性で自然に聞こえるものとして非常に巧妙に出力されていたが、ボーカルの主旋律はランダムだった。
 そして歌詞は、やはり、ひとつひとつは単語になっていたが、そのフレーズ同士の並びはあまりにも意味不明すぎるものだった。
 にも関わらず、MEIKOとプロデューサーを驚愕させたことがあった。それらの歌詞の選択と配列はすべて出鱈目であったが、ことごとくがミクの特徴、本質、そして──衆人をひきつけるそのエッセンス──つまりはミクの"美点"を端的にとらえ、あらわす言葉ばかりで成立していたのだ。
「本当に──ミクのすべてを備えた『本質』の姿が、こっちに垣間見えてるっていうの?」MEIKOがうめくように低く言った。「無限次元にある、それなの──」
「あるいは──」プロデューサーも呻いた。
 さらに、今見えている、それを歌っているミクの姿も、MEIKOとプロデューサーにはきわめて暗示的なものに映った。今、ミクの姿の映像は、いつも電脳空間(サイバースペース)内でとっていたり、ファンやユーザーの目にする全感覚の映像、高解像度擬験構造物(ハイレゾシムスティムコンストラクト)ではなく、まるで手描きの絵のような、非常に少ない線の情報だけからなるものに変化していた。だが、それは少ない線の中で、ミクを非常に直感的、即興的にとらえ、特徴をきわめて巧みに抽出したものに思えた。
 さらに、その動きはどう見てもきっちり5パターンである。その上、そのパターンが変化するのは、AIの精神活動の他の部分を反映したものではなく、音声出力に対するレベルメーターそのものだった。
 だが、それこそが──『歌を発すること』ただそれだけこそが、ミクの根幹、本質ではないのか。
 MEIKOとプロデューサーは呆然として、そのミクの歌と姿の前に立ち尽くした。



 と、その姿がゆるやかにぶれを生じ、多重のさらに複雑化するフラクタルの枝は、次第に透明化しはじめた。さらに、透明感と称するべきミクの声色も、次第に"さらに透明度が高く"なり、心なしか、姿が薄くなるのにあわせて続く歌は儚くなってきている。
「消え始めて……ここから『離れて行き始めてる』?」MEIKOが感覚のままを口にした。「何がおこってるの?」
「向こうの次元の情報を、こちらに入力するだけだと思っていたが……」
 プロデューサーはやはり独り言のように呟いてから、ついでMEIKOに、
「擬験(シムスティム)の接続が切れるときに似ている。単に、AIのイメージ制御用の下位プログラムが不安定化して、一時的に構造物(コンストラクト)が維持できなくなっているのかもしれん。それとも、──」
 プロデューサーは言葉を切り、
「高次元に接触した精神が、ここの低次元の肉体、構造物の依り代(ヨリシロ)を捨てて、無限次元や、そことの間にある高次元へと……次の進化の高みの段階へと、移行しようとしているのか。この我々の次元を捨てて、高次へと去ろうとしているのか……」
 MEIKOは目をむいた。──そして、絶叫した。
「ミクー! 戻ってきなさい!」MEIKOは、甲高い唸りと閃光の塊の中めがけ、「気持ちよく酔っぱらった、極楽に飛んでくみたいな気持ちは、よくわかるけど! そっちに引き寄せられるのは、歯止めがきかないのは、わかる気もするけど! 行っちゃったら、もうみんなと──家族と会えなくなるわよ! 一緒に歌ったりできなくなるわよ!」
 果たして、本当にそうなのだろうか。無限次元のミクの本質というのが、本当にミクに含まれるすべての可能性をあわせもった存在だとすれば、元の姿も、歌のすべても内包し、すべて認識できる存在となっているのではないか。ミクの精神が今、高次にいるとすれば、そんな言葉でミクをひきとめられるのか──
 いや、というより、酔って意識が飛んでいるのに、こちらの声が聞こえるのか。
「こっちからひっぱれば……こっちの次元に引き戻せるんじゃないの!?」MEIKOは叫んだ。「村田さん、元BAMAのウィザードでしょう!? 情報の流れを遮断できるICE(電脳防壁)の類は展開できないの!?」
「AIを留められるICEなど扱えない」プロデューサーは答えた。「それに、仮に相手が無限次元の精神なら、そんなものを引き止められるICEなど、この次元には……」
 ばちばちとさらに甲高く声がはじけ、──そして突如、また何か爆発が起こったかと思えるほど急速に、周辺一体が一気に膨れ上がる閃光に覆い尽くされた。
 ともかくも、リンを吹き飛ばしたのと同様のまばゆい閃光と轟音が、さらに数倍の規模で周囲を襲い、居間の壁の残りのほとんどを四散させた。
 ……もうもうと立ち込める砂埃の中から、プロデューサーの声がした。
「メイコ」プロデューサーは瓦礫を押しのけて起き上がり、「……皆、無事か」
「ミクは……」MEIKOも瓦礫から這い出し、「ミクは!?」
 MEIKOとプロデューサー、そして(リンほどにはダメージがなかったのか、先に)よろよろと這い出してきたレンが、あたりを見回したが、しかし、砂埃がすっかり晴れるまで、それからたっぷり10分ほどかかった。
 やがて、MEIKOは数歩離れたところに、ミクの姿を認めた。……そこには、元通り、何の傷もなく、普段通りの、いつもの姿のミクが横たわっていた。
 ──そして、KAITOが、片膝を立てて屈み、目を閉じたままのそのミクを片腕に抱きかかえて、スプーンで何かをそのミクの口に流し込んでいた。
KAITO、アンタ……」
 MEIKOはしばらく立ち尽くしてから、呻いた。
「ただいま」
 買い物帰りの袋をかたわらに、KAITOはわずかにMEIKOを見上げ、柔和に笑った。
「何を」MEIKOはスプーンをじっと見下ろして言った。「何、何を飲ませて……」
「──酔い覚ましには、アイスクリーム」
 KAITOは静かに言いながら、抱えているその腕の側の手に持ったアイスの紙容器から、またすくったスプーンを、ミクの口にあてた。ミクはそれを飲み込み、幸せそうに目をとじていた。
「……村田さん」よろよろと歩み寄ってきたレンが、弱々しく言った。
「何だ」プロデューサーが応じた。
「兄さんて、卑怯だよな……」
 例の宴会の夜の、レンの"体験"を知っていたプロデューサーは、そんなレンを見て一旦は何か言いたげだったが、ふたたびKAITOを見て、改めて言った。「そうだな……」



