例えばこんな供給形態

 少女にそれをくれた祖父母らは、オルゴールだ、といった。大切にしないと、『オルゴールの精』が、機嫌をそこねてしまうよ、とも。



 しかしその装置(ユニット)は、旧時代の携帯音楽プレイヤーによく似ていた。手のひらサイズの薄い板のような、黒光りする筐体で、縁やボタンのポイントはエメラルドグリーンの蛍光を放っている。
 少女は自分の部屋に戻ってから、ベッドの縁に腰掛け、おそるおそる、それを言われたとおりに起動してみた。装置から伸びている、黒いイヤホンを耳につけ、緑のスイッチのひとつに触れる。
 と、もうそこに彼女がいた。部屋の中、ベッドの傍ら少女の見上げる先に、とっくにそこに立っていたように。
 歳のころは18か9だろうか。直線の多い、袖のかなり長い、やや厚手の黒いジャケットに、緑のチェックの入ったスカートとは、ユニットの色彩を思わせたが、やや色は落ち着いて見える。"電脳的"な印象だと、はっきり言い切るには、デザインも色合いもややシック調で沈んだものに見える。緑の髪は、肩よりやや下で、一部をうしろでテールに上げていたが、それでもかなり髪の量が多いように見える。(→註:参照は原画氏の初期デザイン稿の非ツインテ版、なくてもいいけど) なお、あとで聞いた話だが、祖父母は少女の"姉がわり"を念頭に置いて、この『初音ミク』に対して、こういった姿の設定を選択しておいた、ということだった。
 部屋に現れたその姿は、本物の人間の実体にしか見えず、輪郭もぼやけてもおらず、よく見るホログラムなどにはとても思えない。
「ホログラムじゃないですよ」ベッドの傍らに立った"ミク"は、少女を見下ろして、まずそう喋った。「擬験(シムスティム)と同じ、感覚信号です」
 それから、そっと手を伸ばして、座っている少女の手に触れた。そのミクの手の感触の実感性(リアリティ)に、少女はあやうくユニットを取り落としそうになった。
 実は、イヤホンのように見えるのは電極(トロード)であり──少女の神経にじかに、視聴覚だけでなく全感覚に対して、『この女性がこの場にいる』という情報、見える・声が聞こえる・触れられる、すべてを送り込んでいる、ということだった。ミクの肌の感触はやわらかくあたたかく、そして近づけば、髪から匂う清らかで涼しげな香りまでした。
「おねぇちゃんって」少女は『オルゴールの精』の話を思い出して、ユニットをそのミクに見せて言った。「この中に、住んでるの……?」
 ミクは曲げた指を唇に当てて、くすくすと笑った。まるで水玉が輝きながら転がるようで、少女はそのさまに見とれた。
「わたしのAIの下位(サブ)プログラムが、ですけどね」
 このユニットを持っていれば、家でも学校でも外出先でも、どこに行ってもミクをかたわらに呼ぶことができる。もちろん、装置自体の電力と、できれば、電脳空間(サイバースペース)に遍在するCV01のAIの上位プログラムにアクセスできるよう、通信回線の信号が届く場所の方がいいが──
「どんな歌がうたえるの?」少女はたずねた。「なんでも、歌ってくれるの?」
「ユーザーさんの、聞きたい歌を。この装置の中に好きな音楽を保存しておくこともできますけど」ベッドの少女の傍らに腰掛け、ミクはまず指を立ててから、ユニットを指した。「わたしたちが一番よく使う仕事用のアップロード場所には何千曲も、どんな歌でもありますし、vsqファイルを別の場所から持ってくれば、それも歌えますよ。このユニットを電脳端末(PC)につなげば、ユーザーさんが自分でvsqファイルを、好きな歌を作ることもできますよ」
 少女はユニットを握り締めたまま、ミクの姿を見上げた。このオルゴールは、蓋をあければひとりでに鳴ってくれる道具ではなく、本当に、中にいるオルゴールの精が歌ってくれるのだろうか。だから、機嫌をそこねれば、うまく歌ってくれなかったりするのだろうか。でも、このミクの機嫌をそこねようなんて、少女にはとてもそんな気は起こらない、できそうもないことのように思えた。