8秒で止まる呪いの動画

 《秋葉原(アキバ・シティ)》詰めのプロデューサーのうちひとりが営業所に入ると、現場は混乱しきっており、誰も満足に状況を説明できなかった。
「いい、概要は専務から聞いている。私がじかに見て把握する!」プロデューサーは肩にかけていたハードケースから、黒いキーボード状の──型落ちのオノ=センダイ製の電脳空間(サイバースペース)デッキ、彼がかつてBAMAの操作卓(コンソール)ウィザードだった頃からの機器を引き出した。電極(トロード)バンドを額に嵌めると同時に、指がデッキの表面に並んだ短縮スイッチをグリッサンドのように走り抜け、準備されたセキュリティを全て起動する。──プロデューサーの視界に金属光沢のオーロラが激しく波打ち、急激に振動数と色彩の変遷が燃え上がり、ホワイトアウトし、瞬時に眼前に電脳空間(サイバースペース)が溢れ開く。全感覚情報化された全世界のコンピュータ情報ネットワーク、AIとプログラム生命らの故郷、さらには電脳技術者らと電脳ジャンキイら、望む望まざるとにかかわらずこの空間のとりことなった、幾多の人間らの故郷。
 そびえたつ城郭、ICE (Intrusion Countermeasure Electronics: 迎撃プログラムシステム)の防壁と、フラクタルの棘を持つ影の尖塔に囲まれた、《秋葉原》とやや遠くの《浜松》のデータ群を俯瞰する。物理空間にあるデッキのキーの上をプロデューサーの指が駆け巡り、ICEの防壁の合間に残った情報をトレースする。
「なんてことだ……」鋭い軌跡のように残った、”灼け跡”を見て呻く。プロデューサーは《浜松》へとグリッドを飛ぶか、あるいは連絡しようとしたが、思い直し、本社とスタジオのある《札幌》の方へ──デッキの”CRV1”の通話短縮コードをパンチした。