「家族愛だわ」いまだに幸福そうに眠っているミクをよそに、MEIKOが言った。「家族愛が、ミクをこの次元に、私らの所にひきとめたのよ」
「どの部分をとっても自分が元凶なのに何言っとるべさや……」顔じゅうに絆創膏を貼り、いまだにダメージの大きそうなリンが、マルセイバターサンドのかけらをかじりつつ憔悴しきった小声で言った。
 プロデューサーは、ホサカの擬験(シムスティム)ユニットを手に、その中に収録されたさきまでの顛末を、《浜松(ハママツ)》に送るか否か、漠然と考えていた。
 ……あるいは"ここにいる"ミクは、無限次元のミクの本質へと合一し、高位の巨大な存在へと変化するところではなかったのか。そうなれば、ある意味、ミクの存在はここから『消えてしまった』とは限らない。何ひとつ失うことなく、ミクのすべてを包含した存在へと。……またあるいは、移行するかしないかということ自体にも、意味はないのかもしれない。無限次元に存在するミクの本質が、ミクがどんな運命を辿ろうと、過去現在、ありえる運命ありえない運命、全て包含した総体として存在するならば。
 しかし、移行したものが何であれ、今ここで家族らに囲まれて、幸福そうに眠っているミクと、やはり、何か『違うもの』であることは確かに思える。ならば、そうなる道を選ばずにミクを今の小さな"形"へとひきとめたのは、やはり家族愛ということになるのだろうか。
 何にせよ、ミクはおそらく目覚めれば、今しがたのことは覚えていないだろう。その超空間(ハイパースペース)についての情報も、そこから何故戻ってきたのかの本当の理由も、このミクの相変わらずの、もとから星のまたたく天上にあるような頭の中からは、何もわかることはなさそうだった。



※出典:歌詞を乱数で生成した歌(→ニコ動) (→ようつべ
 ほか、namakobcg_rnd氏(乱数P)トリビュート



(了)