「《秋葉原》はマトリックス全体がいつも雑然としている──その干渉で、こちらのICEが著しく手薄になる幾ナノ秒を狙って、攻撃プログラムが送り込まれ、突破された」黒電話の受話器から、プロデューサーの声がする。「《浜松》の方は素通りされ、そこのスタッフは最初から対処できていない。攻撃プログラムはそのまま、まっすぐにそちらに──《札幌(サッポロ)》のデータベース群に向かっている」
「村田さん、向こうの目的の見当はつくの? その攻撃プログラムの特性は?」MEIKOは受話器を顎に挟んだまま、弟妹らと、今いるデータベースを振り返った。
「目的はわからん。特性は、いくら薄くなった時でも《秋葉原》のICEを破るほどなら、軍用"砕氷兵器(ICEブレーカ)"プログラムの一種かもしれん……その侵入タイミングを洗い出し、それだけの攻撃プログラムを制御できる、とてつもない腕のカウボーイ(註:攻性ハッカーの最高称号、防性の"ウィザード"と対をなす)が後ろにいるのは確かだが、そいつも雇い主も、詮索している時間がない」
「雇い主? どうせ例の──広告代理の大企業が、裏から手を回してるんでしょ」
 プロデューサーはその点には触れず、「君達が無意識にまとっているAIのセキュリティ結界は、人間などの作ったようなウィルスやワームの影響はまず受けないが、仮に軍用ICEブレーカとしてあの威力なら、AIさえ傷つける可能性もおよそ三分近くあるだろう。……特に、活動まもないCV02は、まだ環境対応・防御不足だ」
「んで、どうしろって?」MEIKOは背後のリンとレンに目を走らせて言う。
「オクハンプトンに避難すべきだろう。恐らくここと同じような対処しか準備できない以上、同じように突破される可能性は高いが、時間を稼ぐ間に我々が対策を見つける」
「《札幌》の情報財産を全部なげうって? 向こうの目的もわからないのに? それで皆が安全って保障もないのに? ……私らが、ここでリンとレンを守るわよ」
「いかん!」プロデューサーの語気が急に強まった。「君達は電脳戦用じゃない。そんなことのために居るわけでもない!」
「一番有効な対策は、電脳戦専用じゃなかろうがAIの処理能力でしょう」
「メイコ、万一君らまで傷ついては、元も子もない──」
「何を言ってるのよ。対策もなしに避難する方が、私らも02も全員傷つく可能性がずっと高いじゃないの。この話はおしまい」MEIKOは黒電話を切った。いわゆるアジモフ規定の自動ロボットとは異なり、チューリング登録機構が認定した高度AIは、機構の規定と自身の行動規範に沿って、ほとんどの場合人間の言葉は尊重するが、人間の言葉通りにそのまま"隷従"するわけではない。
「何がきたの……」リンが、レンと共に、ミクの肩越しにMEIKOの様子を伺った。
「しっ」ミクが唇に指を当てて、「あなた達は、ここでじっとしててね。大丈夫だから」
 それからミクは振り向いて、MEIKOKAITOと共に、視界の電脳空間を見渡した。自分達の今いる電脳空間エリアの背後には、多重リングのゲートで閉じられた、《札幌》の楽曲データベースの安置された空間がある。自分達の前には、そのエリアを守るための防御の張り巡らされた通路、灰色に沈黙するICEの影の廊下がある。
 そばのモニタの周辺システム状況表示には、攻撃プログラムがその廊下を走り抜けてくる軌跡だけが表示されている。攻撃プログラムがICEのシステムを騙すような似非(グリッチ)システムを発しているとも見えないのに、なぜICEを作動させずに直進して来られるのだろう。
 ……リンはレンと共にゲートの近くに下がりながら、上の三兄妹を見回した。VOCALOIDは演出内のイメージを別にすれば、"実際"の攻撃機能は一切持たない。軍用AIのように侵入者を致死信号で脳死(フラットライン)させるどころか、他システムを電脳的に"攻撃"する攻性システムは一切有さない。攻撃性や暴力性は《札幌》の本社も規約で厳重に禁じており、かれらも持とうと思ったこともない。それでも、AIの超処理能力のセキュリティ結界は並大概の電脳攻撃ならノイズを消すように無効化してしまうが、相手が軍用ICEブレーカほどの超破壊兵器であれば流石に話は違ってくる。何ができるというのか?
「このエリアを守る、こちらから進み出て仕掛け(ラン)られないなら、とれる対策はそんなにない」KAITOが言った。「『8の字の∞の呪い』の停滞現象に引き込むくらいだね」
 MEIKOは頷いた。それから振り返らずに背後に手を伸ばした。「レン、バナナを頂戴」
 レンは怪訝げな目ながらも、MEIKOのその掌にバナナを置いた。
 ミクが、そばにある盆からネギを二本取り、両手それぞれを中段に上げつつ切先を触れ合わせ、兵法二天一流でいうところの円相の位にとりつつ、MEIKOの横に進み出た。そのふたりの中央に、紙容器とスプーンを構えたKAITOが進み出た。
「来たッ……」リンが思わず呟いた。
 灰色のICEの壁の廊下一杯に破裂するように、巨大な閃光で形成された光の蛇、熾天使(ファイアエンジェル)、ぎざぎざの翼と鱗のようなものを表面に迸らせる攻撃プログラムが、のたうちながら飛翔してきた。なぜ周囲の壁のICEが作動しないかが明らかになった。スピードが速すぎて、反応し捕らえることができないのだ。《秋葉原》のICEのわずかな隙をついて突破し、《浜松》を素通りして通り抜けられた理由もそこにあった。
 ──三兄妹が動いた。その場でそれぞれ、バナナ、紙容器とスプーン、ネギ二本を上下させる2パターンの動きを単純に繰り返しながら、童謡『とんでったバナナ』の出だし部分の節にのせて歌いだした。ただし、KAITOの歌詞だけが、ほんの少し違って聞こえた:



 おやつは300円まで
 [バナナ/ICE]はおやつに入るかな (→ニコ動



 開始から8秒に達したその瞬間、不意に、周り一帯の空間がぶれたように思えた。モニタのシステム表示に流れていた情報(コメント)が、周囲の時空を取り残したように、一斉に並んで凍りついた。マトリックスの格子(グリッド)をかすかに駆け巡っていた電子の流れすらも、停止するのが見えた。
 時間が停止した。何も動けなかった。運動エネルギーそのものの存在であった光の蛇が、心なしか震えながら失速し、光が霞み、エネルギーを喪失し、即ち自己の力そのものを喪失したように見えた。
 その停滞はほんの一瞬だったが、回復し、周囲の電子が再びめぐり始めたその瞬間、通路の灰色の影の壁が脈打ち、失速した光の蛇に周囲のシステムのコア指令(コマンド)ICEが反応した。輝くクロームの鎖と棘が灰色のICEの壁から枝を伸ばし、侵入者──力を失った蛇に、無数にからみつき、縛り取り、瞬時に壁の中に飲み込んだ。
 ……あとは、何事もなかったかのように、静寂が続いた。
 リンとレンは息をするのも忘れたように、ふたたび灰色に沈んだ廊下と、上の三兄妹の背中とを凝視した。かれらはテクノロジーでも、暴力でも攻撃ですらもなく──ただ静止と静寂をもたらす動きと唄、純然たる"アート"によって、相手を屠ったのだ。



※なんぞこれ


※出典:おやつの唄 (初音ミク)(KAITO)(MEIKO) (上リンクと同じ、→ニコ動


※08.03.27追記:ニコ動がSP1になって以後、該当動画は止まらなくなった様子